「なに、ニヤニヤしでんだよっ」
「はぁ?・・・いやぁ・・・別にぃ〜」
ニヤけ顔と、ワザとらしいまでの返答。
本来その理由は、聞くまでもなく。
そして僕は最近、こんな奴に依存し始めていることに気がついた。
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依存症(いそんしょう)
WHOの専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる精神的・身体的・行動的状態のことである。(Wikipediaより)
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今の時代、本来ならまだ子供と呼べる年齢に、僕らは突然“世界”なんてものを背負う羽目になった。
僕の場合、母から口伝されていたが、腹の底ではまさか自分が生きているうちに本当にそんなことが起きるなんて、実のところこれっぽっちも思っていなかった。
ニュースで新宿の異変を見た時は、何かの安っぽい映画でも放送しているのかと思った。
暗雲に覆われる街、白虎を連れた少年。
失笑ものだ。
ところがこれが、実際には現実として起きた事であり、更に僕らを召喚する合図でもあったのだ。
まさに、青天の霹靂、寝耳に水。
しかし僕は、それでもどこか別の国での出来事のように感じていた。
現地に到着し街の惨状を目の当たりにしても、その感覚は拭えないままで。
妖邪なんてもの相手に大立ち回りしていても、まるで、突然何かの撮影現場に放り込まれたような錯覚に陥る時すらあった。
前後左右に生死が入れ替わり立ち代りで僕の周りをぐるぐるしているにも拘らず、自分は半透明な膜に覆われているような。
そんな時、僕はきっと笑っていたに違いない。
痛みすら朧で、時間や空間の観念も曖昧になってくる。
何もかもがどうでもよくなれば、苦しみも彼方へ去る。
そうしていれば、いつでも笑顔でいられた。
他の奴等が顰め面で、喧々囂々やっているのも、可笑しく見えてくるから不思議なものだ。
自分だけ年が上なこともその要因のひとつだったかもしれない。
皆して逼迫していたら、若く個性の強い僕らが結束することはできなかっただろう。
所詮は、この戦いの為だけに集められた赤の他人、ただの中坊だ。
緩衝材が必要だった。
達観するのではなく、限りなく薄い存在として。
湯を冷ます水。
僕はその役割に徹した。
それでいいと思っていた。
この無茶苦茶な出来事が済んでしまいさえすれば、全てが元通り、あの平穏な日々に戻ることができるのだと、それだけを信じて。
戦いはカタチを変え始まりと終わりを繰り返し、およそ3年の歳月をかけて漸く収束した。
長かったような早かったような。
15歳だった僕は、18になっていた。
そして僕の予想は見事に裏切られた。
不規則に訪れた平和と戦い、現実と非現実は、少しずつ、しかし着実に僕を蝕んでいた。
最初にそれに気付いたのは、僕自身ではなかった。
「お前ってさあ、涙あんの?」
「はぁ???」
唐突に繰り出されたこの言葉に僕は面食らった。
2度目だったか、3度目だったかの戦いで、いったん小康状態になった時だったと思う。
場所は確か、柳生の家の、書庫だ。
本宅内にも書斎はあり、崩れ落ちんばかりに書籍が積み上げられていたが、そことはまた別棟の平屋には、見る人が見れば垂涎ものの蔵書が、書斎とは打って変わって整然と並んでいる。
僕は興味の赴くまま、たまに古書を捲る程度だったが、智将である羽柴当麻は、僅かな手ががりを求めて最初の戦いの頃から頻繁にここを利用していた。
だから当然、そのタイミングが重なることもあった。
それでも、ここで会話などほとんど交わしたことはない。
図書館と同じで、こんな所に来る者は、興味をそそられるのもや、調べたいことがあるからやってくるのであって、別に誰かとおしゃべりをしたいわけじゃないからだ。
話したいならリビングにいるほうがいい。
それが煩わしくて、ここに来るというのも理由だろう。
