ふつうって・・・ 「誕生日おめっとさん」
「ありがとう」
カチャン
グラスのぶつかる軽い音が二人の間に響く。
気取ったワイングラスやブランデーグラスなんかじゃなく、どこにでもある普段使いにしている焼き物ののタンブラー。
中身も、近頃流行りの第3のビール。
「・・・ふっ、ぶふっ」
飲みなれたこのビール風味のアルコールに口をつけた途端、本日誕生日を迎えた男が、肩先をきゅっと持ち上げ、吹き出すように笑いだした。
「うげっ・・・んだよ、鼻から出すなよ〜」
祝辞を述べた男は、冗談半分気味悪さ半分の面持ちで、向かいに座る連れを見やった。
自分はたった今食卓に着き、いたって普通且つ簡潔な祝いの言葉を口にしただけだ。
笑われるようなことは何もないはず。
「ばっか・・・、出すわけないだろっ」
堪えきれない笑いの欠片が、いまだ僅かずつ鼻息と共に零れて続けている彼は、よほど何か面白いことを思い出したのか、言葉のキツさに似合わない、綺麗な弓形を描いた目でこちらを睨んだ。
その瞳の奥がキラキラしていて、男は、春の日差しを反射して煌めく川面のようだ、などと急に詩的な台詞を思い浮かべ、一人悦に入った。
ちなみに、男は昔からこの視線に弱い。
優しいのに、どこか挑発的。
静かで冷たくも見えるのに、物言いたげで熱を宿している。
もう何年もこうして二人で生きてきたけれど、この瞳にじいっと見つめられると、いまだに何とも言えない気分になる。
そしてそれは、とても幸せなことだと、男は秘かに思っている。
「いや・・・さ、変わったなぁ〜、と思って」
言ってまた、くすくすと笑い出す。
「あん?」
はて・・・?なんのことやら、さっぱりわからん。
男は、並んだ皿の上のものを次々と胃袋に収めつつ、考えた。
そう。
付け加えて言うと、目の前の彼は、自分にとって、いまだ謎多き人物でもある。
知り合ってから、早いものでかれこれ、ん十ん年が過ぎた。
二人で暮らし始めてからも、既にその知り合ってからの年の半分以上が経過した。
もし男女の夫婦なら、そろそろ○婚式をやってもいい。
とはいえ、人間なんて、所詮それぞれ別の生き物だ。
何十年共に暮らそうが、何十年来の友人・恋人だろうが、100%分かり合えるなんてことは決してありはしないと、そんなのは十二分に承知している。
そもそもからして、自分は他人に対して関心のあるほうではない。
“あるほうではない”どころか、無関心に近い。
自分は自分、他人は他人、と、物心ついたころから割り切れていた、そんな男である。
なのに、それが自分という人間だったはずなのに、何故だか、彼だけは違っていた。
今でも彼は別物。
その理由は分からない。出合った頃からそうだった。
彼に関する謎だけは、いつも、いつまで経っても、なくならない。
その先を知りたくなる。
興味が尽きない。
だから、飽きない。
そしてそれは、おそらく、相手にとっての自分も、同じだろう。
それは二人にとって、とても良いことだと、男は常々思っている。
と、男の思考が徐々に逸れてきたところで、向かいの彼は、ちらりと視線を男に投げかけてから、大皿に盛られた鳥唐揚をひょいと摘み上げつつ言った。
「ほんと、普通になったよねぇ」
その声には、どこか感慨深さが含まれていて。
再度、内心で首を傾げる男。
それって、俺が普通になったってことか?
