どうしても

「おーい!しぃーーーん!開けろぉー!」


ドンドンドンドンドン!!!!!


ここは、都内のとあるマンションの一室前。


(やっぱり来たか・・・)


激しくドアを殴りつけている男に対し、部屋の持ち主である毛利伸は、冷静にこう思った。
思うと同時に瞼の奥が重くなり、頭の芯にカッと燃えるような感覚が襲ってくる。
しかし、これもいつものこと。
伸は、目の前にいる人に気付かれないよう、小さく息を吐いた。


鉄製の扉が打ち付けられる、直接頭に響くような耳障りな音の中で、二人は目を合わせた。


「毛利君・・・」
「いいから、ほっといて。無視していいよ」
「でも・・・あれじゃ、ご近所迷惑じゃない?」
「それが狙いなんだから、一度誰かにぶっ飛ばされてみればいいんじゃないか?だから・・・」
「・・・」
「何?」
「意外。毛利くんて、そういう人だったんだ・・・」
「ふう・・・あのね、君にそう思わせるのも奴の手なんだよ・・・。だからくれぐれも引っかからないで」
「どうして私にそんな風に思わせたいの?」
「知らないよ」


そっけなくそう話しをかわしつつも、本当は奴の行動の理由なんか、伸は知りすぎるほどに知っている。
だが、それを認めたら負けだ、と、日々自分に言い聞かせているのだ。


ムスリと顔を顰めた伸を他所に、ドアは叩かれ続け、部屋の中のもう一人は、そちらが気になって仕方なく、気も漫ろ。
こんな光景を、これまでに何度見てきただろうかと、伸がテーブルの下、指折り数を数えだそうとしたその時、突然、彼女がはっと表情を変え、小さく叫んだ。


「どうしたの?」
「まさか・・・!」
「・・・まさか・・・?」


伸は今日、所謂本当の“彼女”と“彼”な関係になるべく、やっとこの娘を自宅に招待した。
ここまでの道のりは、決して平坦ではなかった。
『いいな・・・』、と思うところから、『好き』になって、食事に誘い、あちこち連れて回り、時間も出費もそれなりにかけて、ようやっとここまで漕ぎ着けたのだ。
それなのに、まるでそれを見計らったように、あいつはやってきた。
よりによって今日という肝心な日に。


その“あいつ”とは、旧友というより戦友である、羽柴当麻だ。


そしてちなみに、こんなことは一度や二度ではなかった。


けったいな戦いを経験した5人の仲間は、それぞれ進学や就職()を果たし、今や二十歳を超え立派に成人した。
そのうちの二人、就活も無事終わり、あと約1年の大学生活が残っている伸と、就活なんて関係なしとばかりに遊び呆けている今年3年の当麻は、同じ大学に通っている。
しかも東京の。
どうしてこの二人だけが地元でもない同じ大学に進んだのか、その理由は当事者にしかわからない。




さて、話は戻り、現在の毛利宅である。


「“まさか”って、どういう・・・」
「あっ、ううん、なんでもない!・・・ね、彼、3年の羽柴クン、でしょ?」
「どうして山本さんがあいつを知ってるの?」


彼女のことは、当麻は知らないはずだったのに。
知られない為に、それなりの行動をとってきたつもりだったのだ。
だが、彼女は当麻のことを知っている。
それも、個人的に。
超がつくほどの天才である当麻は、このマンモス大学にとっても希少な存在で、ちょっとした有名人ではあるから、ほとんどの学生が知っていてもおかしくはない。だが、彼女は他大学の学生だ。
どうにも嫌な予感が拭えない伸だった。


「え・・・、えっと、ちょっと、こないだ研究室の交流会で会って・・・。それより、やっぱり、開けてあげなくちゃ、外、寒いし可哀想じゃない?」


彼女と当麻の専門は違う。
自分はそこまで考えて相手を探したのだ。
なのに彼女は何故嘘をつく?
いや、嘘をついたのは当麻のほうかもしれない。
伸の中に湧き上がるこの疑念と不信は、もはや留めようもなく。


「あんな奴、凍えて風邪でも引けばいいんだよ。そのうちいいかげん諦めて自分んちに帰るだろうしね。だから、放っておこうって」


伸が、やや語気を強めつつ、説得するのとは逆に、彼女(候補)は、何か思い当たることでもあるかのように俯き加減で囁いた。


「・・・やっぱり・・・」
「え?」
「あ、ううん・・・、やっぱり可哀想。私、開けてくる!」
「え!?あっ、ちょっと・・・!」


引き止める間もなく、彼女(候補)は、玄関に向かった。
この時点で伸は、彼女が彼女“候補”ではなくなったと、早くも諦めの境地に至った。
おそらくこれから、あの男によって、彼女は伸から離れてゆくことになるだろう。
そう、今回も。
伸は目を閉じて、大きく嘆息したが、その音は、ガンガンというドアのあげる咆哮にかき消された。


