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トピックス

浦和のおやじ亡くなる


2004/4/3 浦和

2004/4/4 出棺

2004/4/4 お通夜

2004/4/5 告別式
■2004年4月1日 浦和のおやじ、夜10時32分亡くなる。
・10年以上前に、大腸ガンと言われていたが、手術はせずポリープを取っただけだった。
・最近S字結腸にガンがあることが分かったが治療はしなかった。
・それが転移したのが死因になるとかと思う。
・1997年8月、久喜のすずのき病院に入院、その後出たり入ったりしていた。
・2003年6月、川越のセントノア病院に転院。
・すずのき病院、セントノア病院共にガンの治療が目的ではなく、痴ほう症系での入院。
・今年になって衰えが目立ったが、つい先日までは声かければ分かったが、数日前から呼び掛けに答えるのが精一杯という状態だった。
・昨日(3/31)おばあ、澄姉、照子が病院へ出向き病状を聞いたばかりであった。
・1日午後急変して、おばあさんや姉妹、照子がかけつけ、ちょっと落ち着いて照子だけが泊まり込むとのことで、みんな帰った。

・丁度床屋に行く途中、照子からメールが入った。
・14時46分、照子>セントノア病院から電話があってお父さんの呼吸が苦しくなって今日明日かもしれないと言われました。
今日来て下さいと言われましたので澄みちゃんにも連絡とって、行ってきます。
・15時7分、浦和のおやじさん、今日明日かもしれないと長野へメール。
・20時56分、照子>六時頃清水が車で澄みちゃんと母を連れて来ました。
  お父さんは酸素マスクして呼吸しています。
  三時頃留守電に血圧が低下しているので何時頃来られますかと問い合わせがありました。
  行った直後より少し落ち着いてきた様です。今幸子と義次さんが来てくれています。
  浦和の三人は帰りました。義次さんは明日仕事なので幸子と浦和に帰ります。
  私は今日病院に泊まり込みます。家には帰りませんのでよろしくお願いします。
・21時12分、邦夫>そうか。大変だけどしっかり見ていてください。
  明日おれも行こうかと思うが、なにか持って行くものあったら知らせてください。
  土曜日になれば、状況に関係なく健志の車で行きます。おやすみ。
・22時、寝る。
・22時32分、おやじ、照子に看取られて亡くなる。
・22時40分頃、健志にたたき起こされ、おやじが亡くなったことを知る。
・不思議と冷静だった。これから駆けつけるべきか迷ったが連絡を待つことにする。
・22時51分、おやじが亡くなったこと、長野へメールする。
・23時27分、長野から出来たら葬儀に行く予定とメールが入る。
・23時36分、照子>父が10時32分亡くなりました。
  静かに静かに息をひきとりました。眠る様に穏やかでした。
  今夜車で浦和に搬送されます。
  すぐ葬儀屋には手配をお願いすると言っていました。

