あの日青い空の下で 4
高校2年の文化祭は、今でも忘れられない。
僕等のクラスの出し物は、舞台芝居に決まった。
担任が、演劇部の顧問だったことと、その部員が複数いたこと、そして何故か
うちのクラスの女子の間でやたら宝塚が流行っていたことも、影響したのは間
違いない。
とにかく、一部男子からの猛反対は、にべもなく却下され、圧倒的多数により
可決した。
ちなみに僕は、何をやろうがどうでもいいと思っていたので、無難に多数派に
ついた。
演目はこれまた多数決により“白雪姫”になった。
となると、次に、配役がすごいバトルになるでろうことが予想できた。
王子様役には征士か当麻あたりが推挙され、それに女子共がお姫様役に殺到
する。
そしてあとは、くじ引きか、じゃんけんだろう・・・と僕は踏んでいた。
ところが、事は意外な方向へと展開した。
誰が言い出したか、・・・それは秀だったけど、全ての配役・分担をくじで決め
たらどうだ!という話が出るやいなや、皆が一気にその案へ飛びついたのだ。
確かに、高校生が考えるような、バカバカしくもスリリングで面白いアイデア
だった。
それは認める。
でも、それがあんなことになるなんて、誰が想像しただろう。
白雪姫・・・伊達征士
王子 ・・・羽柴当麻
七人の小人・・・○○○子、○○○美、○○○江、○○香、○○○太、○○○輔、
○○○朗
魔女(女王)・・・○○○奈
木こり・・・○○○理
その他(動物/村人/お城の人)・・・○○江、○○○朗、○○介、○○子、
○○也、etc
演出・・・○○○菜
演出助手・・・○○○男
脚本・・・○○果
衣装・・・秀麗黄、○○○郎、○○○菜、etc
照明・・・○○○文、○○○史、etc
音響・・・真田遼、毛利伸
大道具・・・○○○吉、○○穂、 etc
小道具・・・○○彦、○○○華、 etc
くじ引きの結果が全て黒板に並んで、教室は一瞬静まり返り。
直後、騒然となった。
キャーキャー・ワーワーそれはもう、例えようもないほどに。
隣のクラスの生徒たちが覗きに来るくらいスゴかった。
征士は白い面をなおいっそう白くして唖然となり固まって、当麻は死に物狂い
の抵抗を試みたが、こういった場合、理論攻めは意味をなさない。勢いのほう
が圧倒的に強い。当然結果が覆ることがあろうはずもなく。
それはそうだ。主役は校内でも有名な二人で、それに魔女役の子も、演劇部き
っての大女優と謳われてる美人な子。とてもくじ引きなんかで決めたとは思え
ない、絶妙なキャスティングとなったのだ。これだけでもう大入り間違いなし!
と、誰もが(主演二人を除いて)思ったに違いない。当人がイヤダ!と言って
いること以外で、変える理由はどこにもない。
もちろん僕もビックリした。
よりにもよってまぁこんなことになるとは・・・ね、と。
そう、別にショックでもなんでもなく、むしろこれをネタに後で二人を、特に、
論破に失敗して頭を抱え突っ伏してるほうをからかってやろう、ぐらいなもん
だった。
準備は着々と進んでいった。
年に一度のお祭りに向けて学校全体のボルテージも上がり、なんとなく皆がそ
わそわウキウキしているこの空気感。
意外かもしれないけど、僕も嫌いじゃない。
衣装係に抜擢(?)された秀は、それはそれは痛ましい状態だった。笑えたけど。
ほとんどの指先には絆創膏、放課後教室には毎日のように秀の叫び声が響き、
都度、中断を余技なくされる芝居組の面々に怒られて。けど、そこは秀、どんな
状況でも、それなりに楽しむ術も知っているからスゴイ。というか、衣装係には、
秀の好きな女子がいた。そういう意味では、張り切り甲斐もあったのだろう。
征士も、周囲からの期待という猛烈なプレッシャーと、元来持ち合わせている性
格から、渋々嫌々ながらも、ほぼ休まず稽古に参加していた。とはいえ、さすが
