あの日青い空の下で 9
旅館に戻る間もずーっと、むすっとして無言だった。
体調が悪いんだから当然とも思うけど、でも、それだけじゃない。
長年の付き合いだ。それくらいの空気は読める。
僕が邪魔なんだ。
そうして、時々トイレに寄って、40分程で旅館に到着。
先生に報告し、下痢止めの薬を貰って部屋に入った。
時刻は、ほぼ15時。
沈黙は続いていた。
当麻は、さっさと押し入れの中から布団を引っ張り出して、文字通りゴロンと横になった。
皆が戻ってくるのは17時頃。
それまで、あと2時間、か・・・。
こうして先に戻ってきたはいいけど、どうしよう。
僕も布団を出して寝ちゃおうか?
でも、いいのかな?
それってなんか不自然じゃないか?
僕が具合が悪いって、バレたら嫌だな・・・。
なんだか無性に居心地の悪さを感じた僕は、誤魔化すように、備え付けのポットで湯を
沸かし、お茶の支度を始めた。
僕はチラリと丸まった掛け布団に目を向けた。
疑いをもって。
彼は本当に、腹イタなのだろうか?
もしかしたら、やっぱり中学と同じ場所を観るのが面倒になったとか?
・・・それとも別の、何か違う理由が・・・あった、とか?
“何か”って、何?
「当麻」
「お前さ」
僕の呼びかけを遮って、丸めた背中を向けた当麻が言った。
「え?な・・・、なに?」
途端に顔が火照る。
僕は何を言おうとしてたんだ?
「・・・・・・・・・いや、やっぱいいわ・・・」
『なんだよっ、途中でやめるなんて気持ち悪いだろ!』って、いつもだったら言って
やるところだ。
でも、疑っているとはいえ相手が病人だと思うと強くは言えない気がするし、僕自身、
身勝手な理由からこうして付いて帰ってきてしまっているんだから責める資格はない。
それに、今は、当麻に突っかかる元気もなければ、当麻の不機嫌の矢を受け止める余裕
もなかった。
「当麻、水分摂ったほうがいいよ?それと、さっき先生から薬貰ったから・・・」
とここまで言いかけたところで、当麻が、布団を跳ね上げて上半身を起こしこちらを見た。
舌打ちまでは聞こえなかったけど、その目には、明らかに怒りが含まれていて、僕は竦む
と同時に、その燃える瞳にくぎ付けになった。
僕に対するこの感情の理由を必死に探す。
そんなに、一人になりたかったのだろうか。
そんなに、僕がここに一緒にいることが煩わしいんだろうか。
それは、誰かと会う約束をしてたから―――とか?
絡み合う視線を外したのは、僕が先だった。
「あ、あの・・・っ、そういえば、こういう時って、お茶より、スポーツドリンクのほうが
いいんだよね?先生が言ってた・・・。買ってくるよ」
僕は逃げた。
鼻の奥がツンとする。
当麻と上手く話せない自分に苛々する。
部屋と同じフロアの自販機には向かわず、下のほうが種類が多いから、と自分に言い訳を
して、態々1階まで降りた。
買う物だって決めていたのに、3台ある自販機の前をもたもたうろうろしてから目的のもの
を買って戻った。
「ごめん、遅くなった」
部屋に戻ると、布団は空。
なんとなくそんな予感のあった僕は、やっぱりね・・・と小さく呟いて、スポーツドリンクを
冷蔵庫にしまい、自分は冷めたお湯で、鞄の中の常備薬を飲んだ。
そうだ。
このほうが、僕にとっても好都合じゃないか。
それから、主のいなくなった敷きっぱなしの布団に潜り込みたい誘惑に堪えつつ、座布団を
並べてその上で横になった。
遼達が帰ってきたときに、僕の体調について変に疑われたくない。
いや別に疑われたりなんかしないかもしれないけど・・・。
こうしてやたら不安になって、臆病風に吹かれてしまうのも、この不安定な具合のせいに
違いない。
ふと、ついさっきまで当麻がいた布団になんか入ったら・・・と、想像しかけて、僕は慌てた。
頭に浮かびそうになることを必死に振り払った。
まったく、小学生かよ・・・っ!
