いったい、自分の眼に何が映ったのか、二人とも全く理解できなかった。
第一、こんなにも間近で人の顔なんて見たこともなかったし、
そんなシチュエーションになったこともないほどに、彼らはまだまだ青くて
初心初心(うぶうぶ)だったから。
だから、何がなんやらわからなくて、真っ直ぐに互いを見やったまま、
二人はごくごく普通〜に、朝の挨拶を交わした。
「・・・おはよ。」
「ああ。おはよう。」
ところが、この後がどうにも続かない。
で、とりあえずいつもどおりに朝食の準備でも・・・と、思ったほうがむくりと
起き上がり、ベッドから足を下ろした。
その瞬間
「わぁーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!!!!」
と、叫ぶことも出来ず、・・・固まった。
眉間には深〜い溝が。
そして、その様子を眼で追っていたほうも、石化した。
だって、そいつが“まっぱ”だったから。
布団の中に残っていたほうは先に我を取り戻し、自分の身体もそっと確認した。
もちろん、予想したというか、怖れていたとおりの結果である。
そんなわけで、二人は、道徳教育もなんのその、恋のABC(古っ)も
何も一足飛びに、仲間と言う一線も大きく飛び越えて、大人の仲間入りを
してしまった。
ようだった。
どうしてこんなことになったのか、これまた二人とも、今のところ全く
思い出せない。
しかし、昨夜の酒盛りが原因であることは間違いないと思われた。
「し・・・し・・・伸・・・?」ぴくりとも動かない相手に当麻は、布団の中から声を掛けた。
超おっかなびっくりで。
それで漸く、真っ白な世界から現実に戻ってきたらしい伸は、
ピクリと肩を震わせると、無言のまま、淡々と床に散らかっている服を身につけ、
さっさと部屋から出て行った。
残されたほうは、その後姿を見送ると、現実逃避に走った。つまり、もっかい寝た。
でも、さすがに、それで再びグーグー眠れるほど図太くはなかったらしく。
神経はピリピリ音がするほどに高ぶって。
薄く眼を開けると、カーテンの隙間からまだ早い朝の光が射している。
するとその中に、先ほどの裸身(後姿)が、淡く浮かび上がってきて・・・。
(なんや、えらいキレイやったな・・・)
ぼんやりとそう思った自分に、当麻は驚き、慌てて頭を振った。
(いかんいかん!惑わされとるっ!ああああ、あいつは、仲間やんか。
しかも同性やし!)
と、必死に否定した。
頭を冷やすためにも、そして危うく反応しそうになった身体を冷やすためにも、
うだうだした挙句に、仕方なく起きることにした。
気付けばここは客間だった。
よろよろとリビングへ向かうと、朝の日課から戻ってきた男に出くわした。
「どうした?早いな。二日酔いで寝ていられなかったのか?」
爽やかにキッラキッラの汗を光らせて征士は、朝の挨拶よりも先に、問うた。
「え?・・・あ、ああ、まあ、そんなところだ。」
実際、頭はクラクラしているし、似たようなもんかと。
対し、征士は呆れ半分の微笑を浮かばせ、
「4次会だか5次会だか知らんが、同じに飲み明かした伸はケロリとしているぞ。」
と、バスルームへ消えていった。
昨夜は当麻の誕生日だった。
ナスティや純がいないこともあって、未成年であるにもかかわらず、
無礼講でさんざ飲んだくれて、他の面々がいいかげん付き合いきれず引き上げた後も、
当麻と伸の二人は、さらに飲み続けたらしい。
普段はあまり仲の良さそうでないこの二人。当麻が伸を強引に押し留めたのか、
伸のほうが当麻を引きとめたのか、それは誰も知らない。
とにかく、それで、流れ流れて客間へ行き、終いにはイタしてしまったと。
そこで、当麻はハタ!と気付いた。
(俺、ほんま、伸とシたったんか??なんかの行き違い(??)から、すっぽんぽんで、
同じベッドに寝てしもただけかもしれん!せや、そうに違いない。うんうん。
いくらなんぼでも、あいつと×××なんて、ありひん!)
