あの日青い空の下で 2
僕が大病した翌年、突然父が死んだ。
助かった僕の身代わりになった、なんて話が影で飛び交っていたのも
知っている。
けれど、祖父がまだ存命だったから、経済的な不安はあまりなかった。
父は忙しい人だった。作品造りの間はほとんど家にいなかったし、個展
やらなんやらで家を空けることも多かった。一緒にどこかに出かけた
記憶はない。たまに、近所の浜辺を歩いたくらいだ。
そのせいか、僕は父親っ子というほどでもなく、だから、この急に訪れ
た父の永遠の不在も、実は僕の中ではぴんときていなかった。
お通夜には、幼稚園の校長先生以下、桜組の担任と、ほとんどの生徒が
焼香に来てくれた。
まぁ、園児にとっては、ちょっとしたお遊戯の延長みたいなものだった
ろうけど。
騒がしい彼等を僕はどこか遠くから眺めているような気分だった。
焼香の列がなくなり、ひと段落すると、辺りは急に静かになった。
大人たちが、なにやら顔を突き合わせてひそひそとやっている声だけが
断続的に聞こえてきた。
祖父は父の関係者の対応、母と姉は、裏方で親族の対応。
こんな時、子供は邪魔なだけだ。
僕は静かにしていた。ずっと、じっとして動かなかった。
僕に近づいてくる人もいなかった。きっと、存在すら忘れられていた
に違いない。
そんな時だった。
何故か、当麻がひとりだけで戻ってきた。
そうして、棺の置かれた畳敷きの大きな部屋、蝋燭の灯りが揺れる薄暗
いその場所で、酷く心細い思いで、所在無く座っていた僕の隣にきて、
当麻は、僕の手をきゅっと握った。
当麻の小さな手は、思ってたよりずっと温かくて強くて、すごく安心し
たのを覚えている。
それから何を話したわけではない。
結局、気付かないうちに二人ともそのまま眠りこけて、翌朝、目覚める
まで僕らは手を繋いだままだった。
あの時の当麻の手の温もりは、今でも昨日のことのように思い出せる。
後から知ったことだったけれど、そこは、当麻の祖父が住職を勤めてい
る、お寺だったのだ。
僕の家は、そこの檀家だったというわけ。
そう。
たぶん『どうして』の切欠はこれだったのだろうと思う。
けれど、たったこれだけのことで別に彼への想いがはっきりと芽生えた
わけではないし、気付くこともなかった。
それは、徐々に徐々に、ゆっくりと降り積もる雪のように、僕の中に
堆積していったのだ。
父を亡くしてからの僕は、より“いい子”になったんだと思う。
優しいけど厳格な祖父の下、将来この家を守っていく男として強くなら
なければいけなかったし、気丈に振舞う母や姉を見ながら、自分だけが
ぐずぐずと甘えていてはいけないと、幼いながらに感じ取ったのを覚え
ている。
そんなわけで、父の死以降、家族を困らせたことは一度もないと自負し
ている。
けれど別に、さほどの努力をしたわけでもないし、苦労を感じたことも
なかった。
ちょっとした気持ちの持ちようの変化、そんな程度。
まぁ、元々我侭な子供ではなかったから。
だろうと、そう思っていた。
でも、どうやら本当のところは違っていたらしい。
その証が、当麻に対する僕の態度だ。
僕は、しょっちゅう当麻を困らせていた。
と、いうか、当麻にだけは、容赦がなかった、というか、歯止めが利か
なかった。
普段の“いい子”な僕は、相手に合わせるのは得意だったし、向こうから
こう思われたい、と思う自分を演じることにも全く抵抗がなかった。
“演じる”というのも大袈裟な表現で、むしろそれは僕にとって至極自然
なことですらあった。
それは、幼馴染である彼等に対してもそうで。
つまり、遼には、“優しい同い年の兄”という目で見ていてもらいたいと
思ってて、征士には、“ひとつ上の立場からものを言える相談相手”とし
て、秀には、“家族じゃないけど仲のいい兄弟”と感じていてもらいたい
と、意識的か無意識かを問わず、常にそういう気持ちが働いていた。
あえてそうしよう!と思ってなったわけじゃなくて、なんとなく、いつの
間にか、そんな風になっていた。
もちろん、彼等だって幼馴染だから、他の友人には見せない顔もするし、
厳しいことも言う。
だけど、当麻にだけは、上手くいえないけれど、根本的にもっと何かが
違っていて・・・。
例えば、当麻と二人きりだと、自分でも驚くような僕が出てくるとか。
それは主に、怒りであることが多かった。嫌味もよく言った。
後から考えたら、よくもまぁあんな酷い事を言ったものだ、と、自分で
も思うようなことも。
少しばかり捻くれて育ってしまった僕の、サンドバック役が当麻だった。
それでも当麻は、僕を見限らなかった。
だから、あいつにだけは、マイナスな自分を見せてもいい、どんな自分
をぶつけても大丈夫、そんな安心感みたいなものが、知らず生まれ育っ
ていったのかもしれない・・・。
そういう意味では、唯一、僕が甘えられる相手、といえるだろう。
で、
あれ?
それって、すごく特別なことじゃないか?
どうしてそんな風に感じるんだ?
なぜだ?
と、自分の気持ちに問いかけて、あることに思い至ったその時、漸く
僕は自覚した。
それは・・・
もしかして・・・
もし・・・か、して・・・っ!
―――当麻を好きなんだ―――
と。
中学2年の秋だった。
だけど、あぁあ、自覚なんてしなけりゃよかった。
戻る 続く
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