それから俺たちは、テレビもつけず、このだだ広いリビングのソファに並んで座りながら、ぼうっと窓を、窓の向こうを見ていた。
フワフワと雲の上を飛んでいるみたいな気分だ。
ずっと触れている肩と膝。
そこから、幸せがじわじわと湧き上がってくる気がする。
テーブルに置いたままのコーラは、すでに温くなり、グラスの下には水溜りができている。
「・・・笑わないで、聞いてくれる?」
前触れなく、彼が口を開いた。
「え?なんだ?」
「こっち見るな・・・っ」
「え、は、はいっ」
「これは・・・その・・・、隠し事、したくないから、言っておく」
「あ、ああ」
難しい顔をして、いったい何を告白するのかと、俺のふやけかけた頭は一気に覚醒した。
ドキドキする。
まさか、二股掛けてたとか、いや、今だってもしかしたら、彼女とかいるのかもしれ・・・
「実は・・・っ」
「じ、実は?」
「実は僕っ、ふぁっ、ふぁっ」
「ふぁ?」
「ファーストキスだったんだっ」
「・・・・・・え?」
見てはいけない隣をちらっと見下ろせば、くっついていた膝は離れ、その上に固く握り締められた拳だ乗っかっていた。
起動したはずの俺の脳は、どうやらバグっているようで。
「ふぁ?へ?」
「〜〜〜っだからっ」
「いやっ、え?え?ふぁ、って・・・えええーーーーっ?!」
彼の発言を消化しきれていない。
というか、とても信じられなかった。
だって彼は・・・
「あ、やっぱり馬鹿にしただろっ」
「やややややっ、いやいやいや!そんな、バカになんて・・・っ、け、決してっ」
「ほんとに?」
「ももももちろんっ!ただ・・・」
「ただ?」
ただ、とても信じられない。
だって、こんなに顔も整ってて、優しくって、頭もよくって、生徒会なんかもやっちゃってて、スポーツもできる彼が、モテないなんて、そんなこと、あるわけがない!
今までキスしたことがないと?!
あんな程度のも?
んなの、信じられるかっての!
「ほ・・・本当なのか?」
彼は明らかにムッとした声で、ボソボソと且つ、捲し立てるように言った。
「こんな恥ずいこと嘘ついてどうすんだよ・・・っ。ついでに言うと、年齢=彼女いない瀝だから、僕」
と。
驚き以外のなにものでもない!
おいおいおいっ、世の中、おっかしいんじゃないか?!?!
「・・・そ。それは、なんとも・・・」
コメントのしようがない。
彼女はいなくても、彼氏はいたんじゃ・・・なんて邪推も過ぎったが、ついさっき、自分が同性愛者であることがショックで泣いたほどなんだから、それはあるまい、と想いなおした。
と、すると、なんと俺は・・・俺は・・・彼の・・・っ!
うひーーーーーっっ
きゃーーーーーっっ
「ぁ、ね・・・ひ、引いた?もしかして、やっぱり、すっごく引いちゃった?!」
自らの言動を振り返り、急に焦りだした彼。
見るなと言った顔を自らぐいと近づて、目が合った途端、今度は真っ赤にしたそれを腕で隠し、身を引いた。
胸が苦しいどころか、胃の中まで熱くなる。
「引いたりなんかするもんか!」
俺は、追い駆けるように、彼を捉え、思いっきり抱きしめた。
「―――んぅわっ当・・・っ」
「大事にする!俺っ、伸を、大事にするからっ!」
嗚呼っ、俺って、世界一の果報者だーーー!!
「ぉーーーぃ・・・おーーーい・・・っおおおおおいっ!おいっ!おいおいおいっっ当麻!!」
「んをあっ!っだよ、秀、急にっ!脅かすなよ」
「・・・・・・・・・お前、俺が何度呼んだかわかってっか?」
「年寄りじゃねんだから、一度呼ばれりゃ気付くわ!」
「・・・・・・・・・へぇ・・・・・・・・・」
「で?なんだ」
「は?」
「なんか用か?」
「いや・・・いやぁー・・・、賢い当麻さんのことだから、重々承知のことと思うんだけどよ・・・」
「んだよっ、もったいぶった言い方しやがって」
「あー・・・お前さ・・・」
「だからなんだ」
「お前、今が体育の授業中って、わかってるよな?」
「・・・・・・・・・ん?」
「でもって、試合中に俺の肘が顔面にヒットして、ぶっ倒れて、保健室に運ばれたって、わかってっか?」
「で、これがその時の傷?」
「ああ」
「うわぁ・・・、痛そうだね。触っても大丈夫?」
「あ、ああ」
不思議なことに、彼のヒヤリとした指先が触れたら、痛みはあっという間に飛んでった。
痛いどころか、そこからじわぁっと、ほわわ〜んと、してくる。
凪高の王子様は驚異のハンドパワー持ちなのかもしれない。
「当麻って、運動神経いいんだよね?」
「伸のこと考えてたんだ」
「えっ?」
「俺、一日中、ずぅーっと、伸のこと考えてるんだ」
ボボボっ!と聞こえそうなくらい、彼の顔が赤くなった。
ああーーーーーーっっ
可愛い・・・
可愛い可愛い可愛い!!
