あの日青い空の下で 24


「よぉ」

彼は馬鹿じゃない。
卑怯者の僕が考えることなどお見通しってことか・・・。

正直、嬉しかった。

僕がこれ見よがしに肩を落とし溜息を吐くと、彼は苦みを含んだ笑みを浮かべた。

「俺って寂しがりやなんだ」
「じゃあ今夜は他をあたったら?」
「へぇ・・・!いいのか?」
「・・・いいよ」

内心、しまったと舌打ちした。
当麻は僅かな間を読み洩らさず、ニヤリとした。

「乗れよ」

見れば、彼が寄りかかっているのは、0(ゼロ)が7つ並ぶ価格の車で。

そういえば、今の彼については何も知らないことに気付いた。
動きを止めて黙っている僕に、当麻は、ヨイショという掛け声とともに3歩踏み
出して身を寄せてきた。

「お疲れのあなたに、暖かなお食事と、新しい下着もご用意してありますよ?」
「・・・まったく君って・・・、・・・安心したよ、相変わらずのバカで」
「どうぞ、姫・・・じゃなくて、王子様」
「王子は君だろ」

彼はもう一度、人の悪い笑顔をその面に張り付かせ、僕をエスコートすると、自分も
颯爽と乗り込んだ。

「知ってるぞ」
「何をだよ」

『知っている』昨晩も彼はこの言葉を使った。
きっと今回もろくな情報でないに違いない。

案の定だった。

彼は片手でハンドルを握り前を向いたまま、指先を目の下にあて、滑らせた。

「悪かった」
「何が」
「お前の・・・その・・・、気持ちに気付かなくて、さ」
「別に・・・」
「ったく・・・、後悔することが多すぎて、何から謝ったらいいのかわからない」
「どれももう時効だろ。・・・謝るのは、事務所内でのことだけでいい」

ははっ、まいったな、と言い、彼は前髪をかきあげた。
横目で盗み見たその懐かしい仕草に、僕の胸はツキリと痛んだ。

「舞台で征士のやつにキスしたのは、本当にただのウケ狙いだったんだ」
「・・・だから、もういいって」

ただのウケ狙いで、野郎が野郎にキスするか?

あの時も感じた痛みが、今さらぶり返してきたことに、僕は内心戸惑った。

「いや、弁解させてくれ」
「・・・・・・じゃあ、どうぞ・・・」
「ああいうことしたら、他の奴は大笑いするだろうし、女子共は騒ぎ立てるだろうし・・・」

普段は勝手我儘放題の彼が、クラスから嫌われなかったのは、こういう押えるべきところを
押えていたからだ。

「それで、お前は、怒るだろうと思った」
「・・・ふーん・・・」
「でも、お前は・・・怒らなかった。だろ?」
「・・・まぁ・・・そうだね」

僕を怒らせたかったって?
生憎そんなゆとりはなかった。
怒りのエネルギーは、別のところへ流れた。

けど、僕が泣いたことは、遼以外には知らないはずじゃなかったか?

「あの時、視界にさ、ちらっと見えたんだ。走ってくお前の後姿が・・・、で、舞台袖に引き上げ
 たら音響机の上が濡れてた。遼が慌てて拭ったけど、コップの水じゃないのは一目瞭然だった」

まったく、なんでそういう、どうでもよさそうな細かいところまで覚えているんだと、つくづく
呆れてしまう。

そしてムカつく。

「でも、腹イタだったって言ったよね?」
「まーな。だから確かに当時はそうだと思ってた。泣くほどの腹イタってすげーな、ってさ」

思わず二人の間に乾いた笑いが散った。

「でもやっぱ。どっか腑に落ちなかったんだな。お前に告られたとき。あの瞬間に、いろんなことが
 繋がった。学祭のこと放課後のこと、休みの日のこともだし、修学旅行のこと、体育祭のときの
 ことも、気付こうと思えば気付けたはずの、当時は不可解の一言で片付けてた、その他諸々のこと」
「やめてくれよ・・・。そんなに穿り返されたら、すっごい恥ずかしいだろ」
「まあ、とにかく、だ、色んな事がさ、漸く納得できたわけだ。けれども、当時の俺は、それを認め、
 肯定することができなかった」
「・・・なるほどね。まぁ・・・でも、それはそうだろうね。あの日、君に言われたとおり、無意識だった
 君に、変に期待してた僕も悪かったし」

