「俺さー、家族つくんのが夢なんだよなー」
「・・・・・・・・・ああ、そう・・・・・・」
その時、僕はそんな言葉しか返せなかった。
当時の僕にとって、それは当たり前にやってくるであろう未来の話で、
夢でもなんでもなかったから。
でも、当たり前だと思っていたことも、当たり前にいくものではないということは、
ある雲水の導きによって、身をもって知った。
あれはたぶん、まだ皆で柳生邸にいた頃のことだったと思う。
もちろん、当麻が、自身の育った家庭環境を思って、そう言ったのは理解できた。
けれども、だからといって、「うん!頑張れ!」なんて返すのも適当ではない気がして。
ちなみにどういう経緯で、そんな会話になったのかは、全く覚えてない。
ただ、この言葉だけは、なんとなくずっと心の片隅に引っかかっていた。
そしてそれは、今でも、ふとした時に蘇ってくることがある。
紆余曲折を経て当麻と付き合うことになってからも、なんとなく後ろめたさが消えないのは、
そんな当麻のささやかな夢を、実現させてやれないことと、
そういう自分を選ばせてしまったことが原因なのだろうと、自己分析していた。
もちろん、互いが了解しあってこういう仲になったのだから、
その辺は当麻も割り切ったのだろうけれど。
だから突然、改めてこの言葉を発せられた時、僕は本当にショックで。
「俺さー、家族つくんのが夢なんだよなー」
「・・・・・・・・・ああ、そう・・・・・・」
あれからもう何年も経ったのに、出てきた言葉は、結局、あの頃と同じだった。
僕の体調は、今朝から史上最悪に最低だ。
二日酔いでもないのに、先ず胸焼けというか、胃酸が逆流してくる感覚で目が覚めた。
そのままトイレに駆け込んで40分。
出すものがなくなっても、便器にかじりついて、心配してやってきた当麻に支えられながら、
這うようにしてまたベッドに戻ったものの、10分と経たずして再びトイレへ行くを
繰り返していた。
当然会社になんか行けるはずもなく、トイレとベッドを往復する僅かな合間に、
震える手でどうにか携帯からメールを打って、休みを取った。
当麻が脱水症状を懸念して、まめに水分補給をさせようと、
半ば無理矢理にスポーツドリンクを飲ませてくれるのだが、何かが食道を通過する度、
またトイレへ行くので、見る間に僕はショボショボになっていった。
当麻の介護も空しく、脱水症状気味になってきたのか、微熱も出てきたのだろう、
視界がぼんやりしてきて。
今が何時だかもよくわからない。
当麻は仕事もせずにずっと傍らについている。
そろそろ医者に連れて行って、点滴でも打ってもらう事を考え始めているのだろう。
心配そうに僕を見つめる目は、とてもキレイで、力の入らない指先を優しく包む掌は
ほんのりと温かくて、なんだか胸がぎゅっとする。
こんな体調不良なのに、ちょっと幸せなんか感じちゃったりして、こそばゆい。
だのに、それなのに、そんな時に、当麻は思いっきり直撃したのだ。
僕の中の秘密基地を。
バリバリ元気な時ならば、「なに?新しい彼女でもできた?」とか、
「やっぱり女タラシは一朝一夕には治らないってこと?」とか、
嫌味の一つや二つ言うことも出来ただろうけど、身体がヨレヨレの僕は、
気持ちもヨレヨレのグダグダだった。
ああ、そう・・・の後は何も言えず、その代わりというか、・・・不覚にも、
涙が溢れ出てきて止まらなくなった。枕がどんどん濡れてゆく。
すると、当麻は、盛大に慌てだした。
自分で、爆弾投下したくせに。
「おわっ!なっ、なっ、なんだ??どうした?苦しいのか?痛いのか?
