恋愛報告書

【前編】




彼等がそういう意味での付き合いを重ねてもう数年になる。


俺たちの出会いを考えれば、そんじょそこらのことじゃ驚かない自信があったが、あの二人の思いもよらない関係を知った時は、そりゃあもうこれ以上ないくらいにぶったまげた。
まさか自分の身近で、それこそ身内とも言える存在同士で、しかも唯一の女性であるナスティを差し置いて()、同性同士で、“そういうこと”になっていたなんて!


初めてそのことを知った時、俺は咄嗟に何故?と訊いた。
で、その質問に対する回答はこうだった。


「さぁ・・・どうしてかなぁ。・・・なんとく・・・かな?なんとなく、そうなっちゃったんだよねぇ」


彼は苦笑しつつ、あっけらかんと言ってのけたが、俺のほうはちっともスッキリしなかった。
それでも彼は、これまでと変わりなく、表面上は至って普通だったから、俺もそれ以上の追求はできなかった。
それに、伸がそう言うのなら、こんなことも、合意のうえでのことなんだろうし、彼等はそもそもそういう嗜好だったのに違いないと、自分の中で割り切った。


それぞれが個性の固まりみたいな俺たちの中で、毛利伸という奴は別の意味で異質だった。
我が強く、強引で、ぶつかり合ってばかりの俺たちの間を、伸は、海を泳ぐ魚の如く、するすると通りぬけつつ、潮流を変え、和ませ、いつの間にか衝突する力を結束する力に変えさせる能力を持っていた。
それでいながら、そのことをひけらかしたり、恩着せがましくすることもせず、当たり前のようにやっていた。
時々びっくりするほどの鋭い、というか、キツイ一言も飛び出したけれど、彼が言うと、さほど腹も立たないから不思議だ。
その存在に、俺たちはどれほど救われていただろうか。


けれど、もっと早く彼の苦しみに気づいてやれていたら、彼の人生は違う方向へ進んでいたかもしれない。
あの時の俺は自分のことに手一杯で、彼の表面しか見ずに、甘えてばかりだった。


俺たちより1学年上とはいえ、実際は半年かそこらしか違わない同年代。
いくら出来た奴だって、温和な奴だって、あの状況下で“普通”でいられるわけがない。
だから当然、彼の中にも歪み(ひずみ)は生じていたわけで。


そして、そんなことにちっとも思い至らなかった俺とは違い、あいつ、羽柴当麻は、伸の中の酷く不安定な一面にいち早く気づいたのだ。
まさに天からの眼を持っていたということだろう。




今でも時々思い出す。
小田原の家の、別棟にあった書庫で、彼を見つけた時のことを。




滅多に足を踏み入れないそこに向かったのは、本当にただの偶然、俺の気まぐれな行動だった。
当麻が出て行くのが見えて、もう誰もいないと思ったそこで目にした光景に、俺は自分の目を疑い言葉を失った。


小さな天窓からの明かりに埃が漂う部屋の奥、見張りの時に使うブランケットがぞんざいに放られているその下に、気絶するように倒れこんでいる人がいた。


それが・・・伸だった。


ブランケットからはみ出している肩、腕、脚は白い素肌を晒している。

彼は明らかに何も身につけていなかった。



「し・・・っ・・・」


どうしたらいいのかわからないくせに、彼の名を呼ぼうと発した声は喉に絡まり、たった一文字で消えた。
けど、彼には十分だった。


はっと息を呑む音とともに起き上がると、真っ直ぐにこちらを見た。
薄暗いその場所に、ほっそりとした裸体が、淡く光り浮き上がっている。
俺からは逆光で、表情はわからない。
ここで何があったかなんて、いくら俺がガキだガキだと言われていたって、それくらいわかる。


相手は当麻だ。


時間が止まったように感じた数瞬の後、伸は漸く状況を理解したか、慌ててブランケットを巻きつけた。


「・・・りょ・・・う・・・?」


その時になって俺は、黙って出て行ってもよかったんだ、と気づいた。
が、時既に遅し。
俺は、恐る恐る彼のほうへと歩を進めた。
傍へ寄り、膝を突き、近くに散らばっていた服を無言でかき集めて、手渡した。


