個人れっすん 【前編】
先ず、何ゆえに僕がこの場所にいるか、いざるを得ないのか、ということから説明したい。
僕は、自分で言うのもなんだが、非常に優秀な学生だ。
エリートコースまっしぐらな人生を歩んでいる。
ところが、だ。
なのに、だ。
それが今、進級できるかどうかの瀬戸際に立たされている。
原因は、とある教授へのレポート提出にあった。
常日頃、提出物の期限にはゆとりをもって取組み、Aマイナス以下を取ったことのない僕だった。
が、よりによって、あの教授のレポートでやってしまった。
未提出。
いや、実際には提出したのだが、受理されなかったのだ。
タイムオーバー。
そう、期限を守れなかった。
それが原因。
変わり者が多いと評判の当大学内でも、その教授は、殊更異彩を放っていた。
見た目、言動、性格。
大学の教授とは思えない容姿。
モデルのようなスタイルに、サラッサラの金髪、アメジストの瞳。
の、くせに、中身は純日本人の中の日本人。
どう育ったら、あんなしゃべり言葉を話すようになるのか、今でも学生内の謎だ。
よく言えば、生真面目で、厳格。
僕等学生からしてみれば、融通が利かなくて、頑固。
そんな教授のレポートを落としたら、それはもう、泣いても転がっても、落第は免れない。
遅延理由で許されるのは、親の不幸と天災のみ。
それ以外は、当人にいかような理由があろうとも、受け付けてもらえない。
当日の電車の遅延でもだ。だから、提出期限日には、締切が夜の8時であっても、生徒たちは
えらい早く自宅を出る。
その日僕は、人生初の汚点に、教授のデスクの前で、灰になった。
レポートは、2日前には提出できる状態にあった。
それが、信じられないような不運に不運が、重なりに重なりに重なって・・・。
泣いても転がってもどうしようもな事態に陥った。
「残念だったな」
「・・・はい・・・」
灰になった僕は、指先からポロポロと崩れ落ち始めた。
「理由は聞かん」
「・・・はい・・・」
「ご苦労」
苦労と思うなら、受け取ってくれよ!!
だが口の中も、もうぽっそぽそ。
「・・・失礼、します・・・」
僕はきっと、あの扉にぶつかって吹っ飛んで、木端微塵の、粉々になるんだ。
教授に背を向けノロノロ歩き出した、その時だった。
「待て」
僕は犬か?
ピタリと足が止まる。
さらにこのままでは不作法なので、いちおう向き直った。
鋭い視線が飛ぶ。
その威圧感たるや、デカイ掌で、全身に相撲で言うところの張り手を食らったみたいだ。
というより、ダーツの的になった気分というほうが近いか。
ともかく、息苦しくて卒倒しそうだった。
「・・・・・・・・・ふむ・・・」
なんだよ・・・、なんなんだよ・・・!
こんな真面目で健気で幼気でイケメンな学生を、こんな不幸のどん底に落としやがって、
それでもまだ足りないのか?!
こっちはレポート1本落としただけで、下手したら人生の落伍者になるんだぞっ?!
じわり、眼がしらが熱くなった。
畜生〜〜〜っっ!
しかし、現実は現実だ。諦めるしかない。
この教授の授業は面白いし、履行してよかったと思ってる。
厳しい講義にもかからわず毎年人気なのもよくわかる。
失敗のない人生に満足していたと思っていたのに、何故だかこの時、ふっと肩の力が抜けた。
「貴様は」
「はい」
いまどき、生徒を“貴様”と呼ぶ、この口調も、慣れてしまえば、微笑ましいもので。
「2年の毛利、か・・・」
「はい、そうです」
今、このタイミングでわざわざ確認しなくたって、知ってんだろが。
「貴様、羽柴を知っているか」
「は・・・はいぃ?」
突然、その名前が出てきて、僕は、教授の前であるのも忘れて、素っ頓狂な声をあげて
しまった。
どうして、伊達教授の口から、あの“羽柴”の名前が出てきたのか、全く繋がりが見え
ない。
「知っているのか、知らないのか、どちらだ」
「あ、はっ、はいっ、し、知ってます!」
そりゃそうだろう。知らないわけがない。
なんせその名は、この大学に入って先ず知ることになる人物のものだからだ。
レジェンド羽柴
正しくは、羽柴当麻。
名誉教授
らしい。
何故“レジェンド”か。
それは、誰一人としてその姿を見た者はなく、彼がいったい何歳くらいで、何を研究して
いるのか、そもそも本当に存在しているのかすら疑わしいからだという。
まさにレジェンド(伝説)。
またの名を、幻の名誉教授。
それが、そんな奴の名前を、まさか、この超現実主義の伊達教授が発するなんて!