いきなりそう結論付けると、すーっかり心が軽くなり、なーんだ悩んで損した、
くらいな気持ちになって。
そんなわけで、先ほどは失敗した二度寝に再チャレンジするため、彼は、足取りも軽く
2階の自室に引き上げていった。
「ん・・・?当麻は、いないのか?」
シャワーから上がってきた征士は、リビングにいるはずの姿が見当たらないので、
キッチンへ向かって、訊ねた。
「は?」
5人分の朝食と格闘中の伸は、ちょっと機嫌が悪い。(今日は別の理由もあってだが。)
「いや、先ほどはリビングにいたのでな。二日酔いでいつになく早々に目覚めたらしい。」
「そう。でも、ここにはこなかったよ。」
これるわけないだろうけどね!と、言いたいところを飲み込んで伸は答えた。
「二日酔いなくせに、水も飲まずにまた寝に戻ったのか・・・、朝食の匂いで気分でも
悪くなったのか・・・、全く、仕方のない奴だ。」
「あいつは元々一般生活においてはしょうもない奴だよ。どうせ、起きてくんのは
昼過ぎだろ。ああ、そういえば、シャワー先に使ってゴメンね。どうにも酒臭くってさ。」
「いや、かまわん。」
「ね、そこの惣菜、テーブルに持ってって。」
「これか?ああ。わかった。」
伸は、本当は朝ごはんなんて作る気分ではなかった。
腰はずっと鈍痛を訴えてるし、それが否が応でも考えたくもない出来事を髣髴とさせるし。
もし自分が遼だったら、この辺にあるものは全て砕けているはずだ。
と、物騒&失礼なことを考えていた。
その後次々に起きてきた面々と、ほぼいつもと変わらない時間に朝ごはんが始まった。
ずずずずずぅ〜ずびっ
「っかぁー、うめぇ!やっぱ、飲んだ次の日はシジミの味噌汁だよなー」
どこのオッサンかと思うこのコメント。しかし、秀の身体にはもう一滴のアルコールも
残ってはいないだろう。
超人的な肝臓を持つこの男は、ぶっ倒れるほど飲んでも、翌朝にはきっちりリセット
されているのだ。
「俺、まだ世界が回ってる気がする・・・」とは、遼。
決して弱いわけじゃないが、他が強すぎるので、大概は途中リタイアとなる。
それがどうやら悔しいらしい。
「遼は、自分の限界がわかっていないからな。」征士はとにかく度を越えることがない。
「なんだよー俺だけ子供みたいにー。」ちぇ、と膨れるところがまだまだ子供だ。
「で、伸は?」米を口いっぱいに頬張りつつ秀が話しを向けてきた。
「あ?」若干、心ここにあらずな感じで、黙々と箸を運んでいた伸は、小首を傾げた。
「昨夜だよ!」遼の機嫌がイマイチなのもどうしてかわかってない。
「へっ?ゆ、昨夜?」途端に頭がパニクった。顔には出ずに。
「お前ら、あれからまだ飲んでたんだろ?何時ぐらいまでやってたんだ?
