夢 の 先

「うぉわぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―――――っっっ!!!!」

先ず、本人が飛び起き、

「どうしたっ!?当麻っ」

すぐさま同室の征士が跳ね起きた。

それから・・・、

「なんだなんだなんだっ!」
「何があった?!」
「妖邪かっ!?」

秀、伸、遼、と、別部屋の面々もドアを蹴破る勢いで次々に駆けつけた。

が、

「・・・・・・・・・・・あ、ぃ・・・いや・・・なんでもない・・・」

片手で口を覆い、やや放心気味に固まっていた当麻だが、明かりの点いた部屋に、張り詰めた空気が漂っていることに気付くと、ぐるり視線を一周させ、俯き加減にぼそりと答えた。

「・・・本当だな?」

「ぁ・・・あぁ・・・、本当に、本当だ・・・」

「んだよっ!いったいどうしたってんだっ」

「あ・・・、いや、それが・・・その・・・」

「なんか悪い夢でも見たのか?」

「え・・・っ?・・・あ、ま、まぁ、あぁ・・・。そんな、とこ・・・かな・・・」

「魔将達か?!アラゴか!?」

「いや、違う。よく・・・覚えてない・・・が、たぶん、違う。ほんとに、大丈夫だから。すまん・・・」

やけにしどろもどろで、気弱な感じ。殊勝に謝る智将は大変に珍しく、四人は顔を見合わせると、これ以上何かを聞き出そうとしても無駄かと、無理すんなよ、とか、悩みがあるなら独りで抱え込むなよ、とか、まぁそれなりに優しい言葉を掛けつつ、それぞれの部屋へと戻っていき、征士は電気を消し、再び全員が就寝した。

当麻も、ひとつ溜息、というか深呼吸をしてから、もう一度横になり目を瞑った。

が、今夜はこれ以上眠れそうになかった。

なぜなら・・・、

当麻は今しがた見た夢をハッキリクッキリ覚えていたから。


先ほど伸が言った『悪い夢』。
うむ、確かに、悪夢っちゃあ悪夢だ。
しかし実のところ、見ている間の9割9分は、どちらかというと、めっちゃいい夢だった。
この年頃の少年であれば、見て当然の夢でもある。


当麻は、つるりんぷるんでマシュマロな唇の持ち主とチューをした。
夢の中で。


立っているのか、寝ているのか、空間は朧。
そんな、ふわふわとした感覚の中、夢は徐に始まった。まーそれが夢というもんだが。

当麻は、相手の髪の毛を梳きつつ指を絡ませていた。
柔らかくてサラサラで、キューティクルにも問題ない、最高のさわり心地。
眼前にあるキッラキラの宝石みたいな瞳は、じっとこちらを向いている。
あまりにも綺麗すぎて恐いくらいだ。
ここで当麻は、相手に笑みを返した。と、記憶している。
次に、もう片方の手で頬に触れた。
これまた、適度にふっくりとしていて真っ白で、もぉーっ摘んで食べちゃいたい!って感じだった。
そこから目線は、光る鼻先の真珠玉を過ぎ、その下へと行き着いた。
そこにあったのは、さくらんぼ色した、ツヤっツヤの、唇である。

めっちゃ美味そうやーん!
こりゃあ、いただかんわけにいかんやろっ。

当麻は心の内で舌なめずりしつつ、自分の唇に神経を集中しながら目を閉じた。相手も同じ行動をとったことは空気から伝わってきた。

よっしゃ!こらいける!

そもそも、全体像もわからないほど近くに顔があったのだ。
ことの経緯はわからないが、そういうシチュであったことは間違いない。
距離、およそ3.5cm。
高鳴る胸の鼓動を耳にしつつ、当麻は少し首を伸ばして間を詰めて、そして・・・

チューした。

うぉおおおおおっっ!!!
ふわっふわの、マシュマロやぁ〜〜〜っ!

・・・チュっ

と、音を立て放すと、そのまま体をぎゅっと腕に閉じ込めた。
俺より華奢やな、と思ったのを覚えている。
と、相手も、おずおず背中に手を回してきた。
なんとも初々しい感じである。

うを〜〜〜っっ!か・・・っ、かっわええ〜っっ!

当麻は感動のあまり泣きそうになった。

嗚呼、そうかぁ・・・、俺にもようやっと彼女ができたんやなぁ・・・

感慨深くそう思った。

ここで目覚めていれば、夢であったことは残念だったかもしれないが、それでも“いい夢”で終わることができたのだ。

しかし、当麻は気付いてしまった。

・・・ん?あり?
そんで、ほんじゃ、この娘はぜんたい誰やねん?

