リーマン・ウォー


強い夏の日差しが容赦なく照りつける都会のコンクリートジャングル。
そんな使い古された言葉も、まだまだ現役。

ビルの谷間を歩けば、室外機が噴出す熱風に晒される。
チャレンジ25キャンペーンやら、クールビズなんて、どこ拭く風。
蜃気楼の向こうとこっち。
そこここを闊歩するサラリーマンにとっては、どんなにクソ暑くても、
ネクタイにジャケットは相変わらずの必須アイテムだ。

むろん、僕だって例外じゃない。確実にその一員である。
かの旧友であれば、「心頭滅却すれば・・・」なんて言葉を、それこそ
クソ真面目に言うだろうし、彼自身、言った言葉のとおり、厳格に
己を律するに違いない。

でも、僕はそんなに出来た人間ではない。
グチも零せば、弱音も吐く。

ただ、アイツよりはマシ。
ってだけ。


というか、アイツがいるから、僕はグチも弱音も吐き出せない。

だからといって、頼られるのが嫌なわけじゃないし、ある意味、
反面教師になっていいとすら思っている。

イラっとはするけど。

「あぁ〜づぅ〜いいいいいいいい〜〜〜〜っ!しーんー、暑いっ!!
暑すぎるぅ・・・」

「で?」
「く・・・クーラーの・・・っ、クーラーの、温度を・・・っ」
「ダメ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜〜っっ!お願いしますだ〜お頼み申します
だ〜〜〜」

「それを常田○士男でやったら、考えてやってもいい」
「えええええっ!?誰だよーそれ〜???」
「まんが日本○ばなし。見てなかった?」
「う゛う゛っっ」
「そりゃ、残念だったねー」

休みの日、こんな感じで、おちょくるのも、楽しみのひとつだし。

彼と僕の体感温度には、明らかに差がある。
僕だって暑いのは得意じゃない。だからもちろんクーラーだってつける。
けど、アイツの希望温度設定は、尋常じゃない。
アイツに合わせたら、こっちの身体がおかしくなるし、僕はエコすること
は嫌いじゃない。


「伸は、いつも俺に冷たい・・・グスン」
「そうやって、ヒンヤリさせてやってんだよ」
「その冷たさとは違う・・・」
「はいはいそーですねー」

『暑い』ということは、それだけで、人のやる気を削ぎ、尚且つ苛立たせる
ものでもある。

と、僕は思う。
会社から支給されているモバイルPCで、メールチェックして返信する。
家にいても、最低限の仕事はずっと続いていて。
Enter
キーを叩く音が一際大きくなった。

「伸はさー、俺の温度だと寒いんだろ?」
「わかってるなら愚問は不要!」
「じゃ、じゃあさっ、室温は下げながら、体温は上げればいいんじゃないか?」
「あん??」
「だ・か・らっ」
「あ、いや、やめろ。その続きは、ぜったい、聞きたくない!」

IQが250もあるこんなアホと、どうして僕は共に暮らしているんだろうか。
コレのどこに惚れたのか。
何がどう間違ったんだっけ?
暑さは脳細胞も死滅させるんだな・・・。

「ちぇーっ、名案だと思ったのにぃ〜」
「ふざけんな」

そうだよ・・・。
あの戦いの時は、こいつもそれなりに(?)格好良かった。
鎧を纏って弓を引く姿なんかは、羨ましいほどに、凛々しかったし。
仲間の誰も欠くこともないよう、悩み苦しみ、一人だけでもう一つの戦いを
抱えてた。

それなのに、泣き言ひとつ言わず、時には秀と一緒になって、皆を笑わせて
くれたりもした。

あの頃、弱音を吐いてたのは、僕のほうだった。

じゃあ、いつからこんな風に立場が逆転したんだろう?
僕らの何が変わったんだろうか?