カチャン


彼女(になるはずだった人)が鍵を回した途端、ドアは外側に強く引っ張られ、開いた。


「きゃっ、羽柴クン・・・」
「お〜っ!なんだぁ、山本さんかぁ!あんた、なんで、伸のうちなんかにいんだよぉ〜」


バランスを崩し、倒れてきた女性を大きな胸に抱きとめた当麻は、彼女を見下ろし、オープンになったままの玄関先で、近所中に響き渡るような大声で話し始めた。
その足元はふらふらで、ドアノブに掴まっていなければ、今にも彼女共々転げてしまいそうだ。


「ちょ、ちょっと、羽柴クン!こんなに酔っ払っちゃって・・・。中に入んなさいよ、ご近所に・・・っ」
「えぁー?!何?でも、ここ伸のうちだろう?あいつの許可がなきゃ入れなぁ〜い。あ、でもぉ、俺が入ったら修羅場んなっちゃうなー!なあ!おいっ、伸!てめえ、人の彼女にてぇ出してんじゃねーよー!」
「えっ!?ちょっ・・・!な、何、言って・・・!」


するとそこに、


「・・・当麻、中入れ」


びっくりして言葉に詰まった彼女の後ろから、気配も立てずに伸が来て言った。
その声は、普段の彼からは想像もつかない、周りの空気さえ凍る声音だ。
ところが、言われたほうの当麻は全く動じることもなく、玄関に足を踏み入れたと思った刹那、彼女を投げ捨てるように手放すと、クルリと後ろを振り返り、再びとんでもないことを口走った。


「うぉ〜っ!いいのかぁ?ひゃーっ、ご近所の皆さま、これからこのうちで修羅場りますんで、お気になさらずどーぞー!・・・って、うわっっ」


当麻は、無言で内側に怒りの炎を燃え立たせている伸によって、痛いほどの力で腕を掴まれ中へと引きずり込まれた。


彼女が当麻に『俺の彼女』と言われて驚くのは当然である。
山本と呼ばれた娘は、もちろん、当麻の彼女なんかではない。
ではないが、実は、当麻も数週間前から彼女を口説き始めてはいた。

もちろん、彼女を好きだからではない。

しつこいほどに繰り返された口説き文句には、所々に伸バッシングも織り込まれていた。
具体的に言うと、
『あいつ、相当移り気だから』
とか、
『優しそうに見えて、実は冷酷な奴なんだぜ』
とか、エトセトラエトセトラ・・・。
その言葉は、まるでサブリミナル効果の如く、意識しないうちに、じわりじわりと彼女の脳に滲み込んでいったことだろう。


そして今、この状況である。
こうなったら当然、彼女はもうここにはいられない。


「毛利君、ごめん!私、もう帰る!」


バッグを持って横を通り過ぎる彼女に対して、伸は、何も言わず、何もしなかった。
ここで惨めったらしく、追いすがるほどに、彼女に夢中ではなかったのも事実。
だがそれよりも、この治まらない腹立たしさをぶつけるほうに、伸は思考を奪われていた。
いつもそうだ。
こんなことで、こんな奴に怒りを感じる必要なんかない、と、頭では必死にそう思おうとしている。
さっき、自分が彼女に言ったように、無視すればいいのだと。
だが、悔しいことに、いつもいつも、そこを抑えることができない。
イライラとした気持ちを抱えて、独り家の中に引き返す。


一方、玄関の壁に背を凭せ掛けたまま、出て行く彼女に当麻は更に容赦のない言葉を投げつけた。


「あんたにもガッカリだったなー、俺がいながら他の男の家に、平気でのこのこ上がるような女だったなんてさあ!」


パン!


彼女は当麻の頬を一発思い切り張り飛ばした。
そして音がするほどに睨み付け、「サイテイ!」と吐き出すように言い、叩きつけるようにドアを閉め、去っていった。


「ふふふっ」


ところが、当麻は実に楽しそうに笑うと、素早く身を翻し靴を脱ぎ、勝手知ったるの態で上がりこむと、先ほどの千鳥足が嘘のように、伸のいる奥の部屋へと歩を進めた。


綺麗に片付いた、いかにも居心地の良さげなリビング。
そこに伸はいた。
ソファの背に浅く腰かけて腕を組み、これまた当麻を睨み付け待っている。


「最低」


あえて彼女と同じ台詞を使う。
ただし、声は静かで低く、怒りによって少し震えている。
少しは人の気持ちを考えろと言いたいし、自分の感じている怒りも味わわせたいのだが、しかし、この言葉も態度も、当麻には全く響かないということも承知しているせいで。


