よ ろ し く

「よろしくな!」


9月、残暑厳しい2学期最初の日。
転校生は、そう言って、しょっぱなからやたらフレンドリーに握手を求めてきた。


ああ、こういうところもやっぱり違うんだな、と僕は何気に思った。
日本人の転校生なら、よろしく、とは言っても握手なんか求めてこない。
軽い会釈程度で終わるだろう。


ふん・・・、異文化交流ね。


転校生か。
いや、正確には、彼は交換留学生だ。
だから僅か半年後には母国に帰る。


たったの半年で、どんだけのことが分かるっていうんだろう。

別に、分かるため・・・ってことでもないのか。


ほらね?日本ていい国でしょ?

だから母国に帰っても、どうかこの国の悪口は言わないでね?


そんな下心まる見えの交換留学。



ま、どうでもいいけどさ。



半年ぐらいなら、いい顔だけ見せて終えることも簡単だ。



けっ!



思わず鼻で笑い飛ばしそうになって、僕は慌てて、ニコリと笑顔を作り、こちらこそ、と、差し出された手を握り返した。



随分とガッチリした手だった。



こんな時、貧乏くじを引くのは大概クラス委員なんかやってる人間だ。

普段何事もそつなく、八方美人でやってることが裏目に出る典型。
自分がそうしてきているのだから、仕方ないっちゃあ仕方ないんだけど・・・。


あーあ、面倒くさいったら。



僕の腹の中は、いつでも顔と反対のことを考えてる。

ほんの少し前まではそんな自分が嫌いだったけれど、最近は、それこそが“僕”という人間なんだと開き直り始めていた。




「こっちが化学室。で、そこの階段上がって2階は職員室、あっちからも回れるけど、って、それはもう知ってるよね。それから、その上の3階が音楽室、同じ階の反対の端っこが美術室で・・・」

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待った!」
「・・・何?」
「いや・・・あの、あはは・・・あー、俺さ、頭悪ぃからよ、いきなりいっぺんには、無理だ」
「ああ・・・そう、そうだね。ごめんね。けど別に構わないんじゃない?それとも教室に戻って皆の質問攻めにあう?逃げたいって言ったの君だよ?」
「う・・・そ、そうだよな・・・」
「いいんだよ別に。僕だって、いきなり全部覚えてもらいたくて案内してるわけじゃないからさ」
「そ・・・そうか?悪いな俺のために・・・」
「別に悪くないって。」


だってお前のためなんかじゃない。

隣の席が五月蝿いのがウザイんだよ。
逃げたいのは僕のほうだったのさ。
それに、僕が親切だってアピールにもなるだろ。


そんな腹黒いことを考えながら、10分の休み時間にできるだけの場所を案内した。



「あ、そろそろ次の授業だ。教室に戻ろうか」

「おうっ」


次の休み時間は、他のクラスの友人のところに避難しようかな・・・。

でもそれじゃ、あからさま過ぎるか。
あーあ、面倒だなぁ。




転校生・・・もとい、交換留学生『秀 麗黄』の日本語は完璧すぎるほどに完璧だった。

実は、今は台湾で暮らす両親も、元々は横浜育ちだそうで、中国語よりも日本語のほうが母国語と言っていいほどに堪能なのだそうだ。
ちなみに祖父母も、日本語が上手いらしい。
そんなわけで、秀 麗黄は、瞬く間にクラスに溶け込んでいった。
開けっぴろげで、真っ直ぐな性格も、すぐに受け入れられた要因だろう。


結局、次の休み時間も、その次の休み時間も、昼休みも、僕は逃げずに彼に付き合った。

というか、人が好すぎて逃げられなかった。


“刷り込み”とでもいうんだろうか。

最初に親切にしてあげたからか、彼は殊更僕に懐いた。
もちろん、他の奴とも楽しくやっているんだけれど、そういう場合でも、必ず僕に声を掛けてくる。
そして僕は、内心ではウザイなぁ、面倒だなぁ、と思いつつも、そういう誘いを断れない性格だった。