の彼も、衣装合わせがあった帰り道、「自分の生真面目さをこれほどに恨めしく
思ったことはない」と、ぽつりこぼし、僕はちょっと・・・いや、大いに同情した。
あの女子達の尋常じゃない盛り上がりは、確かに恐ろしかった。
そして当麻はというと、「俺は天才だから」と、わけのわからない尤もな理由を
つけ、稽古から逃げ回っていた。周りも、まぁ、あの作品の王子様は、どうせ後
半にしか出てこないし、あいつのことだから、台詞を覚えるのなんて1・2時間も
あれば十分、段取りだって、1回通せば頭に入るに違いない、と、途中から追い
掛け回すのを諦めたようだった。(女子は諦めてなかったみたいだけど・・・)
そもそも別に、感情表現・芝居心云々を期待してるわけじゃない。棒読みだろう
が、右手と右足が同時に出ようが、そんなことはどうでもいい、要は、校内きっ
てのイケメンが二人、檀上に上がってくれさえすればそれでいい、と、そういう
ことのようだった。
一方、こんな騒動も、音響担当の僕と遼にとっては、対岸の火事。大所帯の面々
を眺めつつ、至って平和だった。
台本を読み込んで、曲や効果音を探して選んで、演出の許可をとり、音源を繋げ
ていく。決まってしまえば、後は照明と打ち合わせをして、タイミングの練習。
作業はかなり地味で地道だ。部活(書道部)の出し物も早々に書き上げた僕は、
放課後のほとんどを、校内外問わず、遼と二人で過ごしていた。
本番1週間前のこの日も、僕と遼は、教室の隅っこで稽古を眺めながら、チェッ
クをしていた。だけど、実際のところ、僕等はもうあまりやることもなく、半ば
ぼうっと観ているだけ、という感じで、いつ帰ってもいいような状況だった。
「あ、そうだ、伸、今日またお前んち行ってもいいか?」
「え?あー、うん、たぶん構わないけど。何?おじさんもう行っちゃったの?」
「ああ・・・今朝起きたらいなくてさ」
「そっかぁー・・・一昨日帰ってきたばかりなのにね・・・。忙しいのは、いいことな
のかもしれないけど・・・」
「まー、親父の稼ぎが上がってくれたおかげで、俺もこうしていられるわけだか
らなー」
「・・・うん・・・」
「なんだよ、言ってるだろ?もう慣れっこだって」
「・・・ん・・・」
「あ、迷惑だったら、はっきり言ってくれていいんだからな?」
「そんなこと・・・っ、あるわけないだろっ」
「・・・へへっ、いつもサンキュな」
そう、学校生活は至って平和な僕等。
だけれども、遼の場合、家での生活は“平和”とはちょっと言い難い。
まぁ、征士んちも、当麻んちも、秀んちも、ついでに僕んちだって、普通か、と
問われたら、答えるのに少し間が空く程度には変わっているけど。
遼は現在、住所のうえでは父親と二人暮らしとなっている。
母親は、綺麗な人だったけれど、体が弱くて、遼が小学3年生の時に病気で亡く
なった。
父親の仕事は、カメラマンだ。風景写真家といいつつも、今その9割は山岳写真。
元々山岳部出身の山男だったらしく、写真は跡付け的な仕事なもんだから、昔は
ちっとも売れなくて、その割にはふらりと撮影旅行と称した山篭もりに行っちゃ
ったりして、病弱な奥さんがパートして食いつないでいた。所謂ヒモみたいな人
だ。山では頼れる男なのに、地上ではてんでダメな男の典型。
ところが皮肉なことに、その奥さんが亡くなった途端、少しずつ仕事が入り始め
た。そして遼が中学に上がる頃には、収入も安定してきて、暮らし向きは随分と
楽になったみたいだった。だけど、一年のほとんどを、家以外の場所で過ごすこ
とに変わりはなく、また、その行動パターンも、奥さんが亡くなる前と少しも変
わらなかった。未成年の息子にも、いつも何も告げないままに、行ってしまうのだ。
