【中編】
「ここだよ」
彼に案内されて着いたのは、さっきまでいた街から2駅先の、落ち着いた感じの住宅街にある、煉瓦造りの小洒落たマンションで、そこの5階が彼らの住まいだった。
「当麻は、今日いるんだよな?」
「うん。何かやらなきゃいけないことがあるとか言ってたから、ずっといると思うけど・・・」
そう言って、鍵を差し込み、ドアノブを回した。
「あははははは!やだぁー!羽柴君たらぁ〜っ」
ぎょっとした。
耳に飛び込んできたのは、明らかに女の人の声だ。
視線落とせば、鮮やかな色のハイヒールが並んでいる。
「あ、また来てたんだ・・・」
横を窺うと、その真ん中に置かれた靴を見つめ、伸が、ぽつりと呟いた。
“また”だって?!
俺は、心の内で驚いた。
するとまた、奥から声が聞こえてきた。
「やだっ、ちょっと、羽柴君てばどこ触ってんのよっ、もおっ」
「えー、いいじゃん、ちょっとぐらい。な?いいだろ?な?な?」
「もー、しょうがないわねぇ」
――――っ!
なんだなんだなんだぁ〜〜〜〜〜っっ!!!
このどっかの安っぽい飲み屋のオヤジとアホ女みたいな会話は!
俺の頭は一気に噴火した。
気づくと、伸の手を引っ張り、予定されていた行動に移っていた。
「ちょっ、ちょっとちょっと、痛いよ、遼っ、どうしたんだい急に?!」
「どうしたもこうしたもないっ!いいから俺について来い!」
こっから先、口を開いたら、ここが公道であることも構わず、怒鳴り散らしてしまいそうで、俺は怒りを飲み込むように唇を閉じ、彼の手は放さないままにズンズン歩いて電車に乗った。
伸も、俺のこの様子に抵抗を諦めたようで、ふっと力を抜いて、途中からは大人しくされるがままになっている。
自分でもこれほどまでにムカつくとは思わなかった。
そうして、ナスティから借り受けた、小田原とは違う場所にある、柳生家所有の別宅に到着した。
征士と秀も、いざという時のために、夜にはここにやってくる予定になっている。
まさかとは思ったが、よもや本当にこんな事態になろうとは・・・!
駆け込むように入った部屋でも、俺は暫く、自分の中に渦巻く憤怒を収めることができなかった。
彼をリビングのソファに座らせると、腕を組んで、熊のようにウロウロとその周りを歩き回った。
伸は、逃げようとはしなかった。
俺から何か発せられるのを待っているのか、じっと座って黙している。
しかし、その表情は、やや困惑しているようにも見えるが、俺よりもずっと静かで落ち着いていた。
「よく・・・あることなのか?」
「え?」
30分ほどの沈黙の後、漸くどうにか煮えくり返る腹を冷ました俺は、ベランダに続く窓を背に立ち止まり、訊ねた。
「ああやって女が・・・」
「ああ、あれ?・・・まあ、そうだね。僕がいない時には結構来てるんじゃないかな」
「な・・・っ、そんな!それで、お前はっ、伸は、いいのか!?」
「ん〜・・・、いいっていうか・・・、仕方ないと思ってる」
「仕方ないだって?!」
「え、うん。だって・・・」
ガチャガチャ、バタンっ
「あれぇ!・・・おいっ、遼っ!もしかして、来てんのかー?」
ドタドタドタ
玄関から秀の大きな声がして、続いて複数の足音が響いた。
「「・・・伸・・・っ」」
「あ、征士、君も?」
伸はソファから身を捩って後ろを振り返り、訪れた二人の姿を確認した。
さすがにその声には驚きが含まれている。
しかし、驚きからいったら、俺や、征士や秀のほうが大きいだろう。
「なんと・・・!まさかとは思ったが・・・」
「やっぱりだったんだな・・・」
後から来た二人は、揃って腕組みして眉間に皺を寄せている。
「“まさか”とか“やっぱり”とか、君達いったい・・・」
伸は、今度こそ当惑しきった顔になった。
「ああ。その“まさか”、“やっぱり”だった」
俺は彼らに大きく頷いて見せた。
あの信じられないような、チャライ会話を、こいつらにも聞かせてやりたいと思った。
「どうしてだ伸、何故、奴を許すのだ?」
伸の向かいのソファに腰を下ろしつつ、努めて冷静を装いつつ、征士が問うた。
「許すも何も・・・。だって、当麻なんだから仕方ないよ」
この伸の返答に、俺と秀は再びブチキレた。
「はぁ?!“当麻だから”??なんだよそれ!」
「おめえがそんなだから、余計あいつがつけあがるんじゃねえか?」
「“つけあがる”って・・・まあ、そうとも言えるけど、それでも当麻には僕が必要だから・・・」
「なんとも・・・、まったく話にならんな・・・」
「ああ、さっきもそうだった」
「お前さ、あいつに何か飲まされてんじゃねえのか?」
「は?」
「だからよ、例えば・・・ヘンな飲みモンとか」
「ヘンな薬とか」
「つまりだな・・・」
「あ〜・・・、それって、何?・・・惚れ薬とか、ってこと?」
三人同時に首を上下させる。
そりゃ、なんとも滑稽な話だが、俺たちは、もっととんでもなく荒唐無稽なことを体験してるし、なんせ“あの”当麻だ。未だ人類が成し得たことのない、何がしかを作り出していたとしても不思議じゃない。
あの頃から執着していた伸を手放さない為に、想像もできないような、恐ろしいものを飲ませてたりしてたって、おかしくない。
だから俺たちは、いたって真剣だ。
なのに・・・
「ぷ」
ぷ、の後には、文字通りの大爆笑が続いた。
こんなにも笑い転げる彼を、未だかつて見たことがあっただろうか?