そして思っていた通り、当麻は変わらずニヤニヤ笑いを浮かべながらコートを脱ぎ捨てて伸に近づき、目の前に立つと、切り替えしてきた。


「お前が、だろ?」
「どうして僕が?」
「俺がいるのに、ろくでもないバカ女に手ぇ出すなんてさ」


当麻の手が伸びて、指先で伸の頬を撫ぜた。


「君は関係ない」


伸は、眉間に皺を寄せただけで払い除けることはしない。
こうなることも、どこかで予想していたし、この先どうなるかも、正解確率99.9%で予想済だから。


「冷たいな。だから、女に逃げられるんだよ」
伸の柔らかな耳朶をきゅと摘む。


「君に言われたくないね」
首を捩り、不快を露にする伸。


「どうしてそんなに俺に嫉妬させたいわけ?」
「はっ!勘違いも甚だしい」


皮肉に顔を歪め、吐き捨てる。
それなのに、こうやって当麻を突き放そうとすればするほど、胸は苦しくなる。
まるで自分のほうが悪いと、彼に言われるまでもなく、そう感じているかのような気分になる。
伸は、そんな自分が嫌だった。


「どうして、いつもいつもいつも、僕の邪魔ばかりするんだ」
「“俺が”じゃない。お前が、俺の邪魔をしてるんだよ」
「何のことだ・・・っ」


ソファに寄り掛かる伸の両脇に手をつく当麻と、伸の距離は、もうほぼゼロ。
顔を背けても、息は耳にかかり、当麻の熱を伝えてくる。
伸は、目を瞑り、現実逃避したくなるのを、下腹に力を入れてぐっと堪えた。


「理由は、わかってるだろう?」


脳に直接語りかけるようにゆっくりとした口調。
吐き出される息にアルコールは含まれていない。
先ほど出て行った彼女は、当麻の腕の中で、そのことに気付かなかったのだろうか、ふと、伸はそんなことを思った。


「わかりたくもない」
「てことは、わかってるんだな?」
「君もいい加減、気付くべきだと思うけど?」



あの頃を引きずって生きてはいけないと。


伸が意を決して、視線を戻すと、鼻先がぶつかった。

当麻は、そのチャンスを逃すことなく、素早く唇を掠めた。


「俺は、自分のことは、ようくわかってるさ。気付いてないのはお前だ。いや、気付いてるのに否定したがってるって感じか?」



あの出会いと出来事の上に、今の俺たちがいるのだと何故認めない?
何故それを許すことができない?



そしてそのまま、腕を伸の背に回し、ぐいと引き寄せ、白く滑らかな首筋を下っていく。



「よくもまあ、そんなに自信たっぷり言い切れるもんだね」


一瞬過ぎた快楽の予感に歯を食いしばり、伸は顔を顰め天井を見上げた。
抵抗するように掴んだ当麻のシャツは、まだヒンヤリとしていて、たったそれだけのことに、伸の胸は痛んだ。
そして思った。
きっとこれも当麻の計算のうちなのだと。


「だからいつも言ってるだろう?否定したいなら、俺を殴ってでも抵抗してみせろよ」
「暴力は・・・好きじゃない」

「は!昔はその真っ只中にいたじゃないか。俺も殴られた記憶があるがな」


言う間に、当麻の手は伸の着ている肌触りのよいセーターの裾を繰り上げ、その中に進入を果たしていた。


「あの頃と・・・っ、今とじゃ、状況が・・・違う」


胸の尖りに到達した当麻が、指でその先端を摘むと、「ぁ・・・っ」と、小さく伸は声をあげ、ふいっと一度頭を振った。


自分が与えるものに対する彼の仕草ひとつひとつに、当麻は喜びを感じる。
あの戦いのうちで、彼と身体を繋げる関係に堕ちたのは、いつ頃だったろうか。
当時は、ただのストレス発散だった。
一番懐柔しやすい相手と踏んだ伸に、誰にも気付かれないように近づいて、そう、あの埃臭い書庫の角で、彼を押し拓いた。
あの頃は、みんなどこかイカレてた。
霊獣に支えられ、極端なほどに自分を磨き、食に走り、たまに爆発する。
だから伸も、この行為にさほどの抵抗を示さなかった。
というより、何かを最初から諦めていたのかもしれない。
この戦いに、自我という存在をなくしたいと、そう思っているのでないかと思うこともあった。

