目を閉じて
目を閉じて、君を感じる。

前髪に触れる指先。
額を撫であげる掌。
中指の背が生え際を下り、輪郭をなぞる。
両手でしっかりと頬を包み、右手の親指が唇の上を滑った。

君はこうして、手で僕を感じている。

もうすぐ僕等はキスをするだろう。
優しくて、それから、情熱的で溶け合うようなキスを。

そうして、たぶん、全身で互いを感じるのだ。


それにしても・・・と、僕は思った。


いつの間に僕は、こいつにこんなことを許すようになったんだ?
いつの間に僕は、この立場を受け入れるようになったんだ?


とはいっても別に、衝動によって、彼とのこの関係を始めたわけではない。
僕は、僕の意思で、彼とこうなった。こうなることを選び、この関係の継続を望んだ。


彼の想いに気付いた時には、僕もわかっていた。

自分も、男を恋愛対象として見ていること。
自分が、彼だけでなく、もう一人と、両天秤に掛けていることに。

しかも、その二人ともが、僕を独占したいと思っていて・・・


選択権は、僕にあるのだということも。


初恋は確かに女の子だった。
それが、いったいいつからこういう趣向になったのか。
それは吊り橋効果なのだ、と言われればそうかもしれないし、そもそも潜在的にバイだったんだろう、と言われれば、それもおそらく正解に違いない。

ともかく僕は、二人に対し、それぞれに愛情を注ぎ、彼等もまた、僕に縋り、手を差し伸べてきた。

どちらも愛していた。

ただそれば、同時ではない。


先に遼を愛したのは僕で、僕を先に愛したのは当麻。
僕が先に体を繋げたのは当麻で、先に僕へ告白をしたのは遼だった。


そう、少なくとも、僕が当初愛していたのは、片方だけだったのだ。
僕は彼に全てを捧げるつもりだった。
彼の印象は、最初から強烈で。
これが所謂“一目惚れ”ってやつなんだ、と認識したのを覚えている。
燃えるような恋、とはよく言ったもので、僕は彼に焦がれていた。
その存在は眩しくて、まさに太陽そのもの。
余りにも大事すぎて、触れることすら怖いほど。
けれど彼は、僕のこの盲目的で献身的な愛情に応えが必要であるなどと、考えたこともなかったに違いない。
彼は僕に、甘えられるだけ甘え、頼れるだけ頼り、ただただ、愛情を貪るだけだった。
それでも彼が僕を欲しているということに変わりはなく、だから僕は待っていた。
けれど彼が、そのことに気付き、答えを出した時には、状況は変わってしまっていた。


方やもう一人は、出会った時の印象なんてものは、ないに等しかった。
その後も面倒な奴、という以外にさしたる感情はなく、むしろ敬遠していたくらいで。
磁石でいえば、SN。何においても噛み合うところのない、そんな存在。
にも拘わらず、そいつは僕の内にじわりじわりと浸透し、着実に根付いていった。
彼は巧妙だったんだろうと思う。
朝の寝坊も、深夜の珈琲も、ちょっとした我侭や意地悪も、普段は決して見せることのない弱さをさらけ出すことすら、彼の謀(はかりごと)だった。
それは、少しでもライバルから僕を引き離すための、彼なりの策略であり、恋情の表現方法だった。
始めの頃は振り回されているだけだった僕も、次第に彼の意図に気付くようになった。
けれど、気付いたからといって彼を遠ざけることは、その時の僕にはもう出来なくなっていた。
必死で僕を繋ぎとめようとする彼を、愛おしいと想うようになっていた。

遼に関わっていたいと思う時間と、現実として当麻に取られる時間。
その均衡は、必然的に、少しずつ、崩れていった。
と同時に、僕の中に占める彼等の割合も、想いの質も、変化していった。

当麻がいつから僕を見ていたのかは、今も知らない。
けれど、遼にのめり込むあまり、自分を省みない僕が、最初は歯痒く、そのうちにどんどん恐ろしくなってきたんだと、後に彼は言った。
その恐怖心が、僕を手放したくないという独占欲に置き変わっていったのだとも。