自分が恥ずかしかった。
窓の外に意識を集中して眺める。
改めて見ると、京都のわりにここからの景色はさほどよくない。
修学旅行生に割り当てられる部屋なんてそんなもんなのだろう。
でも、こんなことだって、皆といれば気にならないのに・・・。
若干頭がぼうっとして、寒気はするものの、熱は予想していたよりも上がってきてないよう
に思う。
薬のお蔭か、当麻がいないことにほっとしたのか、僕は早々に眠りにおちた。
それはかなり深かったようで、夢は見なかった。
慌てて跳ね起き、時計を見た。
1時間、か。
それが、1時間“も”なのか、“たった”1時間なのか、わからない。
部屋は静かで、周りの空気は、僕以外に人のいないことを感じさせた。
後ろを振り向く必要もない。
この瞬間の気持ちは、なんとも形容しがたいものがあった。
自分でもその意味はわからないままに、ゆっくりと息を吐いた。
けれども、とにかく、体は随分と楽になった。
さすが高校生の体力、昔、病弱だったことなど信じられない、と苦笑した。
まぁ、こんだけ悪いことが続いたんだ。
いい加減ここいらで、少しくらいは良い方向に転じてきてもいいだろうとも思った。
遼たちも、あと1時間ほどで帰ってくる。
ただ、それまでに当麻が帰ってこなかったら、彼は何と言い訳するつもりなんだろう。
と、そこまで考えて、急に怒りが込み上げてきた。
今日の、昼食以降の当麻の態度が甦る。
・・・ふんっ、知ったことか!
そうだよ、そこまで心配してやる義理なんてないよな?
そりゃ気には病むけど、当麻がここにいないことは、僕の責任じゃない。
知らない知らない知らないっ!
今、彼がどこで何をしてるかなんて・・・っ、知りたくない。
枕代わりにしていた座布団を抱えて、再び寝転がり、ぼんやりと天井を見上げた。
それでも、考えてしまうのは、どうしてもやっぱり当麻のこと。
彼を見ると、やっぱり好きだな・・・、と思う。
だって、当麻のことを想うと胸が苦しくなる。
昔みたいに、ドキドキするだけじゃない。
“重みが増す”という言い方が適当なのかはわからないけれど。
もう何度も、考えてきたことを、僕はまた繰り返した。
そもそも見た目が好きだ。細面に近い卵型の輪郭に、すっと通った鼻筋に、厚過ぎず薄すぎない唇。
小さい頃タレ目タレ目とからかっていたあの目も、実は気に入っていた。
背丈を越されたのは高校に入ってすぐのことだった。
長い手足とのバランスがとれて、悔しいけれど、文句のつけようのないスタイルになった。
そのくせ、もったいないことに、やや猫背なところも絶妙で。
痘痕も笑窪ってやつ?
それから、何とも言えない気だるげな雰囲気と、仕草も好き。
ある一面においては、驚くほどに器用なのに、一般生活においては、これまた驚くほどに不器用な
ところも。
つい目で追ってしまう自分を何度諌めたことか。
幼馴染の誰より気になるし、できれば向こうにも好きになってもらいたい。
なのに、昔から僕のやっていることって、思ってることとまったくもって一致していない。
しかも、あの学祭以来、僕は彼に対して妙な緊張感を持ってしまった。
意識しすぎて、何が自然なのかがわからなくなってしまったような、そんな感じ。
だとしたら、当麻も、僕に冷たいというか、どことなく余所余所しい態度をとるのも頷ける。
嗚呼、なんて恨めしい。
そんなことを思っているうちに、僕はまたウトウトしたようだった。
目を開けたら、秀と遼が目の前にいた。
寝ている僕を観察でもしていたに違いない。
僕は、浅い眠りだったからか、瞼を持ち上げる直前まで夢を見ていた。
・・・いや、見ていた気がする。
具体的な内容は、強風に押しやられる霧のように去って、既に思い出すことはできないけれども、
なんだかとても懐かしい気持ちだけが残っている。
そのためか、目覚めて、人の顔が二つ飛び込んできても、驚かなかった。
「・・・珍しいな」
黒檀の瞳が言う。
確かにその通りだった。
遼が泊まりに来ても、僕は彼より遅く寝て、彼より先に目覚める。
小さい頃からそうだ。無意識のうちの意識。
だから、こんな風に寝顔を見られることは、ないに等しい。
僕はゆっくり瞬きをした。
まだ目覚めきらない視界がはっきりしてきた。
「なー、ぶっちゃけさぁ、お前も調子悪かったんじゃね?」
覗き込むのをやめて、胡坐をかいて腕を組んだ秀がさらりと口にした。
征士は、何食わぬ顔でお茶を啜っている。
空気はとても和やかで、秀があまりにもあっけらかんと言うので、僕はなんだか気が抜けた。
今まであれほど頑なに気づかれる事を恐れていたのに。
これも睡眠による効果だろうか。
「うん。実は・・・ごめん」
自分でも驚くほどすんなりと肯定の言葉がでた。
「そっかー、やっぱりかぁ〜」
「で、どうなのだ?」
遼に続いて、やっと征士がこちらを見た。
その目に批難や厳しさはなく、優しい。
「えっと、・・・うん・・・だいぶいい」
