あの日青い空の下で 16
幸いなことに、これまでの別れで揉めたことはない。
まぁ、それなりの口論や諍いはあったけれど、裁判沙汰やら暴力事になるほどの
ドロドロになったことはなく、だいたいは円満に終わった。
それが男同士というものだからなのか、それとも、それなりの関係でしかなかっ
たからなのかは、あえて深く考えたことはないし、考えようともしなかった。
このカレとも、短かったけれども楽しいときを過ごさせてもらった。
お互いに。
最初から長く続かないことがわかりきっていたからこそ、燃えたのだろうと今な
らわかる。
だから、カレとは今でもいい友人だし、魅力的な人物だとも思えるのだろう。
それはたぶんむこうも同じで。
僕らは、久しぶりに抱擁を交わした。
互いの近況と昔話に花を咲かせて、カレは僕の頬にキスをして、再び人混みに紛
れた。
短くとも嬉しい再会だった。
「今の、誰だよ」
急に腕を引っ張られ振り向くと、この大勢のなかで不機嫌さを隠しもしない遼が
いた。
僕は苦笑した。そして、少し嬉しい気もした。
「ああカレね。昔、付き合ってたんだ。すごく優秀な批評家で・・・ソーホーでも」
「つ・・・き、・・・って、えっ?外人ともか?!」
「ははっ、遼ってば、食いつくのソコなわけ?」
「え?」
「普通は・・・、『男と?!』じゃない?」
「あ・・・」
「知ってたんだ?」
「ぅ・・・」
誰から聞いたのか。追及するつもりはない。
別に構わない。
幼馴染に知れても、仕方ない。
今の僕は別に隠そうとも思っていない。
ただ、あえて自ら率先して言わないだけで。
でもやっぱり、少しばかり、胸がチクリと痛む。
これはたぶん、このひと月、一緒にいたにもかかわらず、言わないでいたことに
対する後ろめたさだろう。
「て、いうか、今まで黙っててゴメン、だよね」
「そんなっ!そんなこと・・・ない、さ・・・」
ぎくしゃくしそうな空気に、僕はあえて明るく訊いた。
「軽蔑した?」
「・・・いや」
「でも、驚いただろう?」
「いいや。違う」
「?・・・違う?違う、って・・・」
そこで遼は、少し間を置いて、そして、真っ直ぐに僕を見て、・・・言った。
「・・・妬いたんだ」
「・・・え?」
周囲の喧騒が一瞬にして掻き消えた。
考えたこともなかった。
欠片すら思ったことも。
酔いに任せた冗談なんかじゃないことは、その目を見ればわかる。
その時、蛍の光に代わる、閉店の音楽が流れ始め、この展示会の発起人で、パー
ティーの司会進行役も務めたナスティの声が響き、場内から拍手が沸き起こった。
この華々しい会が終わってしまうことを惜しむ人々のざわつきも、僕の耳にはどこ
か遠いものだった。
遼は、後でお前のマンションに行く、と耳元に囁きを残して、客を送り出しに行った。
その顔には、知らない男の笑みがあった。
そうだ、僕もお客様に挨拶をしなくちゃ。
必死に、それだけを考えようとしていた。
これまで関係をもってきた者たちは、尽きぬほどの愛の言葉を囁いて、僕を手に入れ、
繋ぎとめようとした。
基本、芸術家というのは、自己陶酔の激しい大袈裟な性格な人が多いのかもしれないが、
僕もそれを本当の愛だと信じていた。
というよりも、僕は、そこに自分の存在意義を見出していたのかもしれない。
想うよりも、想われることで。
だから、注げるだけ、与えられるだけ、全てのものを、相手に差し出してきた。
そのつもりだった。
けれども、大概は、繰り出される台詞に行動が伴わなくなってくるのだ。
そうして互いに疲れ、それでも寂しさ故に離れられなくて、無理に体だけを繋げるよう
になる。
紡ぐ言葉の中身は空っぽで。あげる嬌声も芝居じみてくる。
そのうちそれすら億劫になり、それぞれ次の相手を見つけて別れてゆく。
そんなことの繰り返し。
別に相手を嫌ってのことではないのだ。
変化の乏しい同性同士の恋愛では、情熱を持ち続けるのは殊の外難しい、ということ。
生涯のパートナーに出会えるのは、一握りの人たちだ。
だから、僕は、この時期、こう考え始めていた。
もういい加減、独りでいること、独りきりで生きてゆかなければならないことを、認め
なくてはいけないのかもしれない、と。
遼との再会は、その矢先の出来事だった。
「このひと月あまりで、俺は確信した」
僕のマンションに着くなり、遼は切り出した。
「俺は、伸とでなければ幸せになれないし、お前に寂しい思いはさせない。幸せにする
自信もある!」
「遼・・・」
「・・・俺と、暮らさないか、伸」
彼は、当麻のことは口にしなかった。
文化祭のあの日、舞台袖で流した僕の涙の意味も、今の遼なら理解しているはずだ。
けれど、僕が既にその想いを断ち切っていると考えているのだろうか。
確かにそうだ。そうでなくちゃいけないのだ。
そろそろもう、羽柴当麻という幻影から卒業しなくてはいけないのかもしれない。
当麻に対する“好き”と、遼に対する“好き”は、明らかに違う。
違うけれど、彼の真っ直ぐな気持ちは、長い年月をかけて歪んでしまった僕を救って
くれるだろう。
じゃあ、当麻に対する“好き”は、どういう“好き”だったのか。
実はよくわからないでいる。
子供だった頃には、キラキラしていた。
それがいつからか、苦しくなって・・・。
この時もまだ、ずっと奥の深いところで燻っている気持ちがあるのを僕は目を背けつつも、
認識していた。
どうしてこれほどまで、僕は当麻に執着するのか。してしまうのか。
ああ・・・そうだ・・・、これはもう、ただの“執着”なんだ。
僕は、『羽柴当麻』という、過去に恋した名前に、固執しているだけ。
遼は決して嘘はつかない。
昔から呆れるほどの、それこそ馬鹿がつくほどの正直者で。
その彼が、僕を幸せにする、と言った。
きっとそうしてくれる。
けれど幸せは“してもらう”ものではいことぐらい、僕も、分かっているし、遼だって
わかっていて言っているのだろう。
それなのに、僕と一緒にいられれば、それだけで俺は幸せなんだと言ってくれた遼。
僕は、ゆっくりと遼の首に腕を回し、彼を抱きしめた。
「ありがとう、遼」
そうして僕らは共に暮らし始めた。
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