朝まで部屋、戻って来なかったじゃねーか。」
(やややや、“ヤって”たーーー!?!?なんで知ってんだ???いやいやいや、
冷静になれ、そのことじゃない。落ち着けー自分。落ち着くんだ・・・。)
伸は考えるふりをしつつ自分に言い聞かせた。
「私が起きて来た時、リビングにはいなかったな。」
「あーーーー、それは、ほら、リビングだと音が響くから、先に休んだ皆に迷惑だろ。
だから、あれから客間に移って飲んでたんだ。気付いたら寝てたから、
何時までかは覚えてないね。」
(あれからっていつからだよ・・・)
と、自分にツッコミながら、伸は尤もらしい答えを口にした。
そうして、(伸にだけ)やたらヒヤヒヤドキドキな朝食の時間は過ぎた。
昼過ぎ、かなりスッキリした面持ちで、件の男が降りてきた。
遼は、まだ世界が回ると言って、部屋に戻っていたが、征士と秀は、リビングで
寛いでいる。
「おは、ようーっす」
「今はもう“おはよう”の時間ではないがな、当麻。二日酔いはどうだ?」
バサリと新聞をめくりながら征士は、一瞬だけ当麻のほうを見やった。
「おう!もうバッチリ、スッキリ♪」
「朝昼ごはんは、テーブルの上。お茶はやかん。」
秀は、今ハマっているゲームから眼を離さない。
「おー。」
ダイニングの自分の席に座って、先ず朝ごはんから片付ける。
そして、昼食分にとりかかったところで、当麻は、何気ないふりで二人に聞いてみた。
「でー、遼と、・・・伸は・・・、どうした?」
「あー、遼の奴はまた(上を指差し)に戻って寝てんじゃね?伸はさっきまで
洗濯してたぜー。」
「客間の掃除もすると言っていた。」
「でもよ、今日の伸、なんかちょっと機嫌悪げじゃなかったかぁ?」
リモコンで連打しながら秀が言う。
「確かにな。当麻、少しは気遣え。伸は、ナスティに代わって家のことを全てやって
くれているのだからな。」
「わぁった。わぁった。んだよ、俺だけが悪もんかよ。」
ぶちぶちこぼしながらも、箸は止めない。
当麻は思った。
自分の中では勝手に、片がついた(という気になっていた)けれど、やはり、
もう一方の当事者とも話しをして、“誤解”はきちんと解いておかなければならないな、
と。
ブランチも終わり、珍しく後片付けまでやって、当麻は客間に向かった。
カチリ・・・静かにドアを開ける。
「・・・伸〜・・・?」
何もなかったはずと、自信を持っているにもかかわらず、ドキドキするのは、
日ごろの行いに対する後ろめたさか。
―――果たして伸はそこにいた。
掃除は既に終わっていたらしい。
今は、開けた窓の縁に寄り掛かって、外を眺めている。
その姿に、一瞬朝の光景がかぶり、ドキリとして、なんとなく続く言葉を
見つけられずにいると
「何しに来たんだよ。」
今は真冬だったっけか?と、思うほどに冷え冷えとした声が響いた。
当然、入口に視線を向けるはずもなく。
(あちゃー、やっぱ怒ってんなー。ま、仕方ないわな。)と、意味なく頭を掻きつつ、
「あー、誤解・・・をな、解こうと思って。」
後ろ手にドアを閉めて、当麻は、部屋の中ほどまで歩を進めた。
「誤解?」
ふん!と、鼻で笑うその空気は、とても正義の名のもとに戦う人間のものではない。
「お、おう。今朝の、あの・・・あの状態だが、あれは、なんというかだな、たぶん・・・」
「SE×はしてないって?」
当麻は、ギョっとした。
いつもお坊ちゃんぜんとして、スカしてる奴から、こんな直接的な言葉が出てくるとは。
でも、はっきり言ってくれて逆にありがたかったりもするので、便乗することにした。
「ああ、そうだ。あれはだ、二人とも酔っ払って、真っ裸になって、同じベッドで寝た。
