あの日青い空の下で 

三日目:京都
お天気:晴れ

前日、濡れネズミにならなかった生徒はいなかった。
悲惨な制服と靴は、旅館の配慮により、大&中の宴会場を乾燥室として提供してもらったお蔭で、
かろうじて、生乾きにまで復活した。
しかし、生乾きの制服というのは、・・・臭い。この独特の臭いたるや・・・。

オエっ

当然、革靴も、言うまでもなく、なのだが。
そんなわけで、さすがに学校側も、ヨレヨレの臭う制服を着せて京都の街中を歩かせるわけには
いかないと、三日目は、ジャージに運動靴姿で過ごすことになった。
普段さほど気にもせずに着ていたが、“制服”というのは、ある意味のモチベーションというか、
自分がその学校の生徒であることを自覚し、自然と意識をさせるものなのだなと、気が付いた。
どことなく、皆の歩き方も、違って見える。
ぞろぞろと旅館を出発する中で、やはり風邪を引いたのか、それとも、単なるサボリなのか、数人
の生徒が残るらしいとの声がちらほら聞こえた。
ここにきて、僕も正直に言えばよかったかと、少し後悔したけど、せっかくの、最後の、五人での
修旅だし、まぁ、歩いてるうちに回復するかもしれない、と、楽観的に考えて、最初の目的地へと
向かった。

ところが・・・

非常に残念なことに、僕の希望的観測は見事に外れた。


運に見放されている時というのは、本人の意思ではどうにもならないものだということを忘れていた。

哲学の道を歩いてるあたりから、所々、上の空になってきた。
体調は良くなるどころか、また一歩、悪いほうへと歩みを進めたのだ。
それでもまだ他の4人は気づいていないみたいだ。
僕は、笑いながら遼や秀と会話しながら、内心、敏い征士あたりにいつバレるかとヒヤヒヤする一方、
旅館に帰るまでもつだろうか、とか、これでお風呂なんか入ったらぶっ倒れるかもなぁ・・・、でもって、
それって、まさに恥の上塗りじゃないか?とか、階段から落ちて、泥水ぶっ掛けられて、風呂で倒れる
って、修旅の“伝説”になっちゃったりして・・・、とか、そんなしょーもないことをつらつら考えるとも
なしに考えていた。

その後の昼。
予定通りの店で、昼食を終え、会計を済ませてすぐのことだった。

「あ・・・、わり、ちょっと待っててくれ」

当麻がトイレに行った。

で、3分待っても、5分を過ぎても、・・・戻ってこなかった。

男子のトイレで、こんだけ長い、ということ、は・・・。

「・・・僕、ちょっと見てくるわ」

「あ、ああ・・・」
「おう、よっしく」
「すまんな」

「とぉまぁ〜?おーい・・・」

恐る恐る、閉まった個室をの向こうに声をかけると、ザバーっ!という音と同時に当人が出てきた。

しかしこのシチュ、いくら幼馴染とはいえ、やっぱり気まずいもんで。

「あ・・・」

「んだよ・・・」

当麻は、いかにも不機嫌という顔丸出しで睨みつけてきた。

見たところ、顔色はさほどに悪いようには思えないけど・・・。

だからか、『大丈夫?』という言葉を発するすよりも、

なんだよ、その態度。
そりゃ、トイレまで追っかけてこられてムカつくのもわかるけど、でも、せっかく心配して来てやった
のに。

との思いが勝り、

「なに?“まさか”とは、思うけど、もしかして、腹イタ〜?」

こんな小馬鹿にしたような言い回しをしてしまった。

すると、

「あぁ・・・、みたい、だな」

当麻は、手を洗いつつ洗面台の鏡越しに、ちらとこちらに目をやると、さっさと先に出て行った。
発せられた声は、その感情に見合っていた。

「え・・・、あ・・・、ちょ、当麻・・・っ」

後を追おうとした僕は、ムっとしつつ、ガッカリもして、足が止まった。

なんだか最近、当麻との会話が上手くいってない気がする。
特に二人きりになるとそうなる気がする。
お互いに、あちこちトゲトゲチクチクしてるような・・・?

最近?―――て、それって、いつから?

お互い?―――って、当麻も僕も?