また気持ち悪くなったか?トイレ行くか?医者行くか!?」
これまでにも思ったことがなかったわけじゃない。
君か僕のどちらかが別の性だったら・・・
君が夢見ていたように、どちらかがどちらかの籍に入って、二人の鎹(かすがい)を作る。
川の字に寝たり、運動会の場所取りやって、教育方針で揉めたり、そいういう、
『普通の家族』ができただろうにって。
でも、こればっかりはどうしようもない。仕方がない。
それでも、側にいたかったんだ。
「うっ・・・えっえっ・・・ひっく・・・っくっ・・・」
この年で恥ずかしい、なんて思う隙間もないほど、僕はどうにもならないくらい動揺しまくった。
それで、泣きながら、僕の顔を覗き込むように近づいてきた当麻の首に、徐にしがみついた。
とにかく、彼を放したくない一心で。
なんで、こんな弱ってるときに、そんなことを言うのかと、怒るよりも、哀しみが上回った。
「・・・っ、ひ・・・ひどいよっ・・・と・・・まの、ばか・・・っ」
詰ってやろうと発した言葉は、胃液で焼けた喉と嗚咽に負けて、
ごにょごにょとうわごとを言っているみたいにしかならないし。
情けなくて、一層泣けてくる。
「は???え?」
当麻は、何が何やら訳が分からない風だ。
きっと具合が悪くて情緒不安定になったと思ったに違いない。
「・・・ふぅ・・・」
諦めたように息を吐くと、ふわり・・・、そのすらりと長い腕を僕の背に回し、
身体を抱えて、よいしょっとベッドに腰掛けた。
それから、片手でぽすぽすと、頭を撫でつつ、
「なんかー、あれだなー・・・、お前具合悪いのにこんなこと言っちゃなんだが・・・」
やや心ここにあらずな口調で切り出した。
その言葉の続きは聞きたくなかった。絡めた腕に力を込める。
どうしよう・・・ショックでこのまま死んでしまうかもしれない。
なんて、マジで思う僕は相当イカレテル。風邪に?当麻に?ああ、頭がぼーっとする。
「お前・・・」
当麻の声が少しだけ低くなった。
―――嫌だ!
と言う前に、僕の身体に巻きついてる当麻の腕にもきゅっと力が加わった。
が、僕は、その彼の内側から伝わってくる温もりに、おや?と、思った。
すると、当麻は、、、
「お前・・・、・・・妊婦みたいだなー・・・」
『お前』の後から明らかに嬉しそうな音色に切り替わった声。
・・・・・・・・・・・は???????
げ・・・幻聴??
当麻の肩口に顔を埋めたまま、僕は動けなくなった。
嗚咽も止まった。
そして当麻はというと、そんな僕にはお構いなしに、すっかり夢見心地でさらに先を続けた。
ある意味、やっぱり先は聞きたくないと思ったが、その願いはまたもや聞き入れられず。
「朝起きてさー、お前が突然口元押さえてトイレ駆け込んだとき、
俺、思わずデキタかと思っちった。ほら、俺等って、何が起こってもおかしくない存在だろ?」
これが、IQ250の、元智将が言うことだろうか・・・・・・・・・・・・。
いくらトルーパーでも、性別の壁は超えられないだろ。
だけど、今は、それを口に出して突っ込む気力も既になく。
僕は、益々頭がクラクラとして、この状況が夢か現か分からなくなってきた。
いや違う、気が遠くなってきたのだ。自分の想像の枠を遥かに超えすぎてるから。
「それにさ、俺達こんなにアイシあってるんだから、それも有りじゃね?」
当麻は一人旅を続けている。
「っていうか、伸て、一人で何倍(何杯にもかけてる?)もお得感があるよなー。
お袋のようでもあり、恋人であり、伴侶であり、んでもって、たまぁーに子供みたいでさ。
あ!そーかー、そういう意味では、俺、ちゃんと自分の夢叶えてたんだな!」
やたらウキウキな声が部屋に響く。僕の頭にも木霊する。
でも、もう当麻は遥か遠いところまで行ってしまった。姿も見えない。
僕は、何度も吐いたことで疲れていたのと、この当麻のアナザーワールドトークで、
脳みそがパンクして、そのまま気を失うように当麻の腕の中で眠りに落ちた。
ただ、意識が沈む直前に、何かがポロリと心の隅から外れて、
少しだけ身体が軽くなった気がした。
END |