あの日青い空の下で 18
スマートな当麻の顔に、ニヒルを通り過ぎて、下卑た嗤いが浮かんだ。
そんな彼を見たくないと思った。
「お前、ほんとに男好きだったんだな。で、しかも、俺に告っといて、
遼とくっついたのか?」
彼は殊更、恋人の名前を強調した。
言葉の裏には、“同じ幼馴染の中で”という、侮蔑の一言が隠れている。
当麻はさらに続けた。
「どうやら俺は、お前を勘違いしていたようだな。幼馴染みの一人がそんな
尻軽な奴だったなんてさ」
彼はそこで間を置いた。
僕の反応を、反論を待っているのだろう。
けど、僕の脳はこんな風に詰(なじ)られたことで、かえって冷静さを取り戻
した。
反論はしない。
その通りだから。
何も言わない僕に、当麻は苛立ちを露わにした。
挑むように歩み寄り、耳を疑いたくなるようなことを口にした。
「なぁ、そんなにお手軽なんだったら、今ここで、俺とでもヤレるだろう。
憬れの存在が目の前にいて、ヤリたくて、ってか、突っこんでもらいたくて、
ウズウズしてるんじゃないか?」
僕は、この当麻の言葉を、どこか宇宙の彼方から飛んでくる電磁波のように
聞いていた。
こいつはいったい何を言っているんだろう。
何が目的なんだ。
すごく、すごく傷ついたのに、傷ついたはずなのに、心はまるで氷のように冴え
冴えとしている。
それは、怒り故なのか、哀しみ故か。
僕にはわからなかった。
その途端、喉に詰まっていた僕の言葉が、急に躍り出た。
自分の意志も、どこにあるかわからないままに。
「・・・ああ、そうだね。君の言うことも一理あると、それは認める。だけど君だって、
僕のことなんて何とも思ってなかったはずだ。なのに、今更・・・今更、遼のモノに
なったと知った途端、今度は欲しくなったってわけ?ああそうか!僕も勘違いして
たみたいだ。君がいつまでも大人になれない子供だったとはね。遼はね、真面目で
誠実で、すごく優しいよ。今、僕は今まで生きてきたなかで一番幸せだ。だから、
悪いけど、もう過去になった君・・・―――っ!」
何が起きたのか、理解できなかった。
イタイ!
「勝手に過去にしてんじゃねぇよ・・・っ」
掴まれた顎よりの痛みよりも、言葉が胸に刺さった。
間近で煌めく、熱く冷たい瞳が、僕の奥底を射抜く。
じゃあ何?
君は、当麻は、あの後も、ずっと僕のことを、僕からの告白を引きずっていたとでも?
そんなはずない!
拒絶したのは君で、切りつけたのは君で、突き落としたのは君だったはずだ。
『勝手に過去にするな』だって?
過去にせざるを得ない、その切欠を作ったのは、君じゃないか!
捨てたのは君で、僕じゃない!
立ち直るために、どれほどもがき、苦しんだか。
その苦悩の原因は、全て君にあったというのに。
君も、そうだったと、そう・・・言うのか・・・っ?!
彼が去った後も、僕は暫く動けなかった。
腰窓の下の床に転がっていた。
スーツのズボンは下着共々足首に、ボタンの千切れたシャツは手首に絡まっている。
ネクタイとジャケットはどこかに落ちているはずだ。
たぶん今の僕と同じにくしゃくしゃだろう。
僕は、レイプされたんだろうか?
幼馴染に?
