2004/4/5 浦和おやじ告別式

・11時20分、来ている人全員入って記念写真を撮る。
・11時30分、友部の幸が、食事用意したいという。今からじゃドタバタで用意する必要ないと思ったが・・・。
      友部では告別式前に食事するのが習わしだと言う。
      告別式前の食事を用意しないはあらかじめ分かっていたことで、食事はでないよと連絡しておくべきであった。
      この段階で俺に相談する必要もないはず。
      義次さんは、都合悪い話しになると「それぞれのやり方がある」と逃げていたが、この件に関して聞いてみたいと思った。
・12時告別式、続いて初七日の法要を行う。
   出棺前挨拶(清水兄)
   お忙しい中父のために来てくれてありがとうございます。
   戒名「寶樹利行」、自然が好きで、山に行っては山菜を採ってきては食べさせてくれた。
   自分のことを忘れて他人のことに尽くす人でした。
   母と30年間、家には家族以外の人たちが常にいた。
   自分ではなかなかできないことだと思う。
   東急に勤めて、衛生管理士の資格を取って、60歳過ぎてから保険で資格士の資格を取って仕事もしていた。
   70歳を過ぎてから自分の為に暮らし始めた。
   いたらないものですので、これからも皆様の援助よろしくお願いいたします。
   今日はありがとうございました。
・13時20分出棺。途中道路混雑していたが30ほどで、浦和斎場に着く。
・14時火葬
・15時10分、お骨を拾う。
・15時30分、斎場出発。
・16時精進上げ、18時過ぎまで飲む。
   告別式精進上げ前挨拶(清水澄子)
   本日はお忙しい中ありがとうございました。
   花の好きな父が、満開の桜の木をきれいだなと言っているような気がします。
   母に、父はどういう人だったのと聞くと、やさしい人よ、思いやりのある人よ、いつも勉強している人と言ってました。
   自分が見ていても、思いやりのある人だと思います。
   皆様からいろいろエピソードを聞きました。
   会食しながら父のことを聞いていきたいと思います。
   母が1人になるのでよろしくお願いいたします。

   告別式精進上げ献杯挨拶(茂さん)
   僭越ながら献杯の音頭を取ります。よろしくお願いいたします。
   私とおじさんの関係は、昭和43年に父が他界して、それ以来自分の親のように面倒見て頂きました。
   北海道にも2回ほどおばさんと一緒に来て頂きました。
   来た時、洞爺湖が爆発したことがありました。
   おじさんには、私ら兄弟が結婚した時親代わりになって頂きました。
   ありがとうございました。

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