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清水澄子大動脈解離で死去、14日告別式

■2020年10月10日 清水澄子、大動脈解離で日赤病院で亡くなる。14日告別式。
浦和の姉(清水澄子)が亡くなった。
照子はプールへ行く日で、12時過ぎ出かけたけどすぐ帰ってきた。どうしたのかと思ったら・・・。
澄さんが具合悪くなり、香織が病院へ付き添って行ったら、そこで救急車を呼んで日赤病院に行ったけど、心肺停止の状態だったとか。
今処置をしていると電話があったとのことで、バスが出たばかりなのでタクシーで家に帰ってきた。
家に戻って間もなく、亡くなったと電話がきた。13時20分頃だった。
澄さんの最近は、あまり調子よくないとのことだったようだけど、会合とか出歩いていたようだ。
昔からいつも調子よくないと聞いていたので気にはしていたけど、今日明日の生死にかかるほどとは考えてもいなかった。
友部幸子夫婦が、長男の車で病院へ行ってくれるとのことでまかせた。
あと清水兄と娘の香織の5人が集まったとのこと。
17時前、友部幸子からの電話によると、死因は大動脈解離とのこと。
胃腸がおかしくて病院に行ったのだが、その途中で倒れたとのこと。救急車を呼んで日赤病院に行ったが駄目だった。
夜までに葬儀屋さんがこなくて話が進まない。
お寺さんに連絡したが留守電になっていて連絡がつかない。
結局、遺体は木崎の方(産業道路の北浦和駅近く)に安置して帰った。
葬儀、お寺さんの都合を聞かないといつになるか分からない。
14日頃になるかもなんていってた。
清水兄は家族葬みたいに小さくやりたい。
友部幸子に、家でやりたいから片付け手伝ってくれないかといわれたとのこと。
友部は、葬儀屋さんでやったほうがいいと思っているし・・・。
照子は、あんな汚い部屋でやれるはずない。
清水兄はケチだから、葬儀代節約したい意味もあるのではとうがった見方をしている。
なんかもめる気配がする。
清水兄のことは5年ほど前に、事務所の杉岡さんより、女性と同居していて長野に立派な3階建の家と田んぼを所有していて、その女性と一緒に暮らして農業をしている。
女性は看護師さんで50代位。弁理士の会合にその方を連れていき妻と紹介したらしい。
清水姉は、兄がどこに住んでいるのか分からないまま死んでいったと思う。
分からないというより、知りたくないという気配が十分感ぜられた。
近所からは旦那さん見かけないけどどうしたのと、行き会うたびに聞かれたりするので、近所の人に行き会うのが怖いなんて話も聞いたけど気の毒だった。
照子も住所全く知らなかったが、今年の年賀状に珍しく住所が印刷してあった。
それによると戸田市のマンションに住んでいるみたいだ。。

■2020年10月14日 清水澄子、さがみ典礼北浦和斎場で告別式
お通夜:コロナのことがあるのでしない
告別式:14日10時半
場所:さがみ典礼北浦和斎場
〒330-0044 埼玉県さいたま市浦和区瀬ヶ崎3丁目16−10
北浦和葬斎センター
北浦和駅東口より車で5分
北浦和駅東口 東武バス 市立病院行 東瀬ケ崎下車(徒歩1分)

7時41分バス発
青葉台発: 8時06分
      ↓ 田園都市線準急・清澄白河行
渋谷着 : 8時47分
渋谷発 : 9時04分
      ↓ 湘南新宿ライン快速・宇都宮行
浦和着 : 9時34分
浦和発 : 9時43分
      ↓ 京浜東北線
北浦和着: 9時45分

ラッシュ時は、渋谷まで準急で約40分、各駅停車で55分かかるので早めに家を出た。
各駅停車で座れなければ、準急で立ちんぼで行く予定で、最初にきた電車(準急)を見送った。
次の各駅停車で座れなければ準急にするつもりだったが、各停は意外とすいているので乗り込む。
青葉台で出発時、かなり座れる席があった。
渋谷到着時はそれなりに混んでいたが満員というほど出なかった。
みんなマスク付けている。99%とかでなく、100%マスク付けている。
自分の家から付けてきたマスク、息苦しいので取り替えようと予備のマスクを付けたところ、すぐ耳にかける糸が駄目になった。
何枚か持ってきたマスクもみんな駄目だったが、当初の包装袋に残っていたマスクが使えた。
不良品は、照子がプールの帰り一箱990円で買ったマスクで、帰ってきて調べたところ全部駄目だった。

