あの日青い空の下で 13
この時の僕の心臓は、本当は心臓じゃなくてものすごく大きな太鼓で、あんまり激しく
叩くもんだから、破れてしまうんじゃないかと思うほどに、打ち鳴らされていた。
こめかみの血管は弾けそうなのに、指先は冷たくて痛い。
もちろん、真っ直ぐに正面を向くことなんて、できるわけがなく。
そうして、長い長い、窒息しそうなほどの沈黙の後、漸く当麻が口を開いた。
「お前・・・、何言ってんの・・・?自分の言ってる意味、わかってんのか?」
わからないで、こんなことを、こんなとこで、言う僕だと思う?
思いは、ただ僕の中だけでぐるぐる回っている。
胃から喉までが雑巾のように絞られているみたいだ。
「―――・・・わかって、る・・・よ・・・」
「おいおいおいおい・・・っ、・・・っは!信じらんね・・・っ」
ちらりと盗み見たら、彼は上半身を捻りながら少し長めの前髪を片手でかき上げていた。
風音が何度も頭上を過ぎていく。
半袖のシャツの袖がはためいた。
彼の腕は相変わらず白い。
一学期の終業式の後、たまたま一人でいる当麻を見かけた僕は、本能で動いた。
気付いたら、彼の腕を引っ張って、あの文化祭の日に、泣きながら走った校舎の裏に
立っていて。
今思えば、我ながらなんてベタな場所。
けど、その時は、そんなことを思う余裕は皆無だった。
そして、ずっと隠し続けてきた気持ちを口走っていた。
「・・・・・・・・・マジ・・・、でか?」
僕は頷いた。
それから僕らは、ぴくりとも動かなかった。
期待、不安、期待、不安、不安、不安、不安。
不安が募る。
不安の間から、ちらりと期待が頭を覗かせる。
暑いのか寒いのかもわからない。
汗が流れているのか、そうでないのかも。
暫くして、当麻が大きく大きく溜息を吐き、言った。
「勘弁してくれよ・・・」
その声は低く、彼の不機嫌さそのものを表していて。
僕は居た堪れず、また俯き固く目を閉じた。
たぶん彼は、眉間にし皺を寄せ、もう一度あの長めの前髪をかき上げている。
『勘弁してくれよ』
その一言で、僕の体は、後悔の二文字で満杯になって、今にも弾け飛びそうだった。
「なんで、黙ってらんなかったんだよ・・・っ」
悲痛ともとれる声音に、はっと当麻を見やると、彼の頬は紅潮していた。
それは、やはり怒りからだろう。
「・・・ご・・・め・・・」
「謝るな!」
「―――っっ!」
こんなに荒げた声をぶつけてくる当麻がいるなんて、知らなかった。
再び項垂れた僕の拳は間接が白く浮き上がっている。
「謝るくらいなら、告ってくんな・・・っ!」
その通り。
彼の言うことは、いちいちご尤もだ。
ごうと二人の間を風が通り抜けた。
振り仰いだ梅雨終わりの青い空で、黒い点のような鳥がくるりと回った。
あれは何の鳥だろう・・・、ふとそんなことを考えた。
すると彼は、小さく舌打ちをして地面を蹴った。
そして靴先で煙草を揉み消すような動きをして、もう一度乾いた土を掃った。
僕は彼の足の動きを目で追った。
「で?それでお前は、俺に、どう応えて欲しかったわけ?」
「えっ?」
思わず上げた視線の先には、侮蔑の色を浮かべた瞳があった。
見なければよかった。見たくなかった。
「俺に告って、何を期待してたんだ」
彼は明らかに攻撃体勢に入った。
全身からそれが伝わってくる。
「―――!そ・・・っ、れは・・・」
「『俺もお前が好きだ。だからやっぱあっち行くのやめるわ』って?」
「そん・・・な・・・っ」
そんなこと思うわけない!
でも・・・
今彼が言った前半部分は、期待してなかったわけじゃない。
この10数年間の、数えきれないほどの彼とのやりとりが、僕の脳裏を駆け抜けた。
「そう言ってほしかったんだろ?違うのか?」
「よく、わから・・・ない・・・」
そりゃ、正直、行ってほしくないよ。
でも、引き留めたいわけじゃない。
待ってるのもいけないわけ?
それもダメってこと?
言いたい言葉は何故だか喉の奥に詰まって出てこなかった。
「はぁ?!『よくわからない』だって?なんだよそれ!そんな中途半端な状態で告って
きたのかよ。自分の気持ちさえ口に出しゃ、それでよかったってことか?あ?・・・はっ!
独りよがりもいいとこだな・・・・・・・・・ざけんな・・・っ」
当麻の怒りが、僕を刺す。
「ごめ・・・」
「だから謝んなっつってんだろ・・・っ」
「―――っ・・・・・・・・・」
「もういい。・・・とにかく、俺の答えは、ノーだ」
「ぅん・・・」
「・・・わかってただろ?」
「・・・そう・・・だね・・・」
「なら、この話は、これで終わりだ」
頷くしかない。
「じゃあな」
当麻は僕の前からいなくなった。
あっけないもんだった。
十数年の友情と信頼を、僕は自ら壊した。
大失恋を伴って。
あまりに見事に木端微塵に玉砕したせいか、その場では涙も出なかった。
ふらふらと、歩き出した先の校門で、遼に会った。
何を話したか、あまりはっきり覚えていないけれど、今夜も親父がいないから泊りに
行っていいか、という彼を断ったことは、なんとなく記憶に残っている。
そういえば、遼から泊まりたいと言ってきたのを断ったのは初めてだったかもしれない、
と、後から思ったことも。
でも、せめて、その晩だけは、独り布団の中で泣きたかったのだ。
そうして一学期が終わり、当麻は日本を発った。
恥ずかしがって抵抗する当麻を他所に、秀の提案通り、全員で空港へ見送りに行った。
最後の嫌がらせだ!と叫んだ秀と遼は、二人で横断幕まで作っていて、僕等は大笑い
して見送り、見送られた。
終業式の日のことは、もちろんお互い黙っていた。
あんなことがあったなんて、きっと征士だって気づいてないはずだ。
僕は、この見送りの日、涙を見せなかった自分を褒めて、彼のことは吹っ切ろうと決心
した。
半年後、僕等は全員、別々の道へ進んだ。
高校までは五人一緒に卒業するもんだと、思っていた自分が可笑しかった。
『じゃあな』
あれが、当麻が僕と二人きりの時に交わした最後の言葉になった。
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