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伊那北入学


1958/4/1 伊那北入学

1960/3 再建された校舎
■1958年4月1日(火) 長野県立伊那北高等学校入学。
前年火災で校舎が焼けたため、入学式は図書館。
授業は1年は体育館をベニヤで仕切った教室で、2年が講堂を仕切って行なわれ、秋から再建された新校舎に移った。
入学時の担任は矢沢先生であったが、まもなく結核にかかり学年副担任の飽田先生に変わった。
2年になるときクラス替えがあり、3年までそのまま西村先生が担任になった。
高校時代は軟式テニスに熱中した。

以下、兄の記録より。
要が中学校を卒業と同時に働きながら定時制高校へ通い始めた。給与は月に3,000円くらいだった。
だが数年貧しさは変わりなく、邦夫も伊那北高校へ行くとき先生と母と話していた、金がないから行けない、先生は優秀だから何とかして行かしてくれと、結局母が勉強は後では取り返しがつかないからと決断して、奨学金を借りて伊那北高等学校を出る。
当時は伊那北高校、弥生ヶ丘高校は有名校であった。周りからは貧しい家のものが進学すると非難めいた意見、声も耳にしたようだが、今にして思えば母は正解だった。