秀が転入してきて約ひと月。



彼がすごくいい奴であることは間違いないけれど、それでもいい顔し続けるのは、思っていた以上にストレスで。

そろそろまたガス抜きが必要になってきた。


“ガス抜き”とは、つまり、サボることだ。



学校にいて、どうにも息が詰まってにっちもさっちもいかなくなると、僕は、仮病を使って保健室に避難した。

ちなみに、僕の仮病が保健医以外にバレたことはない。
見てくれが秀のように頑丈そうでないのは非常に便利だ。
こういう時だけは、昔から女子に間違われることの多かったこの容姿も、有難いもんだと親に感謝した。


うちの学校にいる保健医は、僕の知り合いだった。

産まれたときから近所に住む、兄ちゃんみたいな奴。
唯一僕が、毒を吐ける相手でもある。




「・・・秀くん・・・」

「あ?なんだ、どうした?」
「ごめん、ちょっと気分が悪いんだ。保健室で休んでくるから、先生に言っておいてもらっていいかな?」
「えっ?!だ、大丈夫か?そういや、顔色良くないな。俺、着いてかなくてヘーキかっ?」
「うん、大丈夫。たまにあることだし、一人で行ける。じゃ、よろしくね」
「お・・・おうっ!気をつけてな!無理すんな!」


ぷーーーっ・・・ちょろいちょろい


『顔色良くないな』?

ふんっ、悪かったね。普段からあんまりいいほうじゃないんだよ。


他の生徒が、チャイムの音に慌てて教室に入っていくのを逆流し、いかにも気分が悪そうな様を装い、保健室に向かった。



「すみません。ちょっと気分が悪いので寝かせてください」



他の生徒がいる可能性もあるから、ここもきっちり演技を忘れない。



幸い、他の生徒もおらず、保健医も、どこかに行っているようで、いつも座っている丸椅子は主人不在だった。

ここの保健医は、退屈すると、ふらふらとどこかへ姿をくらますという、悪癖があった。
しかし、不思議なことに、それを咎められたことは一度もないらしい。
もしかしたら、教師全員の閻魔帳でも握っているのかも。


そんなことはさておき、僕はこれ幸いと、ベッドへ潜り込んだ。



どれ程の時間が経ったか、浮き上がるように意識が戻りかけて、時間を確認しようとした瞬間、ガラリと、保健室の扉の動く音がした。

一瞬、ドキリとしたものの、その後に続く、サンダルを少し引きずった足音に、僕は詰めた息をほっと吐き出した。
締まっているカーテンに、誰かがいることに気づいた保健医は、そっと白い布を繰り覗きこんで、僕と目を合わせた。


「お?あー・・・なんだ、伸か」

「・・・学校では、苗字で呼んでください。先生。それに、気分が悪くて休んでいる生徒に『なんだ』はないと思います」
「うるへぇーなぁーお前。細かいこと気にすんなよ。しかも、お前が悪いのは、“気分”じゃなくて、“機嫌”だろ?」


そう言って、さも自分が上手いことを言ったといわんばかりに上機嫌な笑いを溢しながら、壁際に立てかけてある折りたたみ椅子を広げて座った。



「別に面白くもなんともないです」

「お前ほんと、感じ悪い奴になっちまったな。昔はお兄ちゃぁんお兄ちゃぁんつって、いっつも金魚のクソみたいに後ろくっついてきたのになー」
「クソじゃなくて、フンでしょ・・・。ていうか、毎回その話しすんのやめてくれませんか?」
「やぁーだよぉう、やめなぁ〜い」
「・・・勝手に言ってろ」