そう、僕は、そういう当麻だったからこそ、救われ、こうして愛することができたのかもしれない。

あれから何年経っただろうか、僕は今も当麻と共にいる。

彼が恐れていたとおり、あのまま遼に執着していたら、僕はたぶん、自分を見失うどころか、この世で一番愛する者を、手にかけていたに違いない。



そのことに僕自身が気付かされたのは、白い鎧の出現の後に遼が倒れた時のことだ。



それまでも、僕は、遼に出会ってからの僕の生活は、彼を中心に回っていた。彼が過ごしやすいように、彼の肉体的・精神的負担が少しでも軽くなるようにと、努めて笑顔を作り、反発や諍いを纏める役割に徹していた。
しかし、あの出来事は、そんな僕の努力をあっさりと無に帰した。
まるで、味方に裏切られたような、そんな気分だった。

時折魘されながらも、一向に目覚める気配なく昏々と眠り続ける彼の傍で、僕は出来うる限りの時間を過ごした。
それこそ相手は眠ったままなのに、自分は寝る間も惜しんで。
看病するというほどのことは出来なくても、とにかく一番近くにいたかった。
当然、他の仲間、ナスティや、純さえも心配した。
彼等にしてみたら、ただでさえ遼があんな状態でみんな心が休まらないうえ、僕まで何かあったら、と思ったら気が気ではなかっただろう。
けれど、この時の僕は、それが普通だと思っていたし、ちっとも苦になんて感じていなかった。
日々の雑事は今までどおりこなして、文句はつけさせなかった。ただ違うのは、それ以外の時間を全て遼のために充てているというだけのことだと。
ちなみに、当麻の面倒を見ることも、雑事の内のひとつだった。

僕の変わらぬ笑みに、皆騙された。
でも、実際の僕の胸中は、遼をこんな風にしてしまった己への自責の念と、腹立たしさでグチャグチャで。ムキになり、意固地になっていたのだ。

腹の中は煮え滾り、目に映るものはモノクロのまま、日々は坦々と過ぎた。
現実として、それがどの程度の日数だったのかわからないほどに。

そのうちに僕は、あることを夢想するようになった。


この眠れる太陽に焼き殺される僕。


想いが暴走し始めたのだ。
本人の気付かぬうちに。
いや、気付いていながら、見てみぬふりをして、そういう自分に酔っていたのかもしれない。

彼が目覚めた後も、偏ったサイクルは続いた。
遼は以前にも増して不安定になっていて、僕は、自虐的になり形振り構わず当り散らす彼を宥め、泣いて縋る彼を抱きしめた。
体のあちこちに大小様々な痣や傷ができたけれど、僕は上手く隠した。

そして僕の思考はさらに変化していった。


遼には僕しかしない。
遼には僕だけがいればいい。

彼はもうすぐ僕のモノになる。


眠る彼を見つめながら毎晩願った。


このままずっと目覚めなければいいのに。
そうすれば、ずっと傍にいてあげられるのに。


戦いを忘れ、隔絶された二人きりの世界で最期を迎える、そんな妄想にとり付かれ、僕の存在意義は、ここにこそあるものだと信じて疑わず、遼の傍で、遼だけを見て、僕は幸せだった。


仲間の前では努めて平静を保ちながら、誰にも知られずに、遼を屠ることを、半ば本気で、・・・いや、本気で、考え始めていた。


だが、その僕の夢が、実現することはなかった。


当麻が、そんな僕の狂った幸せに、平然と割り込んできたのだ。

僕の凍った微笑と、異常で危険な想いを、本能で察したのかもしれない。
もしくは、これまで我慢してきたものが抑えきれなくなったのかもしれない。

その頃の僕は、彼もまた僕を必要としていることに、既に気が付いていた。
当麻は、なんだかんだと理由をつけては、僕の時間を奪おうと、僕の意識を、自分に向けさせようと必死だった。