「ありがと・・・」


いつもの滑らかさの失われた小さな声が、静かすぎる書庫に響いて、俺は、咄嗟に彼の手首を捕らえて言っていた。


「どうして・・・っ」


そして彼は、微笑を浮かべて答えたのだ。


何も言えなくなった俺に伸は、


「あ〜あ〜、遼には知られたくなかったのになー。油断しちゃった。失敗失敗。ごめん、こんなの・・・気持ち悪いよね?」


などと、ケロリと笑ってのたまった。


俺は、そんなことない!というようなことをしどろもどろに言って、服を着て何事もなかったかのように歩く彼の後に付いて書庫を出るのが精一杯。


二人の情事に気づくような場面に出くわしたのは、後にも先にもその一度きりだった。
彼等も見つかったことを教訓に、いっそう用心したのだろう。
それに俺も、あえてこのことを他の奴等に話したり、二人に問いただしたりして、蒸し返すつもりもなかった。


そうして、あの戦いの間、そのことはそれきりになった。


だが、話は“それきり”なんかじゃなかった。


戦いが終わって、それぞれが郷里に戻り、普通の生活を再開したのも束の間、伸は突然上京し、一人暮らしをはじめた。
“一人暮らし”なんて、なんだかまた、一気に一人だけ大人になって遠くなってしまったように感じたけれど、しかし、実際一人でいた時間はさほど長くなかった。
彼の住まうマンションに最初は通い詰め、入り浸り、そのうちに居座った奴がいたからだ。


俺は思った。


なんだ、あいつ等、まだ繋がってたのか。


俺はなんとなく、あの二人はたぶん、戦いの終わりとともに別れるだろうと、勝手に思い込んでいたのだ。
ところがそうじゃなかったということに、少なからずショックを受けたのは事実。
けれど、共に死線を潜り抜けてきた俺たちだ。今更、真正の同性愛者だったからって彼等を蔑視したり、忌み嫌うつもりもなかったし、まあ、両想いならいいんじゃない、程度に考えていた。




ある時までは。




無事に大学生になれて、浮かれまくりの夏休み、俺は秀の家に遊びに行った。


「よおっ!遼っ、久しぶりだなぁ!」

「秀!元気だったか?」


戦いが終結した後も、俺たちの交流は続いていた。

ただ、あれからすぐに伸の受験があったり、翌年は俺たちがそうだったために、戦いの後に全員が一同に会したのは一度しかない。
それ以外は、適当に連絡を取り合って、会える奴とだけたまに会っていた。

とはいえさすがに受験前の秋以降は全員と疎遠になってしまっていたから、久々の再会に大いに、俺たちは盛り上がった。


ところが、互いの受験勉強の苦労話に花を咲かせ、ひと段落すると、秀が思わぬことを口にした。


「そういやぁよ、お前、あの二人、今どうなってっか知ってっか?」

「あの二人?」
「んだよ、あの二人っつたら、当麻と伸に決まってっだろ」


彼等の名前を一度に聞いて、あれ以来、態と頭の角っこに追いやっていた記憶が、熱した鍋の蓋を開けたように、一気に蘇ってきた。


「え・・・えっ?」
「ん?あれ?遼、お前、知ってんじゃなかったのか?」
「え・・・あ・・・いや、知ってない・・・ことは・・・ない、と、思う・・・けど、・・・なんで・・・」
「なんで、って、だって前に当麻が・・・」
「当麻が?秀に?」


伸は、俺には秘しておきたかったと言った。
けれどそうは言っても、バレてしまったことは、当然、当麻にも話しただろう。
でもじゃあ、当麻は、伸とのことを隠す気は、はなからなかったのだろうか。
秀が二人のことを知っているということは、そういうこと?


なんとも腑に落ちない顔でいたのだろう。
秀がまるで弁解するみたいに説明を始めた。

どうやら、あの柳生邸の屋根の下、俺の知らないことは多々あったようだ。


「あ〜・・・、なんっつたらいいか・・・、俺と征士はよ、知ってたんだ」
「知って・・・た?!・・・って、俺よりも前に?」
「ああ。遼はさ、一人部屋だったからな。隠せるうちは隠しときたい、って言ってたんだ。ほら、わざわざ言うようなことでもねえだろ?だから・・・」
「なん・・・っ!お前ら、部屋、交代してたのか?!」
「ん〜、まぁ、ちょくちょく、な」
「な・・・なんだよ、それ・・・ズルイ・・・」
「まぁまぁ、怒るなって。もう時効だろ」
「おっ、怒ってなんかないっ。けど・・・うう・・・っ、まあ、いいや。・・・で?それで、どうして俺にバレたって話しになったんだ?」
「あー、そうそう、当麻の奴さ、どういったわけか知らねえが、そらもう、すっげえ、伸に入れ込んででさ。伸も伸で、嫌なら断りゃあいいのに、どういうわけか、当麻の言いなりでよ。なもんだから・・・」