「な、なあ、・・・キス、して、いいか?」
「え?・・・ぅ、うん・・・」
目を瞑る彼の、柔らかい唇に自分のそれをくっつけて、チュっと音を立てて離れる。
そうするだけで、俺は、甘い甘い幸福感に満たされた。
それからどうにも堪らなくなって、彼をぎゅうっと抱きしめた。
ここは俺のうちだ。
あれから。やっと二度目。
あの、初めてのチューの後、彼は、冬休みの間中ほぼずっと、お袋さんの実家へ行っていた。
ちょっとやそっとで行き来できる距離じゃない。
だから大晦日も正月も、電話とメールだけのやり取りで過ぎた。
『当麻と一緒に初詣行きたかったな』
のメールに、俺は、嬉しさと寂しさのあまり、泣いた。
俺の頭の中は、彼でいっぱいだった。
唇にあの感触が蘇るたび、気持ちはフワフワし、かと思えば、言いようのない不安に襲われたり。
とにかく、今まで以上に、それこそ異常なほど、彼に会いたくて会いたくて。
3学期が始まって、通学電車では毎日顔を合わせるし、放課後にも会うけれど。
そうじゃない。
それだけじゃ、全然足りない!
二人きりで会いたかった。
だって、外じゃ、彼に触れられない。
手を繋ぐのだってご法度だ。
当然、チューもできない。
となれば、苦しさは増す一方。
そうして1週間。
漸く再びの、二人きりでの逢瀬となったのだ。
どれほどこの日を待ちわびたことか!
「俺は、伸中毒なんだ」
腕を緩めると、胸元から彼が見上げてきた。
「ふっ・・・なにそれ」
きらきらと輝く瞳。
薄い紅色の頬。
さくらんぼみたいな唇。
少し高めの声。
甘いソープの香り。
そのどれもが俺をクラクラさせる。
このことを彼は気付いているだろうか。
「伸は?」
「え?」
「伸は、会いたくなかったか?」
ふわっと頬に赤みが増す。
ちょっと泳ぐ視線。
「・・・・・・な、わけ、ないだろ・・・っ」
はあああああ〜・・・幸せすぎて、溶けてしまいそうだぁ〜・・・。
ずっとずっとずーーーっと、こうしていたいっ!!!
「あーあー。伸と一緒に暮らせたらなー」
「ぷっ」
「お、笑ったな!俺は本気で・・・っ」
「はいはい、そーだね。じゃあ・・・いつか、ね」
「いつか?!えっ、その『いつか』って、いつ?!?!」
「もぉーっ、当麻って、時々子供みたいなこと言うよね」
「だって・・・っ」
「ねえ」
「ん?」
「今日、夕飯食べてきていいって言われてるんだ」
「えっ!マジっ?」
「うん。それで」
「じゃあ、何食う?ピザ?ラーメン?んーとんーと、出前できるもんてそんくら」
「待て待て待てっ、待てって!」
「んあー?」
「もーっ、人の話、最後まで聞けっての」
「??」
「・・・だからっ、今日は、僕が、つ・・・、作ろう、かなーっ・・・って・・・」
神様、俺、早死にするんじゃないですか・・・
だって、こんなに顔も整ってて、優しくって、頭もよくって、生徒会なんかもやっちゃってて、スポーツもできて、料理まで上手い彼が、俺のカレシだなんて・・・っっ!
そんな贅沢、本当に許されていいのだろうか??
「よっ、当麻、元気かー・・・って、おーい、おいっ、おいおいおい!」
「んあ〜?あー、秀かぁ〜・・・」
「・・・・・・・・・ったくよー、幸せボケもいいとこだな、おい・・・」
「ああ・・・っ、秀、どうしよう、俺・・・」
「はぁ?」
「俺・・・幸せすぎて、死にそう・・・」
「・・・あーあー・・・・・・もーしゃあねーなー・・・。て、まぁ、そうだな、そうかもしれねぇ。だからよ、気を付けたほうがいいぜ」
「だよなぁ〜・・・はふぅ」
「・・・いや、マジなとこ、お前、相当ヤべぇんだからな」
「んぁ?・・・どゆことだ?」
ゆるみっぱなしの頬もそのままに、奴のほうを見やると、予想外に真剣な眼差しが待っていた。
奴は、ぐっと俺に顔を近づけると、急に抑えた声で話し始めた。
「例のお前の彼氏」
―――っ!
