友人とその恋人について
「でっ、どうよぉ〜?その後。大事にされてっか?」
他愛もない近況報告でひと盛り上がりした後、少しの間を置き、身を乗り出して問うた男の顔には、若干の含みがあった。
なんせ、こっからが本日のメインだ。
「されてる?・・・あ〜・・・なんか、そういうの、違う気がする。野郎同士だし・・・」
ところが対して、向かいに座る男は、『大事に・・・』という文言を耳にするやいなや、目を眇め、ふいに視線を逸らして、どこか遠くを見るような面持ちになった。
ん・・・?
おや?
「ぁ・・・う・・・っ、そ、そうか?いや、ま、そう・・・か、そう、かも、な、うん。だな。俺の言い方が悪かった。んっと、じゃあ・・・幸せか?ん?」
自分の言ったことにより一瞬にして気まずくなってしまった空気を取り繕おうと、最初の男は殊更明るく問い直した。
すると、相手は再びこちらに向き直った。
その面はいつもの柔らかなものに戻っている。
そして、小首を傾げつつ答えた。
しかしその内容は、男の期待に反するものだった。
「ん〜・・・まぁ、そこそこ?」
「そ、そこそこ?・・・って、お前・・・。えーと・・・じゃあ、あ、愛されてっか?」
「あぁ・・・たぶん、ね」
「たっ、たぶんんんっっ!?・・・え、えっと、んじゃ、お前は、あいつのこと、好き、なんだよ、・・・な?」
「そうだねぇ・・・5割2分7厘くらい?」
「・・・そりゃまた、えらい微妙だな・・・」
「まーねー。実はそろそろ別れてもいいかなー?って思ってるんだ」
「ああ、へえぇ〜そうなのかぁ・・・・・・・・・・・・、って、・・・はいぃ?」
「ん?」
「あ・・・、えーと・・・、悪い、もっかい言ってみてくれるか?ちょいよく聞こえんかったわ」
男は念のため、耳の穴をかっぽじってみた。
「だから、そろそろ別れても・・・」
「ちょっちょっちょっ!待てぇ〜っっ!わ、わ・・・か・・・???・・・・・・・・・わ、か・・・って、おまっ・・・!どぅえええええええええっっ!?!?」
「秀・・・、リアクションでかすぎ」
賑やかな場が一瞬にして静まりかえり、冷たい視線が男に突き刺さった。
そしてそれ以上に、目の前の人物の凍りつくような視線に、秀と呼ばれた男は、8割方浮いた腰を元に戻した。
この日、義理人情に厚い男、秀麗黄は、久々に会う一人の友人と、とある飲み屋で酒を酌み交わしていた。
相手は、もうかれこれ十年以上の付き合いになる奴だ。
今、秀の対面に座っている男、毛利伸は最近、これまた秀の友人である、羽柴当麻という奴と付き合いだした。
ちなみに、こちらの“付き合い”は、いわゆる、“そういうお付き合い”のことである。
正式なお付き合い開始から現在およそ2ヶ月と2週間。
聞くところによると、3週間前には同居・・・、同棲も始めたらしい。
とはいえ・・・まぁ、その前からして似たり寄ったりの生活をしていた二人ではあったのだが。
しかしである、とにかく、“恋人”という明確な間柄になって2ヶ月。
と、いえば、普通はアチアチホヤホヤ真っ只中、ラブラブ全開、超ルンルン・ハイテンション!
なのが、ごくごく一般的な状況である、といって間違いはないだろう。
さすれば、この時期、友としてはいったい何がしてやれるか、んなこたぁたかが知れている。
そう、ウンっザリするほどの惚気話をとことん聞いて、冷やかしてやる、そんくらいなもんだ。
と、彼、秀麗黄は思っていたし、今日だって・・・いやまぁ、この男が素直に二人のイチャコラ新婚(?)生活談を語り倒すとは思っていないものの、それでも、当然、それに近い話は聞かされるだろうと、そこそこ腹を括ってきたのである。
加えて言うならば、秀自身の実体験的には語り倒し派だった。
ちなみに彼は、既に一児の父で、近々二児の父になる予定だ。
が、だ。
どうやらこの友人にとっては、まったくもって違うらしい。
そもそも、この今、目の前にいる伸と、ここにいない当麻、恋人になる以前の彼らは、秀と同じような、数奇な運命による戦友を経ての友人関係にあった。
ただの友人・仲間、というには、いまいち微妙な関係ではあったが。
とにかく、そんなあやふや且つ曖昧な状態が、随分相当かなり長〜いこと続いていた。
その友人同士であった二人がこうなるに至った過程には、これまた紆余曲折、山あり谷ありの長〜い長〜い物語があるのだが、ここでは端折ってざっくりいかせてもらおう。
とにかく、当麻の一方的且つ熱烈な想いから始まったこの片恋は、彼の涙ぐましく気の遠くなるような努力の末、漸く実った。
そらもう、周りが感心し呆れるほどの熱心さと根気だったし、同情し哀れを誘うほどに健気で一途だった。
だが、たぶん、一方の伸には、当初そんな気はこれっぽちもなかった。
当麻の告白は、まさに青天の霹靂だったに違いないと、秀は思っている。
それを、その状態から、当麻は、押して、押して押して押して押しまくって、引いて押して、待って待って待ち続けて、さらに押して、そうしてようやっと、十数年目にして伸のOKを引き出したのだ。
その、ウンっザリするほどの・・・もとい、長い長い二人の歴史を見ていた秀からしてみれば、当麻には≪大変よく頑張ったで賞≫をやりたいくらいだし、伸には≪よくぞあいつを受け入れてくれたで賞≫を授与したいほどにメデタイことだった。
それが、2ヶ月+2週間前のことだ。
なのに!
それが、たった、たったの、2ヶ月こっきりで―――
『別れる』
だってぇ〜〜〜っっ!?!?
「おまっ・・・、わ、わ、別れる、って・・・な、な、な・・・っ???」
テーブルの上のジョッキを危うく倒しそうになりながら、身を乗り出した秀は、懸命に声を落としつつ、伸に問うた。
あまりに動揺しすぎて、まだ3杯も飲んでないのに、なんだか頭の奥がクラックラしている。
「うーん・・・まぁ、そういう選択肢もあるかなー?って」
はぁあああああ?!?!?!?!?!
『そういう選択肢もあるかなー?』だぁーーー???
じゃあ!
あの、あのっ、あの十数年にも渡る、血と汗と涙の、努力と頑張りと苦労は、いったい何だったんだ!!!
―――とは、当の本人でなくとも思うだろう。
「いやっ、だ、だって、おまっ・・・、まだ2ヶ月ちょいだろがっ」
「この年になってくると、その2ヶ月ちょいも貴重だからねぇ」
「いやいやいや、だからって、おめぇ・・・そら・・・いくらなんでも・・・つか、なんでま・・・」
「一度もセックスしてないんだ」
「へ?・・・せ?・・・」
何の前触れもなく飛び出てきたショッキングな単語に、秀の脳みそは、パチン!・・・瞬時に破裂した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
あ〜・・・えーとぉ・・・、ここは、どこだっけ?
俺は、何をしてたんだっけ?
目は空を彷徨った。
汚れた天井の模様が、妙なおっさんの笑い顔に見え、飲み屋特有の喧騒が頭の中で木霊して、ウワンウワンいっている。
そして、いったんまっさらになった頭で、今しがた彼の口から飛び出てきた言葉を反芻してみた。
えっと、ええと、今、こいつが、何を言ったかっちゅうと・・・だな・・・
えー・・・それって、6の英語、でも、ない。
靴下の英語、でも、ない、な、うん。
管楽器の名前・・・でも、ない。
と、すると?