それがどういう風の吹き回しか、急に話しかけてきて、しかもこの話題。
別に本に集中していたわけでもないのに、彼が近づいてきていたことにも全く気付かなかった。
差し込む窓の明かりに埃が反射して揺らめく中に、当麻は立っていた。
本棚に軽く肘を掛け、僕を真っ直ぐに見ている。
「なんだって?」
僕は、もう一度問いただした。
涙があるか?だって?はっ!何を馬鹿な。
とは、口に出さなかった。
「だからさ、お前、泣いたことあんのかって、聞いてんだよ」
人にものを尋ねるのにも拘らずこの高飛車な態度。
ムカつく。
けれど、僕はそれを表に出さない術を知っている。
「もちろん、あるに決まってるだろう。君は見たことないだろうけど、玉ネギ刻む時なんて、ボロボロだよ」
ははは。
思い出すようにして苦笑いを作る。
「ふーん・・・そうか・・・」
当麻は、自分から訊いてきた割には何の感慨もなく、じっと射抜くような視線で僕を見つめ、そのうちにすっと身を翻し書庫から出て行った。
この時は、たったこれだけのやり取りで、彼が何を言いたかったのかさっぱり理解できなかった。
ヘンな奴。
感想は以上。
僕は、自分の感情のコントロールに自信があった。
喜怒哀楽を感じていないことはない。
ただ、それを彼らに見せる必要はないと思っているだけだ。
僕は常に、穏やかに凪いでいなくてはいけない。
それが僕の、この場での、このグループ内での存在意義だ。
ところが、当麻の疑問は“玉ネギ”という回答で解消されたわけではなかった。
漸くその時の戦いに終止符が打たれ、そろそろ再び元の生活に戻ろうかという折のことだ。
秀が映画でも見ようと言い出して、どこから調達してきたか、一本のビデオを見ることになった。
確かその時、ナスティはおらず、僕ら5人だけだった。
早めに夕飯を終え、各々寛げる場所を確保し、飲み物やお菓子までそろえて、部屋を薄暗くして、いざ上映会とあいなった。
後から考えたら、これも当麻の謀(はかりごと)だったのかもしれない。
映画は、およそ9割の人が観たら泣くという、イタリアの超有名な感動作。
確かに素晴しい映画で、リビングにあるテーブルの上のティッシュはこれまでになく大活躍だった。
エンドロールまでしっかり流してから、僕はそっと立ち上がり、部屋の電気を点けた。
「ふむ・・・、いい映画だったな・・・。秀がこういった作品を選ぶとは意外だが」
そう言う征士も明らかに鼻声で、片手にティッシュを持ったままだ。
「あに言ってんだよっ、俺様を馬鹿にすんなよー」ぶびーーーっっ
秀の鼻の周りは赤くなっている。
「俺、泣きすぎて頭痛い・・・」
遼は、腫れぼったくなった瞼を指先で揉みつつ、ティッシュ箱に手を伸ばした。
ところが、適当に延ばした手は、箱の近くを彷徨って、なかなか紙を掴むことができない。
「ああ・・・遼・・・」
「ほらよ」
僕が掴みかけた箱を当麻が横取りして遼に渡した。
僅かな得意顔に少しムっとしたが、目くじらをたてるほどのことでもないので黙殺。
「ああ、サンキュ、う〜っっ・・・」
遼は受け取ったティッシュで涙を拭いて、すんっと鼻をかんだ。
で、それをゴミ箱に入れようとしたところで、遼は視線に入った当麻を改めて見て、そして言った。
「う?・・・えっ・・・ええ?!当麻、お前、この映画観て、泣かなかったのか?!」
途端、他の奴等の視線が一斉に彼へと向かった。
もちろん、僕も含めて。
遼の言うとおり、当麻の顔は、泣いた形跡もなく、普段となんら変わらなかった。
けれど、何よりも驚いたのは、彼の顔ではなく。
「ああ。俺は観てなかったからな」
当麻を除く全員の頭の上に大量の疑問符が浮かんだ。
「み、観てなかったって、おまっ、どういうことだ?また寝てたのか?だって・・・!」
秀は目を真ん丸くして、当然思いつく原因を口にした。
おそらく、この“だって”の後ろには、“お前がこれにしろって言ったんじゃねーか”が、続いたんだろうが、その時は思いもよらなかった。
しかし続く言葉に、僕らは更に目を見張ることになった。
