あの日青い空の下で 


文化祭当日。


結局当麻は、驚くべきことに、本当にこの日まで一度も稽古に顔を出さず、
みんなして、まさか、まさか、と言いつつ、とうとうここまで来てしまっ
た。
ただ、演出が言うには、本番には出る、との確約を得ているらしく。
その為、代役も立てていない。(これには女子からの強力な圧力があった
とも言われている。)

当人がいないままに製作しなければならなかった衣装は、秀が手に入れた
体操着(ジャージ)の寸法をもとにした。

「あいつ、本番来なかったら、マジぶっ飛ばす!」

とは、秀の言。
もっともだ。

クラスのほとんどは、奴の登場に期待を抱いていた。
この出し物に対する絶対の自信(全校生徒にウケること)があることと、
加えて、主役の一人が来るか来ないかのギャンブル的要素も交わって、
妙なテンションになっている。

嗚呼、僕もその中の一人になれたらよかったのに・・・。

なのに、そんななか、後ろめたい思いで、彼が来ないことをこっそり望む
人間が2名。
言わずもがな、な、征士と僕だ。

色白の征士の顔はますますどんどん青白くなり、男子一同からしてみれば、
哀れとしか言いようがない状態。しかし女子共にとっては逆効果。まさに
可憐(?!)なお姫様!と、はしゃぎまくり。

とはいえ、肝心の王子様が本当に来ないとなると、話は別だ。
征士うんぬんどころではない。いくら征士が腹を括ろうが、主役が独りと
いうわけにはいかない。
事は大事、クラス全員が困ることになる。
というか、当麻のこれからだって心配だ。この本番をブッチしたら、総スカン
を食らうどころか、村八分は間違いない。彼の残りの学生生活に間違いなく
影響を及ぼすであろうことを考えると、やっぱり来てほしいとも思ってしまう。
ただし、それを本人がどこまで意識しているかはわからないけど。


そんな心配は、杞憂に終わった。


ゲネプロ(本番直前の通し稽古)になって、当麻は表れた。


クラスの皆に取り囲まれるなか、何を考えてるのか、飄々とした態度で台本を
受け取ると、周りの喧騒を他所に、舞台袖の道具箱に座って、たった3分で読破
(暗記)した。それから今度は、演出が段取りを説明。そして当麻は、なんとゲネ
プロにも参加せず、「んじゃ、本番でな〜」と言って、また姿をくらましてしま
った。しかしまー、彼のやることといったら、魔女を倒して白雪姫にキスして、
馬に乗って退場するだけだから、確かにさほど練習を積む必要もないといえば、
ない。
ちなみに、この“白雪姫”、若干、原作とは違っている。演出曰く、「魔女の最期
が焼いた鉄の靴を履かされて踊る、ってのは、地味なうえにエグすぎ」とのことで、
森に通りかかった王子が棺の中の白雪姫を見初めて、7人の小人に事情を聴いて、
魔女を退治する、という流れになった。姫の喉に詰まった毒リンゴは、王子のキス
で消滅し、彼女()は復活、そしてハッピーエンド、と、こういうストーリー展開だ。
村人やお城の人々も、その班の中でくじ引きが行われ、男女が入り乱れていて、コメ
ディータッチな部分もいっぱいあり、なかなかによくできた台本だと、クラス内では
好評だった。

稽古も沢山した。
裏方も頑張った。

全員で気合を入れる。
皆一様に緊張で顔が強張ってきた。


いよいよ幕が上がる。


芝居は順調。
会場からは、時折笑い声も聞こえてきた。

遼と僕は、役者の出入りに邪魔にならない薄暗い舞台袖の隅っこから、舞台上を
確認しつつ耳を澄まし台詞を追い、オレンジ色のセロファンを貼った懐中電灯で
照らしながら、進行表に沿って音源を出すことを繰り返していた。
僕等はいたって冷静だった。

皆、練習の成果を存分に発揮し、出演者のセリフが一部飛んだところもあったけど、
それは愛嬌、他には大きなハプニングもなく、後半へと突入。

本番までの皆の頑張りが、実を結んでる。
そう思えて、なんだか鼻の奥がツンときた。

その時だった。

王子当麻の登場に、会場から2度目の黄色い歓声があがった。(1度目はもちろん、
白雪姫登場のシーンだ。)

と、途端、僕の心臓が跳ねた。

え?
ぅわっ、どうしよう・・・!

何も、どうしようもないのに、音量を調整する指先が震えそうになって、僕は慌てた。

なんだよ!どうしたんだ?
冷静になれ、冷静になれ・・・!

当麻が・・・、いや、突然森に現れた王子が、嘆き悲しむ7人の小人と話している。

舞台に響く当麻の声。
ちょっといつもと違う。

ああっもおっ、いい声でしゃべりやがって!