心臓の奥で低い音がした。

そのままぼうっと、自分の内側に潜っていってしまいそうになったけど、遠くに秀の声が聞こえてきて、
僕は現実へと浮上した。

頭を振ったら、視界が揺らいだ。

出口に向かうと、当麻は秀に捉まって、腹をグリグリやられていた。

「よぉ〜、どうしたよ〜」
「ぁででっ、おいっ、こらっ秀!やめろ・・・っ」

「お腹の調子悪いんだって」

当麻の代わりに僕が答える。
皆を見回す面に苦笑を乗せて。

「えええっ?!本当かっ?!“あの”当麻がかっ?!」
「ねー、驚きだよね。腐った牛乳飲んでも下さないのに」

悪気なく失言付で驚く遼に僕も便乗して過去を蒸し返すと、征士は腕組みしていつものお小言を始めた。

「だから、先ほど、食べ過ぎだ、と忠告したではないか!そもそも貴様は何故」
「っるせぇなぁ〜。仕方ねぇだろ、下っちまったもんは下っちまったんだから!」

で、当然、言われ放題な側は怒り出すわけで。

と、ここまできて、僕は今更思い至った。
これじゃまるで、お店の食事で中ったみたいじゃないか?
店員の視線も、気づけばめっちゃ痛い。

「・・・あ、あ、ねぇ、ちょっと・・・、店、出てから話そう」


そんなわけで、当麻は先に旅館へ戻ることになった。

ついでに・・・

僕も一緒に。

何故、“僕も”なのか?
それは・・・


店を出て、とりあえず次の目的地へ向かいつつ話そう、ということになっての、その途中。

「う・・・っ、ぅううっっ!イデデデデっ、ちょっ、待っててくれ」

「おいおいおい〜、またかよぉ〜、マジだいじょぶかぁ?」
「当麻、辛そうだな・・・」
「ぅうむ・・・かなりの重症とみえる」
「もうあれから3回目だろぉ?」
「この調子じゃ、今日もダメだな、たぶん・・・」
「ぅむ・・・予定通りとはいかんだろうな・・・」
「ま、仕方ねーな」

「・・・・・・・・・」

3人の会話に僕は、加わらなかった、というより、加われなかった。
実のところ、僕の調子も、決していい方向には向かっていなかったからだ。
頭と体の節々の鈍痛が、熱がさらに上がってきたことを訴えている。
だけれども、グループ内で先に、顕著な体調不良者が出てしまった場合、『実は僕もなんだ』、とは、
非常に言い出し辛いものがあり・・・。

幼馴染なんだから、変な遠慮なんか必要ない。
でも、僕は昔からこんなだ。

僕は、地面に少し熱い息を落とした。
これで旅館に戻れれば、それはそれでラッキーかもしれない、と考えた自分に幻滅したからだ。
でもたぶん、周りには、“まったく、当麻って、しょうもない奴・・・”と思っての嘆息に聞こえただ
ろう。

そうこうするうち、戻ってきた当麻が言った。

「ったく・・・だりぃな・・・。あー、悪い、やっぱ俺、これ以上無理だわ。すまんが、俺は先に戻らせて
 もらう」

「ああ?んだよっ、『俺は先に』って・・・、当麻、お前、一人で帰るつもりか?」
「だったら俺たちも一緒に・・・っ」
「私たちに気を遣う必要はない」
「その調子で一人じゃ心配だし・・・」
「おぉ〜っ、さすが幼馴染!皆、やっさしぃねぇ〜」
「もぉっ、当麻っ、ちゃらけてる場合じゃないだろ、皆、ほんとに心配して・・・っ」
「いや、でも、まぁ・・・、正直俺は、今日のこの先は、中学ん時にも観てっからさ、別に無理して回る
 ことないんだわ。けど、ほら、お前らは違うだろ?だから・・・」
「え!そうだったのか?」
「おーい、だったら行動予定表作る時、言ってくれりゃあよかったじゃねぇか」
「中学の時と・・・?・・・ん?では、伸もか?」
「え?あ、ぅ、うん・・・。でも、僕ももっかい観てもいいかなって思ったから、さ・・・」
「まぁ、そういうことだ。じゃ、俺は先に旅館戻らしてもらう」

「えっ?」
「あ、おぃ待てよっ」
「待てっ、当麻っ」
「あ、ちょっ、当麻!わかった、僕がついてく!」
「ぁん?」
「「「「えぇ?」」」」
「今、先生に電話してくるから。待ってな」

残る三人がまだワヤワヤ言ってるのを背中に、公衆電話を探し、旅館で待機してる先生に事情を説明して、
二人だけ先に戻る了解をとった。

具合わる・・・、なんて思っていたくせに、脳みその回転もよく、行動も早かった。
ずるい僕は、咄嗟に、便乗しなくちゃ!と思った。
だって、このタイミングを逃したら、あと約半日、僕は元気なふりをしてなきゃいけない。
別にそうしなきゃ“いけない”ってわけじゃないのは、もちろんわかってるけど、でも僕は、言えない
ままの自分を選択してしまう。
で、結果、明日には、誤魔化しのきかない状況になり・・・。
そしてさらに、皆に迷惑を掛けることになる。

目に見えるようだ。

つか、最悪の場合、奈良への移動のタイミングで帰宅させられてしまうかもしれない。

でも、それはヤダ!
絶対絶対ヤダ!

5人一緒の旅行はたぶんこれが最後だって、皆わかってるから尚更だ。

だったら、正直に、素直になればいい。
いいんだけれども・・・、そうなれないから、面倒なんだ、僕って奴は・・・。

ともかく、だからこそ、ここから当麻と一緒に旅館に戻れれば、一休みできる。
少しでも休めれば、そこは高校男子の体力。
全快とはいかなくても、明日には若干でも回復する望みがある。

と、考えたわけだ。

いい口実を作ってくれた当麻に、密かに感謝すらした。

征士はやはり当麻を一人で戻すのは何かと心配だからと、僕の提案を受け入れてくれた。
遼も秀も、残念がってはいたけれども、納得して。


で、・・・『僕も一緒に』ってことになったわけなんだけれども、そういうことになったんだけれども。

当麻は・・・




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