耳を疑いつつ混乱する僕を凝視したまま、目の前の教授は、机から一枚の小さな紙を出した。
「ここへ行け」
その紙っぺらが、大きなデスクのこちら側にきた。
僕は三歩進んで受け取り、二歩下がってそれを見た。
地図だ。
構内の。
地下4階?!?!
そんな場所がうちにあったなんて、初耳だ。
まさか・・・
「そうだ、その“まさか”だ」
「―――っ!!」
びっくりした〜っ。
伊達教授って超能力者かっ!?
・・・確かに、この人も年齢不詳だけど・・・。
つか、マジ、ビビるわっ。
「そこへ行き、奴のサポートをしろ。期間は半年だ」
「え、あ、」
「それで、このレポートは受理してやる」
サポートしたらレポート受理?
それってもしかして・・・!?
うっ、ぶるっ、さぶっっ
「なんだ?嫌なのか?ならば・・・」
「―――っっ!!!いいいいえっ、あのっ、あっ、ありがとうございますっっ!!!」
「そうか、ならば、きっちり勤めを果たせ」
「は、はいっ、ありが」
「ただし」
「はいっ」
「ただし、このことは決して他言無用。極めて特別な処置であることを忘れるな。他の
者に知れてはならん。わかったな?」
「・・・」
それって、秘密裏にやれってこと?
ううう・・・胡散臭〜・・・・・・・・・・・・。
でも、これを受けなきゃ、落第確定。
しかも噂によれば、伊達教授で単位を落とすと、その人の人生には突然ケチがつきだして、
その後恐ろしいほどの勢いで落ちてゆく、らしい。
だから皆必死なのだともいえる。
ならば、一か八か、賭けてみようじゃないかっっ、コンチクショーっ!
「わかった、な?」
「ははははいっっ!」
「うむ、退出してよし」
「はい・・・っ、有難うございました!」
が、
ちっとも有り難いことじゃなかった。
僕の予感は的中した。
地獄の三丁目。
地図に記された場所は、地図がなければ到達できない場所にあった。
今この紙切れをなくしたら、僕は永久にここから脱出できないのではないかと
不安にすらなる。
エレベーターに乗り、さらに非常階段を下り、いくつもの廊下を曲がり、過ぎ、
そしてまた階段を下りて、ここが本当に大学の敷地内なのかどうなのかもわから
なくなった頃、漸く薄暗い廊下の先に、その扉はあった。
コン・・・コン・・・コン・・・
無音
カッ・・・チャ・・・
「失礼し・・・」
真っ暗
なんだ。
いないのか。
じゃ、帰ろう。
と思った瞬間、ものすごい音量で音楽が流れだした。
「〜〜〜〜〜っっ?!?!」
びびびびびっっっくりしたぁ〜・・・。
なんだよ突然・・・。
て、あ、これ・・・
なんだっけ?
ホルストの組曲【惑星】の・・・どれだっけ?
あんまり聞いたことのないやつだ・・・。
えっとえっとえっと・・・、そうだ!
【水星:翼あるもの】だ。
へー懐かしいなー・・・
―――じゃなくってっ!!!
この音量じゃ、ここからどんなに声を張り上げても届きはしないだろう。
僕は仕方なく、この真っ暗闇に足を踏み入れた。
一応、礼節をもって。
「しーつれぃ―――っっ!!!のぉぅわあああああっっ」
ドンガラガッシャーーーン!!!
が、途端、漫画に描いたような豪快な効果音とともに、コケた。
と、同時に・・・
「誰だっ!!」
音楽が消え、人の怒鳴り声が轟いた。
立ち上がろうにも立ち上がれない。
床であるはずの場所は平らではなく、手のひらで何かを掴んでいるがその正体は
不明。
足にも早、何かが絡みつき、ただ足を一歩室内へ入れただけで、身動きの取れない
状況に陥っていた。
これがカオスか・・・!
マジでそう思った。
「部屋はいくらでもある。どれでも適当に使ってくれ。掃除機は、右斜め向かいの
入って左のロッカーにある。使ったことはないがな。ゴミやら洗濯物は、出て左
の突き当たりを右折して、二つ目の左の廊下、奥から2番目の部屋に放り込んで
おけば、誰かが持っていって、それぞれ適宜対処してくれる。クリーニングが戻っ
てくるのは、出した翌日の夕方だ。風呂は出て右の廊下を真っ直ぐ行った3つ目の
角を左折して2番目の右側にある。掃除は、したことないが、どうやら誰かがやっ
てくれているらしい。トイレも然り。ああ、トイレは出て、真正面だ。便利だろ?