垂れた顔に・・・、ふにゃふにゃだった全身に電流が走った。
「・・・どう、いう・・・ことだ・・・っ」
妙な間が恐ろしい。
「あいつ・・・」
「・・・・・・・・・」
俺の喉仏が上下した。
「あいつ・・・、マジで・・・」
「マジで、何だ・・・っ」
「マジで・・・、王子だ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
プリンス??
彼は、皇太子さま、なのか?
「あ、いやっ、ほらっ、よくあるだろっ?なんとか校の王子、とか、そういうっ」
「はぁ〜っ、んっだよ秀〜っ・・・脅かすなよ〜」
「え?あれ?知ってた?」
俺だって心の中で何度も彼をそう呼んどるわ!
彼が王子じゃなかったら、いったい何が王子なんだ。
「まーな」
「じゃあ、お前、もう、そういう目に遭ったんだな・・・」
「は?」
『もう、そういう目』???
「どこだ?腕か?脚か?それとも、脇腹とか背中とかか?」
『腕』?
『脚』?
『脇腹』?
『背中』?
いったい何のことだ?????
「え、秀・・・」
「お前、スゲーな!よく、耐えられるなっ」
「あ、え、お、」
「でも、俺の前じゃ、無理しなくてもいいんだぜっ」
いかん・・・、また、こいつの話が全く見えん・・・・・・。
「いや、別に、無理は・・・」
「何言ってんだよっ、リンチ、されたんだろっ?」
はいいいーーーーーーーーっ?!?!?!
「リっ?!え?!?」
「へ?」
「あ、いや・・・」
「え、あれ?」
「いや、なんの、こと、だか・・・」
「マジで?」
「マジで」
「そうなのか?」
「ああ」
「なんとも、ないのか?」
「ああ。なんとも。ちっとも」
「はぁあああああっっ、よかったーーーっっ、いやいやいやっ、マジビビったぜもうっ」
いや、マジビビったのは俺だし。
「で、何の事なんだ?・・・その」
「え?あー」
俺がリンチに遭う、その可能性の理由を、奴は語り始めた。
「あいつ、凪校の王子って呼ばれてっだろ?」
「ぁ、あ、ああ・・・」
って、マジで?
本当にそう呼ばれてたのか?!
・・・・・・・・・知らんかった・・・
「王子、ってことはよ、つまり、・・・いるわけだ」
「『いる』って、何がだ」
こいつは、たまに、こうやって持って回った物言いをする。
「親衛隊」
「・・・凪って、男子校、だよな?」
「もちろんだ」
「・・・・・・・・・」
なんだか背筋が寒くなってきた。
「生粋の精鋭部隊は、同校生徒だが、あいつの防衛軍自体は、多国籍軍でもある」
あー・・・・・・・・・・・・
これって、現代日本の、いち高校生の話、だったよな??
「秀・・・、俺には」
「そして、スパイは俺たちの学校にもいる!」
それって、お前じゃね?
という言葉は、喉でストップをかけた。
つか、いや、俺、もちょっとちゃんと考えろ。
そもそも、こいつの話、真面目に聞いて、大丈夫なのか?
例によって、例の如く、また、この男の思い込みで、勘違いとか、誤情報ってことは・・・。
「なぁ・・・、秀、その話」
「これは、真証、マジでマジな話だかんな!」
「・・・その根拠は?」
「・・・俺の妹の一人が、いつの間にか会員・・・じゃなくて、隊員になってた」
「え?えええっ?」
「見ろ!これをっ」
奴の手には、会員証ならぬ、隊員証(のコピー)があった。
ともかく、話はだんだん見えてきた・・・。
「・・・そうか・・・じゃあ、て、ことは、」
「ああ、そうだ」
「そいつらにとって俺は、敵、ってことか・・・?」
めっちゃ近くにいる男が、眉間に皺を寄せ大きく頷いた。
「そしてあいつ等には・・・、絶対破ってはならない掟がある」
「掟?」
なんじゃい、そりゃ。
「そうだ。・・・その名も・・・」
「その名も?」
「“王子不可侵条約”!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
めっちゃベター・・・。
「入隊する際、本法に触れた者は、いかなる制裁を受けても訴えない、という契約書にサインをさせられるらしい」
『入隊』・・・
『契約書』・・・
マジかよ〜・・・
しかし・・・
なるほど、それで俺がリンチに・・・ってか。
「ちなみに、親衛隊は、あいつが小学生の時に発足したんだとさ」
小学生〜〜〜〜〜っっ?!?!