会社指定の短い夏季休暇最終日、彼との他愛もない会話から、ふとそんな
ことを思った。



世間では、まだまだ夏休み気分が蔓延しているこの時期も、サラリーマン
には関係ない。

決められた休みが終わってしまえば、再び、厳しい現実が動き出す。


「毛利!」
「はい」

休み明けの会社は、嵐のような忙しさだ。
メールでは対応しきれなかった客先への電話や、新たな問い合わせ対応。
僕は、夏季休暇直前に、新しいプロジェクトに加わることになったため、
今まで抱えていた仕事の引継ぎまでやらなければならなかった。

そのための資料作りと、後任を連れての顧客への挨拶まわり、新規プロジェクト
の会議、上司への報告。

片付けても片付けても、限のないほどに。
新しいプロジェクトは、僕が今いる部署、環境施設営業の海外進出に関わる
ものだった。

受注予想額は、国内のものとは比べ物にならないほどにデカイ。
役員以下、凄まじいほどの意気込みで、このプロジェクトは始動した。
にも関わらず、取れなかった場合のリスクも考え、初動スタッフは最低限の
人数。

当面は、サポートの女性を含めての5名で、フル稼働だ。
僕も、来週には、3日間の海外出張が決まっていた。
それまでに、少なくとも引継ぎだけでも完了しておかなければならないだろう。
朝早くに出勤し、夜は終電すら逃してしまう時間での帰宅。
そんな毎日が続いた。
それこそ、よく目が回らないもんだと、我ながら感心するほどの多忙さだった。
出張に行ってしまえば、他のゴタゴタが減って、プロジェクトのことだけに
専念できるはず。

そうなれば、きっと今より少しは快適に違いない。
そう、考えることで、どうにか悪夢の1週間を乗り切った。


だが、僕のささやかな希望は、木っ端微塵に打ち砕かれた。



香港。

超高層ビルの乱立するオフィス街。
夜は、百万ドルの夜景と呼ばれる絶景が楽しめる、観光名所、有数の世界都市。
海外からの企業進出も目覚しいビジネスの戦場。
ここで、財閥としても有名な、某紳士の国の企業が、環境に配慮した、最新の
設備を用いたモデルシティを建設するという。

その一部を、うちの会社が受注しようとしているのだ。
これが取れれば、どれほど企業効果があがるか。想像に難くない。
出発前にも、部門長である専務から直々に激励され、この重要なプロジェクトに
任命されたことの重みをひしひしと感じるとともに、ある種の誇らしさも
感じた。

日々の疲れとは反比例して、同じ焼け付くような暑さのなかにあっても、
やる気は十分だった。


外の暑さとは裏腹に、香港のオフィス内は、地球温暖化対策なんてクソくらえ
状態だ。

(こんな国で、モデルシティを作るというのも、ちょっと笑える)
スーツを着ていても、芯から凍えるほどに、ガンガンにクーラーが効いている。


ここでの打ち合わせ中、僕は一瞬、同居人のことを想った。

アイツ、ここで暮らせばいいのに。


到着したその日から、現地法人の担当と打ち合わせ、客先周りと、下請け会社の
訪問をした。



そして、その夜。
現地担当者の山中氏との懇親を兼ねた夕食を終え、ホテルに戻ってシャワーを
浴び終わるか、という時、突然携帯が鳴った。

昼間回った客先の紳士殿からだった。
用件は、僕らが帰った後に別の会社が営業にきて、非常に魅力を感じた、と。
そこで一つ、僕たちの説明の際に、聞き忘れたことがあるから、これから
もう一度会って話を聞きたい。

と、いうものだった。
僕は、再度山中さんと連絡をとり、二人して大急ぎで指定された場所へ
向かった。

時間はもう23時を回っている。
指定された場所は、小洒落た静かな雰囲気のバーだった。
僕らはやや不信気に顔を見合わせ、入口で僕達を待ち受ける人物の名前を告げ、
案内に連れられて奥に向かった。

先方の担当者は、この大規模プロジェクトのNo2と言われている調達担当の
重要人物だ。

実際の発注権限は彼にあるとさえ言われている。
決して粗相のないよう、一度抜けかけた気合を改めて入れなおし、
個室に入った。



その後のことは、ほんとはもう思い出したくもない。
もう、分かっているだろうけれど、僕は、そこで所謂パワハラに遭った。

同時に入室した山中氏は、早々に追い払われ、僕に憐れむような視線を
残し去っていった。

僕は、抵抗したい本能と、このプロジェクトの重要性を考える理性と
責任感の間で揺れ動いた。

こんなんで仕事を取って何になるのかとも当然思ったし、今時こんな
不条理なこと許されるはずもないと思った。

けど実際は、そんなことを考えたのは、全てが済んだ後だった。
色なことを考える時間など、一瞬たりとて与えられなかったのだ。
唐突に引き寄せられて、驚いてパニックに陥ってる間に、キスをされ、
押し倒されて。