えー・・・つまり・・・それは・・・、Sで始まって、真ん中がEで、Xで終わる、例の、愛の営みを表す英単語、って・・・こと、だよ・・・な?
「・・・へ・・・は・・・せ・・・へ・・・せっ・・・せっ・・・せ?」
「だからさ」
「いっ、い、いやっ、いいっ!わわわわわかった、ちゃちゃんと聞こえたっっ」
途端、現実世界に帰還した秀。
顔を真っ赤にして、頭と手をブンブン振っている様は、傍から見ると、ちょっと変な奴だ。
一方、こんな超電撃告白をした本人は、至って普通に見える。
いつもの柔和で涼しげな顔。
仲間内では、チタン製ポーカーフェイス、超極厚猫かぶりとも言われている。
しいて通常と違うところ、と言うならば、その面に“不満”という二文字が乗っかっている、そんぐらい。
冒頭の『野郎同士で』の一節を聞き漏らしていたら、これが男同士の恋愛に絡む話だとは到底思えないだろうし、こんな過激な内容を話しているなどとも、これっぽちも見えないだろう。
先ほどの単語だって、彼が言うと、卑猥さの欠片も感じられないから、なんとも不思議だ。
やや膨れっ面で頬杖をつき、運ばれてきたばかりの4杯目のジョッキに片手を伸ばしているその姿は、その辺のクダを巻いてるサラリーマンたちと変わらない、どころか、居酒屋にいるというより、どっかの小洒落たバーにでもいるような風情で。
しかし、続いて彼から吐き出された台詞にもまた、秀は言葉を失った。
「それにさ、キスもしてないんだよねー」
「・・・ぅげ・・・っ」
「あ、今、キモイ、とか思ったろ?」
ジョッキに付けた唇を尖らせて、やや上目遣いに睨みつけてくる表情は10代のあの頃のまま。
その変わらずに白くて細い指に持つものが、上品なティーカップやマグから、でかいジョッキになっただけ。
に、してもこの顔・・・、三十路間近の男のする表情じゃねぇだろ、と内心ツッコミを入れる秀だった。
そう。伸という奴は昔から、イマイチ“男臭さ”を感じさせない男だった。
見た目もそこそこ別嬪だし、どちらかといえば、童顔だし、家事全般得意だし。
仲間内で言えば、確かに征士の面も美人の部類に入るのだが、あいつは醸し出す全てが“男”を感じさせる。そのうえ、若いうちからかなりオヤジくさいところがあった。
だから、征士の隣に野郎がいても、それはあくまで友人としか写らない。
だが伸の場合、ちょっと違う。
いかにもゲイというわけではないのだが、どういうわけか、恋人が彼氏です、と言ってもあまり違和感を感じさせないところがある。
あの尋常ではない戦いの日々において、ナスティという列記とした女性がいなかったら、当麻でなくても、もしかしたらちょっと憧れていたいかもしれない。
と、思わせる何かがあって、何かが欠けている、と、秀は常々こっそり思っていた。
だって少なくとも料理の腕では、ナスティを遥かに凌駕していたし。
なので本当に、その彼が同性とキスすると言われても別段“キモイ”とは感じなかったのだ。
先の『げ』の理由は、別のところにある。
「ち、ちげーよ!んなこと思ってねぇってっ、えっとえっと・・・だから〜・・・だな」
「いいよ、別に」
「いやっ、だから、マジでそういう意味の『げ』じゃなくてだな、なんてぇんだ?あーーー・・・えっとぉ・・・、おっ、そう!『付き合って2ヶ月で、キスもまだなのか〜?!おいおいおいっ』な、『げ』だ!うん、そうっ、そうだ!」
「ふーん・・・」
伸は、まだ疑いの目でこちらを見ている。
この発言、秀の本心からのものではあったが、とはいえ、伸の口からこういった単語や台詞が出てくるまで、件の二人が“恋人として付き合う”ということの“具体的な中身”なぞ考えたこともなかったというのも事実だった。
・・・本能が拒否していただけなのかもしれない。
けどまぁ、実際、そういう仲になったのだから、やるこたぁやって当然なのだ。
野郎同士だろうがなんだろうが、手を繋ぐのだって、キスするのだって、もちろん、・・・その先だって。
だって、“恋人”なんだから!
そうだよっ、考えてみりゃ、そもそも今日は、そういうお惚気話を聞いてやるために、ここに来たんじゃねぇか!
と、改めて思い出した秀だった。
「いやマジ、ほんとだって!お前ら、お似合いだって思うし、俺はそういったことに偏見はねぇ!」
「ふぅん・・・」
「あ、まだ疑ってやがんなっ、いいか?お前らがくっついて、俺がどんだけ嬉しく思ったか、知ってっか?わかってっか?知らねぇだろっっ?わかってねぇだろうが!そりゃあ〜もぉ、もうもうもうっ、小躍りどころか盆踊り、いやいやリオのカーニバ・・・」
「わっ、わかったよ、いいって。わかった、信じる。ありがと」
机を叩き壊さんばかりの剣幕の秀に、伸は若干引きつつ苦笑いでそう言うと、ホっとひとつ息をついた。
そして今度は、テーブルに両肘を突いて、組んだ手の上に小ぶりの頭を乗せ、まっすぐに正面を見た。
片方の口角をやや上向きにして、目も僅かに弧を描いている。
しかし、この状況を楽しんでいる、というより、安堵の色のほうが濃いようにも見える。
本当は、この話を切り出すのに、ものすごく勇気がいったのかもしれない。
軽く笑って誤魔化してしまいたいのに、上手くいかない微妙な感情が、チラチラと見え隠れしていた。
その表情を崩さないまま、彼はさらに続けた。
「じゃあさ、その偏見のない秀に、も一コ、言ってもいい?」
「うえっ?まだあんのかっ?!」
「そ。まぁだあんだな、これが」
不思議なことに伸は昔から、普段は深い深いところにあってほとんど表に出すことのない本心を、秀にだけは、ちょろりと明かすことがあった。
自分らより1学年上なせいか、いつもどことなく皆と一線を画していた伸。
その彼が、ごく稀にではあるけれども、こんな風に頼ってくることがある。
他の面々ではなく、秀を、だ。
どうして彼が、その立場を秀に求めたのかはわからない。
だけれども、秀自身は、そんな伸との関係を、こそばゆくも嬉しく、誇らしく感じていたし、自分に与えられた特権のように思っていた。
それは今も同じ。
今日ここにいるのが二人だけなのも、その辺が理由なのだと、秀にはわかっていた。
「おっ、おうっ!おっし、わかった!聞くぜっ、こうなったら全部吐き出せ!何でもこの秀様が聞いてやるっ」
「あはははっ、変わんないなぁ秀は。んじゃ、お言葉に甘えて、も一個付け加えさせてもらうとさ・・・」
「おうよっどーんとこいっ」
想定していた惚気話なんかじゃなく、なんとも奇妙な展開になってしまったが仕方ない、どっちみち今日はとことん伸に付き合うつもりで来たのだ、と、秀は漫画のワンシーンのように、自らの胸を叩いた。
「実はさー、手も握ってないんだー」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
秀は『どーんと!』と言った瞬間の笑顔を張り付かせたまま再び言葉に窮し、伸は薄ら寒い微笑を浮かべてこちらを見ている。
妙な間と空気が流れた。
で・・・
「な・・・なんだ、そりゃ・・・」
「だろ?」
手も握らず、キスもしない、エッチもまだ、な、20代後半の付き合い始めて2ヶ月の恋人って・・・
秀の背中に冷たいものが流れ落ちた。
まさか・・・
「あ〜・・・ひとつ、確認していいか?」
「いいよ」
「お前ら、マジで付き合ってんだよな?」
「んー、たぶんね」
「・・・『たぶん』・・・て・・・」
今更なんなんだよ・・・。
おかしくねぇか???