■2004年4月2日 浦和で葬儀の打ち合わせ。
・7時に家を出て、9時過ぎ浦和に着く。
・葬儀打ち合わせは既に始まっていて途中から参加。
・安藤のおじさんもきていたが、打ち合わせには参加せず。
・葬儀場で清水姉兄が意見が合わない。
・清水兄は与野駅近くの「やすらぎホール与野」で、澄さんは近所の人とかに別の所を聞いていて、そこでやりたいとのことだった。
・お清めの料理に関して、清水兄よりお通夜に何人来るかを聞かれたが、親戚関係もよく分からない俺に分かるわけがない。
・結局60人位を見込んで、その6割の料理を準備が一般的と言われ、35人クラスとした。
・料理出す時は、親族と一般を分け、半々に出すという。
・念のため、後で葬儀に来そうな人を聞いたら、親戚関係が多い。
・これじゃ6割の計算では駄目と一クラス上にしたが、結果的にはそれでも足りない位であった。
・お通夜に来る予想で、一番変動がありそうなのは清水の仕事関係だということが分かっていたのか疑問だ。
・受付はと話し出したところ、義次さんがさえぎるように、勇二、淳にやらせるという。
・大丈夫かなと思ったが、やはりトラブルがあった。
・葬儀に来てくれた親戚の写真を撮って欲しいといわれる。
・その時は俺に向かって言う感じでなかったから、聞き流していただけだった。
・メモを整理していて、初めて俺が頼まれたのかと思った。目の前にいるんだから確認すればいいと思う。
・長野、桶川でお花輪出したいといったところ、清水、友部共に兄弟にはまだ知らせてないという。
・知らせるつもりもないような感じで、じゃ止めようと言うことにした。
・3日になって、清水兄の兄弟にお花出したいと言われたとのことで、じゃ友部もということで復活した。
・友部は、義次さんに指示されて、幸さんが書いていたがゴチャゴチャで途中で投げ出して義次さんに任せる。
・俺が見て分からなければ駄目だと、書き終わってみたところでチェックしたが、4人連盟で一対とか変なこと指定してきた。
・なんのことか意味分からないよと言ったが、葬儀屋なら分かるというのでそのままにした。
・最終的には2人ずつに分けて二基となった。
・義次さんのお母さんが亡くなった時、俺と清水兄がお花出したことを考えれば、浦和おやじのために、長野、桶川、清水兄弟、義次さんの兄弟がお花をだすのは当然と思う。
・打ち合わせ中にも、青森から出てくるから迎えに来てくれとか、宿の手配をしてくれとか次々に電話が入る。
・10時30分死亡診断書をセントノア病院で貰う約束があると、友部幸子と照子が行く。
・病院の後銀行回ってくるとのことであったが、帰ってきたのは4時過ぎ。
・浦和市内で迷ったとのこと。
・10時30分、清水夫婦は養福寺へ行く。
・俺と義次さん、おばあとで留守番。
・11時45分頃、義次さんがビックリ寿司へお昼を買いに行くというので一緒する。
・何人分買うのか、病院へ行った照子、幸の分も買うのかと言ったところ否定しない。
・じゃ、おばあとで5人だけど4人分でいいねと義次さんに確認して、最上の寿司を買った。
・支払いは俺がした。
・お昼食べ始めたが、誰も帰ってくる気配はない。
・時間的にもまだ帰ってこれないよとか、義次さんに話しかけるが要領を得ない。
・業を煮やしてよく確認したら、別に照子達の分を用意しておくと約束したのではないという。
・なんだなんだと言ったら、清水兄達が帰ってきて食べるから大丈夫と言う。
・そんなことあり得ないからと俺が言う。
・案の定、どうしよかと思案している時、清水からお昼はいらないと電話が入る。
・それじゃ余ってもったいないからと思って、照子にお寿司買ってあるよとメールする。
・13時過ぎ、清水夫婦と香織が帰ってきて、お昼は食べてないとのことでお寿司を食べる。
・バナナ、イチゴ、ジュースを買ってきていた。
・14時頃、澄さんが、訃報の回覧を回すついでに、町内会資料を付けようとしたら見あたらない。
・受け取ったのは義次さんで、誰かに声かけたのかまでは見ていないがちゃぶ台の上にあったのをは俺も確認している。
・お昼を買いに行っている間になくなったようだと絞り込んだ。
・澄さんは、おばあがどこかにやった、いつもこうだとぼやく。
・訃報回覧のことがあるので、ぼやいてもラチ空かない。
・配付資料をブロック長から一部もらってきて、回覧とすればいいのだから、訃報はすぐ回した方がいいとアドバイス。
・回覧を隣に持って行ったら、その家に配布物が全部投げ込まれていたとのこと。
・おばあが、1人で留守番していた時に、ちゃぶ台の上にあったのをどうしていいのかわからず回してしまったようだ。
・この間、俺と澄さんが一生懸命探しているのに、義次さんはいつのまにかいなくなり、人ごとのように知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。
・元はといえば、義次さんが回覧受け取った時、きちんと澄さんに手渡ししていれば問題なかったのだよと冗談気味に尻をたたいたが、柳に風の感じ。
・葬儀の費用に関して、おばあさんは葬儀代にあまり使いたくないという。
・清水兄は、葬儀代は一銭も出すつもりはないという。
・澄さんは、最初こじんまりとやりたいと言ってたのが、いつのまにか盛大にやりたいとなったり、ゴチャゴチャしている。
・葬儀にかかった費用を、施主が出せないなら兄弟が出すのは当然だと俺が発言。
・おやじの保険もおりるとのことで、費用の心配なさそうなので、兄弟の香典は10万円ずつにしようと提案収めた。
・葬儀費用は約300万円だが、精進落とし、お寺も含めると400万円を超えるようだ。
・写真は最後まで決まらず、明日までということにした。
・18時、友部の帰る車でさいたま新都心駅まで送ってもらい照子と一緒に電車で帰る。
・青葉台駅ビルの6Fで夕食を食べ、21時ちょっと前家に着いた。