「いいや、起きてたさ。ただ、別のもんをずっと見てたのさ」
鼻につくニヤケ顔。
この時から既に僕は嫌な予感がしていた。
早くこの場から去ってしまえと本能が訴える。
「別のもん???」
「なんだそれは」
煽るように遼と征士が突っ込む。
「僕はもう寝・・・」
「こいつを見てた」
被せられた一言は、僕の声よりはっきりと部屋に響いた。
「な?こいつも泣いてないだろう?」
「・・・な・・・っ」
皆の視線が痛くて、カッと頬が熱くなるのを抑えられない。
「あ、ほんとだ・・・」
「意外だな」
「お前、やっぱ氷の心なんじゃねえか?」
僕は、頭の中で慌しく涙を流さなかった理由を考えた。
「やっぱ・・・って、し、失礼だな!僕だって泣いたよ!最初はね。けど、もう何度も観てるから、感動も薄くなっちゃっただけ」
「なんだ、そうなのか?」
「なら別に、今夜我々に付き合わなくてもよかったではないか」
「先に言っといてくれりゃ、別の選んだのによー」
「僕一人のために、そんなこと気にする必要ないだろ?いいんだよ、久しぶりに観たかったし、皆は大感動できたんだから、これはこれでよかったじゃないか。もう!当麻が余計なこと言うから、せっかくの雰囲気が台無しだよ」
「ああ、そうか、そりゃあ悪かったな」
平たい声は、本当は、悪いなんてこれっぽちも思ってないことを如実に表している。
そして、この段になって、漸く当麻が何をどうしたいのかがはっきりと見えた。
こいつは僕を泣かせたいのだ。
いや、僕が泣くところを見たいと言ったほうが正しいだろう。
年下のくせにそんなことを考えること自体が傲慢だし、それをあえて皆がいるところで暴露しようとしたことも癪に障る。
いったい何様のつりだ。
怒りに震えそうになる手を押し留めるのに苦労した。
「ああいうの、君の趣味なわけ?」
その夜更け、僕は書庫に向かった。
部屋の窓から淡く灯る電球の光が見えたのだ。
秀は、一度寝たらよほどのことがない限り朝まで起きないのはあいつも知っている。
僕はそれを当麻からの挑戦状のように受け取った。
無視してもよかったのだが、僕だって嫌味の一言ぐらいはかましてやりたかった。
「よう、やっぱりおいでなさった」
「君のご要望に応えられてよかった」
予想通り、彼は僕を待っていたらしく、ドアを開けると、すぐ横の壁に寄りかかっていた。
僕はそれを横目でちらりと確認して、中に入った。
空気は既に臨戦態勢だ。
「怒ったか?」
もちろん、先ほどの映画鑑賞での一幕のことを言っているのだろう。
「別に。ただ、愉快でないのは確かだね。あれじゃまるで僕が冷血漢みたいじゃないか」
見るともなく、近くの書棚の本を抜き出す。
よりによって『哀悼歌集』。
すぐさま元の位置に戻し、別の一冊を手に取り、頁を繰る。
「そりゃ、悪かった」
当麻は相変わらず入口に陣取ったまま。
「で、僕の質問に対する答えはないのかな?」
「なあ、お前、なんで笑ってんのさ」
「質問の答えになってないけど?」
本を戻し、また別のを取り、適当にパラパラやってまた同じ事を繰り返し、うろうろと書庫内を歩きながら楽しくもない会話を続ける。
「ああそうか・・・。別に趣味じゃない。・・・で、俺の質問の答えは?」
「それに答える気はないね」
「狡いな」
「は!君に言われたくないなぁ」
「お前さあ、気付いてないわけじゃないんだろ?」
「だから、何がさ」
「どうして泣かない」
「そんなのは、君には一切関係のないことだ。答える気はないって言ったろ」
「でも、気になる」
「じゃあ、勝手に気にしてろよ。但し、僕を巻き込むな」
「そりゃ無理ってもんだ」
「何故」
「俺は根っからの学者肌だからな」
「は?」
「目の前に研究材料があったら、解き明かさずにはいられない」
「研究材料?まったく、つくづく失礼な奴だな」
「秀吉の末裔だし」
「くだらないね」
「なんで泣かないんだ」
「しつこい」
きりきりと両端から巻き上げられた針金が、伸びきって二人の間で震えている。
潮時だ。