彼は、僕が遼を好きなことも知っていただろう。
いや、おそらく、あの家にいた全員がわかっていたに違いない。
けれど、彼も僕も、誰も、直接そのことには触れなかった。

僕は彼を生殺しにしていた。
彼の要望やちょっとした我侭に応え、彼のための時間も維持していたのは、自分の夢を現実とするためだった。


だが実は、当麻は、全てを承知していたのだ。


その晩、当麻は、僕を客間に連れ込んだ。
いつものように書斎に篭もり、いつまで経っても見つからないこの戦いの答えと格闘していた彼に夜食と珈琲を届けたときのことだ。

一刻も早く遼の戻りたい僕と、一刻でも長く引き止めておきたい当麻。

今夜もその攻防があるはずだった。

けれど、彼は盆の上のものには目もくれず無言で僕の腕を取ると、隣の部屋へ入った。

僕は抵抗しなかった。
理由は、ひとつだ。

早く遼の元に戻りたい。


投げるようにして僕を押し込み、後ろ手にドアを閉めるなり、彼は随分と聞き取りにくい低い声で問い質しはじめた。

面には出さないが、僕は警戒した。
警戒したけれど、悔しいことに、睡眠不足による思考力の低下は、如何ともし難かった。

「お前、眠れているのか」
「寝てるよ」
「遼の傍の椅子の上でなく、だ」
「それは・・・」
「ちゃんと寝ろ」

早々に、イラついて。

「はっ!君に僕の睡眠時間について指図されるとはね。でも、椅子の上でもちゃんと眠れてる。問題ない」
「問題があるかないかは、この状況ではわからん。いざという時に、問題がありましたでは遅い。わかるだろう」
「―――っ」
「三日に一度でもいい」
「出来ない」
「出来ないことはない。眠っている奴を見ているだけなら、他の者でもできる。それこそ純でもな」

そしてあっという間に追い詰められ、自滅した。

「・・・・・・目覚めたとき、僕が傍にいないと、遼が不安になる」


「そうなるようにしているのは、お前だ」


目の前が真っ白になった。
彼が何を言っているのか、脳が追いつかない。
いや、あまりにも唐突に、あっけなく核心を衝かれて、驚きのあまり思考が停止したのだ。

そんなにも僕の行動は丸見えだったのだろうか。
他の皆も?

動揺する僕に対し、当麻は、容赦なく畳み掛けてきた。


「遼がいつまで経ってもああなのは、お前がそうなるように仕向けているからだ」


自分では、上手く誤魔化せていたと思っていたのに。
遼を手に入れたと、いや、もうじき手に入ると思っていたのに・・・!

「俺が、気付かないとでも思ったか」

「す・・・少しくらいの我侭は許されてもいいだろう」
「ふん・・・我侭・・・か。なら・・・、お前自身は、気付いているのか?」
「僕が・・・?何を」
「自分がしようとしていることを、だ」

「僕が・・・しようと、している・・・こ、と・・・?」



眩暈がした。


そうだ、僕は・・・

遼を、

殺そうとしている。


−−−リョウヲ、コロス−−−


遼を、殺したら・・・

どうなる?


それが、『少しくらいの我侭』?


世界なんて大そうなものじゃなくていい、ここにいる仲間達、親兄弟は・・・、どうなると。
どうなると、僕は、思っていたんだろう。


「・・・と、ぅま・・・っ」

当麻が、揺らいだ僕の体を支えたのは、掴まれた腕の痛みでわかった。


こうして追い詰められて、やっと、僕はもうひとつのことも思い出した。


嗚呼、そうだった・・・。
目の前にいる彼も僕のことを

アイシテイルンダ。


心の中で言葉にした途端、喉に痞えていたしこりのようなモノが、スルリと僕の内からいなくなった。
肩の力が抜けて、何も考えないままに声が零れた。


「・・・眠れない・・・、眠れないんだ・・・」

「わかってる」


静かに響く声が、染み渡り。
漸く焦点があった、そんな感覚に、僕は頭を上げ、ぐるりと部屋を見回した。
間接照明だけが灯された薄暗い部屋。
その中で、真っ直ぐに僕を見ている彼と目が合った。