さて以上だ、何か質問はあるか?」
「あの・・・食事は?」
「決まったメニューが、決まった時間に部屋の前に置かれている。今後はお前の分も
頼んでおこう」
「夜だけで結構です」
講義もあるし、バイトもある。日中くらいは、普通の生活を・・・
と、思ったところで僕の意見は無視されたことがわかった。
「ああ、それと、今後の講義は俺がやる。試験もだ。もうひとつ、バイトは辞めろ。
つか、辞めざるを得なくなるからな。他には?」
半分パニックに陥った僕は、マヌケな質問をした。
「あのぉ・・・教授って、おいくつですか?」
「あー、俺か?俺は、xxxx年生まれだ」
そう言って、薄気味の悪い笑みを、彼は浮かべた。
ヤツは、僕の1歳年下だった。
着替えやら身の回りのものを取りにいったん帰宅し、そのまま逃亡したい気持ちを
押し殺して、バイト先に連絡し、僕は大学に戻った。
こうして、独房ならぬ二人房での共同生活が始まった。
先ず命令されたのは、この本等に足の踏み場もない彼の研究兼生活スペースを整理
整頓することだった。
僕から言わせれば、9割9分がガラクタだ。
分類して、捨てるだけでいいだろう。
ただその量が半端じゃないのだ。
しかも、教授本人にとっては、どれも思い入れのある宝物なのに違いなく。
「ああん?捨てていいぞ」
「え?いっ、いいんですか?!」
「ああ、かまわん」
「え・・・でも。これって・・・」
「ゴミだゴミ〜。全部捨ててくれ」
「ぜっ、全部、ですかっ?!」
「ああそうだ。何か?」
これ以上、俺の邪魔をしたら叩き出す(この地下からは出さないが)と、顔にははっ
きり書かれていた。
「あ、いえ、はい、わかりました」
ありがたいけど、逆に不安になった。
後からやっぱりいるんだったのに、なんて言われても困る。
とはいえ、これを系統立てて、ゴミの分別方法以外で分類することは、僕には不可能
だ。
ええいっ!ままよっ!
僕は教授の指示に従ったまでだ。後のことなんて知るもんか!
片付けには、1ヶ月を要した。
ちなみに講義は、本当に全て彼から受けた。
この大学がここまで融通が利くというか、羽柴に牛耳られていたなんて驚きだ。
それに、信じられないことだが、この羽柴という教授は、あらゆる分野において、
専門家よりも専門家だった。
他に、例えば陽に当たらない生活による健康への弊害も、彼の発明によって解決
されていた。
人口太陽光ルームだ。
この大学は、彼の作り出したもので、どれほどの特許を得ているのか・・・。
ちょっと気が遠くなりそうだった。
そんなわけで、ここには、悔しいかな、生きていくための全てが揃っていた。
そりゃそうだ、完全引き篭もりの、この羽柴教授とやらが、十数年生きてこられた
のだから。
「他に、今までここに派遣されてきた学生はいるんですか?」
ある日珍しく、僕が夕飯を取っているときに、彼も向かいに座り食事を始めた。
僕は、いままで疑問に思っていて聞きそびれていたことを口にした。
「ああ、いた」
彼はいかにも無関心に答えた。
羽柴教授は、食事をしている時は、基本、目の前の食べ物のこと、いや、このほぼ冷
めた味気ないものから栄養を摂取することしか考えていない。
「そうなんですか。で、その学生は・・・」
「お前が最長だ」
まー、そーだろうね・・・。
「で、その学生は・・・」
「もちろん留年した。で、たぶん全員が退学したと思うな」
「えっ?!」
「そもそもここに来たのは、単位が足らんからだろ?」
「あ、はい・・・、まぁ・・・ええ・・・」
「ここで挽回できなきゃ、他の教科の単位も落とすことになるから、留年は確実だ。
それに、大概の奴は、ある日突然なんかわけのわからんことを喚きだして、急に
いなくなるんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
その哀れな学生達の気持ちは痛いほどにわかる。
年下のクソガキに、顎で使われ、勉強も教わらなければならないなんて、屈辱以外の
なにものでもない。
この大学に入ったほどの頭脳を持っていれば、プライドだってそこそこある。
自分の中で折り合いをつけられなければ、崩壊してしまうのも無理はない。
そんなことを考えていると、いつの間にか、教授の食事は終わっていて、窺うような
目で僕を見ていた。
そして、視線をテーブルの上の自分の手に落とすと、小さな小さな声で言った。
「お前は・・・、大丈夫か?」
「えっ?はい?」
「・・・ぁ、いやっ、なんでもない!早く食えっ、今夜はまだ、やってもらわんといかん
ことがある!」
「あ、はいっ」
でも、不思議と僕は、そんなにこのガキのことが嫌いじゃない。
ちょっと変わった弟?みたいな気がしているからかもしれない。
続き
目次にモドル
リビングにモドル