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朝鮮より引き揚げ

■1945年9月18日(火) 朝鮮より引き揚げ。
終戦になり引き上げの準備は、父の仕事仲間で朝鮮の人達が荷造りを手伝ってくれた。
全部手配して送ってくれたが、当時は引揚者が多く荷物など届くかわからないため、最小限度の荷物 しか送らなかったが、よく全部届いた。
昭和20年9月18日 大邱(テグ)より引揚げのため貨車にて釜山港の収容所にきて8日目の、
昭和20年9月26日 釜山港より日本へ出港する。
船の中で引揚証明書を交付される。
福寿丸、福徳丸、金豪丸、にて博多港へ着く。3隻出たようだが 記憶が福寿丸のようだ。
皆早く日本へ帰りたい気持ちがあって、当時海賊船が横行していて、大勢の引揚者が犠牲になったようだ。
母は子供をつれているため指示される通りに、星野つるこさんに助けられながら一緒に、幸子5歳、要4歳、 邦夫2歳の3人を連れて子供2人にリック一つの手荷物を持たせ、下の邦夫を背負い子供の手を引いて満員の身動きできない状態で蒸 し風呂の船内、トイレも適当に海にするような状態。その上台風で何日か止められる。食料は、むすびが午前と午後に一つずつくばられるだけ、米より豆の多い弁当で子供は皆、下痢状態で大変な 引揚船だった。
邦夫は特に小さく生死をさまよいながら引揚てきた。博多から瀬戸内海を通り尾道港にて上陸。
昭和20年9月中旬 国内に入っては汽車を乗り継いで尾道へ。
大阪。名古屋。木曽の中央西線。辰野。飯田線を経由して、9月中旬何日かは定かでないが25日ごろ、本家、父の在所へたどり着く。本家にも夫婦に子供4人もおり、そこへ星野さんと、母が子供3人連れてきたため大変で、1週間から10日ぐらいして母の在所、下平へゆく。下平はまだ子供もいず大事にされた。
(兄の記録より)