■2004年4月3日 おやじ納棺。健志の車で浦和へ行く。
・打ち合わせが10時からあるので間に合うように、8時に家を出ると前夜から話しておいた。
・8時になっても照子は準備ができていない。
・8時20分に出発したが、中里学園先で照子が喪服を持ってくるの忘れたとUターンする。
・東名は空いていたが、首都高速道路は霞ヶ関まで渋滞で35分かかるとあるので、環八を行くことにする。
・環八も各所で渋滞していて、あのくらいの渋滞なら首都高速を行った方が良かったと思ったが後の祭り。
・10時20分浦和に着く。
・すでに打ち合わせは始まっていて参加する。
・いきなり、お通夜に何人来るかを俺に聞かれるので、最初からむっとした。
・誰が来るのか、俺には全然分かるわけがない。
・結局60人位を見込んで、その6割の料理を準備と言うことで、35人クラスを頼んだ。
・午後になって少ないよと言って追加したが、俺が照子に話し、それを清水兄に伝えるという、腫れ物に触る感じ。
・結果的に、これでも足りない位であった。
・火葬中1時間20分位待ち時間がある。
・この間に、おにぎりとかおつまみを業者に用意して貰うこととする。おにぎりは1人1個程度とする。
・精進上げのお膳用意数は、火葬場でカウントする。
・写真を決める段階になって、まだ背景がどうのとかで2人でやりあっているので、自分は途中から抜けてしまった。
・この後、告別式挨拶は誰がするかでもめたようだが、写真の段階から席を外していたので、以下は照子のメモによる。
・清水兄は自分でするつもりで、本人も納得していて、誰もが問題ないと思っていたが、澄さんが自分でやると譲らない。
・じゃ、精進落としの挨拶を兄がしたらとなったら、兄は安藤に頼めという。
・安藤はおばあさんの弟なんだから、そりゃないよで、幸雄さんに頼めばとなり、だったら茂さんでしょうとなった。
・最終的には、告別式挨拶は兄、精進上げ挨拶が姉、献杯が茂さんとなった。
・香織ちゃんの彼も見えたが、清水は紹介する気がない。
・澄さんは、香織と彼を全く無視している。
・他のメンバーとはにこにこして写真にはいるが、香織とは一緒に写真を撮ろうとしない。
・清水兄は、積極的に2人と並んで写真に入った。
・香織ちゃんの彼と少しお話ししたが、手真ね、口まね、手のひらに書いたりで、なんとか伝えようとする。
・好感の持てる人柄と見た。
・健志に言わせると、相手の男性からみると「ひどい女にひっかかった」というところだ。

・16時40分納棺。
・17時過ぎ、納棺終わったので健志と帰ろうとしたら、これから夕食をみんなでするので買い出しに行くという。
・じゃ食べて帰るかとどまったが、買い物からなかなか帰ってこない。
・この間ずっと長野へメール書いていたので、みんなが何話していたか知らないし退屈もしなかった。
・18時30分過ぎに帰ってきたが、健志が途中で気持ち悪くなって、夕食食べずに帰りたいという。
・自分でも、これから支度してでは遅くなるので閉口していたこともあり、じゃすぐ帰ることにする。
・19時浦和を出発。首都高速道路はちょっと渋滞していたが、20時30分青葉台に着く。
・市が尾バーミヤンで30分ほど待って夕食を食べる。
・22時家に着いた。
・メール書いて、風呂に入って寝たのは24時過ぎになった。
・後から聞いたことでは、香織ちゃんの彼が天ぷらを揚げ、20時頃から夕食になったとのことであった。
・健志は自分で、調子悪くなったのは、車の臭いに酔ったのが原因で、元々の車の臭いがおかしいという。
・初めはそんなものかと思ったが、ひろみが同乗していたことを思い出し、ひろみの化粧の臭いじゃないかと思った。
・友部のおばあさんの葬儀の時、ひろみが車で迎えに来てくれたが、随分ひどい臭いがしたことを思い出した。