神童だぁ、大天才だぁ、変わりもんだぁ、と言われ続けて30ん年。
現在進行形で、知り合う人知り合う人に、同じこと言われ続けている。
あまりにも言われすぎて、それが『普通』にはなっているけれど・・・。
いやいや、この場合、そういう意味の『普通』ではないことは明らかだ。
とにかく、自分を表す言葉として、『普通』という二文字は、一番遠い存在だったりするのだ。
男は降参して、素直に訊くことにした。
「なんだよ、なんのことだ?」
彼の前では、変に知ったかぶってもすぐに見破られてしまうし、意固地になったり、ヘソを曲げたりしたって、いいことなんてひとつもない、と、学習能力の高い男は既に学んで知っている。
すると、今日の主賓は、ニコリと、その年齢にそぐわない笑みを見せた。
「たんじょういわい」
ゆっくりと噛み締めるように桜色の唇が動く。
唐揚の油が乗って、得も言われぬ艶を醸し出しているそこに、うっかり視線を持って行かれそうになった男だったが・・・
「あ・・・」
そこで漸く、思い至った。
そうか・・・!なるほど、そのことか〜。
ああ、ああ、ああ・・・。
思うと同時に苦笑いが浮かんだ。
相方は再び肩を震わせはじめた。
「やめろよぉ〜。もう昔のことだろう」
若干のバツの悪さを感じた男は、無駄だとは分かっていたが、一応の抵抗をしてみせた。
しかし、まぁ、そこまで嫌な話なわけでもない。
ただ、かなり恥ずかしいだけ。
小学生の頃のお泊り会でのオネショ話を親戚のおばちゃんに蒸し返されるの同じレベルだ。
「ぷっ、ふふっ・・・あははははっ、やったら凝りまくっててさぁ」
「あー・・・ははははは・・・」
乾いた笑いと共に、その内容を思い出す。
彼の言うとおり、男はイベント好きで、サプライズ好きだった。
いや、“好き”だったのかどうかは、実は微妙かもしれない。
本当のところは、必死だっただけなのかも。
彼を繋ぎ止めるために。
では、その“やったら凝りまくったサプライズ”とは、いったいどんなものだったのかというと―――
帰宅する彼が玄関を開けた途端にクラッカーが鳴るという装置を考案し、取り付け、上手く作動したはいいものの、あまりの騒音に、ご近所と管理人と本人にこっぴどく叱られたことがあった。
また、ケーキのロウソクを吹き消した途端に花火が打ちあがる、という仕掛けを施して、これまた思惑通りにいったはいいが、彼の前髪の一部と天井の一部を焦がすことになり、しこたま怒られたこともあった。
他には、風呂場を花でいっぱいにしたはいいが、彼の長期出張のことをすっかり忘れて準備をしたがために、その美しい光景は一度も見てもらえることなく、逆に、帰ってきた頃には、そらもう恐ろしい状況になってしまっていて・・・。結果、およそ二週間口を利いてもらえず、且つ自宅風呂使用厳禁生活を強いられたこともあった。
その他諸々、男がやらかした“とんでもサプライズ”の数々は、両手では足りない。
ちなみに、先にあげた2つの事件によって、彼は当時住んでいたマンションからの転居を余儀なくされたというオマケも付いている。
「いやほんと、君がすることって、迷惑以外の何モノでもなかったよなぁ」
「・・・お前、嬉しそうに、きっついこと言うなよ・・・」
「だって、本当のことだからね」
ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。
しかし、こんだけの大迷惑をかけ続けてきたのに、彼は男との別れを口にしたことは一度もなかった。
ってことは、それはつまり・・・
「とか言って〜、ほんとは楽しんでたんだろう?」
「ん〜・・・まぁねぇ〜」
思うところがあるのか、彼は言葉を濁し、高野豆腐を口に放り込んだ。
もぐもぐしてるホッペが可愛い。
と、男は思った。
何年一緒にいても、年上の彼を“可愛い”と、思ってしまうことが多々あるのだが、これは決して口には出せない。
“可愛い”と言われて喜ぶ男子はそうそういないものだが、殊の外彼は、そう言われるのを嫌がる。
てことはつまり、自分でもそれを認めてるってことなんだろうけど・・・。
ふふん、そこがまた可愛いんだな、これが。
と、まぁ、そんな男の惚気話は置いといて、だ。
男は、心の中で思っていることとは裏腹に、ちょっとイヂワルな笑いを口元に浮かべて言った。
「な、せっかくだから、また、何か考えてやろっか?」
「ええっ?!何が『せかくだから』だよっ。やめろよ!どうせ碌なもんじゃないうえに、事後処理すんのはいっつも僕なんだからっ」
「まーまー、遠慮すんなよ〜」
「するか、アホ!」
「あははははっ、わかったわかった、仕方ないなぁ、諦めるよ」
「ったくもうっ・・・勘弁してくれよな、せっかくの誕生日なんだから」
テーブルの下、男の向こう脛に軽く一発蹴りが入り、話に一区切りついたところで、二人はいったん食事に専念することにした。
が、10分と経たないうちに、男は再び切り出した。
あれほどあったおかずと、てんこ盛りだった茶碗は、早、ほぼ全て空になっていた。
「でもさ、つまんなくないか?」
「ほえ?」
御浸しの残りの一口を箸でつまみあげながら、彼はキョトンとこちらを見た。
彼の中では、先ほどの話は、既に終わっていたのだろう。
まさに不意を突かれたこの表情。
連れのこの顔がまた大好物な男である。
してやったりと、腹の内でほくそ笑み、話しを続ける。
「だってさ、ここ何年か、ずっとこんな誕生日だろう」
男は、頭の中で考えを巡らせ始めた。
昔取った杵柄?
眠っていたサプライズの虫が疼きだしてしまったのか?
