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桶川兄死去


2011/5/25 桶川

2011/6/7 北上尾駅周辺
■2011年5月25日(水) 晴れ時々曇り 桶川へ兄の様子を見に行く。
以下、26日長野へ送ったメール。
昨日は英ちゃんからメールが届いていて、お父さん弱ってきたとはあったが、「田植えは、無事に終わりましたか?」なんてところから入っていたので、早めに様子を知らせてきたんだなと思ってただけど、8時半に、「起きても来れなくなってしまいました 」とメールが入ったので、最近亡くなった俳優児玉清のこともあり、こりゃ大事になるかも、長野でメールに気が付いていないかもと思い携帯へメール、なにはともあれ、桶川にも様子見に行ってみようと行動に移したわけです。

桶川へ行っても、寝ているとかで会ってくれないかなーなんて考えていたけ ど、お兄さん居間のテーブルの前に座って待っていてくれました。すぐ横に なれるようタオルと枕、洗面器も用意してありました。やつれているかと思 ったけど、顔は目がギラギラしていたけど、一見しただけではちょっとやせ たかなという位で病人には見えない位でした。 でも、首から下は骨と皮だけ、腕だっておふくろさんの最後の時のように細 くて、話しているときお腹を見せてくれたけど、あばら骨が浮き出ていて、 よくこんなで座ってられるという位でした。 食べたり飲んだりすると吐いてしまうということで、お酒はおふくろさんの 三回忌から帰ってきてから飲んでないとのことでした。その頃から異変を感 じていたんでしょうね。
日常吐き気とか痛みがあるのか聞いたところ痛みはないようで、吐きという か痰が出るとのことでした。痰が出るときに息止めなくてはいけなくて、 白い泡が出るまで10分位苦しくなるとのことでした。話してる最中も、 しきりに痰をティッシュで拭っていました。

最初にかかった病院での検査は2月で、バリュー検査だったとのこと。 バリュー検査が苦しかったと言ってた。それも2回バリューム検査したそう です。日赤へ行って胃カメラ検査したわけだけど、検査のたび胃を空っぽに するわけで、バリューム検査の後は下剤飲んだりで、癌センターとか他の所 へ行っても、また初めから同じ検査だろうから、もう他へは行きたくないと いってました。
バリューム検査はおれも苦手で、定年前のころは何年も受けなかった。俺の 場合検査の後胃が張って歩けない位痛くなる症状だったけど、桶川の場合は 検査そのものと、その後の下剤飲んでトイレが苦痛だったようです。

日赤に行って点滴で大騒ぎしたことは先に聞きましたが、夜中に幻覚症状を 起こして自分の家と間違えて、テレビのアンテナの工事の音がするといって ベッドから起きだして、帰るといったり点滴外したり、家の者が誰もいない といって、看護婦さんにすぐきてくれといわれたわけ。
その時の点滴がトラウマになったか、食事採れないなら点滴で栄養剤補給し てもらうといいよといったんだけど、点滴は嫌だと聞く耳を持たないという ところです。
話している間、横になってもいいですよといったんだけど、横になると痰が のどにからんだとき苦しくなると、座ってる方がいいとのことで、2時間近 く話していたんだけど、一回も立つことなく座りっぱなしでした。 桶川着いたとき車がなかったので、調子良くなり買い物にでも行ってるのか なと思ったら、車は三日前に廃車にしたとのことでした。ちょうど税金納め る時期になったので、もう乗れないと思ったんですね。

話してる最中、岡崎のお姉さん(89歳)から電話掛かってきて、最初に姉が 出て、兄に電話出るかと聞いてたんだけど、元気にやってる、体調崩しただ けだから心配しないでくれといって電話に出る気なし。
お兄さん10人兄弟だそうです。生まれてすぐ二人亡くなって、戦死で一人亡 くなり7人残って、昨年7月名古屋の近く知立市に住んでいるお兄さんが亡く なって、現在6人元気とのことでした。
それから、末っ子でなく下におれと同じ年の妹がいるとのことでした。 その人は結婚して子供一人生まれたが、旦那が掛け事ばかりしていたので別 れて現在一人暮らしとのことでした。伊那の結婚式には、いろいろ都合が重 なって兄弟のうち3人出ただけといってました。

ともかく食べられないのではなんとかしなくてはと、先週土曜日に病院に相 談に行って流動食を取り寄せてもらって、それを食べるように言われたとの こと。話しているとき病院から流動食が届いたと電話あり受け取りに行くの を機会に帰ってきました。
道端姉との別れ際、医者からはどのように言われてるか聞いたところ、年内 いっぱいもつかとのことでした。このことは、英ちゃんは知ってるが、本人 は元より佳子ちゃんにも知らせてないとの事ですので承知しておいて下さい。