自分もどこか彼に似ていると当麻は直感した。

とにかく、何でもよかった。
痛みも快楽も哀しみも喜びも何もかも一緒くたで、ぐちゃぐちゃでも。
縋るものを求め、お互いを鬱屈の捌け口にしたのだけは間違いない。
戦いが終われば、馬鹿なことをしたもんだと、笑って振り返れる程度のものと思い込んでいた。
それが、いざ終わってみれば、自分でも驚くほどに彼を求め続ける自分が残っていて。
それなのに、彼のほうは、まるで自分から逃げるように、距離をとり始めた。
その行動があまりにもあからさま過ぎて、当麻は、伸もまた自分と同じように感じており、だからこそ、その想いに戸惑い竦んでいるのだと悟った。
だから自分は、そういった伸の迷いと焦燥の捌け口でい続けるしかない。
そう思った。

彼の中で燻ぶり続ける怒りや、憤りを受け止めるのだと。
己の内の真実を認められない彼の、全てを手に入れるそれまでの手段として。


「でも本気なら、さっきのナントカって女みたいに俺を殴ってでも、この腕から逃れるはずだ」
「薄情なのは君のほうじゃないか・・・。本気でも、僕が耐えて済むなら、・・・我慢するさ・・・っ」
「なるほどな、涙ぐましい努力だ。お前らしい」


伸の前を寛げ、デニムに手を差し込み、下着の上から既に膨らみ容をあきらかにしはじめているそこをなぞれば、途端に甘い声がその細い喉奥から零れた。

この声に、当麻の身の内にもゾクリとしたものが走り、中心は熱を帯びる。


ソファに邪魔され腰を退くことも叶わない伸は、当麻によって齎される疼く快感に、早、抗うどころではなく。
腕は意思とは関係なく動き、当麻の首に回って、まるでもっとと強請るように力が加わった。


「っ・・・ぁあっ・・・どうして・・・!」


歯噛みするような、掠れた悲鳴にも似た言葉と共に、伸の頬から透明の水が一筋流れ落ちる。
それが快楽によるものなのか、悔しさからなのか、不甲斐ない自分に対してか、当麻に対する憎しみにも似た怒りによるものなのか、当人にもおそらくわかってはいない。


「どうしても」
その雫を舌で絡めとりながら当麻は答えにならない答えを返す。


なんて憐れで、綺麗な奴。
記憶にある、伸の笑顔は、今はもう夢の中でしか見ることができない。
それが、それだけが口惜しかった。


「どうしても、だ・・・!」


どちらからともなく、むしゃぶりつくようなキスを交わす。

こうなったらもう止めることはできない。
ラグの上に崩れ落ち、性急に身体を繋げる。

なにもかもをぶちまけるのだ。

そして、空っぽになる。


戦いの中の滅茶苦茶だったあの頃より、平和な今のほうが、どうしてこんなにも苦く辛いのだろうかと思いながら、それでも二人の手は、固く互いを握り締め合っていた。




−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




「で、どうだった?」



当麻は、情事の後、汗に張り付いた伸の柔らかな髪を、その額と頬から少しずつ除けていくこの時間を愛している。

全ての力を使い果たし、されるがままに任せ、潤んだ瞳でどこかまだ夢見心地の伸の顔をみると、昔から何故か気持ちが落ち着くのだ。


放り投げられた当麻のコートを引き寄せ、毛布代わりにして、冷め始めた肌を添わせる彼らに、先ほどまでの棘棘しさはない。
心と身体の苦しい憤怒の熱が冷めれば、その後はいつもどおりだ。

もう何年も何度も繰り返していること。

だからといって、晴れて気分良好というわけでもないが。


「・・・何がさ?」
「俺の演技さ」
「ああ・・・あれね。アカデミー賞もんじゃない?酒も飲まずにあそこまでやれるなんて・・・驚くより、呆れるよ」
「お前のお蔭だとスピーチでもするか」
「・・・ははっ・・・・・・」


浮かべた伸の笑顔は、まだ少し痛みを伴っている。


「でも・・・、そろそろ引退したいがな」


伸を跨いで、上から見つめてくる当麻。


その双眸は、昔と変わらず突き刺さるほどに透度が高く、深く美しい。
そこに映る自分はなんて醜いんだと、伸は情けなくも泣きたくなった。


俺も、お前も、本当はもうお互いを手放せないところまで来てしまっている。
あの混沌の中で絡みあった糸は、たぶん解くことはできない。
わかっているはずだ。


そう、伸に語りかけてくる。

声すら聞こえてきそうだ。いや、確かに聞こえている。

何も言わなくても、こうして互いの瞳を覗けば、そこに答えはある。
こんなことも、二人にとっては、いつの間にか当たり前のことになっていた。


けれど、それでも・・・


「なら、すればいい」
「お前次第なんだけどな」
「じゃあ、まだまだ先だね」


「ふっ・・・どうしても?」


「・・・どうしても」



当麻の涙を堪えたような微笑に、伸は自ら唇を寄せた。







END

目次にモドル
ToPにモドル