と。

まぁ、それも当然ではあるのだが。

で、それを確かめてぇ、・・・の、あの叫びであった。



真っ暗になった部屋で、当麻は再びパチリ目を開けた。
心臓はいまだにバクバクいっている。
やはり今夜は眠れそうにない。

ちっくしょぉ〜っ

当麻はまるで劇画のワンカットのように、がしぃっと頭を抱えた。

彼にはどうにも解()せなかった。
何故、こんな夢を見てしまったのか。
いや、チューする夢自体は悪くない。むしろ楽しい夢だ。健全である、ともいえる。
悪いのは・・・というか、問題なのは、チューしたその相手である。
それが今夜の当麻にとって、一番の謎であり、恐慌の原因だった。

なぜ、あのフワフワぷるんなサクランボのマシュマロちゃんが、“あいつ”であったのか。

なんでっ?どうしてやねんっ??

考えても考えても、当麻にはわからなかった。

そうなのだ。

“あいつ”

は、彼女なんかじゃなかった。
彼女どころか・・・、女の子ですらなかった。

当麻の夢のチューの相手、それは・・・野郎だった。
で、これだけでも十分、このお年の少年にとってはショッキングなことなのに。

なのに・・・、そいつは・・・、なんと!

・・・仲間内だった。

と、いうことは、だ。
あの四人のうちの一人ってわけで・・・。

で、ズバリそれは・・・


―――毛利 伸


先ほど『悪い夢』という単語を口にした男。
彼が、今宵の当麻の悪夢の登場人物だったのである。


なんっっでやねんっ?!
なんでよりによって、俺のマシュマロチェリー(夢の中では)ちゃんが、あんな奴なんやーーーっ!!


当麻は頭を抱えたまま、心の中で叫んだ。


一連の戦いが終わり、彼等は、一度帰郷した。
しかしその後、再び柳生邸に集結し、高校生の間だけ、という条件付で、ここを拠点に学生生活を送ることになった。
が、ナスティはフランスに移り、純は家族と暮らしているため、ここには、野郎五人だけ。
とはいえ、このメンバーであれば生活するには全く問題はなかった。
そもそも共に戦った仲間である。ちょっとやそっとのことで切れる絆ではない。
遼は雑だが真面目だし、秀もあれで大兄弟の長男であるからしっかり者で、レパートリーは多くないものの、料理の腕前もなかなかだ。
それに、非常に几帳面且つ厳格な征士の存在が影響してか、羽目を外しがちなこの年代においても、全員の暮らしぶりが乱れることもなく。
一番一般生活には役立たない当麻ですら、遼や秀にとっては、学業のお助けマンである。
それなりに上手く楽しく毎日を過ごしていた彼等だった。

そして、一学年上の伸は、寮長兼寮母といった役割を担っていた。
もともとナスティが一緒だった頃から、掃除・炊事・洗濯を一手に引き受けてきた彼である。
今は、上手く同居人達を使いこなしながら、家事及び家計の遣り繰りをしている。
少々口煩くて、うざいと感じることも間々あれど、実際問題として、彼がいなければ、この生活はあっという間に破綻するであろうことは全員が認識していた。
そういう意味で、現在この男五人所帯の暮らし、ひいては、他四名の生命を牛耳っているのは、彼、毛利 伸なのであった。

以前当麻は、秀とこんな会話をしたことがあった。
『あいつがいなかったら、この屋敷をこのままの状態でナスティに返すことはできんだろうな』
『それどころか、俺たち栄養失調か、栄養過多かで病気だぜー』
『だな』
『ああ』
『『ガハハハー!』』と。

それだけである。
だから何だ、である。
あんなんでも、いてくれてよかったよな〜、そういう話だ。
ただの、その場にいない人物についての話題であり、若干酷いというか失礼な言い方で、ちょっとした嫌味は含まれているものの、この会話の中にそれ以外の感情はない。

そもそも、ここにいる面々は、仲間であって、戦友であって、同居人なのだ。
好きとか嫌いとか、そんなこと、最初はどうであれ、今現在は考えることもない。

では、羽柴当麻は、毛利伸について、どう思っているのか。
考えもしないそこをあえて、無理に問うならば、答えは“苦手”というのが、一番近いだろう。

顔だけなら可愛いと言えなくもないものの、性格は良くない。
笑顔の下で、思いっきり舌を出しているタイプであることは、ようく知っている。
やれ神童だ、超天才児だと、誉めそやされてきた自分に対しても、臆することなく、それどころか、若干見下しているかのように、ありとあらゆる事柄について、ズバズバツッコミ、切り込んでくる。
で、いながら、時々妙に優しかったりして、キモイ。

それが、何がどないなって、チューの相手なん???