こいつはたまに、僕が昔みたく、ため口で親しく話しだすまで、こんな風にして開放してくれないことがある。

困ったもんだ。


僕は、無視を決めて、再びタオルケットを頭から被りなおした。



「そういや、お前んとこ、留学生が来たんだって?」

「だあっもう!っんとに五月蝿いなあ!寝かせろよっ」


相手にはさほどの効果は齎さないとわかっていつつ、潜ったまま苛立ちをぶつけた。



「なーに、偉そうなことぬかしてんだよ。どうせサボリだろうが」

「ああそうだよ。だから、ちゃんとサボらせてくれって言ってんのっ」
「なんだぁお前、先生に向かってその言い方はないだろう」
「・・・」


この矛盾ぷりも、昔からだ。

それでこれまでどんだけ振り回されてきたことか・・・。


しかし、保健医は、話をやめるつもりはないらしい。



「なーるほどなぁ〜、そういうことか。ふんふんふん」



「・・・なに、一人で納得してんだよ」

タオルケットを目元まで下ろして睨むと、奴は腕を組んで頷いていた。


「お前、あれだろ。その転入生に懐かれて、その相手すんのに疲れたんだろう?」

「・・・っ・・・別に、そんなじゃないよ」
「はっはぁー、そうなんだな」


もう一つ、こいつのヤなのは、気づいてほしくないことにだけ、やたら鼻が利くところだ。



「だったらどうだっていうんだよ。関係ないだろっ」

「んなことあるか、俺は保健医だぞ?生徒の悩みを聞いてやるのも仕事のひとつだ」
「別に悩んでるわけじゃないもん。余計なお世話だってーの」
「んだよお前、そんな生意気なことばっか言ってっと、おっぽり出すぞ、うらーっ」


とても“先生”とは思えない。

それにしても今日はまた一段と絡んでくるな、彼女にでも振られたか?
そんなことを思っていたら・・・


いきなり、被っていたタオルケットを剥がしにかかってきた。



「あああっ、なんだよーーーっ!やめろよっ、このやろっ、うううううっっ」

僕は、放すまいと必死にしがみついた。
しかし、体格・体力の差は歴然だった。
昔はひょろ〜としてるだけの痩せっぽちだったくせに!


「わはははははーーー!どうだ参ったかー」

「『参ったかー』じゃねーよっ、ばっかじゃないの!ばっかじゃないの!ばっかじゃないの!返せったら!」
「なんだとぉ?バーカはお前だっ、これは学校の共用品で、貴様の物じゃない。だから、返す必要などないのだっ」
「んなこたぁ知ってるよっ!」


その時、



「あのー・・・」



えらい近くから第3者の声がした。



「「!!!!」」



保健医と僕は、まさに飛び上がり、直後、時を止めた。



カーテンを捲って、こちらを見ていたのは、件の転入生、秀麗黄だった。



「あ・・・、あーーー・・・、どうした?どっか、怪我でもしたか?」



保健医は、僕よりも先に現実に戻って彼に声を掛けた。

一方僕は固まったまま。
これまで必死に(でもないけど)、優等生を装ってきたのに、こんなとこで、こんなアホな場面を見られて、どうしたらいいのか、頭の中は真っ白だった。


「え?あ、いえ、違くて・・・、その・・・もう昼だから、毛利くんの具合、どうかと思って来たんすけど・・・けど・・・その、えっと、だから・・・」



後の言葉が続かないのはよくわかる。

そりゃそうだ。
だって、『気分が悪い』と言っていなくなったのに、僅か一時間でこの回復っぷりは、どう考えても不自然すぎる。


この学校に入学してこの方、一度も疑われたことすらない僕の仮病が、バレた瞬間だった。



しかも、保健医とわけのわからないタオルケット争奪戦を繰り広げていたのだから、これがどういう状況なのか、なおのこと彼には理解不能だろう。



なんとも気まずい空気が流れ続け・・・。



「えっと・・・、毛利くん、元気そうだし・・・、あの、俺、教室戻ります」

「あっ!え、ちょ、ちょっと待って!ぼっ、僕も一緒に戻るよっ」


「あ、そう?じゃあ、気をつけてな〜」



慌てて上履きをつっかけながら、多分に笑いを含んだ声を背中に投げかけてきた主をひと睨みして、先に出て行った彼の後を追った。



「しゅっ、秀くん、あのっ、これはっ、その・・・っ」

「安心しろよ、別に、誰にも言わねえ」
「えっ?」
「誰だってサボりたくなる時はあるからな」
「え、あのっ、でも・・・」
「つか、俺なんか、毎授業サボりたくてサボりたくて仕方ねえもん。でもよ、俺ってどう見ても健康・元気そのものだろ?仮病とか上手く誤魔化せたためしがねえんだよなー。あああー、いいなぁー、羨ましいぜっ」
「へ?」
「だから、別にチクったりしねえ。安心しろ!な?」


秀は、屈託のない笑顔で、そうのたまった。



「あ・・・ど、どうも、ありがとう」



この瞬間、今まで僕の中に張り巡らせていた壁の一角がポロリと崩れた、そんな気がした。



「それよか、いつも真面目で静かな毛利くんがさ、さっきはなんか別人みたいで、そっちのほうがビックリだったぜ」

「あー・・・あはは・・・、あーあれね・・・。実はあの保健医、僕の幼馴染みなんだ。他の人は知らないけどね」
「えっ!そうなのか?!へーーーっ!そんなことあるんだなー。そーか、だからかぁ」
「あ、ちなみにこのことも・・・」
「おっけーおっけー!わかってるって」