それだけだ。だから・・・」
「気にすんな・・・って?」
また先回りされた。
本当に今日の伸は機嫌が悪い。
ここまで悪いのも見たことがないほどに。
ならばなおさら触らぬ何とかに祟りなしで、早く退散したほうがよさそうだと
当麻は判断した。
それで、
「そのとおりだ。それを言いに来ただけだ。じゃ・・・」と、踵を返し、
この忌々しい部屋から出て行こうとした。
その時。
ふとベッドに目がいった。
上掛けもなく、剥き出し状態のマットレス。
で、そこにあったのは・・・・・・・・・
薄っすらと残る染み。
拭いた後、乾かしている途中の、シーツの下まで滲みてしまったそれは、
当麻の眼に一直線に飛び込んで、ガツーン!と脳天を直撃した。
そして、その場から動けなくなった。
すると、
「気にすんなよ。」
恐ろしいほどに抑揚のない声。
「・・・え?」
「事故だよ。」
「は・・・?」
「事故。」
「じ・・・じ、じこ?」
伸は、はあっ、と大きく息を吐くと、窓辺にもたれたまま腕を組んでこちらを見た。
逆光で表情は見えない。
「お前、天才なんだろ?」
「え、あ、いや、まあ・・・」
「だからさ、こういうこと。二人して飲酒運転して、衝突事故を起こした。
お前が追突してきたほうで、僕がカマを掘られたほうってわけ。」
どえらい真っ直ぐストライクな例えだと、当麻は感心した。
続けて伸が言う。
「僕らは間違いなくシたんだよ。だけど、こんなことがきっかけで、
これ以上亀裂が深くなってもまずいだろ。だから変に引きずらないように、
示談にしてやってもいいよ。」
「じだん??」
「そう。今後、僕の半径1メートル以内に近づくな。但し、戦闘時や他の皆が
一緒の時は除く。違反した場合には『都度、僕の言うことをきく』・・・で、どうだ?」
そもそも、二人とも互いのことはあまり快く思っていないし、確かに今回のことは
事故と言えば事故だから、こんなことで、昨晩のことをなかったことにできるのなら、
お易いもんだと当麻も思った。
しかし、それと共に落ち着いてきた当麻は、少し意地悪な気分にもなって、
「なるほど、いいぜ。だがそれじゃ随分一方的じゃないか。俺が加害者で、
お前が被害者って決め付けてる。このことが事実だとしても、もしかしたら、
お前が急ブレーキを掛けたから、俺がぶつかっちまったのかもしれないじゃないか。」
「はぁ!?な・・・っ」
「お前が加害者かもしれんだろ。だから、こっちからも示談の条件を出させて
もらいたい。」
「なんだよ・・・それ・・・」言いながら、それでも伸は「わかった。いいよ。」と了承した。
当麻からの条件は、『皆の前で俺を怒らないこと』だった。
日頃ムカつく思いをしていることを、この際に止めてもらおうという魂胆だ。
それでも、示談成立とあいなった。
当麻は窓が開いているにもかかわらず、息苦しいその部屋から脱出した。
残った伸がどんな貌をしていたかなんて、考えるゆとりもなく。
そんなわけで、表向きには、これまでどおり、元通りに戻った。
伸のポーカーフェイスは、別の意味で征士と張る。
征士の鉄面皮は、自分を律する性格そのものが表れているというか、嫌味もないから
気にならないが、伸のほうは、柔和なつくりの顔を自覚しつつ上手く利用している風で、
当麻は、そんな伸を、表面ばかりいい子ちゃんの薄気味悪い奴と感じていた。
たかだか半年の差で、兄貴面するのも、イラつく。
いつも頭のどこかで『いけ好かない奴』だと思っている。
だから、半径1メートル以内に近づくなというのは、実に有難く簡単な申し出だ。
と、思っていたのだが・・・。
(あかん・・・!気になる、ものっそ、気にしてるやん俺!)