僕は、これまでとばかりに苦笑を面に貼り付けた。
「ふう・・・っ、なんかもう疲れちゃった。今日はこれで休みたいんだけど、いい?」
こんな風に言われたら、普通は諦める。
しかし、相手は普通じゃなかった。
「いいや、ダメだ」
僕の腸は、グツグツと音が聞こえそうなくらい煮えくり返り始めた。
それでも貼り付けたものを剥がすことはしない。
「・・・僕の言い方が不味かったみたいだね。もう寝たいから、そこどいてくれ」
「イヤだ」
当麻は、横にずれて、今は完全に入口を塞いでいた。
目の前に立つと、いつの間にか追いつき追い越された身長差と体格差を思い知って、いっそう不快な気分になる。
「どうしたら帰してくれる?」
「答えてくれたら」
「どうして泣かないのかを?」
「そうだ」
「それを知って、君はどうするのさ」
「どうもしない」
「どうもしないことに、どうして僕が答えなくちゃいけないんだ。僕にはそんな義理もないし、義務もない。言うことによって得るものだってない」
「そうとは言いきれんだろう」
「どういうこと?」
「それは言ってみなくちゃわからん」
「イヤだね」
「なら、どうしていつもいつも笑ってるんだ」
「それも答える気はないよ・・・。なあ、ほんと、いい加減にしてくれないか。僕の顔で君が不愉快な思いをしてるなら謝る。けど、来週にはまた皆バラバラになるんだから、もう少しだけ辛抱してくれないかな?」
「は・・・っ!まったく、お前には参るな。馬鹿じゃないことはいいんだが、やりずらくてしょうがない」
「ああ、じゃあ、それも謝るよ」
「・・・っ!お前こそ、いい加減にしろ!」
ダンッ!
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
怒声と共に、ぐいと襟首を掴まれ、壁に背を叩きつけられた。
声も出せず唖然と見上げる僕に対して、当麻はその深い蒼の瞳をギラつかせて睨み付けてくる。
これほどまでに彼が怒りを露わにするのはいつ以来だろう。
そして、僕の何が、これほどまでに彼を怒らせたのだろう。
皆の前で泣かないことが、そんなに悪いことなのか?
いつも笑顔でいたことがそれほど気に入らなかったのか?
そのことで彼にどんな迷惑を掛けたと言うのだろうか。
言いたいことは山ほどあっても、音になって出てくることはなかった。
ただ黙って相手を見やる。
根負けしたのは当麻のほうだった。
「・・・お前、本当はわかってるんだろう?このままじゃ・・・!」
「放せよ」
「壊れるぞ」
「壊れない」
「泣けよ」
「泣かない」
「なら・・・っ!」
「なら?どうする?」
「・・・・・・・・・」
「鳴かせてみよう不如帰って?」
「・・・・・・・・・」
「無理だよ。無駄だね」
首根っこを押さえていた両手から急速に力が抜けていく。
僕は、彼から逃れると、ドアを開けた。
外の冷たい空気が流れ込む。
やっと息ができたような気がした。
「じゃ、おやすみ。ああ、それから、はい、これ。その眼、ちゃんと冷やさないと明日腫れて、それこそ征士に問い詰められるよ」
そう言って、垂れ下がった右手に無理矢理ハンカチを握らせてその場を立ち去った。
心臓がどきどきしていた。
当麻は、あんな顔をして泣くのだと知った。
それから暫くは一言も言葉を交わすことなく日が過ぎた。
ただ、時折痛いほどの視線を感じるときがあって、居た堪れない気持ちになることがあったけれど。
それでも僕にとっては平穏な日々だった。
家に帰るまでの日を指折り数えた。
別に楽しみなわけではなく、早く独りになりたかった。
最初の戦いが終わった後、僕は東京で一人暮らしを始めた。
そう、あの時点で僕はもう、以前の僕ではなくなっていたのだ。
誰にでも人当たり良くしていることは苦痛ではなかったが、反動のように独りきりになりたくなることがあって、そうなるともう家族すら煩わしく疎ましい。
だから、そのうちに僕の内に潜んでいる何かが爆発してしまわないためにも、なんだかんだと理由をつけて上京することにしたのだった。