「そうか」
「うん、ありがとう」
彼は浅く頷いた。安心した証だ。
遼は、よかった、と呟いた。
「っとによぉ、お前ってば昔っからこうなんだもんなぁー」
「そういえば、小2の頃、すごく熱あんのにずっと黙ってて、いきなり倒れたこともあったよな」
「おー!そうだ!あったあった!」
「ん、懐かしいな」
「・・・はは・・・、そういえば・・・、あったね、そんなこと」
「私たちは、伸が倒れるまで気づかなかった」
「実はさ・・・、今日もさっき気づいたんだよな、俺たち」
「ぅげっ、じゃあなんだよっ、てこたぁ、俺ら、昔も今も変わってねぇってことじゃねぇかよっ」
「まったく我ながら情けないことだ。・・・あいつも含めて、な・・・」
3人の視線の先を追い、起き上がって、やっと思い出した。
と、同時に、二つのことに驚いた。
僕の体には覚えのない毛布が掛けられており、振り向くと、当麻は、そこにいた。
まるで、ずっとその位置で寝続けているみたいに、敷布団の端っこによって丸まって。
僕に背中を向けていて・・・。
まるで、背中合わせにくっついてたみたいな位置だ。
頬が、熱くなった。
「で、貴様のほうはどうなのだ」
僕に向けた声とは明らかに違うトーン。
征士もたぶん、疑っているのだ。
そして、当麻はわかっている。
「・・・腹イタは、マジだ」
寝ていた割には随分と滑舌がいい。
「誰も、嘘だとは言っておらん」
「いいや、お前らは疑っている。だろ?」
「おうよっ、そら、おめー疑うに決まってんだろがっ」
「貴様のその腹が壊れるわけがないからな」
「だってそんなの、秀がダイエットに成功するのと同じぐらい奇跡なことだもんなっ」
「そうそうそう!上手いな遼!っておいっ」
険悪になりかけた空気がちょっと違う方向へ流れ始めた。
「お前ら〜っ」
僕の背後で、これまでずっと布団にくるまっていた当麻がガバリと半身を起こした。
「あ、やっぱ元気だ」
「顔色もいいんじゃね?」
「げっそりともしておらん」
遼と秀と征士は頷き合った。
「うっせーっ!あのなぁ、奇跡だろうが何だろうが、痛かったもんはマジで痛かったんだよっ。
・・・ただまぁ、中学ん時と同じとこ周んのが面倒だったってのも本当だがな・・・」
ごにょごにょと語尾がどんどん小さくなっていった。
当麻は、頭もいいし、平気で嘘もつく。
だけど、どっか抜けていて、根本的には、正直者なのだ。
そこが彼の憎めないところで。
「痛“かった”?・・・ふん、やはりそうか。で、先に戻り、伸が寝ている間に、出た分の補給
でもしていたのだろう。違うか?」
「・・・ぅっ・・・おっ、お前ら酷いな!なんだよっ、人の揚げ足とりやがって!寄って集って病人
苛めかっ!伸〜っ」
「えっ?ぅわぁあっ、ぅげっ、ちょ・・・っ、と、まっ」
あろうことか、当麻が後ろから圧し掛かるようにおぶさってきた。
「伸っ、お前は違うよなっ?俺が具合悪かったって、お前はわかってるだろ?信じてるだろうっ?」
頬があたるほど、こんなに近くに当麻の顔があることが信じられない。
僕は早く離れてもらいたくて、間違いなく赤くなった顔を隠すためそっぽを向いて正直に言った。
「・・・ぅえ?・・・あ゛ー・・・悪い、疑ってた」
「えええええっっ!なんなんだよ〜っ、ヒドイっひどいわっみんなっ、ちぇっ、くっそーっ、
こうなったら不貞寝してやるっ」
・・・目論みは成功したけど、相反する気持ちが湧いてきて、自分に舌打ちしたくなった。
でも、そんな僕の醜い葛藤は、彼等によって蹴散らされた。
「んだよおいっ、結局ただ寝ててーだけじゃねぇかっ」
「させるかぁーっ」
「ぅあっ、わわわわっ、おいっこらっ、やめろって!僕を巻き込むなよっ」
「ふっ・・・まったく、しようない奴らだ・・・」
「あーっ、征士てめっ、何一人、茶ぁ啜ってんだ!」
「ずるいぞ征士!一緒に当麻とっちめようぜっ」
「ああ?あ、こらっ、やめんか!」
結局、僕の発熱は、風邪ではなく、知恵熱とショック熱ということのようだった。
緊張して、はしゃいで、あまりに散々な目にあったことによるものだったのだ。
とにかく、たったあれだけの睡眠で、僕は驚くほどに回復した。
そして、残りの日程は、つつがなく終わった。
道中しっかり先生に叱られたし、ちゃんと部屋の前で揃って正座させられた。
当麻や征士、それに遼は、数多の女子共からの誘いを断るのに苦労し、秀は学祭で仲良くなった
子とちゃっかりお土産買い物デートをして楽しんだ。
程よい思い出作りをして、僕等は全員無事帰郷した。
つくづく思った。
ああ、でもほんと・・・、救われてるよなぁ。
と。
5人でいることの心地よさは、何者にも変え難い。
掛け替えのない宝物だ。
ただ、それももうあと1年と数か月。
修学旅行が終われば、いよいよラスト1年に向けての様々なことが動き出す。
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