「恋だな」

「コイ???」

まな板の上の?
・・・ちゃうやろな。

「ああ!そりゃ、間違いなく恋ってぇやつだぜ。うんうん」

知った顔で頷くのは、先の会話にも登場した、秀。
とうとう自分で答えを導き出せなかった当麻が、終に頼ったのはこの男であった。

実はあれから、当麻は、伸に関する夢を、なんと、計○回も見た。
普通望んだって、滅多にないことなのに、さすが、超がつくほどのIQをお持ちだ。脳の構造が違うらしい。
しかも、夢の中での二人は、常に“い〜い感じ”なのである。

指を触れ合わせ、絡ませてみたり、微笑みあったり、頬を寄せてみたり、エトセトラエトセトラエトセトラ。

うげ〜〜〜っっっ

夢を見ている間はちっとも気にならないし、めっちゃ幸せな気分なのだが、目覚める都度、愕然とし、ガックリする。
そんな日々が続いた。

もちろん彼のことだ。
有名な学者の本も読んだし、普段ならばくだらん!と触ることすらないような胡散臭い本や雑誌にも手を出してみた。
しかし、そこには、当麻が求める答えは載っていなかった。

それにしても、では、だからといって、何故、今、秀に相談することにしたのか。
それは単に、消去法で選んだに過ぎない。
ここんところが、当麻の詰めの甘いところ、というか、友人の少ないことがデメリットとして現れたといえる。

そんなわけで、もちろん実名は明かさないままに、当麻は秀に、この不可解極まりない夢について、打ち明けた。
やめておけばいいのに。

「ある特定の人物について、何日も夢を見た場合、それには何か意味があると思うか?」
と。

こう訊ねられたら、以下のように問われるのが普通だ。

「なんだその『特定の人物』って。誰だよそりゃ?」

「それは・・・だから、・・・ある、特定の、人物、だ」

「はーん・・・なるほどな、言いたくないわけね・・・。まぁ、わかった。んで?その夢ってのは?どんなだよ」

これも至極当然な質問。
しかし当麻は、そもそもこういった会話自体が不得手だ。
だから、どうもいつものように脳が機能しない。

「ど・・・どんな、とは?」

「そら、おめー、シチュだよシチュ!ただ遊んでんだけなのか、喧嘩してんのか、ラブい感じなのかで、違うだろが」

「あ、ああ・・・、そうか、そうだな、うん・・・。あー・・・まぁ・・・どちらかといえば・・・、と、というか、統計的にみれば、だが、・・・ら・・・らぶい・・・感じ?」

格好つけて、『統計的に』などという言葉を使ったが、実際は前編オールラブラブシチュである。

「ふーむ、なるほどなるほどなるほどなぁ・・・」

「で?」

「うーん、そうだなぁ・・・、うん!そら、おめ、恋だわ」

「んんっ?!なんだって?」

「恋だな」

「コイ???」

まな板の上の?
・・・ちゃうやろな。

「ああ!そりゃ、間違いなく恋ってぇやつだぜ。うんうん」

「いっ、いや、だがっ、しかし、だなっ・・・俺はそいつを」

「いやぁーっ、でも、俺ぁ、嬉しいぜっ当麻!」

「はぁ?」

「おめぇも、いっぱしの男だったんだなぁ〜!」

「なっ?!」

「だって、おめぇってさぁ、ぜってぇこういうことに興味ねぇんだと思ってたからよ!」

「は?いっ、いやっ、だからっ、興味とか、そういう・・・っ」

「だって、同じ奴が何度も何度も夢に出てきて、シチュはラブいんだろ?んなら、おめ、そりゃもう決まりだろ!悩む余地なんてねぇよっ。つか、当麻、もしかして、それを自慢したかったとか?」

「ばばばばば馬鹿言えっ、そんなわけない!いいかっ?俺は、別にそいつのことはなんとも思っていない!それどころか、むしろ嫌って、だな・・・っ」

「あーに言ってんだよ!昔っから言うだろぉ?“嫌い嫌いも好きのうち”って。ほらっ、例えば、お前にとっての伸なんか、ズバリそーじゃねーか」

「―――っっ!?!?へっ?は?」

いやっ、それ!ぜんっぜん“例えば”やないやん!

