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宮田村小学校入学


1949/4/1 宮田小入学

1961年頃 宮田小学校
■1949年4月1日(金) 宮田小学校入学。
校舎窓ガラスの割れたところは板が打ち付けてあり、殺伐とした状態であったが楽しく学校に通った。
コンクリートの学校で、いつの頃からか雨漏りするようになり、屋上に屋根が付いた。
1フロアに1学年を揃える関係上、自分のクラスは1組のため、床がコンクリートむき出しの特別教室となり、冬は寒かった。
担任は3年まで滝沢ひろ子先生で、自分のクラスは茂君を先頭に悪ばかりいて、先生をよく泣かし た。
3年生の頃、ある時は授業をさぼって太田切川に遊びに行ってしまったこともある。
家へ帰っても同じで公民館の掃除をすると集まっては、板戸を閉めてかくれんぼをして遊んでいた。この結果公民館の障子はボロボロに破ってしまい、親が張り替えに行ったこともある。
3年生の秋、昼休み鬼ごっこをしていて遊んでいるとき、同級生の小田切君とぶつかり足を骨折、しばら く学校を休んだが、小学校6年間で休んだのは前にも後にもこの時だけだ。これは学校での事故のため、公傷扱いになり小学校は皆勤賞を頂いた。
小学校3年を終える時「ありの町」と言う紙芝居を作った。この時の自分の絵が上手だとすごく誉めら れ、その後、絵が上手ということで一目置かれるようになった。
4年生になって男の熊谷先生となった。熱血漢で勉強に躾に厳しかった。特に悪トップの茂君は、往復ピンタと言って教室の外の廊下を行ったり来たりしながら叩かれた。教室の中にいる我らは、先生の叱る声とほっぺを叩く音を聞いて震え上がっていた。
勉強の方は熊谷先生にかわいがって貰ったおかげで、4年生頃から頭角を表し小学校6年では押しも 押されもせず学年トップとなった。卒業式の日、茂君を始め男子も女子もみんな泣いて熊谷先生との別れを惜しんだ。