親指を立て、片目を瞑る仕草が意外と様になっていて、僕は苦笑した。



「悪いね」

「いいって、いいって!あ、でも・・・」
「ん?でも?」
「ひとつ、口止め料貰ってもいいか?」
「口止め料?・・・つか、よくそんな言葉知ってるね・・・」
「まーまー、そこんとこは置いといて。な?いいか?」
「もちろん、いいよ?」
「じゃ、遠慮なく!実は・・・ダチのこと“くん”付けで呼ぶの、俺、すっげ嫌なんだよな。お前とはこれからも仲良くやってきたいし、堅苦しいのは面倒だから、これからは“毛利”か“伸”て、呼び捨てしてもいいか?」
「え?あ、うん、いいけど・・・えっと・・・そんだけでいいの?」
「あ、あと、俺のことも“くん”付けで呼ぶのやめてくれ!なんだかこのへんがモゾモゾ痒くなってきちまう。“秀”か“麗黄”て、呼んでくれ!」
「おっけ・・・いいよ、わかった。で、そんだけ?」


脇裏の辺りを掻く、滑稽な姿が可笑しくて、思わず笑ってしまった。



「おう!そんだけだ!やったー!!じゃ、改めて、これからも、よろしくなっ、伸!」

「うん、よろしく、秀」


こんな経緯で、秀は僕を名前の呼び捨て、僕は彼を苗字の呼んでいくことになった。

そして、こんなことを境に、秀と僕は、一歩近づいた。


秀は、3ヶ月もしないうちに、クラスのほとんどの奴等と呼び捨てで呼び合う仲になった。



それでも、たぶん、一番親しいのは僕だろう。

彼がホームステイしている家は、僕の家から3ブロック先の、中華屋の隣だ。
必然、帰る方向も同じになる。
それぞれ所属する部活も違うし、毎日ではないけれど、時間が合えば一緒に帰った。
ちなみ秀の実家も料理店を営んでいるそうだ。
それに、今時の日本ではめったに聞かないほどの大家族らしい。
祖父母・両親と暮らしている以外にも、秀を筆頭にその兄弟は、なんと8人!
きれいにほぼ二つ飛びの年齢差で。
秀家の話しは、ネタに事欠かない。
次から次へと面白可笑しい話が飛び出てきて、僕の通学は、これまでになく楽しい時間になった。




