ある日、水のほとりで彼を見た。
何をするわけでもなく、また、何を見ている風でもなかった。
ただぼんやりとそこに在る、といった態で、岸辺の草むらに座っていた。
そして俺は、何故かその姿にひどく打たれた。
胸の締め付けられるような想い、というものを、初めて知った瞬間が、あの時だった。
とにかく、あんなに無防備な彼を、俺は見たことがなかった。
そんな彼がいることすら、想像すらしたことがなかったのだ。
しかし、その時間はすぐに失われてしまった。
俺の登場にそよいだ風が、水面を揺らしたのだ。
振り向いた彼の表情は、めまぐるしく変化した。
静けさ
驚き
狼狽
羞恥
怒り
諦め
苦笑
俺の脳は、その全てを瞬時に焼き付けた。
途端、一陣の風が舞い、瞬く間に空に暗い雲が立ち込めた。
そうして、最初の一粒が地面に落ちるや否や、辺りは水のカーテンに覆われた。
するとほどなく、その向こう側から、白い腕が伸びてきて、俺を掴み、
ずぶ濡れの俺たちは生い茂る木々の下へと駆け込んだ。
上がった息は、轟く雷鳴と滝の如く降りしきる雨音にかき消され、逆にまるで
無音の世界にいるような錯覚に陥った。
彼の手は細く、冷たかった。
END
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