「一見、すっげ嫌ってるみてぇにみえっけどさ、けど、実は、おめぇ、あいつんことめっちゃ好きだろ?」


実に見事に、地雷を真上から踏んづけた秀である。
当麻は危うく白目を剥いて卒倒しそうになった。

ちなみに、ここは、人里離れた・・・ではないが、人の出入りの少ない、薄暗い校内の一角である。

「な・・・っ!なななななんで、急に、いきなり、そんな、何を言って・・・っ」
「何ってぇ・・・、あれ?なんだよ、おま、まさか、自覚なしとか?」
「じっ、自覚もなにも・・・っ、っていうかだな!そんなふざけた話、何がどうなったら・・・っ、いいいいったい何を根拠にっ」
「えーっ、根拠って言われてもなぁ・・・そら、あんだけ・・・」
「あんだけ?」
「うーん、、、なんつーかなぁ、見てりゃわかる、っていうかぁ・・・。あ・・・いや・・・、わりぃわりぃ、話が逸れちまったな!ま、あいつのことは置いといて、だな、今はおめぇの恋の話だ!な?」

え?
ええええええっ?!?!
ここで話を戻すんかーーーっ?!
ズバリそこ!
そここそが、核心やのにっっ

当麻はツッコミどころを間違っている。
確かに、伸がでてきたことは核心かもしれないが、この話、別に“恋の話”などではないことを。
本来、そこんところをしっかり否定しなくてはならないのに。


「・・・いや、もういい・・・」
「えーーーっっ?!なんだよっ、今話し始めたばっかじゃねえか!昼休みはまだあるぜーっ。なーなーなーっ、で、そのおめーの夢に出てくるやつって誰だよっ。おせーろよっ!隣のクラスの◎◎か?それとも2組の◎◎か?それとももしかして、◎◎とかってんじゃねーだろうなーっっ」
「・・・それは、秀、お前の気になってる奴ってことか?」
「えっ?えっ?えっ?なななな何言ってんだよぉーーーっ!ちっげぇよっ、だはははははっっ」

わかりやすすぎやん・・・。

そう内心でつっこんでみたものの、もうこれ以上この話を進めることは不可能と、当麻は早々見切りを付けた。

結果、秀に相談したことは、解決どころか、何のプラス要素にもなりえなかった。
むしろマイナス?
彼の悩みは深まってしまった。
当麻にとっては、非常に残念なことに、本も雑誌も、秀も、結論は同じだったのである。


『それは潜在的にあなたがその相手のことを好きなのです』


また、とある本にはこうも書いてあった。


『もしくは、相手があなたのことを好きで、実はその想いにあなた自身も気付いているのに、普段は気付かないふりをしていて、それが寝ているという一番脳の抵抗がない時に、相手の気持ちを素直に受け入れているのかもしれません』

と。

けれど、当麻は、伸のことをそんな風に思ったこともなければ、伸が自分にそんな想いを抱いているような空気を感じたこともない。
しかも・・・、と、いうより、それよりも、こんな内容、指摘されたとしても、否定したくなるのが当然である。

だって、伸は男だ。
共に戦った仲間だし、なによりも同性なんだから恋愛の対象になんか、なりようがない。
なのに・・・。

おまけに秀は、不可解極まりない言葉を中途半端に残しやがった。

『嫌ってみえる伸のことが、ほんとはめっちゃ好き』?
俺が?!
『見てればわかる』?
どこをだっ!



「まぁ、あれだなっ、自覚してねぇだけかもしんねーからよ、も一度その相手ってのを、よっく見てみろよ。あ、夢ん中じゃなくて、現実でな。あーっ、でも、◎◎と◎◎と◎◎はダメだかんな!」
「・・・ああ、わかってる、大丈夫だ、心配すんな。夢の登場人物はそいつ等じゃない」
「マジ?よかったぁ〜!じゃ、おめぇも頑張れよっ!」
「ああ、すまんな、さんきゅ」

謝り、礼を言う意味がわからなかった。
そして当麻は肝心なことを忘れていた。


さて、この、当麻に好きな奴ができたらしいという話だが、その後、あっという間に広がった。

そう、当麻は秀に口止めするのをすっかり忘れていたのだ。
恋話(こいばな)なんかじゃない、という点をしっかり否定しなかったのも、当麻の落ち度。


さらに、こういった話には、尾びれ背びれは付き物で、伝言ゲームと化すのも当然のことであり、尚且つ、知られたくない相手にこそ、真っ先に情報が流れる、というのも、世の常である。


