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トピックス

マニラ市内視察

フィリピンの衣・食・住
フィリピン慰霊友好親善訪問アルバム

イントラムロス北西に残るサンチャゴ要塞見学。
2005/11/23 要塞
ジューキミシンとか、テレビ、その他日本でゴミとして捨てたようなものが一杯売られていた。
2005/11/23 中古品店
■2005年11月23日(水)マニラ市内視察。午後帰国。

5時30分:起床。昨夜はバタングー。一回目がさめたが、兄が4時30分に起きるまで気が付かなかった。兄貴はお腹の調子が良くないようだ。食べ過ぎだー。
6時00分:朝食バイキング。兄貴は食べないというので一人で行く。一人だと、どうしたのとみんなに聞かれそうで、隅の方でひっそり食べる。朝食終わって玄関に出てみた。警官がいて怖そうだったが、写真は気さくに撮らせてくれた。
7時30分:荷物を持ってロビーに集まる。外和さんは、出国手続きのため荷物を持って直接空港へ行く。
7時55分:バスで市内観光に出発。バスは国際港を左に見ながら北に向かう。アメリカ大使館では、アメリカに行って働きたいという人が、手続き待ちで一杯並んでいる。

8時5分〜15分:リサール公園で下車。ここは、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール記念像があり、広大な緑の芝生と噴水が美しい公園。公園の名前はフィリピン独立運動の指導者、ホセ・リサールに由来している。フィリピンの尺度はここから測るとのこと。
8時20分〜30分:中古品店見学。ジューキミシンとか、テレビ、その他日本でゴミとして捨てたようなものが一杯売られていた。
8時35分〜9時15分:サンチャゴ要塞見学。イントラムロス北西に残る要塞跡。城砦都市の軍事拠点だったが、アメリカ統治の時代には司令部、第2次大戦中は日本憲兵隊本部が置かれ、地下には捕虜収容所となっていた地下牢の跡が残っている。日本軍は、フィリピン人捕虜を地下牢に閉じ込め、そこに水路を引き大量の水を流し込み水死させたと聞く。思わず合掌。
9時20分〜55分:サン・オウガスチン教会見学。16世紀スペイン統治時代に造られた城塞都市「イントラムロス」の中にあって唯一戦災を免れた建物で世界遺産にもなってる。フィリピンでは最も古い石造建築の教会。教会の天井に施された緻密なまでの模様の数々は、石で出来てるとは思えない。教会内にコンパクトなお墓もある。
10時25分〜50分:民芸の土産店で下車。店に入ると、すぐに店員が金魚の糞のように一人一人にぴったりくっついてくる。Tシャツ、ライターケース等買おうとしたが、値札が二重でよく分からない。フィリピンでは交渉でまけてくれるというので、レジに行って計算してもらったところ、ダバオの倍以上と高い。そこまで負けてくれそうもないので、やーめたと断った。それでもなんか記念の品を買おうと探し、原住民のような組になった顔の彫り物を買った。5,000円というので高いと思ったが、円で支払っていいというので組になった2ヶで一万円かと思ったら、5,000円お釣りをくれた。なんか得した気分で、ホテルに戻って、片方は兄貴にあげて長野で飾ってもらうことにした。

11時00分〜12時40分:5班そろって中華料理のお昼。料理がなかなかでてこない。特にD班は最初に席に着いたのに料理は一番最後と、みんないらいら。全員がそろうのは最後と解団式を行う。
空港へ行く途中、フィリピンの電車をちらりと見た。
13時00分:マニラ空港に到着。ターミナルビルへ入る荷物検査、出国手続きは順調。さあもう安心と、最後の土産で、帽子、地図を購入。14時搭乗ゲートに行こうとしたら、搭乗手続き前の荷物検査に一杯並んでいる。ズボンのベルトは外せ、金属は持っていないか、予備検査でチェックまでしていた。
15時5分:15分遅れで動き出したが、離陸は30分と予定より40分も遅れた。自分の左隣の和田さんの席でダブルブッキング発生。和田さんが譲って後部窓際へ移った。自分らの席は、60Kと60Hの二人席でゆっくりできた。
16時30分:機内食の夕食。ワインを飲む。
17時40分:携帯でメール作っていたら駄目と注意される。離着陸時のみ禁止と勘違いしていた自分が悪い。
18時30分:日本時間に合わせるため、時計を1時間進める。

ここから日本時間。
19時55分:成田着陸。マニラ40も遅れた割にはほぼ定刻に到着した。しかし、ターミナルビルまで移動して下車までに25分もかかった。
21時10分:入国審査は順調。荷物を受け取って、リムジンバスで九段会館に向かう。
22時30分:九段会館到着。
24時30分:風呂に入って寝る。

24日、6時起床。6時30分、兄と二人で靖国神社参拝。朝食後九段下駅で兄と別れ帰宅。
家に着いたのは、丁度9時でした。

行く先々、添乗員の外和さんと現地ガイドの高橋さんが先回りして手配してくれ、自分たちは本当にスムーズに動けた。感謝。

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