ところがある日、僕はその帰り道で、ちょっとしたトラブルに巻き込まれた。



その日、秀も僕も部活は休みだったのだけれど、声を掛けたら、ちょっと他のダチと遊んで帰る、とのことで、僕は一人で帰ることにした。



学校から10分の最寄駅まで歩いている途中だった。

この辺では見かけない制服の4人組がいかにも“不良です”と言わんばかりの態で、ゆっくりとこちらに向かってきた。


実は僕には、その面子に思い当たる節があった。



そこで、面倒にならないよう、いつもの通学路を逸れて、手前の路地を曲がった。

内心、まだ彼らがこちらに気づいていないことを祈りつつ。


だけど、こういった時には、逃げを打って、その希望通りにいくなんてことは、ほぼないに等しい。

まぁ、それじゃあ、ドラマもつまらないしな・・・。
まるで他人事のようにそう考えて、おっと、これはドラマなんかじゃないんだったと、独りごちた。


奴等はこちらの動きに気づいて、自分達も路地に入ると、先回りして、僕の目の前に現れた。



粗方予想はしていたので、別に驚きもしなかった。

さーて、こっからどうしようかなぁ。


「おう、てめえが千石高校の毛利か?」



んなのこっちの制服見りゃあわかるだろうし、そもそもその学校に向かって歩いてきてたんだから、反対方向から来るのは、普通そこの学生しかいないじゃないか。

学校指定のサブバッグには、ご丁寧に名前の刺繍も入っているから、確認するまでもなく、僕の正体はわかっているのだ。


あえて返事するのもバカバカしい。

僕に逃げられないよう、路地を走ってきたのか、やや息切れしてるとこが、また笑える。
危うく吹き出しそうになって、慌てて口をつぐんだ。


「なに、シカトぶっこいてんだよ!」



ダボダボのずり落ちたズボンに、明らかに校則違反であろうパーマをかけた奴やら、色とりどりの髪の毛。

はあ・・・、いやはやなんとも典型的で一般的な不良の見本だな、こりゃ。


そう思った途端、僕はとうとう堪えきれなくなり、ふぐっ、と、うっかり鼻から笑いが漏れてしまった。



「・・・っ!」

「ってっめえ!」
「何、笑ってやがんだっっ」
「ざっけんじゃねえっ!!」


やば・・・火に油注いじゃった・・・。



奴等は、もう我慢ならない!とばかりに、勉強道具なんて一切入っていないペタンコの鞄を放り投げると、一斉に飛び掛ってきた。



あああ〜、面倒臭いなー・・・。



と、思いつつ1人目の伸びてきた腕を避けた。





瞬間





「っうっりゃあああああああああっっ!」





はい?





黒い弾丸が猛スピードで、目の前を駆け抜けていき、僕が唖然としてる間に、次々と不良共をなぎ倒していった。



「伸っ!逃げろっっ」



そして、ぐいっと、僕の二の腕を掴むと、路地を抜け、駅に向かって、今度は猛ダッシュした。



滑り込みセーフで、ホームにいた電車に飛び乗って、僕らはやっと足を止めた。

やっとのことで息が整ったのは、3駅ほど進んでからだった。


「は・・・っ、びっくりしたぁ・・・、秀、遊びに行くんじゃなかったっけ?」

「や・・・、そのつもりだったんだけどよ、財布、忘れてきてたの忘れてて、んで、やめてさ、お前の後追ったんだ」
「ああ、そうか・・・、昼も貸したもんな」
「したら、なんかいつもと違うとこで曲がってくのが見えて・・・」


僕らは、4つ目の駅で降りて、近所の土手に向かい、一休みして帰宅することにした。



もう大分日は暮れかかっていたけれど、街灯もあるし、犬を連れて散歩する人やジョギングする人がまだ沢山いる。

川を見渡せるベンチに並んで腰かけた。
北風が頬を打つけれど、さほど強くもなく、寒くは感じなかった。


「ところでお前、なんで、あんなのに絡まれてたんだ?」



秀は、途中の自販機で買ったホットミルクティーのペットボトルを一口飲んで、至極当然の質問をしてきた。



「あー、あれね・・・」



僕はかいつまんで説明をした。

あの四人組のうちの1人の弟が同学年にいること。
理由は忘れたけど、なんだかんだといちゃもんをつけられて、喧嘩を吹っ掛けられたこと。
それを返り討ちにしたこと。
そしたらどうやら逆恨みされて、で、今日の出来事に至ったのだと。


「なんか、くっだらないことだったと思うんだけどねー。高校生にもなって兄貴に仕返し頼むとか、マジ、餓鬼だよなぁ」

「・・・・・・・・・・・・」
「?あれ?どうした?」
「いや・・・、ちょっと気になったとこが・・・」
「は?どこ?」
「喧嘩吹っ掛けられて・・・、お前、“返り討ち”にしたのか?」
「あー・・・いや・・・、うーん・・・そこのところは、正確に言うと、違うかな」
「どういうことだ?」
「僕、小さい頃から護身術習っててさ、それを使っただけなんだ」
「護身術?」
「そ、例えば、手貸して」
「あ?こうか?」
「そ、でね・・・」
「あだだだだだだーーーーーっっ」
「こんな感じ」
「ででででででっ、はっ、はなっ・・・っ」
「あ、ごめんごめん」
「どぅえ〜〜〜っ、ってぇ〜〜〜・・・、これを、やったのか?」
「ま、もちょっと違うやつだけど、これはあくまでも自己防衛だから」
「す・・・すげーなぁーーー・・・!」
「覚えれば誰でもできるよ」
「・・・じゃさ、もしかして、俺が助けたのって、余計なお世話だったか?」
「えっ?いやいや、そんなことないって、めっちゃ助かったよ!」
「ほ〜んとかぁ〜?」
「ほんとほんと!そういえば、秀は?秀のあれは、空手?太極拳?」
「ああ!あれは、じいちゃん直伝の喧嘩拳法だ!たぶん色んなのが混じってんじゃねー?」
「へえ〜!それにしても、ほんと強いね。あんまりすごくて、見とれちゃったよ」
「わははははは!そーかそーか!俺様に見惚れたか!うんうんうん」