「そういえば当麻、好きな子ができたんだって?」

そう声を掛けられたのは、その日の夕食時だった。
当麻は、思わず噴出しそうになったカニ玉をかろうじて飲み込んだ。咀嚼途中で。

「あーっ!俺もっ、俺もその話、聞いたぜっ!まさかと思ったけど、ほんとなのか?!」
「・・・私も聞いた。お前にも、ちゃんとそういった感情があったのだな」
「おうよっ!俺も、最初に聞いたときはマジビックリしたぜーっ」
「だよねーっ、こう言っちゃなんだけど、めっちゃ意外!」

めいめいが色々と失礼なこと言いまくりだが、そもそも彼らの間に遠慮など存在しない。それに、こういった話題は、恰好のネタなのだ。

当麻は一度たりとも『好きな子ができた』などと言っていない。『同じ人物が何度も夢に出てくる』と、言っただけ。だが、秀に相談した時点で、話は既に歪曲されており、当麻も否定しそこねた。
だから今更、この話を正しい方向に持っていこうとしても、返ってややこしくなるだけ。

当麻は口を噤(つぐ)み、別のおかずに箸を伸ばした。


「「「「で?どこの誰なんだ??」」」」

当麻は、ちょこっと考えた。
もしここで、『それは伸だ』と、答えたら、いったい皆はどんな反応を示すだろうかと。
特に、言われた本人は、どんな顔をするだろうか、と。

しかし、彼はそれもぐっと堪えた。
というか、それをここで口にするのはあまりにも恐ろしく、できなかった。

「・・・別に・・・そんなじゃ、ない・・・」

結局、こう呟くのが精一杯。
彼の性格上仕方のないことだが、典型的ノリの悪い受け答えである。

「えーっ、なんだよ、やっぱり違うのかっ?」
「またまたまたぁ〜、いっちょまえに照れちゃってぇ〜!」
「別に隠さずともよいではないか」
「だろう?俺たちの間に、秘密はなしでいこうぜっ」

こいつらにデリカシーちゅうもんはないんかい?!

殊更、件の夢の登場人物に対して腹が立った。まぁ、理不尽ではあるが。

ところが・・・、

当麻が、きっ!と皿から顔を上げたその時、話はあらぬ方向へと流れ始めた。


「まさかっ、1組の◎◎じゃないよなっ?」
「えーっ!それって、遼が好きな子ってこと?」
「そうなのか?遼」
「えへっ、まだ告ってないけどな!」
「マジで?よかったぜ〜っ、かぶってなくて〜」

「ってことは、じゃ、秀は誰なのさっ」
「俺はなぁ」

「5組の◎◎、2組の◎◎、同じクラスの◎◎・・・」

ここで当麻は、自分の話から逸れてくれればこれ幸いと、さりげなくを装って、この青い春真っ盛りなやり取りに、こっそり割り込んでみた。
逸れたまま気配を消し食事を済ませて、いつものあの部屋に篭もってしまおう、そう思った。
その思惑は上手いこといった。

途中までは。

「へぇ〜!そうなんだー。けど僕は、2組の◎◎さんしかわからないや」
「伸は学年が違うからな。あ、でも俺、なんかわかったぜ、秀の好み!」
「というか、わかりやすすぎだ・・・」
「えっ?あっ、そぉお?そぉお?わかっちゃう?だははははははー!」

「じゃあさっ、征士は?」
「私か?」
「おおおっ!マジぃ?!まさか征士もいんのかっ?」
「まさかとは失敬な、私も普通の人間だ」
「誰だ?それっ」
「征士に好かれてるなんて知ったら、その子、卒倒しちゃうんじゃない?」
「同じ剣道部の女子かっ?」
「違う」
「学年は同じなんだろ?」
「違う」
「えーーーっ!じゃあ、年上ってことぉ?!」
「まぁ、そうだな」

「「「誰だよっそれっ」」」

「現国の◎◎先生だ」

「うおーーーっっ、でたぁあああ!!まさかの教師ーっ!!!」
「いやいやいや、そうくるとはねぇ」
「さすが征士、違うなー」

当麻はただ黙々と箸を運んでいる。
ただ、耳はダンボだ。

「「「で?」」」

「『で?』とは?」
「またまたまたぁ〜ん、とぉぼけちゃってぇ〜」
「教師と生徒、ときたら、昔からドラマの定番!障害物ありまくりの悲恋の典型じゃねーかっ」
「どうなんだ、征士!」
「・・・ふむ・・・。今のところ、だが、私が大学を卒業し、無事就職が決まったら、先方に挨拶に行くことになっている」