というほどの強烈な笑いっぷり。
ソファの上で腹を抱え、涙を流し、「ぐるじぃ〜っ」を連発する彼に、俺たちは何も言えないまま時間は過ぎた。
まだ、笑いの息切れが残るなか、やっと伸が起き上がったのは、かれこれ10分近く経った頃だ。
「ほ・・・っ、ほれっ、惚れ、薬・・・ね・・・、あはっ、ぷははっ、ぁ・・・や、ごめんごめん。けど、んー、確かにね、うん・・・、そうかも。当麻に惚れ薬、飲まされたかもしれないな」
目尻から零れる雫を拭いながら、僅かに頬を染めて、彼は言った。
それが笑い過ぎてなのか、それとも、恥じらいからなのか、俺たちには判別できない。
ただ伸は、ふと表情を改めると、俺たちではなく、少し遠い眼差しで、征士の後ろの窓の向こうに意識を向けた。
きっと当麻のことを考えているのだ。
どうして伸はそんなにも当麻を庇うのか。
俺たちにはどうしてもそこが合点がゆかない。
「ふぅ・・・、なんとしたものか・・・」
「説得するったって、本人がこれだもんなぁ・・・」
「つったって、じゃ、どうするよ?」
ナスティの別宅というには意外なほどに女性らしさ溢れる、というかブリブリの少女趣味で乙女チックなリビングに、これまたまったく似つかわしくない重苦しい沈黙が広がった。
それを打ち破ったのは征士だった。
ずばり核心を突くことにしたらしい。
「で、伸、お前は、当麻と別れる気は全くないのだな?」
「ええ?!なんで今更別れなきゃなんないのさ?!」
静かな部屋で、少しばかりぼんやりしていた伸は、突然の征士の発言に、元々大きな瞳をまん丸にして問いに問いで答えた。
『今更』ということは、長く付き合いすぎて、別れるタイミングを逸したということなのだろうか。
「だって、お前、当麻の奴、いつもああやってお前がいない間に女を・・・っ」
「おんなぁ〜!?」
「なにっ!女だって?!」
そうか、この部分はまだ彼等に話していなかった。
そりゃあビックリするだろう。
伸を苦しませ、悲しませるようなことして、それでも手放さないなんて、どこまでズルイ奴なんだ!
あんな奴が俺たちの仲間で、参謀だったなんて!
俺の中からまた、フツフツと怒りのマグマが溢れてきた。
「ああ!そうなんだ。伸が俺と出かけてるのをいいことに、当麻の奴、女連れ込んでて、しかも!なんだか、すっごくいかがわしい会話を・・・」
「なんだよそれ!酷すぎるぜっっ」
「まったく男の風上にも置けん奴だ、許せん!」
「あー、だから、それは・・・」
伸は、たとえ留守の間に女としけこもうが、それが当麻なのだと、無理矢理自分を納得させているに違いない。
嗚呼っなんて可哀想な伸!
けど、それじゃダメだ!
「なんでそうやっておめえばっか我慢してんだよっ」
「お人好しにもほどがある!」
「いくら当麻だからって、やっていいことと、悪いことがあるだろう?!」
「そんなこと・・・。僕だって、言う時は言うよ?同居してるんだから、どっちかばっかりが我慢してたら成り立たないって。そうだろう?」
伸の言うことは尤もだ。
どんなに当麻が我侭で自分勝手で横暴でも、伸が納得して一緒に暮らしてるんだから、本来はそれを俺たちがとやかく言ったり、ましてや別れさせたりなんて、できようはずもない。
ないのだが・・・
だが、それじゃあ、いつまで経っても、伸は当麻の呪縛からは逃れられないってことじゃないか!
ダメだ!
それだけはダメだ!
俺たちは仲間を、伸を、守るっ!!
三人は、同じことを思い、決意を新たに頷きあった。
と、
その時―――
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