その解釈について

「俺は、嫉妬している」


面と向かって突然そう言われたら、人は普通、どのように反応するだろうか。




【嫉妬】
1)
自分より優れている人を羨んだり、妬むこと。
2)
自分の好きな相手の愛情が他の者に向けられることを憎み恨むこと。
同義語:やきもち




いまや中高生であれば『嫉妬』という言葉に対して、この程度の知識くらいは持ち合わせていて当然である。いや、それどころか、今時は、小学生だってきっちり意味を理解した上で、立派に使いこなしているだろう。


この場合、言われた側の人間である、毛利伸も、その例外ではなかった。
言われた刹那、脳内の辞書を捲って確かめてみた。
そして、何度か口の中で反芻してもみた。


ところが、彼にはどうしても解からなかった。


何が?


そう、この“嫉妬”という単語を含んだ台詞が、何故(なにゆえ)に自分へ向けられたのか、がである。


それは、発言者に原因があった。


この台詞を発した相手、それは、羽柴当麻だった。


では何故、羽柴がこの単語を使うことがさほどに不自然に、また不可思議に思われるのか。
その理由は以下の点にある。


先ず、1)について検証してみよう。


先ほどの台詞はこうだ。


『俺は、嫉妬している』


この台詞には、主語および述語は存在しているが、肝心の“誰に”が抜けている。
ここで毛利が、それを確かめれば、事ははっきりするのだが、得てしてこのような場合、そうはならない。
で、あるからして、そこは想像で補完するしかないわけだ。


なので、自分=俺=羽柴、より、優れている人=人物A=毛利、と仮定する。


羽柴は、天才だ。それも尋常でないIQの持ち主である。
しかも、運動能力も桁外れだ。
そのうえ、見た目まで悪くない、・・・どころか、中の上、いや、上の中・・・上の上といってもいいだろう。人の好みは千差万別ではるものの、おそらく10人中8.5〜9人は、格好いい、と言うであろう容姿を持ち合わせている。


一方、人物Aたる毛利という人物は、彼はまぁ、どちらかといえば、平々凡々の類に属している。
勉強もまぁまぁ、運動もそこそこ。だいたいの事柄において中の上あたりを漂っている。
見た目も、悪くはない。ただし、男にしてはやや線が細く、曲線的であるがゆえに、“格好良い”、というよりは“可愛い”に近い。そのため、本人にとって、見た目はコンプレックスですらある。


つまり、ここまでの評価からすると、羨ましがるのは、羽柴→毛利ではなく、明らかに毛利→羽柴であるといえよう。


では反対に、毛利が羽柴より優れている点を探してみよう。


毛利は料理が上手い。その腕はずば抜けており、趣味の領域を超えている。
対して羽柴は、こと料理に関しては、全く触れず、また、立ち入ることも一切しないため、その技量は不明、未知数だ。なので、この分野に関しては、おそらく圧倒的に毛利有利と思われるものの、残念ながら比較対象となりえない。
また、歌唱力も、毛利のほうが上である。だがそれは、彼がプロ並みに上手いというのではなく、羽柴が、哀れを誘うほどに下手すぎるのだ。
さらに、愛想が良い、というのも毛利の長けている部分のひとつといえる。羽柴はどちらかというと、無愛想だ。しかし、毛利のこの愛想の良さは、猫かぶりや八方美人といったあまりよろしくないイメージとも紙一重なので、果たして本当に長所と言い切れるかどうか、かなり微妙なところである。


と、毛利>羽柴な箇所というのは、あげてみても、この程度なのだが、ここでもう一度上記を確認してもらいたい。
そう、毛利が羽柴より優れている点、それは男としてはさほど妬むような内容でないのである。ここのところがまたミソといえよう。
しかも、もうひとつ付け加えると、毛利はそこのところを自覚している。


とすると、そんな稀にみる天才が、そこら辺にごろごろしている凡人に、嫉妬する、などということが果たしてありえるか?


基本、ない、と断言できる。




それでは次に、2)についても考えてみよう。


『自分の好きな相手の愛情が他の者に向けられることを憎み恨む』


自分=俺=羽柴、これは間違いない。
羽柴の好きな相手=この場合の人物Aであるが、現在、ここ小田原にて同居しているメンバーで恋愛対象となり得る性別を有しているのは1名。であるからして、人物Aは、必然的にナスティ・柳生ということになる。


なお、“嫉妬”という言葉は、その言葉を発した者を基点とした場合、主に、対人物Aに向けられるケース1と、人物Aを介しての第三者=人物Xへ使われるケース2の、大きく分けて2パターンが考えられる。


なお、例外的パターンとして、“自分自身に向けて”使用されないこともない。
つまり、愛する相手の気持ちが他者に向かってしまったがゆえに、己の中で燻ぶっている寂しさや怒り等の感情を“自分の中の嫉妬心”と表現しうるからである。

しかしながら、根源的には、愛する相手=人物Aへの報われない想いがあってのことなので、本文ではケース1に括らせてもらうこととする。


さて、今般であるが、『俺は、嫉妬している』、この台詞、ケース1の人物Aに対する発言でないことは、先の1)での検証と、羽柴がこの台詞を突きつけた相手がナスティでなかったことで立証できる。
と、すると、向けられた対象としては、二者択一で、ケース2の人物Aを介した人物Xへの発言と受け取るほかないことになる。
“俺”の想い人=人物Aの愛情を奪った相手に対する嫉妬、である。
人物Aであるナスティの愛情が向けられている他の者=人物X、これが今、羽柴から憎まれ恨まれている相手、つまり先ほどの言葉を向けられた毛利、そういうことなのだ。