伸が連絡をしてきたのは、確かひと月前ほどだったと思う。
その時の電話での会話はこうだった。
『あ、秀?』
『おうっ、伸!久しぶりだなぁ、元気か?』
『うん、まーねー。あ、僕さ、当麻と付き合うことにしたんだ』
『は?』
『じゃ、そういうことだから。奥さんとお子さんによろしく。またねー』
プツっ、プープープー
以上。
『そういうこと』って、どういうことだよ・・・さっぱりわかんねぇよ・・・。
といったわけで、秀は、ことの成り行きを全く知らない。
謎は今夜初めて明かされる、はず、なのだ。
「だってさ、『俺を受け入れてくれ!』って言われて、『いいよ』って答えたら、それって、そっから“お付き合い”ってことになるだろ、普通」
「ん〜〜〜・・・そら、まぁー、普通・・・、そうだな、うん」
腕を組み、一瞬考えを巡らせて、秀は大きく頷いた。
「だよね?」
「・・・んで、3週前だったっけか?」
「新しいマンションに越したね、二人で」
「だよなぁっ?」
「うん」
その際の電話の内容も・・・
『あ、秀?』
『おうっ、伸!元気か?』
以下略
だったため、この時の経緯も全くわからない。
「なの、に?」
「そろそろ別れようかなーって」
「いやいやいやいやいやいやいやいや!おかしいだろっっそこっ」
まるで、往年の漫才のツッコミだが、本人・・・秀は、いたって真面目、真剣である。
なのに、当事者の伸は・・・
「あ、そうだー!そーいや手は1回だけ握ったわ。『いいよ』って言った時、僕のほうからあいつの手ぇ握ったんだった。ああ、そうそうそう、そうだった、そうだった、うんうんうん」
無理をしているのか、なんなのか、えらい軽い調子で。
「・・・伸・・・」
「ちなみに、寝るときは一緒のベッドなんだよねー、僕ら」
生中片手にアタリメを咥え、伸はケロリと言い放った。
ニコリ、と深くなった笑みの、その瞳の奥がめっさコワい・・・
秀は、ちょっと泣きそうになった。
なんなんだよ、こいつら・・・
「あのよ・・・言っていいか?」
「いいよ」
「お前ら、どこぞの熟年夫婦か?」
「あ、やっぱそう思う?」
「『やっぱ』って・・・。そら、そう思うだろが・・・」
「そーなんだよねー。まぁ、仕方ないっちゃ、仕方ないんだけどさー・・・」
伸はぐいとビールを喉に流し込み、秀は腕を組んでおっさんが笑う天井を仰いだ。
早くも熟年離婚の危機を迎えた付き合い始めて2ヶ月の恋人って・・・。
秀は、これまでの二人が歩んできた道のりを想った。
「う゛〜・・・っ、確かになー、お前らの微妙な関係、えっらい長かったもんなぁ・・・」
「んー・・・それはそうなんだけどさぁ、けど、それも承知のうえだったんだけどねぇ」
「なぁ、おめぇがよ、一緒に暮らしてんのに素っ気なさすぎんじゃねぇか?」
伸は昔から、当麻に対して非常にドライなところがあった。
ドライどころか、かなり冷ややかだった。
“好きな子にはついつい意地悪しちゃうんだよね”的なものではなく、明らかに、当麻のことをウザイと思い、敬遠していた。
それが、いつ頃からほだされ始めたのか。
そして何故、十何年も経過した今になって当麻のアプローチ(もしくはプロポーズと言ってもいいだろう)にOKを出したのか。
その辺りの事情を知る者はいない。
「は?なに?あいつがそういう気になんないのって、僕のせいなわけ?僕が悪いのか?」
「あ、いや、お前が悪いとかそういうんじゃねぇけどよ、なんつーか、こう、触ってくんなオーラを気付かないうちに出しちゃってたりとか・・・」
過去の彼の態度を照らし合わせてみれば、秀の意見も尤もなのだが。
「んなもん、出すわけないだろっ、つか、もし僕が、気付かないうちにそのウンチャラオーラをバンバン出してたとしても、それがあいつに、あの当麻に、効くと思うか?」
「あ〜、まぁ〜、そう、だよ、なぁ・・・」
脳内で掘り起こした10数年前の光景。
当麻が自分の気持ちに気付き、猛アタックを開始し、猛プッシュを続けていたあの頃。
小田原の家を旅立つ直前あたりから、伸の家に入り浸っていた当時、当麻は伸に纏わり付きまっくていた。
奴の伸への執着っぷりは半端なかった。
それはもう、押し、押し、押しの一手で、サカリのついたワンコよろしく、下手をしたら、伸の了解うんぬん関係なしに、見境なく襲ってしまうんではないかと、見ているこちらがハラハラするほどに、おかまいなしで強引、且つ傍若無人だった。
あの頃の伸がどういう心境だったのかは知らないが、相当身の危険を感じていたのではなかろうか。
実際に何度か、当麻に生傷があるのを見た記憶もある。
はんはん、ふんふん、そうそう、そうだったよなぁ・・・。
とにかく当麻は、伸の全てが好きで、伸の丸ごとを愛していた。(たぶん今もだと思うが)
ある意味羨ましいくらいに盲目的で、痛ましいほどに切実な想いだった。
それが十数年の時を経て、ようやっと実ったのである。
いまや二人の想いに隔たりはないはずで、二人だけの空間、新居まで構えた。
訊くところによると、それはそれはご大層な超高級マンションらしい。
と、それはさておき、とにかく、あれほど熱烈に恋焦がれていた相手との同居生活だ。
然らば、もう当然、とっくのとうに、イタすべきことはイタしていていいわけで・・・
当麻にとっては、今まで耐え、待ち続けてきた分も含めての超高濃度の蜜月であってよいのだ。
なのに、いったい何故、恋人になって2ヶ月以上も経つのに、当麻は伸に手を出していないのだろう。
手も繋いでなければ、キスもせず、同じベッドで寝ているくせにエッチもしていないなんて。
確かに信じらんねぇ・・・、“あの当麻”が?、だよ、な・・・。
それに、こんな“コイビト”聞いたことねえし。
が、ここで秀は、ひとつのことに気付いた。
訊くのが恐いような気もしたが、やっぱり気になるので尋ねてみることにした。
「あ〜・・・、ちなみに、ひとつ聞いてもいいか?」
「あん?あぁ、いいよ?」
「その・・・、ヘタレな当麻に代わって、おめぇのほうから襲っちまおう、っては?」
「もちろん考えるに決まってんだろ」
即答だった。
「だっ、だよな、やっぱりな、そうだよなぁっ」
などと大袈裟なまでに相槌をうったはいいが、この『やっぱり』という言葉、正しくない。
実はかなり意外だった。
何が“かなり意外”なのかというと・・・
『伸から当麻を襲う』
というシチュがである。
これまでの二人の歴史がそうさせるのか、ごく自然に、
“襲うのは当麻”で“襲われるのは伸”だと、思ってきたのだった。
いや、今現在は付き合っているんだから“襲う”という言葉には語弊があるので念のため訂正しておこう。
つまり、捕食者が当麻で被食者が伸、あ、これでは“襲う”と同じか・・・。
え〜・・・、凸が当麻で凹が伸、♂が当麻で♀役が伸、とある業界用語的には“攻めが当麻”で“受けが伸”、上が当麻で下が伸、と、そういうことだ。
