通学電車から V-3

そっからはもう、後悔の塊だった。
あまりにも情けなくて恥ずかしくて、なかなか彼に連絡をとれなかった。

漸く決心がついたのは、2学期の通知表を受け取ったその日の晩だった。

10コール目で彼は出た。
声はやっぱり、少し沈んでいてぎこちない。

俺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だから、それを素直に現した。
慣れないことで、すごく難しかったけれど、精一杯、正直に、心から謝った。

待ち合わせに遅れたのは俺のせい・・・だけとは言えないけれど、知らせずに秀を連れてきたのも、虫の居所が悪くて急に帰ったのも、怒りをぶつけてしまったのも、全部俺が悪かった、と。

すると、彼の声は一変した。
いつもの彼に戻った。

ほぼ。

途端に俺は、嬉しくて、嬉しくて舞い上がった。
舞い上がったついでに、自分でもビックリの提案をしていた。

「なあ、今度、うちに遊びに来ないか?」




「すごい・・・!」
「なに言ってんだよ、伸の家だって、超高級住宅街にあるじゃんか」
「えーっ、ここに比べたら、うちなんて、馬小屋だよ」
「ウサギ小屋って言わないあたりが正直だな」
「あははっ、まーね。でも・・・、当麻って、ここに・・・ずっと、一人なの?」
「ああ、基本はな。3人が一堂に会したのって、5・6年前じゃないか」
「寂しくない?」
「んーまぁ、慣れちまえば・・・」
「そっかぁ・・・そういうもの?でもさー、ここだったら、大パーティとか開けるね」
「ああ、全室防音施工だしな」
「えーっ!ほんとっ?マジスゴイねー・・・」

彼は、そう言うと改めてぐるりと家の中を見回した。

「・・・けど、誰も呼んだことなかった。今まで」

「え?」

「あー・・・ほら俺、ダチ少ないからさ」
「秀君は?」
「秀?あいつは・・・まぁ確かに仲いいけど、でも、ここに来たことはない」
「そう・・・なんだ。・・・え・・・じゃあ」
「伸が、始めてだ」

その言葉に、伸の顔がまるで火がついたみたいに赤くなった。

「どうした?」
「えっ?いや、なんでも・・・っ、なんか急に暑くなっちゃった。この家、床暖?」
「ああ、じゃあ温度を・・・」
「もぉー何から何まで。いいなぁー。僕んちなんか古いからさー、冬はすんごく底冷えするんだよねぇ」
「そうなのか。あ、そうだ、すまん、その辺適当に座ってくれ。飲み物は・・・ええっと、コーラしかないが、いいかぁ?」

キッチンの冷蔵を覗きつつ、後ろに声を掛ける。

「うーん!ありがとう」

かろうじて洗っておいた、2つのグラスにコーラを注ぎ、氷を入れてリビングに持ってゆくと、伸はまだ立っていて、窓から外を眺めていた。

「ん」
「ありがと。ベランダも広いね」
「俺ひとりなのに、どこもかしこも無駄に広いんだ」

言うと、困ったよな笑みを浮かべ、ある方向を指差した。

「あっちって、僕んちの方だよね?」
「うん」

すると伸は、横に立つ俺を見上げてきた。

「・・・・・・」
「なんだ?」
「うっ、ううんっ、なんでもないっ」

他人(ひと)んちに来ると、人って、挙動不審になるのか?
そういや、俺って、他人を家にあげたこともないが、自分が遊びに行ったこともほとんどない。
そうか・・・。
じゃあ、まあ、確かに、他人のテリトリーに入れば緊張するものなのかもしれないな。
そうだ。
こないだのこともあるし・・・。

俺たちはふいに黙って、そそくさと3人掛けのソファに横並びに腰掛けた。
微妙な距離だな、と思った矢先、革がぎゅっと音をたて、体が少し互いの方に傾いた。

「あー・・・、あの、こないだは・・・」

「え?」

「こないだは、悪かった」
「ふふっ、もういいよ。電話で散々謝ってくれただろ?・・・それに僕も、あんなとこで怒鳴り散らして・・・ごめん」

「俺・・・」
「え?」

なんだろう。
急に・・・
急に、心臓が跳ねだした。
俺、何を言おうとしてる?

唐突に湧き上がってきたこれは何だ?!

「俺・・・、俺ほんとは、伸のこと、・・・“ただの”友達だなんて、思ってない」

「・・・え?」
「俺にとって、伸は、“ただの”なんかじゃない」
「え・・・、え、え、ええっと・・・それは・・・、えっと、つまり・・・?」

「伸は?」
「えっ?」
「伸にとって、俺は、・・・どうなんだ?」
「え・・・、ど、どう・・・って・・・」
「伸にとっては・・・、俺って、“ただの”友達か?」
「そ・・・れは・・・」
「それとも、電車で知り合った“ただの”後輩?」
「・・・ち、ち、がう・・・と・・・」
「違う?」

彼は頷いた。

「どう・・・違う?」
「どう・・・って、そりゃ・・・僕にとっても、当麻は、・・・“ただの”じゃ、ないよ・・・」


それから暫くまた二人して黙り込んで、次は、彼が言った。
ゆっくりと、自分で確かめるように。


「“ただの友達”なんか、じゃ・・・、ない・・・」


心臓が口から飛び出そうだ。


でも、もう止められない・・・っ!