「「「・・・!!!はっやっっ!」」」

暫し、この征士の爆弾発言に、場は盛り上がりまくった。
で、こうきたら、次はもう決まっている。
もうこれは女子トーク以上である。

「なあっ、じゃあ、伸は?」
「おっ、やっぱり来たかぁ〜。征士の話で景気よく終われるかと思ったのになぁ〜」
「んなわけねーだろっ」
「で?伸にもいるのか?」
「もしかして、親が決めた許嫁がいます、なーんてんじゃねーだろうなーっ」

当麻は、ひっそり唾を飲んだ。
あの本の『もしくは・・・』の文章が浮かんできて、思わず頭を振った。

「まさか!んなのいるわけないだろっ。いつの時代の話だよ。しようがないなぁ。どうしても気になる?」
「んだよっ、もったいつけんなよっ、このやろっ」
「皆、白状しただろうっ」

ここは修学旅行先の旅館かい!
当麻のツッコミは、彼の心の中でだけ行われた。

「伸・・・まさかとは思うが・・・」
「そうなんだよねぇ・・・、そのまさか、なんだよなぁ〜」
「えーっ、なんだよっ、どういうことだ?」
「あ!まさかっおめぇ・・・!」

「うん・・・そうなんだ・・・」

ゴクリ!
当麻は、無意識の内に再び喉を鳴らした。

「いないんだよねーっ」

「「「ええええええええーーーーーーっ?!?!」」」

と、くるかと思いきや、3人から返ってきたのは・・・、

「「「・・・やっぱりな・・・」」」

とても静かなものだった。

「あれっ?!なんだよその反応、薄すぎじゃない?『やっぱりな』って、どゆことだよっ」

「いや・・・、まさか、ったぁ言ったけど、なんとなく、そーかもなぁ〜・・・と」
「ある意味、確信していたといってもいい」
「っていうか、だろうな、って感じ?」

「なんだよなんだよなんだよっ、みんな失礼だなぁっ。僕に好きな子がいないのは意外じゃないってこと?」

「え?あ、うーん・・・だって」
「だってよ、お前、すっげ理想高そうだもんよ」
「というか、伸と付き合うには相手が大変そうだ」
「えーっっ!なんでぇ?どうしてだよっ!こんなに面倒見が良くて、尽くす男子いないだろう?」

「それを自分で言うところが、伸が伸たる所以だ」
「つまり伸は、なんでも自分でできちゃうってことだろ?」
「それって相手にとっては、めっちゃプレッシャーだしよ」
「お前に褒めてもらうには生半可な努力では足りんだろう」
「ってことは、なに?僕って、そんなに、ハードル上げてるヤな奴なわけ?」

遼、秀、征士3人ともが、一斉に、視線をそれぞれあらぬ方向へと飛ばした。
あえて書くまでもないが、それは肯定を意味している。

当麻は、最後の米粒を口に入れた。

「なんだよっ、酷いなっ、いいよっ、わかったよ、もぉっ」

伸は、文字通りプリプリしながら、ひったくるようにしてかき集めた大量の食器と共に台所へと消えていった。
その後姿を見送りつつ、3人はさらに続けた。

「伸に合うのはさ、普通程度に出来た子じゃなくて、その真逆くらいがいいんだろうな」
「あーっ!俺もっ、俺もそう思うぜっ、遼、お前、さっすが伸のことよっくわかってんなー」
「まぁな」
「だらといって、まるっきりの馬鹿ではいかんだろう」
「ああ」
「だな」
「てことは、じゃあ・・・、伸が得意なところとは、全く違う分野に秀でていて、尚且つ・・・」
「伸の、あの超絶きっつーい歪んだ性格に耐えられる、とんでもなく図太い神経を持ってて・・・」
「伸が面倒をみざるを得ないほど、世話の掛かる奴」

「「「だな」」」

同時に頷いた3人の視線は、残る1人に向けられた。

「「「・・・ふーん・・・」」」


徐に6個の瞳に晒されて、食後の茶を飲み下した当麻は慄いた。

「なっ、なんだなんだなんだお前らその目はっ!何が『ふーん』なんだっ!」

「「「・・・や・・・、別に・・・」」」

「貴様、先ほど伸に好きな相手がいないとわかった折、明らかにほっとしたな?」
「ああ俺も見た、ちょっと嬉しそうだったな」
「当麻よ・・・、もう隠すこたぁねぇよ。俺たちに偏見はねぇ。だから安心しろっ、な?」

『隠す』ってなんやねんっ!
『安心しろ』ってなんなんっ!