この上下関係を何の疑いもなく前提事項としていたことに、ここへきて初めて秀は気付いたのだった。
しかし、今この会話の途中でそのことを持ち出しても話はややこしくなるばかり。
なのでここは省いて先に進ませるとしよう。
「んで、その成果は?」
「オール三振、当麻のパーフェクトゲーム状態。わかってるだろ、言ったじゃないか、だから未だにセック」
「あわわわわわっ、そらわかってっけどよ、いやっ、だけど、なんで上手くいかねぇのか、その原因もわかんねぇのかってことよ」
「んーーー・・・、あいつさ、どういうわけか、僕が寄ってこうとすると、感づいて逃げんだよね」
「に・・・っ、ニゲルだぁ〜???」
「そ」
「なんだそれ・・・」
「んなの知らないよ。・・・ったくさぁ、読んでほしい空気は読まないで、読んでほしくない空気ばっか読むんだよなぁ、当麻の奴」
彼が語るところによると、『初めて当麻の家に泊まった夜も、奴は同じベッドに入ってはきたものの、寝たふりを続ける僕を夜が明けるまで眺めていた』んだとか。
「あの時はさ、僕も少しは緊張してたから、ちょっと素っ気無い態度取ったかもしんないよ?それに、十なん年も待たせておいて、オッケ〜、はい、んじゃ、やろっか?・・・ってのもどうかと思うから、そりゃ仕方ないんだけどさぁ」
ところが、それ以降も、当麻は一向に触れてこない。
それどころか、触れようとしても触れさせない。
当麻は見えないバリアを張り続けた。
そこで伸は、長らく待たせた後ろめたさもあったのか、もちろん当麻の行動はショックだったが、その分彼なりに努力した。
らしい。
試行錯誤、あの手この手と、手を替え品を替え、そういう雰囲気になるようにもっていこうとした。
んが、全て未遂、肩透かしを食らって終わったのだと彼は言う。
キングサイズのベッドも、まるで真ん中に壁があるかのように、きっちり寝分けられている。
そうだ。
「一度なんてさ、有無を言わせず僕のほうから、えいっ!て、乗っかってやったんだ、そしたらあいつ、何ってったと思う?」
「さ、さぁ・・・」
若干聞きたくねぇ・・・と思わないでもなかったが、そこはこの苦悩する友のためにぐっと堪えた。
「『重いな』だって」
「うげっ・・・ひでぇ・・・」
あまりにもな言葉に秀は、友人であるここにいない男に対し、怒りすら覚えた。
「だろ?そんでさ、ベッドから出てって、リビングのソファで寝ちゃったんだよ?そこまでやられたらさ、あぁやっぱり僕とはしたくないんだな、って思うじゃないか」
「う・・・っ、あ〜、いやぁ、まぁ・・・うーん・・・」
正直に言えば、『うん、そう思う』なのだが、そんなことはとてもじゃないが口に出せるわけもなく。
言葉を濁す、などという芸当ができるようになった秀である。
「・・・あいつは、はっきり言ったのか?」
「何を?」
「その・・・おめぇとは、したくない、って・・・」
「ううん」
「訊いたのか?」
「訊いてないよ。っていうか、訊くわけないじゃないか、そんなの」
「なんで?」
「なんかヒステリックな女みたいでイヤだからに決まってんだろ」
「でも、おめぇは・・・やっぱ、したい・・・んだよ、な?奴と」
「・・・あのね、秀、言っとくけど、僕は、あいつとやりたいから付き合ったわけじゃないんだよ?」
「お、おうっ、んなこたぁわかってるさ!」
「ふーん・・・ならいいんだけど・・・」
ここで伸は、ジョッキの底に残っていた最後の数滴で口を潤し、あらかた片付いたテーブルの上にアルコールを含んだ息をひとつ、ほっと落とした。
その様子に、秀は居た堪れないものを感じた。
同情?憐憫の情?
いや、そのどれとも微妙に違う。
単純に言うと、すごく悲しかった。
秀は黙って彼を見つめた。
すると伸が、視線をテーブルに落としたまま語り始めた。
「なんだかさ・・・実はもうよくわかんなくなってきちゃったんだよね。何を自分ばっか必死こいてんだ?って。こんなことに、こんなにムキになって、なんか、おかしくないか?って。秀の言うとおりだよ。確かに僕が一方的にただヤリたいだけみたいでさ。そんなつもりはなかったのに、自分でも変だと思ったさ。でも、本当に恋人なんだとしたら、自然とそういう流れになったっていいはずだろう?それが全くない、どころか、あからさまに避けられてるって、じゃあ僕は、あいつにとっての、いったい何なんだ、って思うじゃないか。一緒に暮らしてる意味って何なんだよ、って」
「・・・で、『そろそろ』・・・か?」
「んー・・・まぁねぇ・・・。だってこのままじゃ、付き合う前と変わんないどころか、よっぽど遠くになっちゃった感じがするし。別にさ、いっつもベタベタしてたいわけじゃないんだよ?お互いそこそこ忙しい社会人で、同居してたって毎日顔を合わせるわけでもないし。こうなる前の付き合いも長いし。でもさ、だからこそ、たまには濃密な時間を過ごしてお互いの気持ちを確かめ合いたいって、そう思うのって、変なことかな?そりゃあ、ヤルことだけが気持ちを確かめ合う方法じゃないってのもわかってるよ。けど・・・」
「けど?」
まだ何か言いたそうな伸だったが、何故か彼はそれを飲み込んてしまった。
「ま、仕方ないよねっ、だって僕らじゃ子孫残せないし。自然の摂理に反したことをしてるわけなんだから。やり直せるなら、きっとそうしたほうがいいってことなんだよ。だから・・・さ、そろそ」
ここで伸お得意の、全てを覆い隠す似非笑顔が現れそうになるのを見て取って、秀は考えるよりも先に叫んでいた。
「何言ってんだよっ、んなの関係ねぇだろが!健全な男子なら、好きな奴といたら、ヤりてぇに決まってる!相手が野郎だろうがなんだろうが、んなこたぁ問題じゃねぇよっっ!」
「・・・秀・・・声、デカすぎ・・・」
伸の米神に、青筋が浮かんだ。
「あ・・・」
と、いったわけで、本日二度目となる、ありとあらゆる類の視線が一斉に突き刺さり、途轍もなく居た堪れない状況に陥ったため、二人はそそくさと店を後にすることにした。
「もうっ、バカ秀っ、二度とあの店行けないし、この辺にも当分来れなくなっちゃっただろっ」
「ううっ、すまねぇ・・・」
季節はずれに冷たい風が吹きすさび、途端に二人は無口になった。
秀は、伸にかける言葉もなく、なんだかとても寂しい気分だった。
こんなはずじゃなかったんだけどなぁ・・・
纏まらない考えを頭の中でグルグルさせるばかりで、結局何の助けにもならなかった自分が歯がゆかった。
と、間近に迫った駅の看板を見るともなしに見ながら、ぽつり、伸が言った。
「僕なりに、いろんなこと覚悟してのつもりだったけど・・・、やっぱり、遅すぎたんだ・・・」
秀は、はっとして伸を見た。
これがおそらく、一旦は抑えこんだ先ほどの台詞だ。
横を歩く彼の表情から何がしかの感情を見て取ることはできない。
けれど、秀は瞬時にして酔いが醒めた思いがした。
「・・・伸・・・」
嗚呼っ、俺のアホっ!