■2004年4月4日 浦和おやじのお通夜。
・10時30分健志と家を出る。
・日曜日で車が少なく、高速道路は渋滞表示がなく1時間位で着くなと思ったが、竹橋JCで池袋方向へ向かうべき所を向島線へ入ってしまった。
・まだ早いからゆっくりドライブしようと、向島を回ることにする。
・丁度20q位余分に走ったことになったが、途中、浅草近くの隅田川沿いの桜が満開で素晴らしいのが見えた。
・都内は曇り空だったが、荒川手前あたりから霧雨。
・12時ちょっと過ぎに浦和に着く。
・16時雨が降る中、遺体を式場へ送る。すぐに車に分散して式場に向かう。
・18時お通夜が始まる。
  おぼうさんの戒名のお話し。
  寶樹/宝の木、悟りの実を付ける木。
  実を付けることによって、まわりに幸せをもたらす。
  利行/名前を一字貰った。
  比叡山にお寺あらゆる所に張ってある。
  修行の方法を書き記している中にある。
  他を利する行を行った方ということで、利行とした。
  最初の2文字は道のごう、その方の人生を表す。
  本当の意味での戒名は利行。
  仏教に入門してお名前を頂くという意味。
  感謝の気持ちを持って送ってあげてください。
  それが一番。あとはゆっくりお休み下さいということ。
・19時お通夜ぶるまい。
・事前に義次さんに、料理少ないかもしれないと話して、おれら本当の身内は最後に食べると話しておいた。
・義次さんは自分の家族と一緒に最初から一番よい席を占め、まわりのことには一切目配りなしで食べていた。
・あまりにも無神経なので、一言文句を言った。
・事務所から受付手伝いに来てくれた人の分は大丈夫かと照子に声かけたら、一般の人の食べ散らかした残りしかない。
・あわてて料理をかき集めて、かっこうだけはつけたがヒヤリとした。
・青森から来た人た5人はホテルに泊まる等で、お通夜は盛り上がって、みんなが帰ったのは22時前。
・友部の男3人と健志の5人で、そのまま控え室に泊まり込む。
・朝まで飲み明かそうなんていいながら、24時過ぎまで飲み1時前に寝る。
・寝付きはよかったが、4時頃目が覚めそのまま6時頃までウトウトする。

■2004年4月5日 浦和おやじの告別式。
・6時起床、コンビニで朝刊を買ってきて読む。
・みんな起きてきそうもないので、自分の分のみコッペを買ってきて食べる。
・6時30分頃、義次さん起きてきた。
・おにぎり買って行かなくちゃということででかけたが、また戻ってきて、淳、勇二を連れて浦和の家へ行くという。
・あれっ、昨夜は淳、勇二、健志は残ってコンビニで買ってきて食べると言ったはずなのにと思ったが・・・。
・連中の分買わなくて良かったと思った次第。
・8時30分布団を上げに来たので健志を起こす。
・9時30分頃、清水兄がきた。銀行へ金を預けに行くという。
・長野兄が赤羽を出たとメールが入る。
・駅まで迎えに行こうとしたら、清水兄が車で行ってくれるというので一緒する。
・本当は歩いて、帰りの道筋も教えておきたかったのに、車で迎えに行ってやるというので従った。
・9時52分改札で落ち合い清水の車に乗る。
・せめて車から降りて、きちんと挨拶位はするだろうと思っていたが、車の中でハンドル握ったまま、後ろの席へ乗り込む時会釈しただけ。こんなことなら、来てくれなくてよかったのに。
・高速バス4時36分の始発に乗ってきたとのことであるが、1時間遅れたとのことであった。
・5日の夕刊では、笹子トンネル付近で観光バスが炎上したという事故があったが、これに巻き込まれたようだ。
・炎上したのは8時30分頃とあったが、時間的に計算が合わない気もする。
・式場に着いたのはちょっと早かったが、浦和の家に行くにはちょっと中途半端なためそのまま式場で話し込む。
・11時20分、来ている人全員入って記念写真を撮る。
・11時30分、友部の幸が、食事用意したいという。今からじゃドタバタで用意する必要ないと思ったが・・・。
  友部では告別式前に食事するのが習わしだと言う。
  告別式前の食事を用意しないはあらかじめ分かっていたことで、食事はでないよと連絡しておくべきであった。
  この段階で俺に相談する必要もないはず。
  義次さんは、都合悪い話しになると「それぞれのやり方がある」と逃げていたが、この件に関して聞いてみたいと思った。
・12時告別式、続いて初七日の法要を行う。
  出棺前挨拶(清水兄)
  お忙しい中父のために来てくれてありがとうございます。
  戒名「寶樹利行」、自然が好きで、山に行っては山菜を採ってきては食べさせてくれた。
  自分のことを忘れて他人のことに尽くす人でした。
  母と30年間、家には家族以外の人たちが常にいた。
  自分ではなかなかできないことだと思う。
  東急に勤めて、衛生管理士の資格を取って、60歳過ぎてから保険で資格士の資格を取って仕事もしていた。
  70歳を過ぎてから自分の為に暮らし始めた。
  いたらないものですので、これからも皆様の援助よろしくお願いいたします。
  今日はありがとうございました。
・13時20分出棺。途中道路混雑していたが30ほどで、浦和斎場に着く。
・14時火葬
・15時10分、お骨を拾う。
・15時30分、斎場出発。
・16時精進上げ、18時過ぎまで飲む。
  告別式精進上げ前挨拶(清水澄子)
  本日はお忙しい中ありがとうございました。
  花の好きな父が、満開の桜の木をきれいだなと言っているような気がします。
  母に、父はどういう人だったのと聞くと、
  やさしい人よ、思いやりのある人よ、いつも勉強している人と言ってました。
  自分が見ていても、思いやりのある人だと思います。
  皆様からいろいろエピソードを聞きました。
  会食しながら父のことを聞いていきたいと思います。
  母が1人になるのでよろしくお願いいたします。
  告別式精進上げ献杯挨拶(茂さん)
  僭越ながら献杯の音頭を取ります。よろしくお願いいたします。
  私とおじさんの関係は、昭和43年に父が他界して、それ以来自分の親のように面倒見て頂きました。
  北海道にも2回ほどおばさんと一緒に来て頂きました。
  来た時、洞爺湖が爆発したことがありました。
  おじさんには、私ら兄弟が結婚した時親代わりになって頂きました。
  ありがとうございました。

