通学電車から
俺がそいつと出逢ったのは、電車の中だった。
高校への通学電車。
高1の夏休み中のことだ。

そもそも日本の高校なんぞには通う必要のない頭脳を持つ俺ではあったが、学生生活はそれなりに楽しんでいた。
通う学校は、公立の共学校で、レベル的には中の上といったところ。
進学校ほど大学受験にしゃかりきでもなく、だからといって、トイレのドアがないような学校でもない。
おっとりとした校風が売りだ。

そんな我が校が、勉学以上に力を入れていたのは、部活動だった。
受験期の学生以外の全生徒は何がしかの部活に所属しなければならず、幽霊部員となることは許されない。
その為の環境作り、つまり、体育館や道場、音楽堂、等の設備も、公立のくせに非常に充実していた。
体罰が問題になるようなスパルタではないが、どの部も一生懸命で、全国レベルの成果を残す部も、文化系・体育系問わず、少なくなかった。
この部活動に憧れて入学してくる学生が多いのも頷ける。

ちなみに俺が所属しているのは、弓道部だ。
何故弓道?
と、問われても、実はさほど明確な理由があったわけではないので、答えに窮する。
まぁ、なんとなく日本の古武道に興味があったし、ちょっと恰好良さげで、あまり汗臭そうでもなく・・・ってなところ。
ぶっちゃけ、勧誘会の時の模擬演技をした女子部の先輩が可愛かったから、というのが一番の入部動機だ。

しかし、入部してから気がついた。
あれの道具はかなり邪魔だということに。
弓はでかくて長く、道着も結構嵩張って重い。
そして、可愛い先輩には、ラブラブ彼氏がいた。

最初の頃は、どうして文化系を選ばなかったのだろうかと、正直思った。
だけれど、部員はいい奴ばかりだし、運動神経抜群の俺は、みるみる上達し、夏休みには自主的に居残り練習するほど熱中していた。
ちなみに、我が弓道部のレベルは、というと、個人・団体ともに、中の上だ。

ただ、そんなのめり込んだ俺でも、どうしても慣れなかったのが、朝練だった。
元々超がつくほどの夜型人間で、朝にはめっぽう弱かった。
部活がなかったら、遅刻常習犯で、退学処分を食らっていたかもしれない。
だから、朝の電車の俺は、ほぼ抜け殻も同然。

その日の朝も、夢の中に片足を突っ込んだまま、学校へと向かう電車に乗っていた。
朝練は早い。
しかしながら、通勤客でぎゅうぎゅうになる前の時間帯であるにもかかわらず、座席は程よく埋まっていた。
ただ、立っている乗客はちらほらだ。
俺は、一番前の車輌の、そのまた一番前、運転手の背中が見える隅っこに立ち、大きな荷物は足元に置いて、専用の袋で包んだ弓は立てかけて、うつらうつらしていた。

すると、いつもそんなに揺れてたっけか?と、意識がゆらり浮上した。
そして、あ、と思った瞬間には、俺のデカイ弓は、振動を吸収し増幅させ、傾いていった。

終点手前の、ポイント切り替えだった。

高校の最寄駅は、そのひとつ手前だ。

ヤバイ、乗り越した、と考えるほうが先で、動いたのは手ではなく、目線だけ。

そして・・・



ゴッツ!


「い゛っ!?」


ガランっ
バサッ



一連の流れは、視覚よりも聴覚で認識した。

おそらく、その面は、相当に間抜けていたに違いない。

弓は、俺の目の前を横切り、斜め後ろに向かって倒れ、吊り革につかまって立っていた乗客の脳天を直撃し、床へ転がった。
持ち主の手から落ちた本が、そいつの前に座るバーコードヘアーのおっさん貴重な髪の毛を乱さずに済んだのは不幸中の幸いだった、というべきか。

電車はガタガタいいつつスピードを落とし始めた。

「あ・・・、えと、すいません・・・」

俺は、弓を拾い上げようと、お座なりな謝罪をボソボソと口にしながら、寝起きの足を不規則な揺れにとられつつ屈んだ。

と・・・、

「あれ??」

それは俺の手に収まる前に、ふわりと浮いた。

見やった先には、俺と同い年くらいの男子学生が立っていた。
肩にサブバックを掛け手には本、もう一方の手に俺の弓を持って。

今しがたの、脳天直撃野郎だ。

某有名私立校の夏服を着ている。
俺だったら、気をつけろよコノヤロー!と怒りをぶつけるところだ。
だから当然そうくると思い、相手を上目使いに軽く睨みつけ、身構えた。

