きっちん

トントントントントン・・・・・・




小気味良い音が家の中に響く。




目を開けると、カーテンの隙間から明るい日差し。
今日もいい天気だ。


枕に頭を預け、俺は極上の幸せを噛み締めた。




家庭というものをほとんど知らずに育った俺が、こうしてテレビドラマに見るような幸福を手に入れることができたのは、本当に奇跡と言うほかない。


不本意で理不尽な、自分の意思とは関係なく訪れたあの戦いの日々。
あれを乗り越えることが出来たのも、彼がいたから、と言っても過言ではない。
俺に、人として生活するということの基本を、少々手荒の方法を交えつつも、教えてくれたのが彼だった。
手放したくないと思った暮らしは、そのまま彼への執着になった。


そうして、彼は俺を受け入れてくれた。


その為に費やされた努力と苦労は、いまや輝かしい青春の思い出。
何度思い返しても、色褪せることなく、熱いものが込み上げてくる。




今日もそんな一日。



ああ!なんて心地のいい朝だろう。


俺は上半身を起こし、大きく伸びをした。



寝室を出ると、途端に、米の炊き上がる匂いと、香ばしい焼き魚の匂い、そして少し甘めの卵焼きの匂いが、鼻を通り胸いっぱいに広がった。


テーブルには、既に箸とサラダが乗っている。
彼は、対面式カウンター付の台所に立ち、こちら側を正面にして、調理に没頭している。


残りの一品は、味噌汁だな。
具材は、大根と油揚げか。
想像しただけで涎がじわりと口内に溢れた。


「おはよう」
「おはよ」


朝の挨拶を交わしつつ、ダイニングの椅子に腰掛け、彼が立ち働く姿を目で追う。
この光景は、俺の、『幸せな家庭生活ランキング』において5本の指に入る。


今朝も、ニヤケ顔を隠しもせず、色素の薄い髪が窓からの陽光にキラキラ輝いている彼を、うっとりと眺めていた。








―――が、しかし―――








「・・・ん???」


今日に限って、僅かな違和感を感じた。




俺は、目を擦り、もう一度彼を見た。


だが、いつもと何ら変わりはない。
シンプルな前掛け(俺がプレゼントしたものだ)をして、少し俯き加減に真剣且つ、どことなく楽しげな面持ちで、まな板の上の材料を刻む彼。
いつものゆっくりできる休日、そのままだ。




じゃあ、いったいなんなんだ?




もう一度、じっくりと観察する。





と、彼が、くるりと後ろを向いて、冷蔵庫を開けた、


その瞬間―――!





「わぁったーーーっっ!!!」




「うわあっっ!なっ、なんだよっっ、急にデカイ声出して、びっくりするだろっっ」


取り出した味噌をお手玉みたいにキャッチして、伸がこちらに振り返った。




そうか、わかった!
このことだったんだ!




俺の脳は、夏の炎天下に融けるソフトクリームのスピードで、この違和感を解き明かし、解決策を見出した。




「伸っ、引っ越そう!」


「はぁっ?!?!」


「もっと小ぶりの、その辺にあるアパートに引っ越そう!」



「・・・君、寝ぼけてるだろ・・・。もっかい、ベッドに戻れよ、起こしてやるから」


「何言ってんだ、俺はちゃんと起きているっ。そうじゃなくって・・・、なっ?伸、引っ越そう!な?な?な?」


「やぁだよ!ヤに決まってんだろっ。誰が好き好んで大枚叩いて買ったマンション手放して、わざわざ狭いアパートなんかに越すんだよっっ、バカバカしいっ。・・・ったく、当麻って、昔っから、急に突拍子もないこと言い出すんだから・・・っ」







「でも俺っ、台所に立って大根刻むお前の“後姿”を、見たいんだっ!!どうしても、見たいんだっっ!」






「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」






氷点下の視線が俺を突きぬけ、彼は朝食作りを再会した。


この議論はここで打ち切りだ・・・。

俺は、がっくりとうな垂れた。







そう、俺の感じた違和感。




それは、一昔、いや、二昔前のテレビドラマに観られた光景が、齎したものだった。



(今もあるが) の台所は、大抵、外を向いていた。
窓側に流しやコンロがあり、そこに立つ新妻は、基本、旦那に尻を向けて料理を作った。
そして旦那は、食事が出来るまでの間、その妻の腰で揺れるエプロンの結び目を眺めつつ、様々な妄想を膨らませていたのだ。


だが、近年、俺たちが住むようなマンションの場合、対面式カウンターを備え、さもなくば、アイランド式やL字型だが、どちらにせよ、ダイニング側を向いた台所が主流となっている。

ちなみに柳生の家では、台所はダイニングに繋がっておらず、壁一枚を隔てていて、作ったものはグルっと回り込んで運ばなければならなかった。
そして伸が最初に住んでいたマンションも、俺が住んでいた大阪のマンションも対面式だった。
だからこれまでは、なんら疑問にも感じていなかったし、今日までの俺は、こちらを向いて調理する彼の姿を見られる、それだけで、十分に幸せだったのだ。




しかし俺は気づいてしまった・・・!





料理する彼の後姿を見てムラムラしてみたい!
でもって、後ろから抱きついて、ベタベタしてみたい!




俺は立ち上がり、彼の後ろに回ってみた。




・・・だめだ・・・近すぎる・・・・・・。




「当麻、邪魔」


彼は、俺と冷蔵庫の間をすり抜けるようにして、お椀を運んだ。


覗けば予想通りの、具は大根と油揚げの味噌汁。
鼻の前を漂うその香りに誘われるように俺は彼の後を追い、その場を離れた。
入れ違いにまた台所へ戻る彼。


「当麻、これ受け取って」


伸の両手には、焼き魚と卵焼きの乗った皿。
それをカウンター越しに受け取って、テーブルに並べる。
同じことをもう一度繰り返し、俺は再び席に着いた。
そして彼は、御飯茶碗を二つ持ってきて、俺の向かいに座った。




「いただきます」
「いただきます・・・」




ずずずずず・・・っ




ああ〜っ、美味いっ!!


涙が出るほどに美味いと感じるのは何故だろう。




彼ととる、ゆっくりな朝食は、俺の『幸せな家庭生活ランキング』において、TOP3に入る。




・・・そうだな。
まぁ、仕方ないか。
台所の件は譲歩しよう。

これ以上を望むのは、贅沢ってもんだ。




「・・・じゃあせめて、裸にエプロ・・・っぬぁだっっ」






思い切り足先をふんずけられた。











目次にモドル

Topにモドル