どうして今まで気付かなかったんだ・・・!
そうだよっ、伸という男はそういう奴だったじゃないか。
こいつは、自分の想いだけで、周りの全てを切り捨てて生きていきけるような奴じゃない。
ただでさえ同性同士の恋愛は茨の道だ。
こいつにとっては、尚のこと。
旧家の嫡男として生まれ育った伸が、跡継ぎを残せない相手と人生を共にすると決心するには、どれほどの覚悟がいったことか。
並大抵のもんじゃない。
ついつい当麻の頑張りにばかり囚われがちだったが、もしかしたらこいつだって、奴の気持ちに応えるため、自分の想いを実らせるため、相当の努力を重ねてきたのかもしれない。
できるだけ周囲が丸く収まるように、長い時間をかけて。
そうだ。
本当に当麻を受け入れる気がないのなら、もっと早くに答えを明確にしていてもよかった。
それを、これほどの年月、ある意味有耶無耶にしつつ引き伸ばしたのには、きっと理由があったんだ。
伸はずっと、当麻に寝る場所と食事を与え、話を聞き、共に笑い共に泣き共に悩んできてやってたじゃないか。
そうやって、言動ではなく、行動によって既にあいつに見えない答えを与えていたんじゃねぇか・・・?
・・・ってこたぁ・・・
おいおいおいっ、待てよっ、・・・まさか・・・っ?!
「な・・・伸よ、最後にもうひとつだけ、訊いてもいいか?」
「んー?なに?」
「おめぇ、いつからあいつのこと好きだったんだ?」
秀は何気なさを装って問うたつもりだったのだが、伸は、徐に立ち止まり、まるで意外なことを訊かれたかのように大きな瞳をさらに見開いてこちらを凝視し、2・3度ゆっくりと瞬きをした。
そして、僅かに唇の先を震わせてから、言った。
「・・・それは・・・・・・・・・・・・・・・言わない」
やっぱり・・・!
これが答えだ。
駅の灯りの下、足元に視線を落として再び歩きだした伸の耳は真っ赤で。
それは、この冷たい風のせいばかりでは決してない。
舞う風に掻き乱された髪で表情を隠しつつ、伸がこちらを振り向いた。
「今日はグチばっかで悪かった、ほんとごめん。この埋め合わせはまたさせてもらうから、じゃあまた!」
「え?あっ?伸?!・・・おっ、おうっ!いいってことよ、気ぃつけて!またなーっ」
一息に言うだけ言って駆けゆくその後姿に、手を振る秀の顔はいつの間にか笑っていた。
いやはや、なんてこった・・・
なんか・・・初々しいじゃねぇか、こんにゃろっ。
じゃあ、かつて当麻に対して行っていた、あの半端なく厳しい伸の態度は、究極の『好きな子には〜』的行動だったってことか?
そんでもって、ああすることによって、それでも当麻の気持ちが挫けず、変わらないでいられるか、確かめ続けてたってことなんだろうか?
うへぇ〜・・・・・・・・・・
ひでぇ、というか、すげー、というか・・・
どんだけの根気だよ・・・てか、執念深さ?用意周到さ?ねちっこさ?
なんて言葉が適当なのかわからんけど、いずれにせよ・・・俺には到底真似できるこっちゃねぇ。
十数年、か・・・。
奴ら、どっちもたいしたもんだわ。
つか・・・、ってことはよ、伸の奴、なんだかんだ言って、あいつのこと、めっちゃくちゃ好きなんじゃねぇかよっ!
しかも、あの態度じゃ、相当の昔からに違げぇねぇ。
あ・・・
じゃ、今夜は結局のところ、俺ってば、思いっきしノロケられたんじゃね?
くぅうううううっ、あんの野郎〜〜〜〜〜っっ
あーあーあー、まいったぜ、もおっ!
秀は、都会の夜空では貴重な、チカチカと瞬く星を見上げつつ、頭をかいた。
しかし、まぁ・・・、当麻の態度、ありゃあ、確かにちと問題ではあるよな〜・・・
熟年夫婦離婚・・・か・・・
あぁあっ!ったくもぉっ、しゃあねぇなっ
うっし!
・・・んじゃあ、いっちょこの秀様が、素直になれない友のために一肌脱いでやるかっ!
そんなこんなで、3日後
当麻は秀に、半強制的に呼び出された。
そして・・・
「で、どうよ?おめぇ、あいつのこと、大事にしてっか?」
本日3本目の熱燗を、相手のお猪口に注ぎつつ、先ずは一手。
「・・・ふんっ・・・愚問だな。当たり前に決まってるだろう」
注がれたほうは、くい、と一口でそれを喉に流し込むと、そのままの姿勢、自信満々の態で答えた。
ふんふんふん、やっぱりな〜・・・
「んじゃ、幸せなんだな?」
二手目。
「言うまでもない」
「愛されてんだな?」
三手目。
「あまりにもバカバカしくて答える気にもならんっ」
「おめーは、あいつのこと好きなんだよな?」
四手目。
「秀・・・お前、そんなことを聞くために、クソ忙しいこの俺を呼び出したのか?」
ああ、ああ、ああ・・・、可哀想になぁ・・・
「・・・当麻・・・、おめー、めっちゃ不安だろ?」
そして、止めの一手。
「・・・・・・・・・・・・ぅぐっ・・・・・・・・・・・・」
やっぱりそうか〜・・・
「・・・なっ、なっ、何を根拠に・・・っ」
珍しくうろたえる当麻に、秀は、ビシっと指を指し言ってやった。
「尋常じゃねぇ汗」
「うっ」
「泳ぎっぱなしの視線」
「ぬっ」
「止まらねぇ貧乏揺すり」
「むっ」
「当麻、台詞と動きが伴ってねぇよ・・・」
「・・・ぐうぅっ」
秀の読みは的中していた。
ぐうの音は出たけれど、それ以上何も言えない当麻である。
「おめー、あいつのことあんなに好きだったじゃねぇか」
「今でも、好きだ・・・!・・・たぶん・・・」
「はぁあああ???『たぶん』だぁ?!」
「いっ、いや、今のは間違いっ、好きだっ、大好きだ、今だって!・・・た、たぶん・・・」
「なんだよそりゃ・・・、どっちみち『たぶん』が残ってるじゃねぇか。いったい何がそんなに不安なんだ、言ってみろ、ん?」
たっぷり空気を吸い込んで、当麻はのたまった。
「・・・・・・・・・・・・・・・伸は、神だ・・・!」
「・・・・・・・・・・・・・・・ほへ?????」
“伸”と“神”。
確かに漢字は似ている。
だが、その二つ、言うまでもなく、全くの別物だ。
なんでこのカップルは、二人して言動が突拍子もないんだよ・・・。
秀は早々に帰宅を考えた。
だがしかし、当麻との話は始まったばかり。
今日は世間話もそこそこに本題に入った。
しかも、この男との会話がこうなるのは、ある程度想定内のことだ。
「あ〜・・・、すまん、おめーの言ってることがイマイチよく飲み込めねぇんだけど?」
「だから、伸は、か」
「ちょいちょいちょい待てやおいっ、それ、おかしいから。あの、嫌味大王の、どこが“神”だってんだよっ」
「ふっ・・・、秀よ、まぁ、お前にはわからんだろうな・・・」
そう言って当麻は、別世界に視線をやった。
そんな彼の様子に、秀は改めて思った。
今日、場所をこの店にしてよかった、と。
つまり、女性客の多い店を選ばなくてよかった、と、そいうことだ。
当麻は昔から、見た目と頭脳と運動神経は抜群に良い男だ。
何一つ敵わないと思われる秀が勝るものといえば、音感と社会常識ぐらいなもので。
まぁそれはさておき、とにかく、悔しいほどにどんなポーズを取っても様になる。