・青森から出てきた人たちは夜行で帰るが、それまでの時間は伸男さんが責任持つとのことで任せる。
・のり子ちゃんだけが浦和に泊まる予定だったが、のり子ちゃんも夜行でみんなと一緒に帰った。
・19時、骨壺、位牌等すべて持って家に戻る。
・葬儀社からも卒塔婆を持って到着、位牌を飾る。
・帳簿合わせで香典が合わない。
・お通夜分か、告別式分か、どちらか分からないのか、最初に切り分ける。
・記帳の小計、合計をきちんと確認、現金も確認する。
・それが間違いないなら、重複しているか純然たる不足以外あり得ないと話したが、わいわい言ってるので静観する。
・原因は健志が書き込んだ後に、他の人が書き込んだためと聞いた。
・他の人が追加書きしたことが分かった時点で、健志は手を引いて良かったはず。
・お通夜で会計をしたと言うから、香典の出納は、お通夜分何人、金額何円と書いて締め切り、引き渡すのだよと説明した。
・友部でみんな引き受けるようなこと言ってたので、健志に会計の心得を仕込むのが遅れた。
・それでも、告別式前朝話しておいたんだから、人数とか会計帳簿的な締め方をしなかったことは健志に落ち度がある。
・香典は、茂さんと○○さんが5万円で一番多かったが、後は3、2、1万円、5、3千円といろいろあった。
・長野は香典3万円、他に病気見舞いも用意してきたというので、香典2万円だけでいいと話してそのようにして貰った。
・都会は、病気見舞いの風習はないので気にしなくていいと止めた。
・友部のおばあさんの時、清水は2万円包んだことを考えれば、清水兄兄弟は2万円と思ったが3万円だった。
・友部の人たちはいくら包んだのか、見るの忘れた。
・20時〜23時頃まで、みんなで夕食食べながら話し込んだが、あまり盛り上がらず。
・友部夫婦だけが飲んでいて、おじいちゃんのこういう機会で、これからみんな集まろうと言う。
・義次さんに、話していることを俺に書いて伝える気がないならいやだよといった。
・めずらしく兄弟6人揃ったんで、おばあさんのことを含めて、これからのことまじめに話そうとしても話しにならない。
・友部は義次さんのお母さんには攻撃受けるし、おじいちゃんの所には行きたいし・・・。
・おじいの所に行くと、「おれを見捨てて行った」って葛藤で苦しかったという。
・対策はないねと義次さんは言う。
・極端に言えば科学的にしか考えようがないというが、なんのことか意味が分からない。
・そんなこと言わないで、具体的な話しをしようといっても聞く気はない。
・帰りの車で、科学的とはどういう意味で言ってたのだと健志に聞いた。
・「人間はなるようにしかならない」というような意味だったとか。
・あとはしらけっぱなしであったが、友部の2人は日本酒をコップでグイグイ飲んでいた。
・寝る前に、朝早く帰りたいと言ったらなんか片づけがあるから困るようなことを言う。
・片づけは今決めることでないよとか、ごちゃごちゃ。
・結局、ベットのみ戻してから帰るということにしたが半分喧嘩ごし。
・24時頃寝たが、半袖下着しかないのでカーディガンを羽織って寝たが、ちくちくして寝付かれない。
・友部夫婦、照子、健志は2時頃まで飲んで寝たようだが、自分は朝までほとんど寝られなかった。