渋谷駅の埼京線が山手線と並行ホームになって初めてなので緊張したが、意外とスムーズにホームまでたどり着いた。
最初に来た電車、埼京線の各駅停車赤羽行き。ゆっくり座れる席があるので乗り込む。
乗ってすぐ、埼京線各駅停車はあまりにも遅すぎるのではと気が付いて、次の新宿で乗り換えようと思ったが無理。
池袋でも乗り換えは無理だろうとあきらめて、そのまま赤羽まで行ったが、池袋駅ホームは反対側が湘南ラインになっていたので乗り換えればよかった。
浦和で乗り換えること考えれば大して変わりなしと、赤羽で京浜東北線に乗り換えた。
北浦和についたのは、予定より1電車前だった。
北浦和、タクシーが少なくしばらく待った。

9時50分:斎場到着。まだ誰も来ていなかった。
香織ちゃんのご主人と長女の詩音ちゃんが受付していた。
香織ちゃんのご主人は初めての顔合わせ。香織より10歳ほど年下とか。同じ会社で知り合った。
母親の育児放棄で施設にいたことがあり、香織と意思が通じたようだ。
しばらくして、友部、幸雄さん、伸男さんが来た。

10時45分:告別式が始まった。養福寺の住職は男性だった。尼住職は結婚してご主人が住職になったようだ。
焼香全て終わったのが11時20分。
続いて初七日法要。11時30分終了。
11時30分:弔電読み上げ。
健志、長野春日要、朝子、香織ちゃんの勤めているNTT物流センターから来ていた。
健志の弔電
 ご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申しあげます。
 甥の私を幼少時より、大変に可愛がって下さいました。
 いつも皆を思いやる、温かい情にあふれる方でした。
 時におどけて周りを笑顔にさせて、その様子を見て微笑んでいる。
 誰よりも人の笑顔を見ることが好きな方でした。
 今はただ、故人が安らかにご永眠されるようお祈りいたします。
照子はあんなに長い弔電聞いたことないといったてが、内容は良かった。
香織は弔電聞いて、お母さんのことよく表していて感激したといってた。

12時00分:棺へお花、お別れ。
12時10分:火葬場(浦和斎場)へ向けて出発。
直前に、40代くらいの女性が一人来たがどういう付き合いの方か? 12時45分:火葬場到着。火葬。
13時00分:食事。
みんな揃っているのに、清水兄の兄弟二人なかなかこない。トイレに行って迷ったのか? 香織が喪主挨拶。
本日はお忙しい中ありがとうございました。急なことで・・、皆で母の思い出話をしてください。
献杯音頭取りは清水長兄。直前、清水兄がお兄さんの元へ行ったが、事前打ち合わせしてなかったようだ。
アルコールはなしと説明があったが、幸雄さんはノンアルコールは駄目と、普通のビールを飲んでいた。
伸男叔父さんもそのようだった。
おれは逆に、ノンアルコールビールを飲んでみたいと頼んで飲んだが、アルコールなしなのに酔っ払ったような感じになった。

14時20分:骨上げ。
14時40分:終了。火斎場出発。
15時15分:斎場に戻る。
幸雄さんは、喪服を着替えている。
毎度のことのようで、照子にどうしてと聞いたら、利夫さんの事件の後からそうなったとかだ。
15時30分:友部は5人車で帰る。
その後、俺たちと幸雄さんはタクシーで北浦和駅に出る。
タクシーで、幸雄さんが1万円札出して払おうとしたので非常識と怒った。自分がパスモで支払った。
15時50分:北浦和発。浦和で幸雄さんと分かれ湘南ライに乗り換え渋谷に出る。座れた。
17時30分:帰宅。

幸雄さんのこと。
週3日、掃除の仕事をしている。
猛さんとはあまり会っていなくて、一人で住める住宅の保証人になってといわれた時、10万円出して保証人いらない管理会社があるからそこでやったらといってしばらく会わなかった。
猛さんのほうでは、お兄さんに断られたと思ってしまったみたい。疎遠になった。
時々電話してみたけど、結局孤独死みたいになってしまって後悔している。
北海道に墓参りに行きたいけど、飛行機はコロナで怖い。
茂さんは、少しボケ始めている。(茂さんの奥さんは元気と聞いたら)熟年離婚したとのこと。

香典:自分たちと友部は3万円(別にお花)/長野と桶川は1万円/健志1万円(別にお花)