近頃は自分が嫌になって頭を抱えることしばしばだ。
そう、あれから当麻の視線は、伸を追いかけがちになった。
ふっくりとした桜色の唇にぼうっと見惚れて、触れたいなと思ってしまったりとか、
うっかり視線が合ってしまった時に、何か言いたげに開いた口をきゅっと窄め、
少し頬を赤らめて眼を逸らす仕草が、可愛いな・・・とか思ってる自分がいたりなんかして。
ヤバイことこのうえない。
とうとう夢にまで見るようになってしまった。
あの朝に見た、淡く輝くような白い背中、オブジェのような肩甲骨のライン、
薄く浮き出た背骨を真っ直ぐに降りてゆくと、程好く締まった双丘があり、
その先にはすらりと伸びた脚・・・と、何度も蘇っては、当麻を悩ませた。
折角の初体験をまるっきり覚えていないと言うのも口惜しく感じたりなんかして、
その都度(いやいやいや!俺はモーホーちゃうっ、決してそんなやない!!)と、
言い聞かせるものの、若者の身体はそれはそれは正直で、意志の力でもどうにもならない
こともあり。
当麻は落ち込み気味でヘロヘロだった。
一方、伸のほうも、自分から提案した割には、示談で一件落着とはいかなかった。
なんせ、彼のほうは、掘られてしまったのだから、精神的ショックは当麻の比ではない。
あいつを受け入れた箇所は、僅かとはいえ3日ほど血が止まらなかった。
それがどんなに屈辱的だったか。
なんで、どうして、そんなことを許したのか、あれから毎日“後悔先に立たず”
“酒は飲んでも飲まれるな”の文句が頭の中を交互にぐるぐるしている。
皆にはまだバレていないが、相当かなり結構だいぶ、参っていた。
見つからないように草むらで吐いたこともある。
あんな奴のことで、こんなにも動揺する自分にもうんざりしていた。
伸も当麻が嫌いだった。
飄々として人を食ったような態度、自分は天才で他の奴とは次元が違うとばかりに
見下す目線、年下のくせに尊大で、ズルズルとだらしない日常生活。
そのどれもこれもが伸を苛立たせる。
トルーパーとして出会わなかったら、絶対に友達にすらならないタイプだ。
それなのに、最近、そんな奴の視線が気になる。
(・・・また、見てる・・・)
当麻は約束をきっちり守っている。さりげなく自分と距離をとり、近づいてこない。
けれど、ふとした瞬間に、視線を感じるのだ。しかもそれには今までにない温度がある。
・・・ように感じる。
自意識過剰なのかもとも思うし、とにかくむずむずして居心地が悪い。
ほんとは「見てんじゃねーよ!」と怒りたいけど、例の規約で怒れないし。
それも、伸を疲弊させる要因のひとつだった。
そして、二人のこの状態は、とても問題だった。
「妖邪だーっ!!」秀の緊迫した声が響いた。
この世から悪はなくならない。
彼らがここに留まるのは、こうやって時折湧いて出てくる負の塊を処理するためであり、
より強大な敵が現れることを予期してのことだ。
もちろん、妖邪が出没するのは、この柳生邸界隈だけではない。
誰かが感知すれば、日本全国(たまに海外も)津々浦々、偵察に行き、
必要な人数でそこまで行くか、こちらにおびき寄せたりして対処している。
そして、その辺の采配を振るっているのは、もちろん智将である当麻だ。
この日もそうだった。
ところが・・・
「馬鹿者っっ!」
この怒声は征士のものだ。
彼がここまで声を荒げるのは珍しいことで。
「・・・悪かった・・・」
落ち込みまくっている声の主は、当麻。
彼もここまで殊勝に謝ることは滅多にない。
それもそのはず。当麻は、判断を誤ったのだ。結果オーライだったにせよ。
当麻は敵の位置を勘違いした。
そのせいで妖邪共に背後へ回られて、危うく伸がその犠牲になるところだった。
前線にいた征士が異変に気付き、秀に知らせ、事なきを得たのだ。
遼が別の、後から現れた奴等に応戦中で、そちらに気をとられていたというのもある。
けれど、そんなことは今までにも経験してきたことで、しかも久々に数が多かった