そこで秀は、少しばかり言いずらそうに、指先でこめかみを掻いた。


「・・・若さに任せて・・・っつーか、加減を知らねえっつーか、次の日に響くほどな時もあったりして・・・で、時たま伸の奴、体調崩したりしてさ、だから俺と征士で・・・」
「ちょっ、ちょっと待てよっ、伸が?体調を?」
「いや、まぁ、そこんとこも、あいつを責めないでやってくれよな。あいつ、お前には弱いとこ見せたくなかったんだ」
「弱いとこ・・・。俺って、そんな頼りなかったのか・・・」
「あぁーあぁー!違う違うっ、んな落ち込むなって!そうじゃねえよ。あいつはただの格好つけしーだったってこと」


秀のこの取り繕ったような弁解も釈然としなかったけど、今は当時の俺がどうだったってことより、例の二人の話のほうが気になった。


「わかった・・・、で、伸は、当麻に付き合って、体調を崩したりしてたんだな?けど、そんなでも、当麻を拒絶したりすることはなかった?」


確かに、記憶を辿れば思い当たることもあった。
たまにだけれど、伸の顔色が優れないと感じた時もあったし、ほんとに稀にだったけれど、寝坊してくることもあった。
あれは、そういうことだったのか・・・。
まさかそんなことになってたとは想像だにしなかった。
あんな場面に出くわしたくせに、俺ってやっぱり鈍感だったんだな・・・。


「んー、あぁ、そうだ」
「それで?」
「ああ・・・、それで、俺と征士で、いい加減にしろって、当麻の奴に忠告したんだ。お前の我侭で伸を振り回してんじゃねえよって。ほら、伸の体調は俺たちの腹事情に直結するしな」
「ああ、・・・うん」


たぶん、秀、それはお前ならではの理由だよ・・・。
とは、言わなかった。


「それによ、黙っててくれったって、そんなじゃ、遼にだって、いずれバレるぞ!って」
「・・・でも、その話をした時には、俺はもう知ってた」
「ああ。お前にはもうバレてるし、伸の体調管理が悪いのは俺のせいじゃない、あいつとのことにはもう口を挟まないでくれって言われちまってさ」
「うわ・・・、なんだよ・・・それ・・・っ」
「まあ、でも、んな風に言われちまったら、あの時の俺たちじゃ何も言い返せなくって・・・」
「・・・伸には・・・、伸には、何か言わなかったのか?」
「言ったさ。当麻に言ったのと同じようなことをな。当麻なんかに振り回されてんなよ、あいつに弱味でも握られてんじゃねえのかって。そしたら」
「ら?」
「大爆笑されて、謝られて、これからは迷惑掛けないようにするから、当面は眼を瞑ってくれって」
「なんだか当麻と似たような答えだな」
「ああ。もしかしたら口裏合わせしてたのかもな」
「じゃあ、結局は、説得でき終いだったわけだ」
「おう・・・。けどまあ、その後から、一応伸が体調を崩すようなこともなくなったし、いかんせん戦いのほうが佳境に入ってったからな。それどこじゃなくなったってのが本当のところだけど」
「そっか・・・。で、じゃあ、戦いが終わって、二人暮らしを始めてからのあいつらについては、秀と征士は全く知らないのか?」
「全くじゃねえよ。たまに会うことはあったさ。遼だって、そうだろ?」
「ああ、まあ、そうだけど・・・別にあの頃と変わった風には見えなかったし、何か問題があるようにも見えなかった。それに・・・、そういえば、こう言っちゃなんだけど、恋人同士にすら見えなかったな」
「な?そうだよな?普通だったよな?」
「うん・・・。それで、じゃあ何で、今、その二人のことがそんなに気になるんだ」
「いやさ、実は先週、征士の奴から連絡があってよ・・・」


そっからの話はこうだ。


夏休みが始まって2週間ほど経ったある日、征士の元に伸から連絡があって、暫く泊めてもらえないかと言ってきた。
特に断る理由もなかったから、征士はもちろん快諾し、二日後、伸は仙台にやってきた。
ところが、駅から現れた伸に、征士は驚いた。
なんだか顔色も悪く、やつれていたというのだ。
当然、あの性格の征士だ。そんな様子の友人を見て黙っていられるわけがない。
だが、いくら理由を問いただしてみても、いつもの調子で、上手くはぐらかされてしまって、来訪の本当の目的も、やつれ具合の理由も、最後まで教えてくれなかったらしい。