ああ・・・当麻、だ。

間近に見る彼の瞳は、吸い込まれるほどに深く澄んでいたけれど、とても哀しい色をしていて。
掴まれている腕よりも、胸の奥に痛みが走った。体が急にずしりと重くなった気がした。


僕は、遼が好きだ。
そして、当麻のことも愛おしく思っている。


「遼のことが、頭から離れない」

「ああ、知っている」


当麻は、僕を好きだ。


歪んだ遼への愛情に染まった僕。
それを彼は、どんな想いで見続けていたんだろうか。

そう思った途端に、締め付けられるような苦しさを覚えた。
と、同時に、これまで経験したことのない安堵感に包まれた気がした。


「当麻・・・」

「遼を・・・好きでいて構わない。だが、手放すんだ」


そして僕は、遼ではなく、彼の手をとるべきなのだ。



僕は目を閉じた。


指先が前髪に触れ。
掌が額を撫であげる。
生え際を下り輪郭をなぞるのは中指の背だ。
頬が両手でしっかりと包まれ、唇の上を彼の親指が滑った。


キスは初めてだったけど、とても安心していたのを覚えている。

僕はそのまま彼に全てを委ね、本当に久しぶりにベッドの上で朝を迎えた。


自分さえ幸せならこの世界なんてどうなってもいいと思っていた。
彼は、そんな堕ちかけた僕を、ぎりぎりのところで捕えた。

彼の言葉に僕は目覚め、彼の純粋な想いに、僕は打たれた。
相当に捻くれて見えていた彼は、実は、誰よりもピュアで、とんでもなく真っ直ぐな気持ちの持ち主だとも知った。



僕は、当麻の進言に従って、少しずつ遼との距離をとることにした。
それまで僕に頼りっきりだった遼に気付かれないようにそれを進めるのは極めて難しいことだった。
いや、それよりも始めは辛くて、あまりにも辛くて、僕が当麻に当るほどだった。
でも当麻は、驚くほど辛抱強く、そして優しかった。


彼は今でも優しい。
彼が僕にとって唯一甘えられる存在になったのは、あの頃からだ。


当麻といる時が一番自然体でいられるようになった僕。
遼への気持ちも徐々にそのカタチを変えていった。

もちろん、遼のことは、好きだし愛している。
それは現在進行形で、僕の太陽であることも変わりない。


けれどもう、遼に対する僕の愛情は、当時とは全く異なっている。

元々異質だった二人への愛情だけれど、その、それぞれへの想いも、いつの間にか変化した。


そう、だから、あの戦いが終わって3年、遼に呼び出され想いを告げられた時には、既に答えは決まっていたのだ。

惨いことをしてしまったとの思いは当然ある。
その反省すら、傲慢な僕の現れだと自覚もしている。

「ごめん・・・遼」

それしか言えなかった。


ところが遼は、僕が思っていた以上に、強くなっていた。


「当麻だな」

一つだけの問い掛けに、僕が頷くのを確認すると、そうか、と言って立ち上がった。
その声は、予想に反して明るかった。
見上げた彼の顔も、悲嘆に暮れてなどいなかった。
こちらがガッカリするほど晴れやかな顔で、彼は言い、去っていった。


「当麻に、油断するな、って伝えてくれ」




長い長いキスの後、僕はふと気付いた。

「そうだ・・・」

「・・・どうした?」

当麻が選んだキングサイズのベッドが、小さな悲鳴をあげた。
そういえばこれも随分長いこと使っている。

「そういえば・・・」
「だからなんだ?」


「君、僕にアイシテルって、言ったことあったっけ?」


僕の首筋に顔を埋めていた当麻の動きが止まった。

そして、少しの間をおいて、憮然とした声が降ってきた。


「・・・お前だって・・・、言ったことないだろ」



この夜、僕等は初めてお互いに告白し合った。




END

目次に
モドル
リビングにモドル