結果、先の台詞を訳すと、


『俺=羽柴の好きな相手=ナスティの愛情が、他の者=人物X=毛利に向けられているがために、毛利が憎らしい、恨んでいる』


となるわけだ。


なるほどそうか!
それならいたって自然!
納得できる。うんうん。




以上は、羽柴の言葉を受けてからの、毛利の脳内で繰り広げられた考察を客観的視点から記してみたしだいである。




そしてここに来て漸く、彼は、返す台詞として、ひとつの答えを導き出した。
それが、こうだ。




「あー・・・、そうだったんだ・・・。それは、気付かなかった。わかった、以後、気をつける」




『俺は、嫉妬している』


からの・・・


『あー・・・、そうだったんだ・・・。それは、気付かなかった。わかった、以後、気をつける』




この会話、一見、正しく成り立っているようにも見える。


しかしながら、ご覧の方々は既に、彼、毛利伸が、決定的な間違いを犯していることにお気づきのことと思う。


それは、2)の考察中において現れた。


先ず、固定的先入観、思い込みによる間違いである。
恋愛は常に異性を対象としている、という点だ。
現代社会において、その考え方は非常にナンセンスであり、また差別的思想ととられることすらある。某国では、同性婚を認める州も増えてきており、また、我が国においても、戦国時代から、いや、おそらくはそれ以前からあっただろうが、同性同士の恋愛は珍しいものではない。
しかしながら、こういった嗜好が本筋ではないというのも、昔からかわらぬ事実であることも間違いなく、そこが、この度の毛利の思考の落とし穴となってしまったわけだ。


さらに、ケース2における、ナスティと自分との関係についても、彼は全くの見当違いをしている。
ナスティの愛情は、別に彼に向けられていない。
それどころか、彼女は、同居する彼らのうちの誰に対しても、恋愛感情をもっていない。今のところは。(と、一応言っておこう。)
ただし、毛利は家事全般が得意なため、彼女と共同作業をすることが多いのは確かである。
そこのところを、彼が勘違いしてしまったのだとしたら、それは責めることはできないだろう。毛利もまだ10代半ば、思春期なのだから。
だが、現実は違う、というのも真である。


よって、この羽柴の唐突な台詞から始まった場面における、ここにいる二人の会話で、ナスティ・柳生の恋愛感情は、一切関係ないのである。




そう。






羽柴は、毛利が好きなのである。






そして毛利は、真田を溺愛している。
ただし、そこにセクシュアルな意味合いが存在しているかどうかについては、今回は割愛させていただく。




であるからして、この状況は、羽柴にとって、非常に目障りで、苦々しいものなのである。


だから羽柴は、人物Xである真田にやきもちを焼いていることを、人物Aの毛利に伝えることによって、暗に『俺はお前が好きなんだから、俺の目の前で真田とイチャつくのは勘弁してくれ』と、言いたかったわけだ。




実は、この場面、非常に解かり難かったが、羽柴にとっては、一世一代の告白タイムだったのだ。




ところが、毛利の解釈からしてみれば、いきなり『俺、ナスティが好きなんだから、お前イチャついてんじゃねーよ』と、言われても、困るのである。困る以上に、迷惑千万である。だって自分は、特段ナスティのことを好きなわけではないのだから。内心彼はこう思った。『んなの、僕の知ったことか!』と。
ただ、これは間違った解釈によるコメントなのだが。


彼が思ったことをそのまま口にしないのは、先ほどの彼の長所としてあげた、猫かぶりに所以する。
そこで、返した言葉が、


『わかった、以後、気をつける』


である。


これはある意味、羽柴の期待した答えに近いといえるだろう。


毛利の返答に対して、羽柴は、こう受け取ったに違いない。


『そっか、そんなに僕のことが好きだったんだ。わかった、これからは遼への接し方に気をつけるよ』
と。


しかし、誠に残念なことに、その中身は、羽柴の想像とは180度違っているのである。


何故このような結果となってしまったのか。
原因は2つある。


@羽柴の日頃の行い
毛利にその気持ちの解釈を正しくしてもらえなかった理由として、非常に大きな割合を占めると考えられる。
誰だって、毎朝殴る蹴るの暴行を加え起床を促す相手から好かれているなど、思いもよらないであろう。


A言葉が足りなかった
だが、よしんば先の台詞中に、“誰に”が入っていたとしても、その真意が正しく伝わったかどうかは、甚だ疑問である。


人物X=真田の名前をそこに入れたとしよう。


『俺は、遼に嫉妬している』


そうした場合、おそらく毛利は、単純に、嫉妬の解釈1)を適用させ、『そりゃあ、君より遼のほうがずっとずっとずっといい子だからね』と思ったに違いない。
毛利の真田賞賛は宗教に近い。
なので、おそらく彼の返答はこうだ。


『それは仕方ない』


結果、羽柴撃沈。


ということは、である、この“嫉妬”という言葉を使っての告白は、そもそも上手くゆく見込みは皆無だったのである。




しかし、今般、羽柴も毛利も、互いにそれぞれの解釈で納得をしてしまった。
その証拠に、羽柴は、


「そうか、じゃあ、今後はよろしく頼む」


と、言い、毛利は、


「了解」


と、答えた。




羽柴は心の中で力いっぱいガッツポーズをし、これからの二人に胸を躍らせた。


毛利は、『まぁ、せいぜい頑張れよ』と、全くの他人事として片付けた。






さて今後、羽柴は、いかにしてこのすれ違いまくった難局を打破してゆくのか。
我々は引き続き、温かく見守ってゆきたいと思う。










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 しおり様より頂戴しました14143キリリクの、「やきもちをやく羽柴(オチ担当)」でした。なんだか、またもや的外れ??
 な気がしないでもないのですが、はも。は楽しく書かせていただきました♪しおり様にも楽しんでいただけたら、とても
 嬉しいデスvvv