でも遼は、突然いなくなる父親に置いてかれても、メソメソなんかしなかった。
健気に独りで暮らしていた。寂しかっただろうに、それを表に出すこともほとんど
なく。
ただ、このことを知っていた僕の母や姉は、彼を不憫に思ったのだろう、そういう
時には、うちに連れてくるよう、僕に言った。だから僕は、気をつけて、時々遼に
お父さんがどうしているかを尋ね、留守しているとわかると、うちへ誘った。秀や
征士、当麻の家も同じだった。でもその頻度としては、幼馴染のうちで一番近所だ
った我が家で預かることが多かった。そのうちに彼は、父親がいなくなると、自ら、
僕の家に泊まってもいいか?と訊いてくるようになった。もちろん、そうしょっち
ゅうではない。基本彼は、独りで頑張っている。
だから、たまにこうして彼が頼ってきてくれることは、素直に嬉しかった。
けれど・・・
「それにしても当麻の奴、ほんとに練習には来ないつりかな?」
「さぁねぇ、下手したら、本番も来ないんじゃない?」
「えっ・・・まさかっ!いくら当麻でも、それはしないだろっ、皆、こんなにがんばっ
てんのに!」
「あいつにそれが通じてればいいけどねー」
「・・・伸は、そんなに当麻のこと信用してないのか?」
このやけに真っ直ぐで真剣な眼差し。
「え?・・・ああ、やだなぁもぉー冗談だよ〜。遼ってさ、ほんと、征士ほどじゃない
にしても真面目っていうか・・・、とことん性善説派だよねぇ」
「えっ、そっ・・・そうか?」
僕のセリフには、素直な感嘆の思いと、ちょっとした皮肉も混じっていた。
でも、彼には通じない。
頬を赤らめ照れている。
こういうところが、遼には敵わないなー、と、いつも僕に思わせる部分だ。
「なら、伸は、違うのか?」
「まーそうだねー」
「な―――っ、い、今のは、冗談だぞっ!伸が性悪説派なわけ、ないだろ・・・っ」
ああ・・・何故か後ろめたい。
「ふふふっ、ありがと。遼って、ほんといい奴。あーあ、あいつ、君の爪の垢でも
煎じて飲めばいいのに。ね?まーでも、大丈夫っしょ。さすがに、当日ブッチは
しないよ、たぶん、だけど」
「・・・ああ!うんっ、だよな!当麻だって、ほんとは練習来たいんだと思うぜ?でも
きっと、最初にあんなにごねたから来辛いんだ、だよな?」
「ん、そうだね」
遼に微笑みかけながらも、僕は居心地の悪さを感じずにはいられなくて、稽古に見
入るふりをした。
この驚くほどの遼の純粋さは、微笑ましく、眩しくて、羨ましくもある。
でも・・・僕の中にはそれだけじゃないものが存在していて、時々ずしりとくるのも事
実で。
自分の影の濃さを思い知らされる太陽光、ってところかな?
この感情は、僕が当麻への気持ちを認識してから、少しずつ大きくなってきている、
そんな気が薄っすらとしていた。
衣装や大道具、小道具などは、人数が多い分、いざこざも多い。たけど、本番が近づ
いてくるにつれ、自然と纏まってきて、目標に突き進むうち、終わる頃には一致団結。
これまでにない友情が芽生えたり、中には友情以上、付き合いだす奴等なんかもいた
りして。
うんうん、これぞ高校生活だよねーなどと一人内心頷きながらも、一方で、やっぱり
羨ましくないと言ったらウソだよな、とも思った。
文化祭も3日後に差し迫った帰り道。
「にしても、当麻の野郎、マジで本番当日まで稽古に出ねぇつもりかよ」
「まぁ・・・ここまできたら、そうだろうねー」
「まったく、あいつは昔から自分のことしか考えん!」
それほどに嫌なのだろうとは思うけど、本当にここまで徹底して、稽古に来ないでいら
れるのは、そこはやはり、“当麻という奴だから”なんだろうと、妙なところで感心し
たりもする。
そんなわけで、相変わらず稽古に顔を出さない当麻を除いた僕らは、一緒に帰途につい
ていた。
4人で、というのは、随分と久しぶりだ。
