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昭和23年新築の家


1960年頃撮影

1960年頃撮影
■1947年.月.日 本家の隣に家を建てる。
昭和22年夏頃。
星野万弥さんに、おやじの大工道具全部と引き換えに、東春近小学校の古材を頂いてきて、10坪位のとりあえず人間の住める家を本家のすぐ隣に建築した。
何年か後に分かったことだが当時本家は近所でも評判のしっかり者、言うなれば、始末や、けち、で周りの人はそんなところへ家を建ててこれから監視されて生活やっていけるだろうかと心配していたようだ。
自分達は一軒の持ち家が出来るからそんなことは一寸も感じていなかった。後になってそれは現実になってきたようだ。

建てた家は、学校の古材で太くて大きくしっかりしていて、何回かの台風 にもぐらぐら揺れていたが、良くつぶれなかった。何しろ家が小さいため台風のときは本家によく避難していた。また、近所のおじさんたちが、皆さん故人になってしまったが心配してよく家の屋根に風 で家が飛ばないように石を乗っけて防いでくれ、面倒を見てもらった。
特に、松巳さんには日銭を稼ぐため山仕事の世話までしてもらったり、当時はまだ風呂もなかったため、 2日にいっぺん位近所の家にもらい風呂といって、入らせてもらったり本当に世話になった。子供達は風呂から出て皆でトランプ、花札をして夜遅くまで遊ぶのが楽しみだった。
その後は戦後の食糧難の時代を、お袋もそれまでやった事のない稲作、また現金収入を得るために、 当時は村有林、営林署の植林など、キャンプ場付近まで毎日植林 仕事に出掛け、夜は近所の皆さんから針仕事を頼まれて遅くまで着物を縫っていた。
1日150円から200円 くらいの稼ぎで生活に、学校の子供の学費に当てていた苦しい時代だった。
お針のおばさんと言われ、特に冬になると近所の若い娘さんがお嫁に行くとき約半年ぐらいは針仕事を 教えていた。
遠くは西春近から教わりに来ていた人もいた。
(兄の記録より)