田舎よりも都会のほうが、隣人に無関心で過ごしやすい。
当麻は、そんな僕の危ういところに薄々感づいていたのだろう。
だが、それは余計なお世話もいいところだ。
一人になれば治まるのだから、あえて干渉なんてされたくもない。
しかし、いよいよ明後日に解散という段になって、彼は思いもよらない暴挙にでた。
場所は再び、あの忌々しいやり取りをした書庫。
あれ以来僕は、あえて近づかないようにしていたのだが。
ところが、片づけをしていた机の引き出しから、以前あそこから借りてきた古書が数冊出てきてしまい、返しに行かざるをえなくなった。
誰かに頼むのは不自然だし、まあ、あいつと鉢合わせすることもそうそうはないだろうと自分に言い聞かせて、渋々あの薄暗い場所へと向かうことにした。
だが、こういった時のお決まりで、居ないでいて欲しいと思うときに限って、その相手は居るもので。
入った瞬間の空気でわかった。
あいつがいる。
そして、あいつも僕に気付いた。
がっかりしつつも先ずは目的を達することだけを考えた。
本があった場所は全て覚えていた。
きちんと系列だてて整頓された書棚の、元あったところへ順番に戻してゆく。
その隙間から、ちらちらと彼の姿が見え隠れする。
じっと本に視線を落としている。
幸いなことに、僕が借りた本は、今、彼がいるあたりのものではない。
よかった。
ほっと胸を撫で下ろし、最後の一冊を、本と本の隙間に押し込んだ。
その時だった。
「・・・っ!!!」
微かに動いた空気へ振り向きざま、徐に顎を捕らえられ、抵抗する間もなく唇に同じものを押し付けられた。
近すぎる瞳には僕の瞳が反射して何も映っていないように見える。
そこには二人分の色が混じった暗く深い空間が広がり、飲み込まれそうな錯覚に陥った僕は慌てて目を閉じた。
そのうえ、息苦しくなって酸素を求めたところに付け入られて、舌まで進入させてきた。
さすがの僕も、これ以上はごめんだ。こんな馬鹿馬鹿しいことには付き合いきれない。
彼の肘のあたりの服を掴み引き剥がそうとやっきになった。
しかし、悔しいことに力の差は歴然としていて。
逆に彼に押し切られるかたちで、どんどんと後ずさることになり、とうとう最奥の壁際まで追い込まれてしまった。
痛いっ!
慣れないことを無理してやるもんだから力の加減てものを知らない。
掴まれたままの顎も、壁にグリグリと押し付けられた後頭部も、絡む舌も。
こいつ、隠れて煙草吸ってたのか。
ああっ・・・もうっ!畜生!
思うままに口腔を蹂躙する舌を噛み切ってやろうかと思った瞬間、
「―――っ!!」
奴の手が、僕を握った。
突然訪れたショックにも、声を出すことができない。
これほどまでして、こいつは僕を泣かせたいのだろうか。
自分の嗜好でないことまでして?
もしかして、こいつも・・・どこかおかしいのか・・・。
顔の角度を変え粘着質な音を響かせながら、性急にジッパーを押し下げ、下着の上から僕をなぞる。
脳天に向かってビリリと電流が走る。
もう舌を噛み切ってやるどころではない。
たとえそれが他人の手でも、若い身体はあっという間に呼応する。
いや・・・、他人だからこそかもしれない。
予測不能の蠢きに、不本意ながらも翻弄されて。
奴は、ジワリと汁が滲んできたのを察知すると、半分ずり下げていた僕のズボンを抜き去った。
僕は自ら靴を脱ぎ捨て、脚を上げ彼の作業を助けた。
僕は気持ちを切り替えた。
こいつの手でイかされたって、屁でもない。
そんなことで悔し泣きするとでも思っているのだろうか。
むしろ溜まっていたのを開放してくれて有難うと言ってやろう。
「は・・・っ!ふふふ・・・っ」
そんなことを考えていたせいか、漸く開放された唇から最初に漏れたのは、笑いだった。
だが、これは不味かった。
空気が一層重くなり、僕は堪えきれずに、ずるずるとその場へ沈んだ。
あいつは上から圧し掛かり、首の付け根に噛み付きながら、狭い空間で自分が穿いていたものを脱ぐと、僕の膝裏を持ち上げて肩に担いだ。
標的を変更したのだ。