ドキドキして、頬が火照る。
よかった、ここが薄暗くて・・・。

次は、そう、魔女と戦うシーンだ。
迫力のある音楽と、動きにあわせたチャンバラ音。
美男美女の華麗な格闘シーンに、場内は、お祭り気分と相まって、口笛も混じっての
大盛り上がり。

大丈夫、大丈夫。
いける。平気。大丈夫。
集中、集中!


ところが、僕は、最後の最後で、大失態をやらかした。


「・・・ぉいっ、おいっ、伸・・・っ、伸っ」


遠くから聞こえてくる覚えのある声に、頭を巡らせた僕の目に、真っ黒な瞳が映った。


あれ?なんだろう?どうしたんだろう?


―――っっ!しまった!


気づいた時には、会場からは、おえーっ!という声やら、冷やかしやら、女子達のとん
でもない音量の悲鳴が響いてきた。
場面は、ラストに向かっている。
王子は白雪姫の前に跪き、小人たちは姫の復活に小躍りし、馬()が主役たちのもとに
到着していた。

音楽は・・・、ちゃんと流れている。

そして大団円からの、カーテンコールへ。

―――よかった・・・。

でも、そう思ったのは束の間。

「伸?伸、大丈夫か?」

遼が、何やらすごく心配そうな顔で覗き込んできた。

場内は、大喝采の嵐。

「え?・・・何が?」

「もしかして、どっか具合、悪かったのか?」

「どっ、か・・・?」

「いや・・・、だって・・・」

遼が、すごく言い辛そうに、自分の頬を指さすように触れた。

それは、僕にも同じ仕草をしろ、ってことなのだろう、ということはすぐに理解
できた。
僕は、何のてらいもなく、彼の示す通りにした。

すると・・・


―――え?
―――あれ?
―――え?
―――え?
なに!?
なんだ???


指で触れた先、そこは何故か濡れていて・・・。


え・・・ちょ、ちょっと・・・!
何?どういうこと?!
何が起きたっていうんだ?!


――――――っ!!


「ご、ご、め・・・っ、トイレ!」

精一杯動揺を押し隠し、声を潜め僕は言い。

「あっ、お、おいっ、伸・・・っ」


トイレでもどこでもいい、とにかく人気のない場所を目指し、腕で頬を拭いなが
ら疾駆した。

「あれっ?毛利っ??」

途中、誰か女子に声を掛けられたような気もするけど、それどころじゃなかった。
僕は、人生最大級に動揺しまくっていた。


記憶が途切れている。


ある場面から―――。

当麻が・・・、違う!王子が、
征士に・・・、じゃなくて!姫に・・・

違う違う違うっ!


いやだ―――!!


耳の奥で悲鳴が聞こえて、そこ先からはなんだか真っ暗になった。

それで、今の僕は・・・

頭の中の整理はつかないまま、思考はグチャグチャで・・・。

ただ、猛烈に意識していたのは、自分がやってはいけない大きなミスをした、
という、そのことだけ。


ガララっ、ピシャ!

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

逃げ込んだのは、どっかの教室。
何かを展示してるみたいだけど、薄暗くて、幸い誰もいなかった。

「はぁ・・・っ、はっ、は・・・っ、は・・・、・・・びっくり、した・・・」

今頃みんなは、幕の裏で、舞台の成功に抱き合って喜びを分かち合い、感動の
涙を流している・・・、奴もいるに違いない。

でもって、本当は、僕もそこにいるはずで、いなきゃいけなくて、遼と笑って
頷き合っていなくてはならなかった。

それなのに・・・っ!

「し・・・、信じらんない・・・っ!なに、やってんだ・・・っ!ばっかじゃない・・・っ」

膝に手を付き、悪態を吐く。
もちろん、自分自身に。

まだ胸が苦しい。

驚いた・・・。
そんなにショックだったのか?
あれが、それほど?
わかってたはずだろう?
覚悟してただろ・・・、ううん、意識しないようにしてただろ?
なのに、なんだよこれ・・・!
じゃあ、ていうことは、つまり、僕は、それくらい、当麻が好きってこと?
惰性かも、って思ってたのに?
そうじゃなかったって?
自分で自分がわかってなかった、そういうこと?

彼を好きになるってことが、現実として、どういうことなのか、ちっともわか
ってなかった。

そういう・・・、こと、なの・・・か?

「そう、いう・・・こ、と?」

唖然と呟いた。

教室の白い床に、はたはたと、水滴が落ちる。

とんだ間抜けだ・・・!

ああっ、マズい、マズいよっ、マズすぎる!

だってまだ高校生活は1年以上も残ってんだよ?
それだけの期間、あの二人を見ないでいられるわけがない!
いやいや、それどころか、もうすぐにでも、彼らと顔を合わせなくちゃいけ
ない。
いくらなんでもここから今、一人で帰ってしまうわけにはいかないんだから。
なのに、こんなとこでメソメソして・・・!