ところが、だ。

そいつは俺の想像とは真逆のことをぬかしやがった。

「荷物、大変だね。・・・練習、がんばってね」

「・・・・・・・・・」

そうして、唖然と見やる俺に弓を押し付けると、春の日差しみたいに柔らかな笑顔とほのかに甘い香りを残し、あっという間に他の乗客に紛れて改札の向こうへと消えた。
本には、いかにも高級そうな革張りのカバーがしてあった。

「・・・ちっ、いいとこのボンボンが・・・っ」

明らかな僻みだった。

しかも、自分が加害者であるにも関わらず、相手が可愛い女子高生でなかったことに、なんとも理不尽な怒りすら覚えていた。



俺は人波の一番後ろから降りて、慌ててホームの向かいに止まっている折り返しの電車に乗り換えた。

一息つくと、なんとなしに、さっきの奴のことが浮かんできた。


あいつ・・・

この時間の電車に乗ってたってことは、やっぱり何か部活の朝練なのだろうか。
いやでも、その割には荷物は大きくはなかったよな。
荷物の少ない体育系っていうと・・・、他の部のことはよくわからんが、バレー、バスケ、水泳あたりか?
うーん・・・、違うな。
体は細めだったし、背もそんなに高くない。俺より低かった。
それに肩幅も広くない。
あ、卓球ってこともあるか。ふんふんふん。
じゃあ、体育系じゃなくて、文化系だとしたら?
まぁ、確かにそのほうがあの雰囲気には合ってる気がするな。
しかし、文化系で、こんなに早く登校しなきゃならない部って、何だ?
・・・園芸部で、花壇やら菜園に水遣りとか?
いやいや、だったらもっと日に焼けてるだろう。
日焼け止めを塗ってたって、あんな白いままでいられるはずがない。
うーん・・・と、なると・・・。
あ、そうか!
部活じゃなくて、補講だ!
あいつ、きっと、あの学校の落ちこぼれなんだ!
なーんだ、へー、ざまあみろっ。

と、思ったところで、またもや自分が降りるはずの駅を、とっくのとうに通り過ぎていた事に気がづいた。

あいつの呪いかと、腹の内で再び悪態を吐いた。



翌朝

電車に乗り込んだ俺の頭は、これまでになく冴えていた。
前日、顧問にこってりしぼられたせいもあるが・・・。

いた・・・!

別に、意識して探したわけじゃないが、すぐにわかった。

あいつは今朝も同じ車内にいた。
俺よりも前の駅から乗ってきているのだ。
昨日と同じ場所を占拠した俺に対して、今日は、ドアを挟んで吊り革3個分ほどの向こうに立っている。
昨日と同じカバーの本を手に。

いかにもお勉強できます、ってな風に気取ってやがるが、今日も補講か。
いったいどんだけ赤点とったんだ。

しかし・・・、こっから見ても、睫毛の長いことがわかる。
あれだけフサフサだと、伏した瞳に影を作るほどだろう。
それに髪の色が随分と薄い。
まだ低い位置にある太陽の光を窓越しに受けて、空気との境界線では金色に見える。
まさか、あの名門校で、脱色やら染めてる、なんてことはないだろうから・・・、てことは、天然であの色なのか。