先ほどまで嬲られていた箇所は、手放され、中途半端に熱が燻ぶっている。
折れ曲がった体勢が苦しくて息もあがっている。
けど、それでもまだ、僕にはゆとりと呼べるものが残っていた。
やれるものならやってみろ。
そんな気分だった。
どうせ、途中でうんざりするに違いない。
同性と、しかも同じ戦いを潜り抜けてきた仲間同士でヤルなんて、馬鹿げてる。
いくら一時の激情に駆られてのこととはいえ、智将なんだから、そのくらい早々に気付くはずだ。
と。
しかし、これは一時の激情に駆られてのことではなく、彼の中で考えに考え抜いてのことだった。
したがって、僕の楽観的憶測は見事に裏切られることとなった。
そっから先は、ぐちゃぐちゃだ。
「ぅあああ・・・っっ!」
経験したことのない衝撃だった。
たった指一本で、もうやめてくれと懇願しそうになる。
だが、彼はそんな僕を許さなかった。
「黙れ、でかい声を出すと誰かが来る。いいのか?」
まるで悪鬼になったかのような低い声で脅しをかけると、片手で僕の口を塞いだ。
こいつは、途中で止める気なんかさらさらないのだと解った。
僕は、震えるように首を振り、観念した。
こんなのは刻んだ玉ネギと同じ。
眼から溢れる水滴はただの生理現象。
本来受け入れるべきでない箇所に仲間だった奴の雄を押し込まれ、揺さぶられ、苦痛と無理矢理に引き出された快楽の間(はざま)を何度も行き来して、意識も朦朧としだした頃、やっと僕は解放され、彼が退いた。
腕も持ち上がらないほどにクタクタだった。
指先すら自分のものじゃないみたいに感覚が遠い。
どこか別の世界のできごとのようであって、そうではない。
まるで戦いと一緒だ。
この僅か3・40分の間に自分の身に起きたことがよく飲み込めない。
僕はこんなに頭が悪かっただろうか。
何かを忘れてる気がするけど、それが何なのかよくわからない。
・・・ああ・・・そうか・・・。
混乱していたんだ。
僕は、混乱している。
ずっと、そして今も。
「伸・・・」
あんなことをしておいて、耳元に聞こえる声は限りなく優しい。
「いいよ、謝らなくていい」
当麻は、僕を見ているのが怖かったと言った。
そのせいで、いかに戦うための駒とはいえ、眼が離せなくなったと。
他の奴等が気付かないことにイラついたとも。
なんで気付いたのか、という問に、彼は、さあな、と言い、たぶんお前が好きなんだ、と答えた。
僕は大笑いし、そして泣いた。
東京の僕のマンションには、毎週末、彼がやってくる。
最初の頃は、柳生の文献がなんたらなんてちょこざいな理由をくっ付けていたけれど、初っ端に告っておいて、来る度にヤってたら理由も何もいらないじゃないか、と僕が突っ込んでからは、当然のようにやってくるようになった。
心なしかその表情は以前よりずっと幼く見える。
そして僕は、今でも泣くのが苦手だ。
独りで悲しいドラマを見ても泣けないし、本を読んでもそう。
けれど、当麻が傍にいると何故か自然と涙が出る。
一週間の間でごちゃごちゃになった僕の中のパズルが、彼が来ると、す・・・と元に戻る感じ。
だから、週末、彼が来るのは嫌じゃない。
むしろその逆?
彼がいないと泣けない僕は、まだまだとても正常とは言えないだろう。
というか、ただの『当麻依存症』なんじゃ・・・って気がしないでもなくはない。
けれど僕は今、あの頃よりもとても楽に暮らしている。
今夜は久しぶりに、“あの”何度も観たはずの、イタリア映画を二人で観た。
END
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このようなわけで、3000番のキリリク“伸ちゃんを安心して泣かせてください”に、お応えした
つもりですが、、、見事に外してしまった感モリモリです。。。
だって、これって伸、安心して泣いてるか???
うーん・・・大変心苦しいですが、今の私の力量ではこんなところが限界と、どうかご容赦のほど。。。
リク、本当に有難うございましたvvv
目次にモドル
Topにモドル |