2013/6/16 田老防潮堤跡

田老は「津波太郎(田老)」の異名を付けられるほど古くから津波被害が多く、江戸時代初期の1611年に起きた慶長三陸地震津波で村がほとんど全滅したとの記録がある。1896年(明治29年)の明治三陸津波では、県の記録によると田老村(当時)の345戸が一軒残らず流され、人口2248人中83%に当たる1867人が死亡したとある。生存者は出漁中の漁民や山仕事をしていた者がほとんどであった。(ホームページより)
万里の長城といわれていた田老の「防潮堤」跡で「防災ガイド」の説明を受け、バスに乗って移動、被災した「たろう観光ホテル」の5階で社長が撮影したというビデオを見る。

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