だから彼は、そりゃあもう、もんのすごく、モテた。(たぶん今でもそうだろう)。
頭が良くて、ユーモアがあり、顔は小さく手足は長く、スマートでカッコいいくせに垂れ目なところが可愛くて、どこか少し哀しげなところが母性本能を擽るの・・・とは、彼に惚れた女性軍の言である。
けれど、秀が知る限り、当麻は、周りが羨むほどの美女才女から告白されても、鼻にもかけず、見向きもしなかった。
当麻には、伸しか見えていない。
はずなのだ。
それは今も昔も同じ。
はずで。
何故そこまで伸でなくてはならないのかは、いまだもって謎のままだが。
そして今日も、そこんところの確認は取れないのだろうけれど。
「あー・・・はぁ・・・」
『んなの、わかるわけねぇだろうっ!』とは思っても口にしない、かなり大人になった秀である。
黙って、目の前の男の続きを待つことにした。
そうして、たっぷり5分は過ぎただろうか。
「あいつは・・・伸は、俺にとって・・・神であり、且つ天使だ・・・!」
再び開いた当麻の口から出てきた言葉は、またもやどっかに行っちゃっていた。
だが秀は、この一言でピーンときた。
一昨昨日の晩、別れ際にポツリと零した伸の一言が甦った。
『僕なりにいろんなこと覚悟して・・・』
ははーん、なるほどぉ、そういうことか・・・。
伸はおそらく、当麻にも具体的には何も言っていないのだ。
けど、当麻は気付いた。
彼が自分との関係を成立させるためにどれほどの時間と労力を費やしてきてくれたか。
それは当麻にとって相当のショックだったに違いない。
そらそうだ。
苦しみ悶え長年かけて漸く引き出した彼からのOK。
それはひとえに自らの努力によって得られたものだ、と、そう思っていたのに、実はそうじゃなかっただなんて。
もちろん嬉しかっただろうけれど、同時に受けた衝撃はそれ以上だったんだろう。
まさにお釈迦様の手の上の孫悟空的気分だったことは想像に難くない。
で・・・、『伸は神だ&天使だ』説に繋がった、と。
だから、神と崇め敬う彼に対して“手を出す”だなんて、そんな恐ろしいことは到底できない、と。
そういうことか?!そういうことなのか?!
―――アホか、こいつ・・・
確かに、その理論も理解できないこともないが、そりゃあいくらなんでも極端すぎるだろ・・・
・・・天才って・・・面倒くせぇな〜・・・
伸はいったいこいつのどこが好きなんだ?
顔か?スタイルか?頭脳か?
この突拍子もないとこか???
・・・まー、どうでもいいか、そんなこと。
『痘痕も笑窪』『腐っても鯛』って言葉もあるからな・・・。
この時点で既に秀は、かなりげんなりとした気分になったが、この妙ちきりんな二人のすれ違いをそのままにして途中棄権するのは、もっと気分が悪い。
それに、この件に関しては、腹を括ってここまで首を突っ込んたのだし、今更とんずらこくのは己の信条にも反する。
だって自分は、“義の戦士”なのだから!
友の幸は自分の幸!
秀は、下腹にぐいと気合を入れて、話を続けた。
「まぁ、おめーがあいつのことを、もんのすごぉ〜っく大事に想ってるってのは、よぉーーーく、わかった。けどっ、」
「秀、お前、一昨昨日、伸と一杯やったんだってな・・・」
しかし、意気込んで切り出した秀の台詞は、あっさりと腰を折られ。
「あ?あ、ああ・・・」
「・・・お前、何か言われたんだな」
「あ〜、言われた、っていうか・・・まー、ん〜・・・言ってたな」
「やっぱり・・・そうか・・・」
残念なことに、しゅるしゅると尻窄んでしまった。
熱燗を二本頼み、暫しの間が空いた。
周りは、この創業何十年という年季にふさわしい客層が、のんびりとくつろいだ様子で、杯を交わしている。
五月蝿すぎず、静か過ぎないこの空間。
店の隅の二人席で次々と皿と徳利を空ける二人も、二十代後半という年齢の割には、この雰囲気に馴染んでいた。
それは、彼らのけったいな経験と、付き合いの長さと、友情の深さの故かもしれない。
「なぁ当麻よぉ・・・、俺が言うのもなんだけど、おめー等、熟年夫婦じゃねんだから、もっと、こう、恋人らしいことしろよ」
こうした秀の言葉には何故か説得力があった。
仲間内で一番地に足の着いた生き方をしているからかもしれない。
もちろん征士も堅実なのだが、彼の場合は厳格すぎて、ある意味一般人とは相まみいれない、その他の人間には着いて行けない部分があるため、彼が言うと反発を買うことも多い。
だが秀の場合は、彼の性格の大らかさからか、説教じみた話しをしても、角の立つことは少なかった。
「“恋人らしいこと”・・・な・・・」
当麻は、噛み締めるように反復すると、微苦笑を浮かべ、小さなため息を零した。
彼のこの表情は、特に女共に大好評だ。
とはいえ肝心の伸にも好評なのかは知らないが。
「だって・・・昔はあんな押せ押せだったじゃんか」
「あの頃の俺は何も知らなかったからな・・・。だが、今は違う」
「今は違う・・・って・・・。けど、おめー等恋人んなったばっかじゃねぇか。ホヤッホヤだろう?おかしいだろうがよ、恋人んなるまえは押せ押せで、なったら放ったらかしか?そんなん・・・」
「そんなことは・・・分かっている!」
「なら・・・」
「じゃあ、お前なら、あいつに手ぇ出せるか?」
「はぁああああああっ???俺が?!?!なっ、何言ってんだよっ!俺は妻子持ちだっ」
「そんなことは、わかっている」
「つか、俺にとって伸は、どこまでもダチだ。んな対象としては見れねぇよ」
「まぁ、そうだろうな・・・」
「何なんだよ・・・、当麻、おめー、言ってること、とっ散らかりすぎだぜ・・・」
「ふ・・・そうだな・・・」
またまた会話は尻窄みになった。
秀は、空いたままだった二人のお猪口に酒を足した。
今日の酒はまるで水みてぇだ。
どんだけ飲んでも酔えそうにない、と秀は思った。
「なぁ・・・そんなに、あいつが恐えのか・・・?」
「・・・恐い?」
「ああ、何か、すっげービビってるように見えるぜ」
「ビビって・・・か・・・。はっ・・・確かに、な・・・。恐いのかもしれん・・・」
「何でだよ?何がそんなに恐えんだ?あいつは、おめーが言うような神でもねぇし、天使なんかでもねぇ。生身の、ただの人間で、潔癖症の毒舌大魔王だろっ」
「それは・・・っ、・・・確かに、そうだ・・・」
一瞬反論しかけた当麻だったが、秀の言う真実は真実として、素直に受け入れた。
当麻もさすがに誤魔化しきれなくなってきたのかもしれない。
いや、本当のところは、秀に、この苦しい胸のうちを打ち明けたいのだ。
「あいつの口撃がそんなに酷ぇのか?」
「いいや」
「昔みたく“触んなオーラ”でも出してんのか?」
「そんなことはない」
「じゃあ・・・」
「嫌われたくない」
「は?」
「もしもあいつに嫌われて、捨てられたら、俺は・・・俺は、生きていけない・・・っ」
デカイ図体を急に丸め、頭を抱えた当麻を眺めつつ秀は心の中で思い切りツッコミを入れた。
え゛〜〜〜〜〜〜〜っっ?!?!