ともかく思い切って行って良かった。兄もいやな顔もせず、しばらくぶりに 話が弾んだというところ。おれが冗談気味に、こんな状況を話したら長野か ら出てくるかもしれないよといったところ、長野に限らないが、いろいろ気 を使って神経参ってしまうのでお見舞いは勘弁という感じでした。
元気なうちに会えないかもしれないが、桶川へ行くのは難しいところです。
だいぶ長くなりました。

■2011年6月7日(火) 曇り 長野のみなさんと桶川へ行く。もう骨と皮ばかり。
みんなでお父さんの顔を見に行こうとなった。長野から車で桶川へ10時半頃到着するように、5時半頃出発するという。圏央道ができたので、5時間はかからないだろうから10時前には着くはずと、こちらも7時半前と早めに家を出た。
電車遅れ気味だったが、北上尾9時42分と予定より少し早めに着いた。そのまま家に直行したところ、長野からも丁度到着家に上がったばかりだった。長野は、高速降りて桶川の家の付近でナビゲーターがうまく動かず時間かかったとのことだった。
少し居間で話をして、お父さんの顔を見に行く。すっかりやせてしまって、本当に骨と皮ばかりになってしまった。本人はほとんど話せないが、意識はあって、長野兄のこともおれのこともはっきり分かった。胃が痛いようで、胃のあたりにしきりに手をやる。おれが「痛いの」と聞いたら、「見舞いになんか来るから余計痛くなる」なんて冗談もでた。その後、居間でいろいろ話す。

・医者に、もうちょっと持つといわれたとのことだが、もうちょっとはどのくらいかは不明。
・意識はだんだんなくなってきている。
・姉はこんなに早く悪くなるとは思わなかった。
・今日は朝から、7回もウンチがでた。肛門が閉まらなくなった。
・ウンチ出ると自分で気持ちが悪くて、ウンチ出たと知らせるとのこと。
・点滴だけなのに(塊が)出る。ここのところ点滴500cc入っている。
・佳子ちゃんと看護婦と間違えて、「だんなはどうしているか」なんてかすれた声で問いかけたとか。
・痛み止め入れると本人の意識がなくなるのであまり入れられない。
・座薬も肛門が緩んできているので駄目。
・先月25日に来た時が(最近で)一番いい時だった。兄弟きたときはベッドで話した。
・姉は、夜うつらうつら、病人の横のベッドで寝たり、上に来て寝たりしている。

・昨年1月、新田のお姉さん心臓の手術した。救急車で伊那の病院に運ばれた。88歳のお姉さんが看病に来たようだ。
・7月にも再度入院したが、そのとき知立のお兄さんがなくなった。
・お盆のとき、新田のお姉さんが具合悪くなったこと長野に言おうとしたが、兄から言わなくていいと止められた。
・兄はいつも迷惑かけちゃいけないとばかりいってたが、そういう人は最後に皆に迷惑かけると姉が話していた。
・今日も絶対来ちゃいけないといってたけど、皆に来てもらってよかった。
・兄弟に胃がんはいない。お母さんは胃潰瘍。豊川のお兄さん、前立腺癌で治療中。

・最初は風邪っぽい症状。みんなかかったのに兄だけ治らなかった。
・一番最初に検査したのは2月頃。
・全身ガンに侵されて肝臓は機能していなかった。スキルス癌だった。
・3月1日に呼ばれて、3ヶ月位の寿命と直接いわれた。
・胃癌で手術できないという話を聞いた時に、ショックで下向いていたから、全身に転移しているとかその後の説明は耳に入っていなかったと思うとのこと。
・病院入院したのは、3月9日〜11日の三日間だけ。ガンを抑える点滴だったが、それで幻覚症状とおかしくなったりした。
・9日に手術する予定だったが、全身に転移していてもう治療できないといわれた。
・5月には寿司も食べた。
・流動食(コーヒーゼリーのようなもの)取り寄せてちょっと食べたが、みんな戻してしまった。
・ケースで買ったけど一杯残っている。

■2011年6月9日(木) 曇り時々晴れ 自宅で亡くなる。
朝10時12分、英ちゃんからお父さんが亡くなったとメールが入った。
照子は丁度美容院へ行って不在。
帰ってくるのを待って桶川へ行く。