なんだか・・・よくわからんが・・・スゲーな・・・。
そうか、だからか・・・
だから彼は、あれほどステキなのにも拘わらず、実年齢=いない歴だったのか・・・。
ああっなんて可哀想な彼・・・っ。
その分、俺が・・・!
・・・・・・て、いや、待てよ?
「なー、秀、その・・・、奴等に俺の存在は」
「そーなんだよなー、とっくにバレってっと思うんだよなー」
「でも、俺はいまだに無事だ」
お付き合いを始めて約ひと月。
今のところ、何の危険も感じることはない。
「そーなんだよ!そこがまた不思議なんだなぁ〜」
「それに、か・・・彼は、知ってるのか?その・・・」
「親衛隊の存在?」
うんうん。
「んーっ、まー、どうなんだろうなー。ま、よほどのマヌケじゃなきゃ、気づくだろ普通」
だよなー。
じゃあ、ということは・・・・・・・・・
「え?」
「えーと・・・っ、だから・・・っ、・・・そのぉ〜」
「まさか・・・っ」
「えっ!まさか?」
「まさか・・・っ、いや・・・でもっ、そんな・・・っっ」
なんだ?
どうしたんだ、その焦りようは!
「えっ、えっ?」
「まさか当麻、・・・もう、わ・・・わ、別れたい、とか・・・っ?」
でぇえええええええええっっ!?!?!
そっちぃーーーーーーーっっ!?!?!
何故、そっちいっちゃうわけ!?!?!
「ちちちちち違う違う違う違う違う違う違う違う違うっっ!そんっ、そんなわけ、あるはずないだろうっ!俺がっ、俺が、どんなに、どんなに伸のこと・・・〜〜〜っ」
「え?あ?違うの?なんだ・・・、て、ああっ、当麻!そんなっ、泣かないで!ごめんっ、ごめんね?」
感触の良い彼の手が俺の頬を包む。
その日の放課後、彼は俺の家に直行した。
放課後→家は、初めてのコースだ。
防衛軍?
親衛隊?
そんなのもうクソ食らえ!
だ。
俺が今、何よりも恐ろしいのは・・・っ
「冗談でも・・・っ、んなことっ、言うなよっっ」
俺は彼の細い腰に腕をまわす。
「うん、ごめん、ほんとに、ごめん・・・っ」
「え?」
「だから、どうして、俺は、無事なんだ?」
「え?・・・ど、『どうして無事』・・・って・・・な、なんのことかなー?」
おいおい、なんだよ、そのバレバレなシラの切り方は・・・。
「伸、すまん、俺、その、・・・知って・・・るんだ・・・」
彼のその表情の変化で、俺の言わんとしていることを理解したのがわかった。
「・・・なんだ、そっか・・・当麻、知ってたんだ・・・」
「ああ・・・」
「・・・クギをね、刺したんだ」
「ええっ!?」
「あっ、あれだよっ?本物の釘じゃないからねっ」
「あ、いや、それは・・・、ああ」
・・・本物の釘かと思った・・・。
「彼等、小学生の時から、僕を守ってくれてて・・・」
「親衛隊が、だな?」
「うん、そう」
よくもまぁ、こんな突拍子もない、ケッタイな話を、サラリと・・・。
でも確かに、小学生の彼も、めっちゃめちゃ可愛かったろうなー。
それこそ、危険なほどに。
「最初は、普通だったんだ。けど、だんだんエスカレートしてって」
あー・・・なんだか、わかるような気がする〜・・・。
って、俺も立場が違ってたら入隊してたかも、ってことか?!
ゲ
「でもね!」
「えっ、あ、はいっ」
「でも、今回は、どうしても、どうしても、どーーーしてもっ、当麻と仲良くなりたかったんだ!」
「伸・・・っ!」
きゅーーーーーーんっっ!
きゅーーーーーーんきゅーーーーーーんきゅーーーーーーん!!!
彼は俺を殺す気なのかもしれないっ
「だから、彼等を呼び出して・・・」
「ふんふん。で?呼び出して?」
「言ったんだ」
「何を?」
「もし・・・」
「もし・・・?」
「『もし、当麻に何かしたら、貴様ら二度とお天道様拝めないようにしてやる』って・・・」
それ、顔真っ赤にして、モジモジしながら言う台詞か???
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ぁ、ね・・・ひ、引いちゃった?もしかして、すっごい引いちゃった?!」
必死の形相で俺のシャツの胸元を掴む彼の手は震えている。
「ひっ、引いたりなんかするもんか!」
俺は、彼を力いっぱい抱きしめた。
「―――ぅんぐぇっ!」
「伸!俺っ、伸が、好きだ!!すんごくすっごく、すっごぉーーーく!大っ好きだぁーーーっっ」
なんじゃこのギャップ〜っっ!
堪らーーーんっっ!
「当麻っ」
我が青春に幸あれ!!
END
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