「知るかっっ!!!」

「「「頑張れよ!」」」

いやに真剣な3人の声を背中に受け、当麻はその場から退散するように、いなくなった。
途中通り過ぎた台所からは、食器のぶつかり合う音が聞こえた。
中にいる人物の感情を表すかのような音だった。

こうして、一部限られた面々にとっては、えらく楽しい夕飯が終った。


その日の晩。

当麻は、いつものように1階にある書斎に篭り、なにやら小難しい作業をしていた。
だが、その手は時折止まり、止まっては、やり直す、を繰り返しており、一向に進んでいる様子はない。
そしてその都度、深い溜息がこぼれるのだった。

何、俺、動揺しとんねん!
あいつら、他人(ひと)をおちょくって楽しんどるだけや!
変に意識したらあかん!
意識したら・・・

何度自分に言い聞かせたか分からない。

そしてまた溜息がひとつ。

と・・・

コンコンコン

やっぱり今夜も変わらず彼はやってきた。

それは、あの戦いの頃から続いていて、今ではもう習慣になっていた。

そう、彼は、あの後の会話を知らないのだ。
壁向こうに仕切られた台所で、あんなにガチャガチャやっていたのだから。


カチャ・・・


「うっす」

「・・・おう」

室内に、ふわっと香ばしい匂いが流れ込んでくる。
なぜだかいつも以上にほっとした。
でも、ほっとしたのに、心臓はドクンとひとつ、その存在を主張した。
そんな慣れない自分に、当麻は少しばかり戸惑った。

「どう?捗(はかど)ってる?」

「あー・・・いや、いまいちだな」

表情を隠すように、頭を掻いた。
意識しちゃいけない、と思えば思うほど、意識してしまう。
あの3人とのやり取りが恨めしい。
それよりも、あんな夢を見た自分が呪わしい。

「そっか」

何も知らない伸は、二人分の珈琲を大きな机に置き、椅子に腰掛けると、肘を突いた手の上に顎を乗せ、当麻の手元を見つめた。
さっきは、あんだけ怒りを露わにしていたのに、今その虹彩はどことなく落ち込んでいる風に見える。

「当麻ってさ、不器用なくせに器用だよね・・・」

口調も大人しい。
こんなに感情の起伏が激しくてよく疲れないな、ふいに、そんなことを当麻は思った。

「・・・そうか?」
「そうだよ」

「そういえば、以前にも同じ会話をしたな」
「そうだっけ?」
「そうだ」

なんとなく会話をぎこちなく感じるのは自分だけか?
考えてみた当麻は、そこで気付いた。
そうだ、普段だってそうそう弾んだ会話を繰り広げているわけではない。
伸といる時間は、いつもこうして静かにゆっくり過ぎてゆくのだ。

何かが違うとすれば、それは自分の心の内。
どこか予感めいたものが、先ほどから、ちらちらと見え隠れしているのがわかる。
そうして、あの夢の行き着く先を求めたら、いったいどうなるのだろうか、そんな興味が湧いてきた。
だから当麻は、今夜、この流れに身を任せてみることにした。


「今日の話だが・・・」
「えっ?」
「今日の・・・、・・・夕飯の・・・」
「ああ、あれね。ごめん、悪かった」
「?何故、謝る」
「いや・・・、当麻はさ、あんまり周りにぎゃーぎゃー言われたくなかったんだろうな、って後から思ってさ。ちょっと、悪かったなぁ、と・・・」
「そうか」
「うん」

当麻は喉をひとつ払い、顔を覗かせた不安を振り落とした。

「・・・気に、なるか?」
「え?」
「・・・俺の・・・その・・・」
「んー・・・、そりゃ、まぁね。でも・・・」

遮って発した以下の台詞、言ってから当麻は、自分の発言に自分で驚いた。
こんなに単刀直入に言うつもりはなかった。
けど、驚いたけれど、気持ちは意外なほどに平静だった。

