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すずのき病院


2003/5/4 すずのき病院
■1997年8月9日(土) 晴れ 久喜の「すずのき病院」に入院。
先日から胸が苦しいとか騒いでいたようで、おばあがまいってきたようで、本人も含めてみんな納得の入院。

■1997年8月22日(金) 晴れ 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
久喜の「すずのき病院」に入院したおやじのお見舞いに、照子と一緒に行く。
先日からだいぶ胸が苦しいとか騒いで、おばあがまいって本人も含めてみんな納得の入院と思ったが・・・。
精神関係の専門病院とのことで、入院者は老人に限らないようだが、おやじの入院病棟は30〜40人位で、ぼけの始まった老人のみであった。病院の雰囲気は悪くない。先日健志が見舞いに行っての感想は、なにか病院が良くないとショックのようであったが、そんなことはない。施設(食堂とか廊下)、清掃の行き届き、看護婦等の雰囲気、いずれも悪くない。
悪いのは、おやじのぼけだ。入院患者はそれぞれの症状で、みんなぼけがあるようだが、その中でもおやじは悪い方に入る。みんなの仲間に全然入れない。行ったとき昼食後で、食堂の隅でぽつんとしていたが完全にぼけた感じ。それでも、こちらの顔を見て分かって手を握ったらなかなか離そうとしない。涙を出している。
ひげが伸びていてかなり気になるよう。しばらくして、ひげ剃りを借りてきてそろうとしたが、自分で剃ろうとしない。「剃って下さい」としきりに紙に書く。照子が剃ろうとしたので、自分で少しでも剃らせろと言ってしばらく自分で剃らせたが、手伝ってあげたりもして剃ったが、かみそりが切れないこともありきれいにならない。次に切れるかみそり持ってきてあげると終わりにしようとしたが、「もっときれいに剃って下さい」としきりに紙に書く。次にくるとき切れる剃刀持ってくるからと書くと、なぜかすぐに罰印を付けて、「もっときれいに剃って下さい」と同じことを書く。
そのうち、罰印は(見えなくて)読めないと言うことが分かった。で、眼鏡を借りてきてかけたが、同じことの繰り返しが続く。本当に見えないのかと、「じゃ帰るよ」と書いてみた。罰印も同じように付けたが、帰ってはダメと泣いている。全然読めないこともないようだと分かる。
しばらく同じことの繰り返しを続けていたが、リハビリが始まったので、みんなと一緒にやるように言ったところ、運動なんか意味が無いと怒っている。「俺の言うことが分からないのか」と何回も怒っている。それなら、こちらも帰ると言ったら、本当に「帰れ」と怒ったが、この時の顔は呆けの顔ではない。何年も前のおやじのキリッとした顔だ。
ともかく、本当に怒ったのでさっと立ち上がり、おやじの目に入らないところで見ていたら、リハビリの歌を歌うところでは、顔で調子をとっているのが分かる位ピリッとしている。一段落して、部屋に戻り別途に横になったので落ち着いてきたのかと思ったが、結構怒りは続いている。と言うことは呆けばかりではないなと感じたのだが・・・。
もっと常日頃から怒ったり、笑ったりすれば良いのだ。

■1997年9月20日(土) 晴れのち曇り 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
暑いような、寒いような変な陽気。お昼二子玉川の高島屋で食べて、久喜へ行く。
前回よりましな感じ。でも覇気は感ぜられない。

■1997年10月25日(土) 晴れ 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。

■1997年11月22日(土) 晴れ 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
行くたびに気力が無くなっているのが分かる。今日はずっとベッドの中。起きる気もなし。でも、シュークリームは食べた。

■1997年12月20日(土) 晴れ おやじ、久喜すずのき病院より退院。
友部から幸子と勇二君が車で迎えに行く。照子同行。


■1998年9月19日(土) 晴れ暑い 浦和おやじが久喜病院受診に付き合う。
電車で行くので、おばあさんと二人では心細いと一緒する。道中、昨年の今頃の状態が嘘のようにしゃきっとしていた。