とはいえ、一介の妖邪兵相手だ。注意力散漫を責められても仕方のないことだった。
征士は、ひとつ溜息を零すと、項垂れる当麻の肩に手をやって、確かめるように力を
込めた。
「どうした。疲れているのか?貴様らしくない。」
「・・・いや。単純に俺のミスだ。本当にすまなかった。」
「誤る相手は私ではない。」
そう言って、やや離れたところで二人のやり取りを見ている三人、そのうちの二人に
眼を向けた。
既に武装も解き、アンダーギアも解除して、彼らは庭先にいる。
当麻がおずおずと顔を上げ、気まずい思いでそちらを見やると、そいつらと目が合った。
秀は、笑顔で拳をあげ無事を表してくれたが、伸は、瞬間、汚らわしいものでも
見るかのように目を眇めると、秀に声を掛け、くるりと向きを変えて、他の二人と共に
家の中に入ってしまった。
当麻は打ちのめされた気分だった。
「まあ、今回は、秀が打撲した程度で助かってよかった。今後の教訓にしろ。
さ、私たちも戻ろう。」
支えるように腕を掴み、征士が促した。
つい先ほどまで、刷毛で刷ったような桃色をしていた西空も、徐々に薄墨の世界へと
変貌して。
一番星と細い月が見下ろしていた。
ここで戦いがあったことなど嘘のように静まり返り、冷たい秋風が落ち葉を舞い上げた。
家の中では、伸が秀の手当てをしていた。傷を確認し、すり傷に消毒し、打撲した箇所に
湿布を張りさらに氷をあて、遼に後を託すと、夕飯の支度にキッチンへ向かった。
途中当麻たちとすれ違ったが、一瞥することもなく。
「秀・・・、すまなかった。・・・怪我、大丈夫か?」リビングに入るや、当麻は頭を下げた。
「あ?あー、これかぁ?こんなの、机の角にぶつけた小指のほうがよっぽど痛いぜ。
だーいじょうぶ!気にすんなって。」
「本当に悪いっ」膝につくほどに腰を折る。
「やめろよー。お前がそんな殊勝に謝んの、気持ち悪いぜ。な、遼?」
「え?あ、うん。そうだな。らしくない・・・っていうか・・・。ただ・・・俺、伸のほうが心配だ。
すごく顔色が悪い気がする。」
「なんだよお前、薄情だなー。あいつの場合、ご機嫌が斜めなんだよ。自分を庇って
俺が怪我なんかしたから。」
「そう・・・かな・・・。」
「だからよ、当麻、後ででいいから、伸にもきっちり詫びいれとけよ。俺の分も含めてさ。」
「なんだよ・・・それー・・・」
秀はああ見えて、彼なりに気を遣っている。それはすごく有難いことだ。
けど、そんな二人の会話を聞いていた当麻は、別の思いに囚われていた。
あの“事故”から約2週間。
あいつはこれまでどおりに“いけ好かない”奴だった。
けれど、もしかしたら、自分が思っていた以上に、彼は怒っていて、
そして傷ついてもいたのかもしれない、と、今更ながらに気付いたからだ。
同姓同士でSE×した場合の受け入れた側の身体の負荷なんて、考え及びもしなかったし、
心の傷も然り。
あんな、示談もどきの口約束なんかで、解決したと、それどころか、なかったことにできた
とすら思っていた自分に、当麻は内心で舌打ちした。
それで、もう一度秀に詫びを入れると、キッチンへ向かった。
伸は、着々と夕飯の準備を進めている。入口からは横顔しか見えない。
料理をする彼の周りには一種の緊迫した空気が漂っている。
効率よく作るために集中しているからだろう。
当麻は、これまでその姿を見たことがなかった。
料理は出来上がったものがテーブルに並んでいて当たり前だと思っていた。
その無駄のない動きに思わず眼を奪われいると、
「何見てんだよ。」と、あの時の客間での会話を髣髴とさせる口調で、こちらを見もせずに
突っかかってきた。
ここからの声は、リビングには聞こえない。
それで漸く、ここに来た用件を思い出した当麻は、
「あ・・・、今日は、ほんとに、その、悪かった。・・・俺の采配ミスで・・・」
「別に。」
続く
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