「お前だ、って言ったら、どう思う?」

一方、言われたほうは、もっと驚いたのだろう。
口をポカンと開け、大きな瞳もさらに大きく見開いて、ゆっくりと机を回り込んで伸の前に立った当麻を目で追い、見上げた。

「・・・ぼ・・・く・・・だって?」

「驚いたか?」

「・・・そ、そうだね、すごく、驚いた。え・・・っと、今日って、41日じゃないよね?」
「ああ、違う」
「だよ、ね」

「それで?」
「『それで』って?」
「どうだ」
「・・・いや、どうっていわれても・・・そうだ、なぁ・・・」
「気持ち悪いか?」
「んー・・・、さほど嫌な気分、ってわけでは・・・ない、か・・・、な・・・?」
「そうか」
「・・・うん」

「俺もだ」
「は?」
「俺も、言ってみた割には、気持ち悪くなかった」
「ぷっ・・・なんだよそれ」

眉尻を下げて笑った伸が、

「僕のことが・・・気になる?」

再び真っ直ぐに当麻を見た。

「さぁ・・・」
「『さぁ・・・』って・・・好き・・・なんだろ?・・・その・・・僕の、こと、が・・・」
「わからん」
「『わからん』って・・・。こっちこそ、さっぱりわかんないんだけど?どういうこと?」
「お前を好きなのか、そんなこと、考えたこともなかった」
「・・・っはぁ??」
「ただ・・・」
「ただ?」
「夢を見た」
「夢?」
「ああ」
「どんな夢?」
「お前が出てきた」
「僕、が・・・」
「ああ」
「で?」
「何度も見た」
「僕の出てくる夢を?何度も?」
「そうだ」
「それで・・・、もしかしたら僕を好きなのかもしれない、って?」
「・・・本にも雑誌にも同じことが書いてあった。それに・・・、秀も・・・」
「あー、なるほどぉ・・・、だからそれで、かぁ・・・。ったく、なんでそこで秀に話すかなぁ・・・」
「・・・すまん」
「で、君は、本と雑誌と秀から同じ回答を得たから、さっき僕にああ言ってみたってわけだ?」
「まぁ・・・そうだ、そういうことになる」
「ふぅん・・・なるほどねぇ・・・」

伸は椅子に腰掛けたまま、足を組み、腕を組んで、それからその腕を解くと親指を小さく噛んだ。目は当麻ではなく、窓のほうを向いている。
彼が何を考えているのか、当麻にはわからない。
けれど、何かを考えているのはわかる。
そして、それを想像するのは意外に楽しいと感じていた。
机の端に尻を乗せ、次に彼が紡ぐ言葉をじっと待った。

「で?」

くるりと向き直り見上げて伸が言った。

「で?って?」
「夢の中での僕達はどうだった?」
「どうだった・・・って・・・」

「何してたわけ?」
「な・・・に、・・・って・・・」


「言えないようなこと、してた?」

「・・・っ」

言葉に詰まった当麻に、ニヤリと笑いかけるその顔は、嫌いじゃなかった。
体の芯に、ぽっと熱いものが灯る。

「そうなんだろ?」
「あぁ・・・まぁ、な」
「何してたんだ?」

立ち上がり、当麻の目の前に立つ伸。

いつの間に自分は、彼の身長を追い抜いていたのだろう。
もっと、ドキドキするかと思ったが、そうでもない。
夢の中で予行演習をしていたからだろうか。

「興味が・・・あるか?」
「ふっ・・・、そう、だね。少し、は・・・」


そっと手を伸ばし、指を彼の髪に絡めてみた。
夢の中よりも、うんと柔らかい。
なら・・・

「それで・・・?今の君は?それをしてみたいと、思ってる?」
「そう・・・だな・・・」

指の背で頬に触れてみた。
夢で感じたより、ずっと滑らかだ。
だったら・・・

「・・・思ってる・・・」
「ふぅん・・・」

見つめる両の瞳は、夢とは違っていて、もっと深い彩だ・・・吸い込まれそうなほどに。
そうしたら・・・

「じゃぁ・・・してみたらいい」

「いいのか?」

光る鼻筋を巡った視線の、その下にある紅く熟れたそれは、夢で見たより・・・うんと、ずっと、もっと、艶(なまめ)かしくて。

どうする・・・?


「いいよ、・・・できるならね」


声を聞きながら目を閉じた。
相手も目を瞑ったのは、空気でわかった。


そして知っていた。


当麻は、少しだけ、首を伸ばした。



夢は夢、現は現。

どちらが良かったかなんてのは、愚問。




あいつらに、感謝しなくちゃいけないのかもしれないな。
ていうか、あの夢を見た自分を褒めてやろう。


今でも当麻は、たまにそう思うことがある。




END

目次に
モドル
リビングにモドル