嫌われたくない、だぁ〜っ?
捨てられたら生きていけない、だぁ〜っ?
だから手を出せないのかっ??
手も繋げなけりゃ、キスも、エッチもできねぇってのかっ??
おいおいおいおいっ!
いったいどの口が言うんだっ!
じゃあ、昔のあの、非常識且つ尋常じゃない猛烈な波状アタックは、いったいなんだったんだよ?!
・・・とは、連日連夜告白され続けた相手じゃなくても、そう思うだろう。
つか、これが本当に、いつもの自信満々で高慢ちきな智将かよ??
俺は、今日は全く酔えないなんて思いつつ、実はもう既にベロンベロンで、今は幻と酒を酌み交わしているんじゃなかろうかと、一瞬、疑った秀である。
チェーサーのビールを一口飲み、ぐるりと辺りを見回し耳を澄ませ、これは間違いなく現実なんだと改めて自分に言い聞かせて、深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、秀は極力冷静に尋ねた。
「じゃあ何か?あいつに手ぇ出したら、嫌われんのか?絶対に、100%、そうなのか?」
「・・・そう、とは・・・限らん、と、思うが・・・」
「なら、やってみなきゃ分かんねぇじゃねーかよっ」
秀のこの言葉に、当麻は薄く寂しげな笑みを浮かべ、それから腕を組んで、飲み屋の片隅、天井近くにある、古びた店のわりには真新しい神棚をじっと見つめた。
その視線を秀も追った。
榊の緑がやけに眩しい。
すると、徐に当麻が呟いた。
「・・・秀、お前はいいな・・・」
「はぁ?なっ、なんだよっ、何が“いい”んだっ」
「お前は、付き合う相手が本当はどっちを望んでるかなんて、考えたことあるか?ないだろう」
どっち?ドッチ?
ど・・・・・・・・・・・・・・・・・・って・・・
―――!!!
秀は、ゴイーーーン!と、ゲンコで横っ面をぶん殴られた思いだった。
そっ・・・そうか・・・っ
これにはさすがの秀も、瞬時に何と返したらよいかわからなかった。
確かに伸は言った。
『自分から襲ってしまおうと思ったことがある』と。
『トライしたこともある』と。
それどころか、『何度もトライした』と。
そうだった!
柳生邸時代、生傷を負っていたのは、いつも当麻のほうだったじゃないか!
最初に手を握ったのも、あいつの方からだった、って言ってたじゃないか!
・・・て、て、ことは、だ。
もしかして・・・、もしかして伸は、どっちかっつーと、ほんとのところは、受身じゃねぇ、って・・・、そういうことなのか???
・・・そうか、そうだよなぁ、考えてみりゃ(←?)、あいつだって列記とした男だもんなぁ・・・。
そら、男なんだから、抱かれるよりは、抱きたいって思って当然だよなー・・・。
なー・・・。
なんで俺、いっつも伸のその辺については逆に思っちまうんだろう?
やっぱ、あの顔か?物腰か?料理の腕か?
それとも、目の前のこいつが昔あんな押せ押せだったからか?
・・・たぶんその全部だ。
いやっ、でも、奴は、当麻と付き合うにあたって、『いろんなこと覚悟して・・・』とも言ってた。
なら、そっちのことも含めてのことかもしんないじゃないか・・・!
いや・・・けど・・・でも・・・
この問題、秀が考えていた以上に、かなり複雑だったようだ。
『やってみなきゃ』なんて、不用意に口走ってしまった自分を責めても仕方ないが、秀は困り果てた。
何をどうフォローしてやったらよいのか、わからなくなりつつあった。
なのでうっかり、とても間抜けな質問をしてしまった。
「そのぉ・・・ちなみにおめーは・・・、どっち、なんだ?」
「それを俺に聞くか?当然、俺はあいつを抱きた」
「ああっ、だっ、そうだ、そうそうそうっ、そうだよなっ!で・・・逆なんてこたぁ・・・」
「秀・・・お前、俺という人間をわかっていないのか?そんなことは、絶対に絶対に絶対に!あり得んっっ」
「だ、だよなぁ・・・」
うへぇ〜、・・・そこまで嫌なのかよ・・・
はぁ〜なるほどなぁ〜・・・だから、伸が強引に乗っかった時『重い』で、逃げたわけか・・・。
選んだ言葉が最低だったけどな。
「すまん。訊いた俺が悪かった。ん・・・で、あいつは・・・」
「そこがいまいち掴みきれないから、困っているんだろう」
「だよ、な〜・・・」
しどろもどろに相槌を打つ秀に、当麻は続けた。
「引っ越しでもして、環境を変えたら、踏み切れるかとも思ったんだが・・・」
「・・・そうか・・・」
秀は、一昨昨日、その辺をズバリ訊いておけばよかったと、心から後悔した。
そうしたら、当麻にもっとはっきりとアドバイスできただろうに・・・と。
目の前で苦悩する友の力になれない自分が情けなかった。
実のところ伸は、どちらでもよいのかもしれない。
先日の会話でも、そうともとれる言動があったように思う。
けど、もしかしたら彼も、どちらかといえば、あえて、どちらがよいかと訊ねられれば、当麻と同じなのかもしれない。
だから、付き合い始めたらあんなに積極的になったのだ、とも解釈できる。
だとしたら、当麻の言うように、相手もこっちも同じ立場を望んでいるのだとしたら、どちらかが、我慢を強いられることになるのだ。
当麻は、自分が凹の立場になるは絶対に嫌だという。
とはいえ、だからといって、伸も嫌だと思っていることを一方的に押さえつけ自分の意見を強いる、というのも心が痛んで耐えられない。
エッチはしたいが、強引に押し倒す勇気がでない。
よしんば、押し倒したとして、しかし結果満足させられなかった場合の、その後は考えたくもない。
無理やりやったはいいが、上手くできなかった日にゃあ、どうなることか・・・。
こッッッッッわ!!