その間ずっと、日本にいるアイツの顔だけが、瞼に映っていた。


気付くと、身体はキンキンに冷えていた。
いつ気を失ったのか、全く覚えていない。
僕を襲った相手は、既にそこにおらず。
身体は綺麗に拭かれていた。
変なところでやっぱり紳士のお国の奴なんだな、と、ぼんやり思って、
小さく笑った。
自分のものじゃなくなったみたいにだるい腕を動かし
手を見ると、爪が紫色になっていた。

手首に絡んだシャツを解き、落ちたネクタイを拾って、向こうの椅子に
放り投げられたままの下着とスーツを引き寄せ、淡々と身につける。

その間、頭の中は真っ白だ。
全て着込んだ途端、腰が抜けた。
こんな場所からは早く立ち去りたいと思うのに、腰が立たない。

畜生っ!畜生畜生畜生!!
悔しさと怒りが込み上げてくる。
なのに涙も出ない。


「信じられない・・・・・・・・・当麻・・・っ」

落ち着くまで、手を握り締め、彼の名前を呟き続けた。


僕はウソを吐いた。
翌日、山中さんは、心配げに、そして少しばかり楽しげに訊ねてきた。
「大丈夫だったか?」と。

むろん、レイプされました、なんて答えられるわけがない。
僕は笑って、「あー!大丈夫でしたよ。手は握られましたけど」と、
笑い話にすり替えた。

僕が外人だったなら、コンプライアンスが声高に叫ばれている昨今、
同性だろうがなんだろうが、セクハラ・パワハラを受けたりなんかしたら、
即刻、訴えていることだろう。

件のエセ紳士は、その辺も十分理解したうえで、僕のようなジャパニーズを
ターゲットにしてるに違いない。
そして、本能からか、僕がそっちの人間であることも見抜いたのだろう。

僕は、あの下衆野郎が張った蜘蛛の巣に、まんまと引っかかったわけだ。
四千年の歴史をもつ国がいうように、
『騙すほうが悪いのではなく、騙されるほうが悪い』
ということを、身をもって体験した。

そうだ、ここはその国の特別行政区だもんな。


そうして、別の意味での悪夢の3日間が過ぎた。


出張前よりも格段に、身も心もズタボロになっての帰国だった。


何より、家で待つアイツの顔を見るのが怖かった。

だからといって、家に帰らないわけにもいかない。
仕方なく、重たい足と気持ちを引きずるようにして、彼の居る場所に向かって
歩を進める。



「よお!おっ帰り〜っ♪」
「ただいま・・・」

なるべく彼を直視しないように靴を脱ぎ、家にあがり、自分の部屋に入った。

会社の人には、平気でウソを吐けたのに。

どうしてだろう・・・。

こんなの、あまりにもあからさま過ぎる。
わかっているけど、どうにも、見ることができない。
本当の本当は、当麻の声を聞いて、ほっとしている自分がいる。
ああ・・・自己嫌悪で吐きそう。


どうしよう・・・。
どうやってこれから彼を騙し続けていったらいい?
ううん、あんなことしておいて、そのうえ彼を欺いてまで、この関係って
続けるべき?

それで本当に、当麻は幸せ?

じゃあ、告白する勇気があるのか、と問われれば、答えに窮する。
男が男にパワハラされて、そのうえレイプ・・・いやそれどころか、もしかしたら、
僕は、仕事と引き換えに、心のどこかで合意すらしていたかもしれないのに、
そんなこと、恋人に言えるわけがない。

いつもは、あれほどいい子ぶって、彼に威張り散らしてるのに、これ以上に
最低最悪な裏切りなんてない!



案の定、いつもと違い過ぎる僕の様子に、当麻は部屋の外にやってきて。
「おい、大丈夫か?具合でも悪いのか?」
心底心配している。

ああ・・・っ!当麻、ごめんね。
ごめん、なんて言葉じゃ足りないくらいに、ごめん・・・っ!



「・・・ううん・・・ちが・・・っ・・・だっ、だい、じょう・・・びゅ・・・っ」


えええええっっ!?
どっ、どうしよう!
急に、鼻が詰まって、鼻水が垂れて、喉も詰まって、まともにしゃべれない!