そうだ、それに、この場所だって、いつ人が戻ってくるかわからない。
知ってる人だろうが、そうでなかろうが、高校生にもなって泣き顔なんて、
絶対他人に見せたくない・・・!

とにかく落ち着かなきゃ。
何よりも先ず、落ち着くことだ。

僕は必死だった。
パニクってバラバラになりかけた自分を、なんとか掴まえて、引き戻して、
ぐるぐる巻きに、一纏めにしようと。

腕時計を確認して、5分と決めた。
ぎゅっと目を瞑り、シャツの胸の部分を握りしめ、暗示をかけるように、
大丈夫、なんてことない、あれはお芝居、と何度も呟く。
早くいつもの自分を取り戻すんだ、僕なら出来る、と。

4分半。

変な動悸が治まるのに比例して、どうにか僕が僕に返ってきた、ような気が
してきた。

遼を含め、あの場で僕の様子を見ていた奴らには、実はずっとお腹が痛かっ
たんだ、とでも言っておけば・・・、うん、そう、たぶん大丈夫。

それから、皆が集まっているであろう、体育館裏に戻るまで、さらにきつく
締める。


ぎゅっと、ぎゅっと、ぎゅーーーっと!


当麻の顔を見ても平静でいられるように。
いられますように・・・っ。
征士にもちゃんと笑いかけられますように。
どうか・・・!

「ダイジョウブ」

ゆっくりと、お腹の奥底に押し込めて。
そして、息を吐いた。

よし!


「よぉ、伸、どこいってたんだよ、観たか!天才・羽柴当麻様の名演を!」

舞台となった体育館を裏口から出たところ、次の出し物との入れ替えでごった
返す中、あいつは真っ直ぐこちらにやってきた。

胃がキュっとして、こめかみがズキンという。
でもこんなもん無視できる。無視してやる!

ああ・・・っ、人の気も知らないで、チクショーめ!

主役の二人はきっと幕が閉じた段階でクラスメイトに揉みくちゃにされたのだ
ろう、衣装は作った人が可哀そうになる状態だ。
その衣装係だった秀と、迷惑を掛けてしまった遼が、すぐ後からついてきた。
征士は苦虫を噛み潰したような面持ちで、始まるときと同様、顔面は蒼白だった。

僕は苦笑いを浮かべ、遼に軽く手を振って謝意を表し、それから当麻に視線を移
した。

なんでだろう、いつも以上に奴がキラキラして見える。

僕は自分に喝を入れ、口の端を釣り上げた。

「メイエン?あー・・・確かに、あそこまで棒読みなのも、ある意味迷演だね。つか、
 ごめん、僕、腹痛でそれどこじゃなかったんだった」
「ああ、すっごい辛そうだったもんな?」
「ごめんね、遼、フォローしてもらっちゃって」
「いや、俺は全然・・・」
「あぁっ?なんだそりゃ!お前、この大事な朝に、いったい何食ったんだよっ」
「え、何、って・・・」
「俺と同じもんだよな?」
「あ、うん・・・、それはまぁ・・・」
「んだよ、遼、またこいつん家から登校したのか?」
「いいだろ別に。うちは構わないんだから、当麻がとやかく言うことじゃないよ」
「あのなぁ・・・っ、そうやってお前が」
「まーまーまー、んなこたぁ今は置いとこーぜっ。舞台は無事大成功で終わったんだ
 しよっ!とにかく、教室戻って、皆で祝杯だっ!な、征士?」
「あ?あ、ああ、そうだな・・・」
「大丈夫?征士。顔色悪いよ」
「その厚塗りの化粧のせいじゃねーか?皮膚呼吸できてねんじゃね?」
「ていうか、征士、ほんと色んな意味で大変だったしなー」
「いやいやいやぁ〜、逆にこれで目覚めちゃったんじゃなーい?ん?せーちゃん?俺
 のテクにメロメ」
「なるかーーーっっ!こんの・・・っ馬鹿もんがっ!」
「あでっ」
「マジ、アホだな、あいつ・・・」
「当麻のIQって、いったい何の役に立つんだ?」
「さぁーねぇー。アレはもう放っておいて、教室もどろ」
「「だな」」

よかった・・・、なんとか誤魔化せたみたいだ。

にしても・・・ふんっ!
『俺のテク』?
なんだよそれ・・・!
キモイ奴!


―――・・・・・・・・・ううん、違う。


ほんとは征士が羨ましい。
ほんとは自分が白雪姫をやりたかった。


そうなんだろ?
僕。


この頃からかな。
僕の片恋は、少しずつ苦くて苦しいものになっていった。




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