確かに、恐え〜・・・
これはとっくり話し合って、期待通りの答えが得られなかった場合も然りである。
伸のことは、今でも大大大好き。
だから、絶対に別れたくない。
だから、いつまで経っても手を出せない。
不安で恐い。
か。
なるほどなぁ・・・そういうことだったのか・・・。
伸には言えねぇわな〜。
こりゃ、なんともかんとも・・・いかんともし難い問題だったんだな、おい・・・。
伸の幸せと当麻の幸せ。
二人ともお互いを好いていて、想いあっていて。
なのに上手くいかない。
「「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ」」
彼等は同時に大きな大きなため息をついた。
当麻も秀も、伸に対して勝手な思い込みがあった分、“そうじゃないかもしれない可能性”を突きつけられたことによる衝撃が大きすぎた。
心理的に、にっちもさっちもいかなくなってしまった二人である。
追加で注文した熱燗を黙々と手酌で飲み進める二人の若造。
八方塞な暗澹とした時間が過ぎる。
テーブルの上に林立する徳利を、小太りの女将さんがそっと片付けていった。
が、どれほどの時間が経過したか。
とうとう秀が痺れを切らせ、その重〜い空気を、唐突に、そして一気に押し退けた。
というか、ブチ切れた、と言ったほうが正しい。
「当麻よ・・・」
「ん〜?」
「おめー、やっちまえ」
「は?」
「やっちまえ、つったんだ!」
「へ?」
「一息によ、がばーっっ!って、いっちまえっ」
「え、いやっ、秀、何を急に、って、お前・・・よっぱら」
「自信ねぇのか?ああん?」
「うっ」
「そうだよなぁ、相手は“あのお綺麗な”伸だもんなぁ、そらぁ、おめーがビビリまくんのも理解できるぜっ」
「な・・・しゅ、秀っ」
「でもなっ、ほんっとに、それでいいのかっ?おめー等、あんな長いことかけて、すんげぇ苦労して、やっと一緒になったんじゃねぇかよっ!」
「い、いや・・・秀・・・声が・・・っ」
「俺ぁよぉ、むちゃくちゃ嬉しかったんだぜっ?おめーが、やっとこさ想いを実らせたって知ってよ!その相手が、あの嫌味毒舌大魔神の伸でも、だ!俺がどんだけ喜んだかわかるかっ?そらもぉ、小躍りどころか盆踊り、阿波踊り以上のリオのカー」
「そっ、そうか、それはありがた・・・」
「それなのによ、それなのに・・・っ、何だって?相手が恐くてエッチできねぇから別れるだってぇ?!?!しかも付き合い始めてたった2ヶ月で?!」
「えっ?いやっ、俺はそんなことは一言も・・・っ」
「俺だって、初めての時ぁ緊張しまくったぜ。彼女が満足してくんなかったらどうしよう・・・って、それで振られたらショック過ぎるだろうなって。確かに、身体の相性ってのもあるかもしんねぇけどよっ、いや、確かにあるけどよっ、でも、それよりなにより大事なのは・・・っ、ここだぜっ、ここっ!」
秀の親指が示したのは言うまでもない、お決まりの箇所だ。
「おめー、あいつのこと好きなんだろっ?」
勢いに押され頷くしかない当麻。
「めっちゃ愛してんだろっ?」
更に頷く当麻。
「なら、大丈夫だ!」
「いや、だが・・・、でも・・・もし・・・っ」
「どぅああああああああっっ、うっせーうっせーうっせーーーっっ!おめーがそんな風にビビって、ヘタレだから、だからあいつは、まるっきし勘違いしてやがんだ!」
「へっ?」
「よっく聞けよ!あいつん中じゃぁな、もう『別れてもいっかなー』な事態になっちまってるんだよ!」
「え・・・・・・・・・え、え、え、・・・えええええええええええええええっっっ?!?!?!」
「そーだよっ、こないだ、あいつ、俺にそう言ったんだ」
「なっなっなっなっなっ」
「何で?って?ふんっ・・・なぁ当麻、おめーよ、今のこの状態、幸せか?」
「そ、それは・・・っ、もちろん、しっ、幸せだ・・・っ」
「ウソこけ、この野郎っ」
「なっ何を根拠に・・・っ、俺は、あいつが傍にいるだけで・・・」
「ばァろウっっ!んなわけねぇだろうがっ!好きな奴と一緒に暮らしてて、付き合い始めて2ヶ月のくせに手も握らず、キスもしねぇ、エッチもしてねーなんて、そんなんで幸せなはずがねぇんだよっ!少なくとも、あいつは、伸は、幸せそうじゃなかった!」
「―――っ!!!」
「・・・あいつも、不安で不安で仕方ねぇんだ。おめーにもう愛されてねぇんじゃねーかって。自分の想いすらも間違いだったんじゃねぇかって」
「そ、そんな・・・っ」
「当麻!わかってんだろ?あいつが、どんだけおめーを大事に思ってくれてっか。おめーもだけど、あいつも、あの野郎も、あれはあれで、ずっとずっとずっと、おめーのことを好きだったんだって」
当麻は肯定の意味も含めて、言葉もなくがっくりと項垂れ、秀の声を受け止めた。
もちろん、伸が“別れ”を考えていると知らされたショックもドデカかったのだが。
なお、秀がどれほどの勢いと声量でこのトークをぶちかましているかなど、そんなことは今の二人には関係ない。
「当麻・・・、なぁ、大丈夫だ。あいつ、ちょっとやそっとのことじゃ、おめーを見捨てたりしねぇよ。そこんとこも、本当はわかってんだろうが?」
しょげた子供のように小さく首を上下させる当麻を可愛いと思う父親な秀。
「ちょっとの勇気だぜ、当麻」
「ちょっと・・・の」
秀の頷きには威厳すらあり、当麻からは輝く後光すら見えた。
「あいつは、おめーのことが大好きだ。ああ見えて、誰よりも何よりもおめーを愛してる。ただ、途轍もねくすんげー天邪鬼だから、その辺もんのすごく分かりづれぇけどよ。けど間違いねぇ、あいつのお前を想う気持ちは、海より深けぇ!この俺様が保証するっ!」
「・・・秀・・・」
「だから、お前の、その積もりに積もった気持ちをよ、あいつにガツーーーン!と、ぶつけてやれっ!」
「が、ガツーン・・・と・・・」
「おうっ!ガツーーーン!と、ズバーーーン!と、バシーーーン!となっ」
「ガツーン、ズバーン、バシーン・・・」
「そうだっ、それでこそ男ってもんだ!あの減らず口の兄貴気取りを、ヒーヒー言わせてやったらいいんだっ」
「ひーひー・・・?」
秀は、顎が胸に着くほど大きく首を上下させた。
「ああ!あいつ、実はおめーに押し倒されるのを望んでやがんだ。この秀様を信じろっ!いいからやっちまえぃ!」
そして、ドーン!と胸を叩いた。
「おめーも、誰かから、どぉんと背中押してほしかったんだろ?な?うんうん、わかるぜ、その気持ちっ」
「秀・・・っ」
当麻も何気に相当酔っ払っているのかもしれない。
こんなとんでもなく無茶苦茶な後押しに、感動し、涙まで浮かべていた。
「なーに、礼はいらねぇ、いいってことよ、俺たち、ダチだろっ!おめー等の幸せが、俺の幸せでもあるんだ。そこんとこ、しっかり肝に銘じておいてくれよな・・・っ」
ちなみに秀も、自分の言葉にも酔って、瞳を潤ませている。
「秀・・・っっ!」
ガッチリと握手を交わす二人。
会話の内容はさておき、このシーンだけを見ると、なんだか昔懐かしい青春ドラマの一幕のようである。
てなわけで、感動的な(?)結末を迎え、周りを見回すと、いつの間にか店内は、当麻と秀の二人だけだった。
この小恥ずかしいどころか、超恥ずかしい話をどの程度の客にどのくらい聞かれたかは分からない。
しかし、少なくとも二人には全てバレたようだった。
そそくさと会計を済ませると、カウンター向こうにいる、ひょろりとした大将が声を掛けてきた。
振り向いて見ると、よく通る声で言った。
「兄ちゃん、がんばんなっ」
全開の笑顔で親指を立てていた。
さらに、女将まで。
レジの中の小銭を勘定する手を休めることなく顔を上げると、ニコリと続けた。
「人生、何事も経験だよ」
当麻と秀は軽く会釈をして、清々しい気持ちで洋々と表に出た。
そよぐ風に、どことなく花の香りを感じた二人である。
通りに出てタクシーをつかまえると、秀は、当麻の肩を叩き、彼を見送った。
夜空には、星座の名前は分からないけれど、複数の星々が煌めいていて。
腕を組み、見上げながら思った。
俺、役者になれっかも。
なんだか自分がどえらいことを成し遂げたような、そんな気分の秀だった。
その後暫く、二人からの連絡は途絶えた。
色々と気になりはしたが、そっと見守ることも必要と、腹を据えて吉報を待つことにした。
そうして、およそひと月が経過したある日、漸く秀は伸に呼び出された。
ウキウキと向かった飲み屋での、その内容は・・・
END
目次にモドル
Topにモドル