―――というか、少し不安になったというのが正しい。
最近、彼を楽しませるようなことをしていない・・・、と気付いたのだ。
「ん〜、まぁ、そうだね」
「これじゃ、いつもの夕飯と変わんないじゃないか」
「そんなことないよ。食後にケーキがあるなんて、何かイベントがある時だけだろ?」
「そらま、そうだけど・・・」
「それに、もうプレゼントをやり取りするような年でもないし、物が増えても困るし」
「けどさ、だからこそ、もっとこう、盛り上がりたくないか?」
「『だからこそ』?・・・いや・・・いい、結構だね、お断り。僕はこれで十分」
「えええーーーっっ」
「『えええーーーっっ』じゃないっ、さっき『諦める』って言ったばっかだろ」
「だってぇ〜〜〜」
「『だってぇ〜〜〜』でもないっ、いいか?ゼッタイ!余計なことすんなよ?」
「・・・」
「わかったか?」
「・・・」
「返事は?」
「・・・はい・・・」
「ふん、よしっ、じゃ、珈琲入れよっか」
「ん?紅茶じゃなくていいのか?」
「ああ、僕はどっちでもいいよ?」
「じゃ、紅茶にしよう。やっぱ、ケーキには紅茶だろ」
「あははっ、君がそれを言うとはね〜、おっけー」
昔、男は圧倒的に珈琲党、彼はあくまで紅茶党だった。
それがいつの間にやら、長い付き合いの中でお互いに歩み寄り、今はどっちもがどっちともを好きになった。
押し付けあったことはなく、ごく自然な流れとしてそうなったことは、非常に喜ばしいことだと、改めて男は思い起こし、そして一人頷いた。
「・・・ふふんっふっ、ふふふふふっ」
すると台所に向かった彼が、また奇妙な笑い声を発した。
立ち止まり、こちらに向けた背が小さく揺れている。
「なんなんだよ、またぁ〜、お前、今日おかしいぞ?」
「え、あ、そお?」
「・・・皿、落とすなよ」
「ばっか、落とすわけないだろう」
「で?今度は何を思い出されたんですかいね?」
やれやれと、見慣れた後姿に言葉と目線を投げかける。
ふん・・・よしよし、まだまだメタボには遠いな。
男がそんなくだらないチェックをしているうちに、彼は、歩みを再開し、流しへ食器を置くと、背後の棚から近頃二人共がお気に入りの紅茶と、ティーセットを取り出した。
「いやさ・・・、こういうの、すごく、いいなぁと思って」
「ほえ?『いいなぁ』??これまでのやり取りの中、いったいどこのどの辺が『いかった』わけ?」
彼の流れるような動きを、テーブルに肘を突いて顎を乗せ、目で追いながら、問いかける。
「そうだねぇ・・・だってさ、すごく普通じゃないか」
「?」
ちっ・・・なんだよ〜、また『普通』?
今日はそればっかだな・・・。
男はちょっとウンザリして、思わず眉間に皺を寄せた。
けれども、続けて彼が発した言葉に、男は一転、ハッとすることになる。
「すごく、“普通の家族の” 会話だなぁ、って」
テーブルにポットとカップを並べつつ、やや下向き加減の相方。
その面には少しばかり気恥ずかしげな笑み。
ハチャメチャな出会いだった。
シャカリキになって戦った。
グチャグチャな青春で、ズルズルの関係は長いこと続いた。
それが、これだけの年月を経て漸く、前置きオノマトペのない、『普通』な二人になった。
しかも、普通の・・・
―――『家族』に。
今、このことを口にした彼の想いはいかばかりだろう。
ほんのりと頬を色づかせた彼。
それはきっと、アルコールのせいじゃない。
だって彼は枠だから。
嗚呼っ!
もうっ、なんて奴なんだ!!
男はどうにも堪らなくなって、ぐいとテーブルに身を乗り出した。
そして、美味しそうな色をした彼のそこへ、唇を寄せた。
ちゅっ
軽い音がテーブルの上で鳴る。
同時に陶器のぶつかりあう音が響く。
「!!!!!!!!!」
予期せぬ出来事に、動きも止まり、声もでない彼へ、男は言った。
「いえーーーい!ハッピー・バースデイ・サ〜プラ〜〜〜イズっっ!」
「な・・・っ・・・ばっか、当麻・・・っ」
“普通”もいいが、少しばかり“普通じゃない”のだって、悪くない。
・・・はず。
だって、顔から耳まで真っ赤に染め、今しがた男が触れた場所を押さえてる彼は、昔と変わらず今でもやっぱり可愛い。
そしてきっと、この先もずっと可愛いに違いない。
お前の誕生日なのに、俺を喜ばしてどうすんだよ、伸・・・。
ケーキよりも、いますぐお前を食べたいっっ。
などとニヤニヤ顔で不埒なことを考えていた男だったが、この“咄嗟の思いつきサプライズ”のせいで、我が家一高価なカップを割ってしまったと、この後彼からこんこんと説教を垂れらることになるのであった。
END
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