威張って腰にあてようとした肘が、ごいん!横っ腹にぶつかってきて、反動で、僕の缶コーヒーが手の上に零れた。



「わぁっあっちち!ちょっと、何すんだよもーーーっっ」

「あははははは!悪りい悪りい」
「っとに、秀ってガサツなんだから!それに、“見惚れた”んじゃなくて、“見とれた”んだからね!君の喧嘩拳法とやらにっ」
「ふーん・・・へいへい、んじゃ、そゆことにしといてやらあ」
「そゆことに・・・って・・・意味わかんないよ・・・」
「ふふふっ・・・でへっでへへっ」
「なっ・・・なに、嬉しそうに笑ってんだよ・・・気持ち悪いなぁ」
「いやあ、なんか、これでまた伸と仲良くなれたと思ってさ」
「はあ?」
「お前ってさ、あれだよな」
「あれ?」
「・・・えっと・・・ほら、なんだ、あ、そうそう!『虎をかぶった狐』!」
「『虎をかぶった狐』ぇ〜??なにそれ、中国のことわざ?」
「へ?日本のだろう?」
「秀・・・それを言うなら『虎の威を借る狐』もしくは『猫かぶり』だよ・・・」
「え!そうだったけか?おかしーなー」
「つか、どっちみちあんまりいい意味では使わないけどね」
「えっと、えっと、じゃあ、あれだ!『脳ある豚は木を隠す』!」
「秀・・・それは、『脳ある鷹は爪を隠す』と『豚も煽てりゃ木に登る』がゴッチャになってる。つか、君よくそれで留学生になれたね・・・」
「う・・・っ、でっ、でもよっ、とにかくだ!俺は、お前が案外おもしれえ奴だって言いたかったんだ!」
「なんだよそれ〜」
「だってよ、普段のお前って、どっちかてぇと、ただのいい子ちゃんだろ?だけど、どっこい、ほんとは口も悪けりゃ、喧嘩もやる。そんなお前知ってる奴、うちの学校で、他にどんだけいるんだ?」
「あー・・・まー、君以外には、あの保健医くらいかなぁ」
「だろう?て、ことは、俺は、お前の特別なダチってことだ!」
「特・・・って・・・ぷっ!なるほどね。おっけー、わかった。どーぞ、特別でも、格別でも、どーでも好きに思っててよ」


憎まれ口を叩きながらも、僕の中に残っていた秀に対する壁が、今はもうすっかりなくなっていることに気がづいた。

彼の前では、口の悪い僕も普通にでてくるし、ひねくれた僕も隠せない。
そしてそんな自分を曝け出すことにも、全く抵抗を感じなくなっていた。
これまでこんなに肩の力を抜いて付き合える友達っていただろうか。