「・・・じゃあ、その・・・その、それって、・・・ただの・・・友達じゃない、・・・って・・・こういう、こと・・・で、いい・・・か?」

彼に顔を近づける。
互いの目を見つめたままで。

それはほんの掠める程度だったかもしれない。

けれど、なのに、ものすごい、衝撃だった。
彼も俺も、間に雷でも落ちて弾かれたかのように、後ろ手をついて上半身を離した。

二人とも、ちょっと混乱していた。

眩暈がするほど周りはぼやけて、耳は燃えそうに熱い。

にもかかわらず、視線はお互いの一点に釘付けだった。
今触れたばかりの場所に。

い・い、んだ・・・よ、な・・・?


そろりそろりとその距離を再び縮めていく。

今度は二人とも目を閉じた。

ふにっとくっついた唇は、すごく気持ちよくて、一瞬にして夢心地になった。


―――!


ヤ・・・ヤバイ・・・っっ!
こ、これって、いつ離れたらいいんだ?!?!
どどどどどーしよ〜〜〜っっ
しかも、俺、鼻息荒くね?!
わーーーーーーーっっ!

突然パニクった。

で、奮えつつ、必死に自分を落ち着かせながら、彼の肩に手を置いて、その身を放した。

「こっ、こっ、こっ、こういうことっ、かっ?」

俺はもう一度確認した。

と、彼は、半ば呆けたように言った。

「ぅ・・・うん・・・こういう・・・こと・・・」

なんと!
そうだったのか!
俺たちは・・・、そういうことだったのか!

そして彼は、泣いた。
急にダバーっ!と涙が溢れ零れ落ちた。

「えっ!わぁっ、どっ、どっ、どーしたっ?!」

当然俺は大慌てだ。

「ぇわわっ、あ・・・、うっく、ひっく、いや、こ、これはっ、ふ、ぇふっ、な、なんっ・・・ていうっ、かっ」
「なんだっ?どうしたんだ?」
「なん・・・っ、か・・・うぐっ」
「う、う、うんうん!」
「なんっ、か・・・、う、すっ、ごく嬉し、のに・・・っ、な、のに・・・っ」
「のに?」
「す・・・すごい」
「すごい?」
「すご、い・・・、すごい、・・・ショックで・・・っ」

ええええええええっ?!?!
ショックぅうううっ?!?!

「へ?」

「だっ、だって、まさか・・・自分が・・・っ、ホっ、で・・・ゲ・・・だ、なん・・・て・・・っ」
「ほ・で、げ?・・・−−−っ!」

あ・・・

あー・・・、そういうことか・・・。
だよなー・・・。
確かに、ショッキングなことに違いない。

片手で前髪を掴み、もう片方の掌で頬を拭い、彼はまだしゃくりあげている。

・・・どうしたらいいだろう・・・。
このシチュ・・・。
えーと、えーと、え〜と〜・・・

俺はガッチガチの腕を、彼の背に回してみた。

「ぉ・・・俺も、わかる。俺も、信じられない。・・・正直言って・・・」
「?しょーじきいって?」

めっちゃ鼻声の彼もまたいいもんだ、なんて思ってる自分に苦笑いだ。

「正直、実は、俺も、今の今まで、気付いてなかった」

すると、彼も俺の腰の辺りの服を掴み、額を俺の顎下あたりに押し付けてきた。
シャンプーの香りが漂い、俺の緊張度はMAXに跳ね上がった。

「あ・・・、ごめ、濡れちゃった」
「いっ、いいいいいいさっ、別に・・・っそんなんっ」

「・・・いいのかな・・・」
「いいって!気にすんな。なんなら、鼻水でも・・・」
「ぷ・・・っ、そう・・・じゃなくて、」
「ぅえ?」

「いいのかな・・・僕たち・・・」

「・・・・・・それは・・・っ、なんつーか、もう・・・、いい、も・・・、悪い、も、・・・仕方、ない・・・。だろ?」

こんな答えが正解なのかはわからない。
でも、俺にはこうとしか言いようがなかった。

いつの間にか泣き止んだ彼は、そっと俺の腕の中から抜け出ると、ソファの背に寄り掛かって、ふっと一息吐いて、正面を見た。

「・・・うん・・・そうだね、仕方ない、よね・・・」
「うん・・・どうしようも・・・ない・・・」
「ほんと、どうしようもない」

どっちの“どうしようもない”なのか。


たぶん、その両方だ。 



 

V-2へ戻る  V-4へ


目次にモドル
リビングにモドル