結局、一週間ほど征士の家に泊まって、伸はまた当麻と暮らすマンションに帰っていったという。


「んで、征士がよ、もしかしたらあの二人、一緒に暮らしてるけど、上手くいってないんじゃないかって、心配してさ」
「それで秀のところに電話してきたって?」
「ああ。征士と俺の一致した見解では、当麻がまた好き勝手して、伸を困らせてるんじゃねえかと」
「で、プチ家出?」
「ああ、んで俺、思い出したんだ。前に伸が電話してきた時のこと」
「伸が?」
「ああ。そん時さ、『もう疲れた。当麻に付き合ってたら、身体がもたない』って」
「で?秀は?なんて言ったんだ?」
「なら別れりゃいいだろって」
「そしたら?」
「『それはできない』って言ったな」
「うーん・・・それにしても、伸はどうしてそこまで当麻に縛られてるんだろう」
「それが分かりゃあ、俺たちも心配なんかしねえんだけどよ」
「それで、俺が何か知ってるんじゃないかって思ったのか?」
「まあな・・・。知ってるっつーか、何か気づいたこととか、なかったかと思って。お前、伸の一番のお気に入りだったしさー」
「・・・俺がそんな鋭い奴じゃないってこと、知ってるだろ・・・ほんとは、何か別の話があるんじゃないのか?」
「おっ、お・お・おっ!遼ちゃーん!なんだよぉ〜鋭くなったじゃねぇか〜!兄ちゃん嬉しいぜっ」
「んだよっ俺のほうが誕生日早いだろっ!ったく、馬鹿にしやがって」


で、俺は、猫の首に鈴を着けに行くネズミの役を担うことになった。


翌日には征士も上京してきて、秀の家には3人の侍が集結した。


俺が二人の様子を探りに行き、あまりにもな状況なら、暴君当麻の下から伸を救い出す手はずとなった。
そのために、フランスにいるナスティにまで連絡を取って、避難場所の確保までした。

もしもそこに当麻が現れたら、三人で伸を守るのだ!


明るく楽しいはずの夏休みは、急に、重く真剣な様相を呈してきた。


早速、俺は伸に連絡を取った。
彼はすんなり、俺と会う約束をしてくれた。
その声は、いつ聞いても耳に心地よい柔らかなトーンで、とても当麻から酷い仕打ちを受けているようには感じられなかった。


先ず、街中で待ち合わせして適当に食事なんぞしながら、隠し事の上手い伸を観察しつつ、会話から近況を探る。
それから二人のマンションに上がりこみ、敵情視察だ。




ギラギラと照り付ける太陽の下、待ち合わせ場所に立つ彼に合図すると、爽やかに手を振り返してくれた。


昔から思っていたのだが、どういうわけか、伸の周りだけは空気が違う。
すっと軽く、息がしやすくなるのだ。
当麻もきっと、彼のそんなところに惹かれたのだろうと、今なら分かる気がした。
数ヶ月ぶりに会った彼は、以前にも増してキレイになったようにすら思える。
まぁ、男に“キレイ”なんてあまり使う言葉じゃないとは我ながら思うけれど、この形容が一番しっくりくるのだから仕方ない。
これが先週までは、征士の家でしょんぼり、げっそりしてたのかと疑うほどだ。


俺たちは、まるで遠距離恋愛中の恋人が久々の逢瀬を楽しむが如くに楽しい時間を過ごした。
うっかり本来の目的を忘れてしまうところだ。
伸も俺も、よく笑い、沢山話した。
所々で当麻とのことをさり気なく話題に乗せてみたが、会話の中ではこれといって、虐げられているような言動は見当たらなかった。


時間が経つにつれ、俺たちの勘ぐりは、誤りだったのではないかという思いが強くなる。
彼はいたって幸せそうだ。


ところが―――


「えっ?う、家に?」


俺が二人の家に行ってみたいと言い出した途端、彼の表情が変わった。


「あ、やっぱ、急じゃ拙いよな。けど俺、一度もお前達の家行ったことないからさ。それに、伸と話してたら、当麻にも会いたくなっちゃったし」


もちろん、この街が彼等の家に近いことは最初から計算済。


「当麻に確認しないと、ダメか?」
「えっ・・・いや、別に、そんなことはないけど・・・」


俺は、じっと伸の目を見た。
彼が俺にめちゃ甘なのも当然織り込み済み。
だから俺がネズミ役なのだ。


案の定、彼は、苦笑いを浮かべつつ、


「わかった。いいよ、行こう」


俺の我侭を聞いてくれた。


だが、その時の俺は、まさかあんなものを見聞きする羽目になるとは、思いもしなかった。






つづく





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