そう思うと、確かに、彼は、僕にとっての『特別』なのかもしれない。



『縁は異なもの味なもの』・・・っていうと、男女の仲だからちょっと違うけど、そうどっちかというと、『縁は奇なものおつなもの』ってとこかな。



なにかっちゃー絡んで、揚げ足とって、秀にどつかれ怒られて、くだらないことで二人して笑い転げる。

秀といると、白黒だった景色が、総天然色になったように感じるほどに楽しかった。


ところが、他の奴等の前でも変わったかというと、そうではないからこれまた不思議。

裏表を使い分けてるってつもりもない。
長年染み付いた習慣というか、癖は、そうそう簡単に抜けるものではないらしい。


とにかく、最初、僕に懐いてきてたのは秀のほうなのに、彼の帰国が近づくにつれ、より傍にいたがったのは、むしろ僕のほうだった。



秀の帰国が一週間後に迫り、そのことを考えたら、鼻の奥がツンときて驚いた。



秀がいなくなったら、どんな学校生活になるのか、想像するだけでも寂しい。

気分もブルーになる。




けれど、時は無常だ。

そんな僕の心情に関係なく流れて・・・


6
ヶ月の交換留学は、本当にあっという間だった。


僕は、クラス委員という立場を利用して、クラスからただ1人、空港まで彼を送っていくという役を得た。



ホームステイ先のご家族と出発ロビーに立って、別れの挨拶を交わす。

お父さん、お母さん、小学生の男の子と、まだ幼稚園児の女の子。
それぞれとぎゅうっとハグして、泣きつ笑いつ言葉を交わす秀と家族達。


嗚呼・・・、こういう場面は、苦手だ。


それを少し離れて見てる僕も、鼻水が垂れそうだった。



「あれ?伸は?」

ズビビっと鼻を啜って秀が、辺りを見回した。


ステイ先の家族は、イヤダイヤダを連呼して大号泣し始めてしまった娘の対応に大わらわだ。つられてお兄ちゃんのほうも泣き出しちゃったもんだから、もう秀の見送りどころではない。



秀は苦笑いして、僕を見つけると駆け寄ってきた。



「んだよ、こんなとこにいて。遠慮なんかしてんじゃねーよ」

「べ、別に遠慮なんかしてないよっ、するわけないだろっ」
「へーへー、そうでござんしょ」


「「・・・・・・・・・」」



あれ・・・?

なんだか急に気まずい。


えっと、えっと、こういう時は、先ず・・・

『元気でな!』だな!
よしっ


「げ・・・」



たらりん



うげっ!

なんだよぉ〜さっき堪えてた鼻水が、なんで今頃垂れてくんだ〜っ


「げ?」



慌ててハンカチで顔を隠した僕を、秀は不思議そうな顔で覗きこんできて、それから今度は一転、破顔して叫んだ。



「なーんだーお前っ、そんな泣くほど寂しかったのかぁ!?」

「ちっ、違うよっ」
「そおかぁそおかぁ!」


そう言って、僕の背中をバシバシ叩く秀。

なんだか、いつもより痛いのは気のせいだろうか?


「ったいなーっ、もおっ、やめろよっ」



ほんとはヤだけど、ハンカチで垂れてきたものを拭って、秀のごっつい手をちょっと乱暴に掃った。

けれど、秀にはちっとも効かない。


「がははははは!お前、マジかっわいいなぁーっっ」

「へっ?かぁ・・・?!?!なん・・・っ」


と、僕が反論を試みる前に、この人混みの中、僕の視界は突然遮られた。



今、目の前にキラキラして見えてるのは、・・・なんだ???



それは一瞬の出来事。



だったみたいだ。



再び動き出して見えた周りの人たちは、何事もない風で通り過ぎてゆく。



「―――っっ!!!なっ・・・なっ・・・なっ・・・なっ・・・」

なのに僕一人が、このまだ寒い時期に、変な汗を流し、目を白黒させている。


『○○航空、台北行き、108便、搭乗を開始いたしました。ご搭乗のお客様は・・・』



そうこうしている間に、秀が乗る便の搭乗案内が流れてきた。



秀は、ペロっと自分の唇を舐めると、手荷物を肩に担ぎなおし歩き出しながら、全開の笑顔でブンブン手を振りつつ、のたまった。



「んじゃ、そゆことで、また来た時も、よっろしくなーーーっ!!」



「・・・はあ?!なっ、何が“よっろしく”だーーーっ!ふざんけんなっ、二度と来んじゃねーバっカやろーーーっっ」



唐突な僕のこのあり得ない送別の叫びに、ステイ先の一家は再び本来の目的を思い出したようで、全員一斉にこちらを向いた。

いや、きっとこの家族だけではない人たちが今、僕らを見ている。
どうやら子供達もすっかり泣きやんだらしい。
皆一様に口をポカンと開けていた。


その様子に秀は、豪快な笑い声を残し、背を向けながら、今度はヒラヒラ手を振って、そして機上の人となった。



ちっきしょーーーっっ、なんだお前〜〜〜っ、ひとり映画のワンシーンみたいな去り方しやがってーーーっ!

こっちはメチャクチャ恥ずかしいつぅーのーーーっっ!
残された僕の立場も考えろ!アホ!!!


そう怒鳴りたくても、肝心の言いたい相手は、雲の上。




僕は大きな溜息をついた。





『また来た時も』だって?!



じゃあ・・・“その時”も、秀と僕は、『特別なダチ』なのかな。



ジェットエンジンの轟音と秀の笑い声が耳の奥に響いた。







END





目次にモドル

Topにモドル