いいや違う。
僕は許していた。
それどころか、彼の言ったとおり、望んで、求めていたのかもしれない。
惨めだった。
これほど自分が醜かったなんて。
当麻は、それすらも知っていたのだろうか・・・。
僕はのろのろと後始末をした。
着ていた物は全て丸めてゴミ袋に入れ、焼却用書類の入った箱に押し込んだ。
予備の服は、下着類も含めて常に何着か置いてある。
着替えて出て行っても、気付く人間は少ないし、もし気付かれたとしても、休んで
いるうちに皺になったから着替えたのだと思ってくれるに違いない。
いや、例え変に勘ぐられたとしても、僕がそっちの人間でることは公然の秘密なのだ。
恋人と暫く会えない寂しさを紛らわすために、男を引っ張り込んだと思われても、
軽薄な奴だと思われても、それは構わない。
ひとつ、気がかりと言えば、変な噂が遼の耳に入ることだけだ。
そう思ったところで、気がついた。
これは、“変な噂”なんかじゃない。
現実なんだ、と。
眩暈がした。
机に手をつき、冷静になろうと努めたけれど、体は震え、動悸が治まらない。
経験したことのない罪悪感に苛まれた。
なのに、それでも、僕は当麻を憎むことができなかった。
あんなに、傷つけあったのに、それを心地よいとさえ感じていた自分がいる。
認めたくない現実が、目の前に晒された。
僕は遼を裏切った。
否
―――裏切り続けてきた。
僕は会場へ降り、再び客の輪に加わった。
彼の姿はもうない。
それから締めの挨拶をして、スタッフと一緒に片づけをして、彼らを見送った。
下肢に走る鈍痛以外、見た目の上では、いつもの僕となんら変わりはないはず。
ナスティは最後まで僕を心配してくれて、胸が痛んだ。
僕はタクシーに乗り、ホテルへ向かった。
遼の香りのするマンションには帰りたくなかった。
ドアを開け、立っている彼は、明らかに驚き、そして当惑した顔をしていた。
次に、不機嫌を装い、隠そうとした。
何も言わず、先に背を向けて室内に戻り、僕へ中に入るよう促す彼を盗み見て、
内心、してやったりと思った。
僕は、当麻がテーブルに置いていった、汚い文字のメモを捨てることができなかった。
しかし彼も、まさか本当に僕が来るとは思っていなかったに違いない。
何かを期待しているのか、傷つきに来たのか、それとも、詰りに来たのか。
罪の上に罪を重ねて、何を、どうしようというのだろう。
お互いに迷っている。
いつからここに居るのか知らないが、部屋は信じられないほどに散らかっていた。
そのほとんどは紙類で、どれもこれもびっじり英字と数字で埋まっている。
2台のノートパソコンの画面は、両方ともスクリーンセイバーが起動し、僕には
理解のできない文字がそれぞれ別の角度で回転していた。
それを見て、僕は嬉しいと思った。
彼の多忙さとともに、成功を見た気がしたからだ。
ホテルなんだから、清掃を頼めばいいのに。
出かかったお節介めいた台詞は飲み込んだ。
ローテーブルの上のノートパソコンと書類の隙間に、飲みかけの水割りが置いて
ある。
氷は入っていない。
「飲むか?」
僕の視線を追っていたのか、ぶっきらぼうに訊いてきた。
振り向くと、ワーキングデスクの端に寄りかかり、じっとこちらを見ている彼と
目が合った。
まだシャワーも浴びていないのか、さっきと同じ服のままだ。
当麻のほうも、僕が着替えていることに気付いたようだった。
「そんなに良いスーツ着てくんなよ」
「別にずっと立ってたいわけじゃないよ。座る場所がないだけ」
彼はムスっと口を尖らせた。
僕は思わず吹き出した。
緊張のしすぎで、筋肉が痙攣しただけかもしれない。
「・・・なんだよ、さっきやったばっかなのに、もう俺が恋しくなったのか」
「それは君のほうだろ。一人寂しく泣いてるんじゃないかと思ってね」
「へぇ・・・随分とお優しいことで」
「忘れてたなんて、君の脳みそも衰えたもんだな」
彼は僕の正面、息が掛かるほどの距離に立っていた。
「大事な恋人がお家で待ってるんじゃないのか?」
「知ってて態とそういうこと言う性格の悪いとこ変わってないね」
遼は今、中南米にいる。
「彼氏のいない間に浮気かよ」
「間男のくせに」
当麻がぐいと僕の腕を掴んだ。
そんなに必死にならなくても逃げないのに。
「俺のこと、好きだって言っただろう」
「いつの話してんだよ」
彼は振り返りもせずに、僕を引っ張っていく。
ほんとに、持っていかれた玩具を取り返す子供みたいだ。
「お前ってもっと一途な奴かと思ってた」
「夢、見すぎ。どんだけ乙女?」
「ふっ・・・、そうだな」
当麻がやっと小さく笑った。
「このスーツ、一昨日クリーニングから帰ってきたばっかなんだけど?」
「着ているものはいずれ皺くちゃになるもんだ」
キングサイズのベッドは高価なだけあって、男二人の重さにも、軋み音
ひとつたてなかった。
重い瞼をあげると、時間はまだ午前3時だった。
隣に人気はなく、体は綺麗に拭き清められていた。
彼が慣れていることに、理不尽な嫉妬の火が灯った。
戻る 続き
目次にモドル
Topにモドル