すると遼が、とんでもないことを言い出した。
「・・・なー、征士、ひとつ聞いていいか?」
「なんだ、遼」
「ラストって、台本にあったとおり、ほんとにあいつとチューす」
「ぅおあああああああーーーっっ!やめろぉおおおおおおーーーっっ、ななななななに
を言うかっ、そそそそんなこと、ああああるわけなかろうがっっ」
「ちょっ、ちょっと征士っ、ここ路上だよ・・・っ」
「すすすすすまんっ、だがっ、しかしっ、しかしかし・・・っっ」
「まーまー落ち着け征士、な?うん?」
「・・・こんな動揺してる征士、見たことないかも・・・」
「だな。しかも泣いてね?」
「ばばばばかなっ、ななななな泣くわけなど・・・っ」
「あ、ほんとだ・・・」
「いいって、征士、無理しなくて。いやぁそーだよねー、考えたくもないよねー」
「こればっかは、マジ心底同情するぜ・・・」
「ぅ・・・っ、すまんっ征士!俺が、つい、くだらない質問をしてしまったばかりにっっ」
「ぁ、い・・・いや、いいんだ・・・遼。私も少しナーバスになりすぎて・・・すまん・・・」
「や、ナーバスんなって当然っしょ、な?」
「だね。よりによって・・・、だもんねー。せめて魔女役の○○さんとだったらよかった
のに、ねぇ?」
「そうだよな!うちの学校のマドンナだし、何より、女子だもんな!」
「なななな何を言うかっ!そういう問題ではなかろうっ!そんな・・・っ、学生の身分で
破廉恥なっっ」
「「「うっわ!『破廉恥』って・・・」」」
「ぶわっはっはっはっは!おいおいおい征士ぃ、お前、相変わらずジジくせぇな、つ
か、いつの時代生きてんだよ」
「その言葉、久しぶりに聞いたし」
「えー、じゃあ、征士は社会人になるまでチューしないのか?」
「えっ?!え、あ、いや、そっ、それは・・・だなっ」
「てか、つーことはぁ〜、少なくとも、征士はまだチェリーってことだよなぁ〜?」
「―――ちぇ・・・ちぇっっ?!?!しゅ・・・っ、貴さ・・・っ」
「へぇ〜・・・!そう言うってことはぁ〜、なら、秀はもう卒業してるってことぉ〜?え
ーっっ、いつの間にぃ〜?知らなかったなー」
「えっ!そーなのかっ?!秀!いつだ、いつっ!?俺っ、聞いてないぞっ」
「ぅええっ!?ええええええっ?いきなり俺―――っ??あややややややっっ、いやっ、
それは・・・っ」
「・・・どうなのだ、秀」
こんな風に、征士や秀を肴におバカトークを繰り広げていたけれど、その実僕は、遼の
最初のひと言で、無防備だった心臓が、脳天を突き破るほどに跳ね上がっていた。
ラストの・・・
『チュー』―――!
この言葉によって、僕は気付かされた。
―――もし、征士が手にしたクジを、僕が引いていたら?―――
―――そしたら、最後の、あの、シーンは?―――
逆に、どうして今の今までそこのところに思い至らなかったんだろうかと、自分でも
不思議だけれど、本当に、まったくの、寝耳に水、青天の霹靂状態で・・・。
台本は何度も読んだし、あそこには一番盛り上がる音楽を持ってきたし、そういうシ
ーンであることは、十二分に理解していたはずなのに、それが、あの二人によって演
じられるってことが全く繋がっていなかった。
征士が、当麻に、キス・・・されるの?
まさか!
そんなの、“フリ”だけに決まってる!
そうだよ、もし、仮に、ほんとにやっちゃったとしたって、そんなの学生のお芝居だし、
冗談、おふざけ、じゃないか。
気にする必要もない。
そう、馬鹿馬鹿しいことだ。
けど・・・
とにかく、みんなの前で、なんでもない顔をして笑いながら、僕はひとり、嫌な汗を
かいていた。
そうして、胃の腑に黒い錘を抱えたまま、その日はやってきた。
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