もおっ!
こんなんじゃ、
「僕、大丈夫なんかじゃありません!もうダメダメで、ボロボロです〜っ」
って、宣言してるも同然じゃないか〜っっ



部屋のドアに、鍵を取り付けていないことが悔やまれた。

カチャ・・・


当麻が部屋に入ってきた。
僕のこれまでの躾(?)により、普段は決して了解を得ずに入室することは
ないのだが、この辺はさすが長い付き合いだからだろう、仲間の危機には、
約束もへったくれもない。


「伸・・・」

しかも、荷物もそのまま、スーツ姿のまま床に座り込み、ぐしゃぐしゃに
泣いてる僕を見ても、彼は慌てなかった。

それこそ、この一瞬の空気で、かなりのことを察したようで。

そっと傍らに寄り添うと、その長くて力強い腕で、ぎゅっと僕を抱きしめた。

なんて心地のいい場所。


どうしよう・・・!

触れないで!って叫びたいのに、この腕は放したくない。

僕はいっつも天邪鬼で、自分の中が二つに割れてる。
甘えたいのに、甘える自分は嫌い。
泣きたいのに、泣き顔を見られたくない。
弱いのに、強がっていたい。

なのに、この時ばかりは、そのどれもが、グチャグチャになった。

当麻にしがみついて、子供みたいに声をあげて、わんわん泣いた。
子供の頃ですら、こんな豪快に泣いたことはない。

当麻は、腕の力を弱めることなく、ずっと抱きしめてくれていた。
この腕の中なら、恥も外聞もないのだと、言ってくれているようだった。


そうだった。
こいつは、途轍もなく優しい奴なんだった。
僕にだけは。
それこそ無限大に。
・・・そっか、如来様の掌にいたのは僕のほうだったんだ。



結果から言ってしまうと、僕は仕事も当麻も失わなかった。


例のプロジェクトには、結局参入できなかった。
うちの見積額が、向こうの提示額とあまにりにも差があり過ぎたのが原因だ。
役員も已む無しと判断したのだから、仕方ない。
とはいえその後、自由の国の証券会社倒産から世界経済が一変し、そもそもの
モデルシティ計画ごと頓挫する羽目になったらしい。



そして、僕を辱めた憎っくき奴。
あいつは、多分、当麻からの報復にあった。
(確かめたわけではないので、定かじゃないけど。)



つまり僕は、当麻に一切合財を話した。
別れ話も切り出した。
彼と別れなきゃいけないってことが、こんなに辛くて苦しくて哀しいこと
だとは、思いもよらなかった。

もちろん当麻は、あのクソ野郎に対してだけじゃなく、僕に対しても
怒りに怒った。

それはもう、これまでに見たことがないほどに怒られた。
彼から発せられる一言一言が、胸に刺さった。

それでも、別れることだけは絶対に許さない、と言ってくれて。
僕はまた大泣きした。

だから、そんな彼を、僕が惚れ直さないわけがない。
もう自分がどうにかなったのかと思うほど、当麻にメロメロになった。

とはいえ、相も変わらず天邪鬼な僕は、決してそれを口に出したりはしない。

けれども、自分の中では、今現在は過去にないほど最高にラブラブだと
思っている。
ほんとは、イチャイチャしたいのを堪えるのがツライかったりして。



ああ、ちょっと話しが逸れたけれど、あのエセ紳士野郎については、ある日、
ビジネス誌の片隅で見かけた。

会社に莫大な損益を与えた背任の罪により解雇、逮捕されたそうだ。


うちに帰ってその記事を当麻に見せると、彼は、さも興味なさげな風で、
一言、

「ふーん、ザマーミロだな」
とだけ言った。


で、僕は叫んだ。


「ざまぁーみろぉーーーっ!」


それを見て、当麻が笑った。



END




と、いうわけで、0815のキリ番を踏まれました、ハル様よりリクエスト頂きました、
『普段はピシッとしてて、当麻にもあんまり甘くない、ツンツンな伸が、何かの理由で
当麻にグダグダのメロメロになってしまうお話』
でした★
ご要望に副えたかわかりませんが、とりあえず“メロメロ”という言葉だけでも入れて
みました!(苦笑)
キリリク、有難うございましたーーーっ
なお、本作は、ハル様に限り、転載可でございますvvv




目次にモドル