■2001年2月19日(月)晴れ 浦和のおやじ、すずのき病院に再入院。

■2001年2月25日(日)晴れ風冷たい 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
監獄のようだ。入院するのではなかった。なんて話していたが、最初から分かっていたことなのになぜ入院する気になったのか?
他の入院患者をとは明らかに違う感じ。周りの患者はぼけたような人が多い。

■2001年3月18日(日)雨のち晴れ暖かい 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
浦和のおばあさんと一緒する。

■2002年10月18日(金)雨のち曇り 浦和のおやじ、久喜すずのき病院入院。
照子が付き添う。

■2002年10月26日(土)雨のち曇り 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。

■2002年12月7日(土)雨 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
驚くほど元気。

■2003年3月29日(土)曇り時々晴れ 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
照子は浦和から直行のため久喜駅で合流、お昼を一緒に食べて病院に行く。
おやじ寝ていたが、こちらの顔を見たらきちんとありがとうの意思表示があった。ただし、瞬間的なものですぐにくすんだままとなった。怒りっぽいと聞いていたが、話しかけた内容によると感じた。1時間位いて帰る。
帰りは、久喜から東武鉄道に乗る。14時15分の準急に乗って、東武動物公園で中央林間行きを待って乗る。青葉台へ16時50分頃着く。ずっと座れたけど乗っているだけで疲れた。久喜で乗った準急でそのまま北千住まできて、ここで中央林間行きの急行を待てば30分は短縮できたと思う。
安藤伸男さんのおばあさんも大変とのこと。 突然怒ったりで、24時間付き添いを雇っているとのこと。 一ヶ月50万円も払っているとか。伸男さんも退職したとのこと。

■2003年5月4日(日)晴れ 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。健志の車で3人で行く。
11時健志の車で出発。首都高速渋滞で環八を行く。途中でお昼を食べ、13時40分久喜の病院に着く。
おやじは帰宅願望が強く、家に帰れないのなら面会にこなくて良いと怒っている。このあたりの発言を聞いていると正常な人と変わりない。一時間ほど話して15時前に分かれ浦和に寄る。
浦和でおばあに、おやじは退院できる状態であるが一緒に住む気はないのか聞いたところ、波があるので無理ではないかとのこと。それで後悔しないのならやむを得ないでしょうと話した。おやじを家につれてきた時、おやじのすることにいろいろ注文付けなければもう少しうまくいくのではと思う。澄姉は、おばあにリハビリしろとか注文付けているので、そんなこと気にするなと話した。自分の気の向くままでいいよといったが・・・。
一時間ほど話して、照子はそのまま浦和に泊まり健志と帰る。
首都高速渋滞で19時少し前に青葉台に到着。市が尾のバーミヤンで夕食。帰宅20時。

■2003年6月1日(日)曇り 久喜すずのき病院入院中のおやじお見舞い。
照子と出かけたが、おやじは最初から最後まで「なにしにきたのか」と怒っていた。照子がなだめているばかりだから、少しほっとけと廊下に出ていたら、気になるのかベットから起きて、我々のいる廊下を避けてテレビを見に行った。しばらくして照子が声かけたらまた怒りだしたので、声かけるなと離れた。またしばらくして、おれが一人でさりげなくジュース飲むかと誘ったらついてきた。しかしお腹は一杯でジュースも食べ物もいらないとのことであった。おやじと二人だけになったが、おれもしばらく黙っていた。
おやじは照子のことが気になるのか、しきりと回りを見渡している。毛を短く刈ったなとか話しかけたが、全然相手にしてくれない。そのうちに、なにか知らないが怒って話しかけられているのが分かる。 ほっぽておこうと思ったが何を怒っているか書いてくれるかとメモを出したら書いてくれた。書いてくれた内容は、照子に浦和から追い出された、おれが照子と夫婦なのだから同罪だと怒っていたのであった。顔を見ていると何回もそのことを繰り返しているだけで怒りが収まらない。もう話しは通じないから帰ろうと歩きかけたら、まだ怒りが収まらず背中を突かれた。結局そのまま分かれたが、靴を履いてからおやじの様子を見ていたら、怒りは収まったのかテレビを見ていた。

■2003年6月11日(水)曇り時々雨 浦和、おやじすずのき病院退院。
浦和自宅で一泊、12日川越のセントノア病院へ入院。