「んっ!」
「・・・え?」
「んーっ!!」
僕が初めて他人からチョコレート貰ったのは、小学1年の時だった。
バレンタインなんて、まだあまり意識することのない年代で、目の前に突き出されたものの意味はよくわからなかった。
ただ、このこじんまりと可愛らしく梱包された箱を、どうやら僕にくれるらしい、ということだけは理解できた。
「あ・・・ありがと」
「ん!」
困惑したまま箱を受け取った僕に対し、その子は眉間に縦皺を寄せ、独り納得顔で頷くと、まるで風のように走り去っていった。
モコモコのセーターの下から幼稚園のスモックを覗かせた、半ズボンを履いた男の子。
家から二つ手前の曲がり角での出来事だった。
「あら、伸ちゃん、可愛い箱ねー!どうしたの?学校で女の子から貰った?」
帰宅するやいなや、姉に指摘された僕は、何と答えてよいか一瞬躊躇して、
「ううん・・・そこの角で貰った」
とだけ答えた。
「あらっ、じゃあ、違う小学校の女の子から?すごいじゃない伸ちゃん、モテモテ〜」
などと、姉はからかい半分に喜んでいた。
“女の子から”を連発するので、何故かそれを否定できず、僕は曖昧に頷いて、小走りで部屋に入った。
後ろで、「一著前に照れちゃって〜」という声が聞こえ、心の内で首を横に振った。
ランドセルを机に置き、ベッドに腰掛けて、僕は恐る恐る箱を開けた。
中には、まあるいチョコレートが一粒だけ入っていた。
他にはメッセージも何もない。
食べてもいいのかどうか、少し悩んだけれど、食べ物なのだから、食べたほうがいいのだろうと思い、えいっ!とばかりに、勢いをつけて口の中へ放り込んだ。
チョコレートはほんわりと甘く、予想外にとても美味しくて、思わず笑みが浮かんだ。
でも、あっという間に溶けてしまって、少し寂しい気持ちがしたのを覚えている。
そして、このことは、この1年では終わらなかった。
次の年も、そのまた次の年も、その子は2月14日になると、家から二つ手前の角に現れて、無言で僕にチョコを手渡し、姿を消した。
中身は毎年必ず1粒のチョコ。
小学校も3年生となれば、同級生の女の子(今はもっと早いんだろうけど)からも、チョコを貰う。
だけれども、不思議なことに一番美味しいと思うのは、いつも、その少年からのものだった。
この頃、僕も漸く、世の中のバレンタインデーなるものを理解し、最初の時から感じていた違和感に気付いた。
世間一般的には、この日のチョコは、女の子から男の子に渡すものであるという常識。
それがあの子の場合、明らかに男の子でありながら、同じ男の子である僕にくれるのだ。
もしかしたら、あの子は、僕を女の子と勘違いしているんじゃないだろうかと思った。
僕は、10歳上の姉が小さかった頃と瓜二つだと、よく親戚や近所のおじさん・おばさん連中から言われていたから。
だとしても、やっぱり普通とは逆だけど。
どうしてあの少年は僕に毎年チョコをくれ続けるのだろう?
それに、一度もお返しをしていないことも申し訳なく思った。
そうして、結局のところ、謎は何も解けないまま、さらに数年が過ぎた。
僕は中学生になった。
この翌年の2月、小学1年の時以来続いていた、謎の少年からのチョコがとうとう途絶えた。
学生服を着た僕を見て、やっと自分の勘違いに気付いたのかもしれない。
僕は、机の上に広げた、その他の派手派手しい梱包の箱を眺めつつ、ほっとしたのと同時に、ちょっと物足りなく感じて、実はこれまでずっと、彼からの贈り物をこっそり楽しみにしていたのだと気付いた。
毎年弟のチョコチェックを欠かさない姉は、「謎の美少女ちゃん、引っ越しちゃったのかもねえ」と、相変わらず大きく勘違いしたまま、残念そうに言った。
僕は、「そうだね」とだけ答えた。
その謎の少年は、今、僕の目の前で、美味しそうにチョコレートパフェをかっ込んでいる。
それを見つめる僕の前には、お気に入りの喫茶店の紅茶と、小さな可愛らしい箱がひとつ。
中身は見ないでもわかってる。
この後は、彼か僕の住むマンションへ行く予定。
ハタチの時、突然に再開された、このバレンタインの儀式と、連日連夜の猛烈且つ熱烈なアタックに、僕はうっかりほだされた。
意外すぎて、どうしてこうなったのか、未だに整理がつかない部分もあるにはあるけれど。
まあ、今のところ幸せだ。
―――と、思う。
海外生活の長い彼に言わせると、バレンタインに女から男へチョコを贈るのは日本くらいなものなのだそうだ。
じゃあ、どっちみちやっぱり僕は女扱いなのか!と問えば、違う、と言う。
釈然としないし、相変わらず僕にとって不可思議な奴であることに変わりはない。
だけど、付き合えば付き合うほどに面白くて。
そして今、僕の口の中には、あの、ほのかにあま〜い味が広がっている。
思わずニヤけてしまった顔を引き締めた。
END
目次にモドル
Topにモドル
|