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初めての国外旅行は韓国へ


1996/12/6 金浦空港

1996/12/6 景福宮付近

1996/12/7 韓国民族村

1996/12/7 民族村でお昼
■1996年12月6日(金)  曇り 親睦会で韓国ソールへ。
5時25分・自宅出発。たまプラーザで押君、表参道で國君と合流。上野より京成スカイライナーで成田へ。
8時30分・第二ターミナル駅着。山、小、山さん等と合流。出発ロビーでコーヒー飲んで時間をつぶす。
9時30分:第1班19人全員集合、出国手続き。
11時20分:定時出発。JAS、JD251便。高度8,700メートルで飛行。
14時30分:ソール到着。向かい風のためか20分ほど遅れる。
入国手続きは簡単に終わる。早速2万円両替したが、1万円分しか貰ってないことに気づいたが後の祭り。
ソールは粉雪が舞う曇り空。気温マイナス3度C位。最低気温はマイナス10度にもなるとのこと。日本では北海道当たりに相当しそうだ。湿度がかなり低いせいか、気温は低いが雪は無い。
14時33分:バスで空港を出発。すぐに有名な漢江を渡ったが、漢江は広いという感じはない。ゆったりとした流れだ。漢江を渡ったすぐの左手に大きなゴミの山というのが目に入り、どこもゴミでは苦労しているのだと思い、ゴミは持ち帰るようにというガイドさんの説明にも納得する。
道路は右側通行で片道3〜4車線と広いが、片方行が3車線で反対方向が5車線なんてところが多い。戦争時ジェット機が離発着できるようにとかで、中央分離帯がない。中央側を走っている車は流れに乗っている感じだが、歩道側の車線を走っている車は割り込みや、バスの横をうまくかいくぐって走っている。見ている方が怖い感じ。
道路の渋滞は日本と同じか、もっとひどい。バスレーンがあり場所によっては良く守られているが、市内へ入ったらどこも渋滞がひどい。幹線道路の道幅は広いが、中央分離帯は黄色の線が引かれているのみで、車線区分もないところがあり雑然と走っている感じだ。
右側通行なので戸惑う面もある。交差点が右折れ車のために短絡通路になっていて、右折れ車は赤信号でも進めるようになっている。
15時30分:景福宮見学。朝鮮王朝500年の栄枯盛衰を物語るとかで、朝鮮建国の太祖が造営した王宮。
15時50分:国立民族博物館見学。先史時代から朝鮮時代にかけての伝統や習慣、日常生活に関わる資料を2万点も収蔵してあるそうで、農具など日本の田舎で見かけたものもある。見所は沢山あるがガイドさんについて駆け足見学。
16時40分:バスで免税店に向かう。途中車の渋滞がすごい。道ばたに公衆電話は結構あるが、ドアが無いところがある。公衆電話のある場所とか、随所に喫煙場所があり歩行喫煙者はめったに見かけない。
17時30分:免税店で買い物。特に買うもの無しで無料のコーラのみいただいた。
18時10分:免税店を出発、ホテルに向かうも渋滞で動けず。
19時30分:ホテル到着。本館に泊まる予定であったが、到着が遅れたせいか全員が泊まるだけの部屋がないとか。ガイドさんが交渉して全員が新館に泊まる。大型ベットと応接セットやデスク等揃っている20畳はある立派な部屋。
バスルームで体操が出来る。バス室には別にシャワールームも付いている。特に、幹事の部屋は二部屋続きのスイートルームで、一泊100万ウォンもするとかの部屋を差額無しで泊まった。空調も完璧で寝心地も万点でした。自分の部屋からの眺めは良かったが、反対側の部屋はあまり眺望が良くなかったようだ。
20時30分:夕食に焼き肉を食べようということで外にでる。ちょと歩いているだけで、いかがわしいお兄さんから声がかかる。渋谷や新宿の盛場を歩いているのと変わりない感じ。
ゴミも漠然と出してあるところは、日本の盛場と同じだ。夜店が一杯でているがハングル文字なので全然分からない。人の流れも多い。ハングル文字で、ガイドさんに紹介された焼肉店を探すのも大変だ。
ようやく見つけたがメニューと金額とが折り合わない感じで、ホテルに戻ったが、ホテルのサービスは終了していて、ロッテ百貨店の食堂街へ行く。手頃な焼肉店があったが、百貨店の終了が10時までなので追い立てられるように食べる。
日本でジュージュー焼くのと違い、なんかすき焼きに近いような感じもするが、まぎれもなく網焼きの焼き肉でカルビがうまかった。
焼き方はカルビの骨付きを、どさっと網の上に置き強火でまたたくまに焼き上げ、はさみで食べごろに切り離して、それをサニーレタスの葉っぱに包んで、薬味に味噌などを付けて食べるのが韓国流のようだ。
精算で、店員のお姉さん(おばさんに近いか)にチップを要求され、誰かが1,000ウォン上げようとしたら、もっと大きいのと催促され1万ウォンをあげたら喜んでいた。料金は8人でビール等の飲み物を含めて37万ウォンでした。
22時00分:部屋に戻って2次会。コンビニでビールやつまみを買ったのだが、コンビニは日本と同じで、商品を籠に入れてレジまで持っていき精算する方式だ。品物も豊かで、日本より安い。
コーラなどカンものは一本70円位だ。自販機はいっぱいありコーヒーなどは買えるが、たばこ自販機は無いのか見かけなかった。寝る前に幹事のスイートルームを見学して、24時30分就寝。

