1986/9/14 油壺

1516年新井城に籠もった三浦一族は北条早雲の大軍を相手に3年間にわたって奮戦するも、三浦道寸義同を始め将兵は討死に、残る者は油壺湾へ投身し、湾一面が血汐で染まりまるで油を流したような状態になったので後世「油壺」と言われるようになったとされる。また、湾内の水面が油を流したように静かだからという説もある。

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