ふーん。

じゃあ、ゆるくウェーブがかかっているのも天然なんだな。
いかにも柔らかそうだ。

自分の指先が、無意識にピクリと震えた。
俺はビックリして、その手を振り、指先で、自分のツンツンな前髪のひと房を摘まんで引っ張った。
口先が尖る。

ふんっ、どうせ性格も、あのほにゃほにゃの髪の毛同様、軟弱に違いない。

明らかに、やっかみだった。


この日の俺は、かろうじて、昨日ほどにはマヌケじゃなかった。

閉まりかけのドアから転げるように降り出たホームで、荷物を抱え直した。
そして、顔を上げたところで、動き出した電車の中のあいつと視線が合った。

そいつは、昨日と同じ微笑を浮かべた。

見るだけで、ふわり、と体が軽くなる。
俺はその感覚に戸惑い立ち尽くし、電車を見送った。

急に顔がカーっとなったのは、この真夏の暑さのせいだ。



この日からだ。
そいつの、あの、ちょっとはにかんだような笑みが、頭にこびり付いて離れなくなったのは。

俺は、自分が信じられなかった。

あんなこと(俺の弓が倒れてあいつにぶつかった)がなけりゃ、一生気づきもしなかった相手なのに。
今では毎朝電車に乗る度に、そいつの姿を探してしまう自分がいるのだ。
そして、いれば必ず一度は目が合う。
目が合うと、あいつは微笑み、俺はそっぽを向く。
で、続いていつも後悔する。

挨拶くらいしてやってもよかったのに、と。



「おー、どうした羽柴、夏バテか?」

確かに、バテバテだった。
元々夏に強いほうではなかったが、寝不足が祟ったのか、いまだ嘗てないほどに集中力が続かない、続かないどころか、ほぼない。
腹の出た顧問の言うとおりだ。

そしてその原因は・・・

「お?なんだ、もしかしてお前、恋の悩みか?」

「−−−−−っっ?!?!ななななななななっっ」

なんだこのザビエル!
突然何言い出しやがるっっ!

コイ?
恋だって?!
なんだよ突然!

そんなバカな・・・っ
バカなこと・・・が
・・・バカな・・・っ

だって、あいつは−−−

あいつ?

え?

・・・・・・・・・っっ!?!?!?

「おーっ、さては図星だな〜?そーかそーか!いやぁ、お前もちゃんとお年頃の男子だったんだな〜。うん!先生は安心した。よしわかった!じゃあ、超絶美人のカミさんをGETした人生の先輩としてだな、相談に・・・」

「するかっ!!」


ザビ男と、その他部員たちの笑いと喧騒を背中に浴びながら、俺は、弓を握ったまま飛び出した。


なんだよっ!何言ってんだよっ!
勘弁してくれよっ!!


恋ってなんだっ、誰にするってんだっ、・・・誰に?
違う違う違うっ!
ちょっと気になってるだけだ、でもって、気に入らないだけだ!
消えろ消えろ消えろっ!!


そっからは、頭に浮かぶ映像を必死で塗りつぶしながら、砂埃のついた運動靴を睨みながらずんずん歩いた。
自分がどこに向かっているのか、さっぱりわからないままに。

すると急に、また人声がするとともに、うっすらと音楽も聞こえてきた。
立ち止まり面を上げるとそこは、第一体育館と第二体育館の間だった。
道場からは第二運動場(俺たちはミニ校庭と呼んでいる)と、テニスコート2面を過ぎたところにある建物だ。

やや小ぶりな第二体育館は冷房完備且つ防音設備付の2階建てで、大概はダンス部と日舞部が使用している。
やたら激しい洋楽しか聞こえないということは、今日は日舞のほうは休みなのだろう。
一方、全校集会も開ける第一のほうからは、ダンダンと重いボールの弾む音と、男女のパスを要求する声や、指示を飛ばす声がするなか、それに混じって女子だけの黄色い声援も聞こえてくる。

まったくもって五月蝿い。
俺たちの練習場ではありえない。
インターハイに出られない部は、存在すらも忘れられることがあるらしいというのは本当だった。

二つの建物の間からは、大校庭で我が校の二大花形部が練習しているのが見える。
トラックの外でバインダーを持って、何かを叫んでいるのは、たぶん陸上部のほうの女子マネだ。
彼女たちの足元に、山のように転がっているのは、熱中症予防ための水筒。
明るい太陽の下で、苦しいながらも目標に向かい、青春を謳歌している、まさに絵にかいたような光景。

もちろん、俺だって部活を頑張ってはいるが、少しばかり悔しい気持ちがした。



その時だった。



第一体育館の中から、ひと際大きな歓声があがった。
いや、歓声というより悲鳴だ。
野郎共のどよめきも小さくない。
ボールをつく音は消え、一瞬息を呑む空気が濃くなったのがわかり、静かになって、足音が響いた。
バレー部のコーチが、自分たちは練習を続けることを告げた。