■1996年12月7日(土)  晴れ 韓国民族村見学に行く。2班と合流して焼き肉パーティ。
7時30分:起床。丁度日の出だがスモッグでよどんでいる。ホテルの窓からの眺めで、比較的近い山並みが見える。山の形が妙義山のようにとがっている。
8時30分:ホテルで朝食。クロワッサンのアメリカンスタイル。周りのテーブルは、世界各国のビジネス客のような感じの人が多い。
9時30分:ホテル出発、韓国民族村見学に向かう。
17時15分:ロッテホテルに戻る。丁度第2班が到着したところ。
18時10分:焼き肉パーティの会場にバスで移動。
19時00分:開宴。焼き肉は一人当たり二人前あるとのことで食べ放題。
20時30分:カジノ組とホテルへ戻る組に分かれる。

■1996年12月8日(日)  晴れ 帰国。
9時00分:ホテルチェックアウト。ホテル近くのマクドナルドでハンバーガーの朝食。ハンバーガーの一番大きいのがコーヒー付で2,900ウォン。
10時00分:ロッテ百貨店の免税店で買い物。TOPカードを使ってみようと思い、みやげ(時計)を購入。商品は空港渡しとのことで、引き渡し証のみを受け取る。
集合時間まで百貨店内をショッピング。百貨店の食品売場は、日本と同じように試食を並べたりと活況があったが、対面販売でその場で全てお金を払っている。
ネクタイとか女性の小物売場の店員の多さにはびっくりした。隙間がないくらい店員が並んで売り込んでいた。
12時00分:バスで空港に向かう。途中でキムチ等の土産物を購入。 やっぱり韓国ではキムチだ。
13時10分:空港到着。出国手続き。あっというまに終わる。免税店で買った品物を受け取ろうとしたらまだ届いていないとのこと。同じ場所で自分よりちょっと遅くに買ったO君の商品は届いていたので、ちょっと気がかりだったが、30分ほど遅れて届いた。
15時55分:予定より20分ほど遅れて離陸。JAS、JD252便。高度10,000メートルを島根上空から大島上空を通って成田へ。
窓側の席のため外がよく見える。島根上空あたりで左側同じ高度で少し離れたところをすれ違う飛行機に気が付いたが、その少し前に機体が傾くほどカーブをきったこととあわせニアミスではなかったのだろうか。
名古屋上空あたりから雲がなくなり下が見えたが暗くなり、町の明かりがみえる。静岡、沼津と続く町明かりがはっきり分かる。
17時50分:成田空港到着。着陸の為の脚をだしてから着地までに約3分、エプロン到着までで15分かかった。
18時00分:入国手続き。検査は何もなく通過。
18時17分:京成特急で帰る。21時帰宅。

戦時体制下にあるということで、写真を撮る場所に注意とか、ごみを捨てるとかたばこのマナーに気を付けろなんてくどくいわれて、少々緊張して出かけたが、ゴミは町中に結構反乱している。しかし、駅の周辺で写真を撮る人はいない。たばこも決められた場所で吸っている。結構吸う場所は沢山あり分かる。
幹線道路などはいたるところに地下道があり、横断歩道は少ない。核戦争になったらすぐ地下道に逃げ込むことを想定しているとか。しかし、道路にしても地下道にしても段差がいたるところにあり、つまずいてばかりいた。地下道は特に狭い感じはしない。
観光地では、親切な人もいればつっけんどんな人もいて、日本と同じだ。100円で733ウォンという金銭感覚になじめない。
買い物をしたり食事で1万ウォンといわれるとびっくりする。1万ウォンでも1300円なのだ。食べ物はキムチがうまい。予想していたより辛くない。塩辛い方が気になるくらい。日本人向けの味なのだろうか。カルビの焼き肉がうまかった。サニーレタスの葉っぱに包んで食べるのが韓国流のようだ。

観光地等見学箇所は少なかったが、二日目の韓国民族村への見学が忘れられない思い出となりそうだ。もう二度と経験できないのではないかと思う。
顔も、着ているものも似ているが言葉が全然通じない。近くて遠い国韓国を、しみじみ感じた三日間でした。