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トピックス

国立病院

■1972年2月28日 電算室小川係長に紹介され、国立病院で耳を見てもらう。
上司(小川さん)の叔父が、国立病院耳鼻科の先生と紹介を受けて診察してもらう。
よく寝て規則正しい生活をしなさいといわれただけでなんの進展もなし。
ちょうど浅間山荘事件の日だった。

浅間山荘事件
昭和47年2月28日、連合赤軍の坂口宏(連合赤軍の最高幹部・永田洋子との内縁関係)、坂東国夫、吉野雅邦、加藤倫教とその弟の5人は群馬県榛名山中の軍事訓練中、警察の包囲網が迫っていることを察知し3日間山中を彷徨い河合楽器の保養所「あさま山荘」に乱入した。
管理人の牟田康子さんを人質に取り、210時間の攻防を展開した。あさま山荘は山の斜面に達つ建物で、入り口前の道路は狭く反対側は広大な斜面が広がっており、機動隊が突入するには不利な条件であった。
連合赤軍はライフル銃や散弾銃など完全武装をしており、警察は警察官1,300名を投入したが警官2名が射殺されるなど銃撃戦では熾烈を極めた。人質の安否も判らない状態で機動隊は催涙ガス、放水で揺さぶったが一向に好転せず、ついに10日目に強行突破を図る。
28日午前10時、玄関前に横付けしたクレーン車が振り出すモンケンというビル解体工事に使う鉄球があさま山荘の壁を破壊する。そこへ機動隊が突入、激しい銃撃戦の後、人質の解放と5人を逮捕した。