こりゃ、バスケ部のほうが、なんか事故ったんだな。

途端に、少し意地の悪い興味がわいた俺は、そそくさと側面入り口に向かい、中を窺った。


思ったとおり、1面コートのゴール下辺りに人が集まっていた。
他のコートの連中も練習を中断し、外野も心配そうに固唾を呑んで見守っている。
ジャージやユニフォームではなく、制服姿の奴もいる。

そこで俺は漸く気づいた。
どうやら他の学校と、練習試合か合同練習でもしていたらしい。
俺の高校のユニフォームは青だが、その中に違う色、水色のユニフォームを着た連中がいた。

そうこうしているうちに、蕾のように固まっていた輪が広がった。
そして、中から顧問と思しき瀬の高いジャージにTシャツ姿の男が二人立ち上がり、改めて下に向かって話しかけている。
と、その内側から二人の生徒が現れた。
うちの生徒と、他校の生徒。
青いウェアの生徒のほうがよろけている。
おそらく、試合中にぶつかって、怪我をしたか、脳震盪でもおこしたのだろう。
顧問の一人が、コート外に声を掛けてうちの生徒を一人呼び寄せた。
怪我人を挟み二人抱えで、体育館を出て行くと、顧問の掛け声と笛の音を合図に、試合(練習?)は再開された。

俺が立っていたのは、体育館横の出入り口で、今、怪我人たちが出て行ったのは、正面口だ。
陸上部やサッカー部が使用している校庭を突っ切るわけにいかず、彼らは右回りに校舎へ向かった。
その時、俺が立つ第一と第二の間の前も通り過ぎた。
距離にしておよそ10mほど。
保健室のあるほうへゆっくり歩いていく3人。

俺の心臓は、さっき道場を飛び出た時よりもドキドキしていた。

水色のユニフォームを着た奴は小柄で、背の高い青い二人の向こう側にいて、はっきり見ることはできなかった。
白い腕と、茶色の柔らかそうな髪がちらと見えたに過ぎない。

もう一度、体育館内を見た。
今度は目を眇め、動く水色のユニフォームを追う。
そして、書かれているアルファベットを読んだ。

まさか、だよ、な・・・?

そんな都合よく・・・


え?


都合・・・『よく』?


・・・『いい』のか?


いやいやいやっ


なに考えてんだよ俺!


あの3人(正確にはそのうちの1人だが)を追い駆けて確かめたいという衝動と、そんなことして何になると、冷静にツッコミを入れる自分がいる。

いったい俺は、何を期待して、何を恐れているんだ?

もう一度頭を巡らすと、校庭を迂回した青い粒が、校舎の中へ吸い込まれるように入ってゆくのが見えた。

俺はどうしたらいいんだ?
なんでこんなに動揺してんだ?

道場へ戻る気にもならず、かといってやはり、足が保健室のある校舎へ向くこともなく。
俺は途方に暮れた。
十数年生きてきた中で、初めての経験だった。
耳の奥が痛い。

5分か30分か、それとも1分か。

太陽はまだ垂直の位置にはきていないが、それでもぐんぐん上がる気温に、朦朧となって、汗が滴り落ち、逆に覚醒した。

「アッホだな俺・・・、なにやってんだか・・・・・・。帰る、か・・・」

涼しい部屋に篭って今開発中のプログラムに没頭すれば、こんな混乱はきっと治まる。


ここ数日の、無駄に終わった努力のことは忘れていた。
体育館前の水場へ移動し、横に弓を立てかけて、ぬるい水を頭からかぶった。

目を開けて、不規則に変形しながら落ちてゆく流れを追う。
キラキラと煌めくそれは、青い空と白い雲を取り込んで掻き混ぜたみたいで。

徐々に気分が晴れてきた。

後頭部にあたる水が冷たくなってきて、俺は手探りで蛇口を捻り、目をと閉じて天を向いた。

瞼の裏が眩しさでジンジンする。

なんて気持ちがいい!

青く高い空の下、つい先ほどまでの鬱屈とした気分はもうない。

俺は大きく伸びをした。

それから両手を膝につき、風呂上がりの犬を真似た。



「ぅわぁっ!」

「え?・・・あ、わる・・・、−−−ぁっ」

「あ・・・」

「あ・・・、きみ・・・」

「あんた・・・」



「「電車の・・・」」



どうなる!?
俺の高校生活!
どうなる!?
俺の青春!



 

END


目次にモドル
リビングにモドル