そう言うと、当麻がチラと僕のほうを見た。

「お前に期待させるような態度をとってた自分に気が付いてさ、なんでそんなことしちまったんだろう
 って考えて、その・・・出てきた答えにうろたえた。それにしたってあんな対処の仕方なんて・・・な。
 ほんと、ひでえ」

当麻が何かを反省することがあるなんて、驚きだ。
まぁ、それくらいには大人になったってことか。

僕も、少しは大人になれているんだろうか。せめて、年相応には。

「・・・当麻は、正しかったと思うよ。いや、正しかった。あれはあれでよかったんだよ」

僕の声に被さるように、トラックが横を通り過ぎた。

「え?」
「あーっ、前向けっ前っ」
「おおおっ」
「・・・とにかく、あの時の君の反応は、間違ってなかった。正解だったんじゃないか、って、今なら思う」
「・・・優しいな」
「ばか。そういうんじゃなくて、さ。僕が勝手に突っ走って、君を巻き込んで、・・・そういう意味じゃ、
 僕のほうこそ謝らなくちゃいけないんだ」
「なに言ってんだよ」

「・・・ねえ当麻、僕たち今、互いの過去に焦がれちゃってる、ってことないかな・・・?」

当麻は、ハンドルを切り、路肩に急停車した。

「・・・本気で、そう思ってんのか?」

立ち昇った怒りの熱が、僕に襲い掛かった。
でも、ちっとも怖くない。

「どうだろ、わかんない・・・。ただ、ふと、そう思ったんだ・・・」
「・・・お前さ、疲れてんだよ。今日はゆっくり休め。な?」

大きく息を吐き出し、ギアの向こうから、膝上の僕の手を握ってきた。

当麻の手が好きだ。
その大きさも、温度も。

「・・・、君、大人になったねぇ」

鼻の奥がツンとくるのを必死で堪えた。

「それは、昨夜(ゆうべ)証明したつもりだったがな」

くだらない冗談を鼻息で吹き飛ばすと、車は再び走行車線に戻った。
それからは二人とも何もしゃべらなかった。


そのままホテルに入り、僕はドアの鍵も閉めきらないうちから、彼にむしゃぶりついた。

なんで、あの優しい遼に対して、こんな惨いことができるのか、自分でも不思議だった。

それでも当麻が欲しかった。
自分にまだ、こんなにも激しく人を想い求める気持ちが残っていることに驚きを覚えつつ、
彼と交わる。
当麻に見つめられると、全てを、自分の何もかもを差し出したくなる。

彼を感じながら、僕はその人の名を呼んだ。
これまで、呼びたくても呼べなかった名前を。

何度も。
何度も。
何度も。

女々しい自分に吐き気がするのに。



「お前は、何で俺を責めない?」
「え・・・」

へとへとになって、自分の腕を枕にして背中を晒している僕に、当麻はシーツを掛け
ながら低く言った。

「昨夜お前は『今はその気分じゃない』なんて言ったが、普通、殴るなり、罵るなり、
 するだろう?」

「・・・君・・・、そんなに、殴って、欲しいわけ?」

本当はもう、口を開くのも億劫だった。

「いやっ、そうじゃない、・・・そうじゃない、けど、なんつーか・・・」

彼は彼で、自分の中の罪の意識を、軽くしたいのだ。
それはわかる。

「とにかく俺は、お前の、平和な生活を壊した。しかも昔、あんな振り方をしておいて、
 今度はお前をレイプしたげく攫うようにして・・・。なのにお前は・・・」

でも・・・

「たぶん・・・僕は・・・、」

それを、待っていたんだと思う。


君に攫われたい、と・・・。


だから、そうだ。
君を、そして僕に対しても、責め殴る権利を持っているのは遼だけだ。


もうだめだ・・・眠くて眠くて仕方がない。

「・・・伸?」

当麻が僕の指先をそっと握った。

嗚呼・・・なんだか、昔に戻ったみたい・・・だ・・・。


彼の言った『平和な生活』という概念が、小さな粒になって、ぱちん、と弾けて・・・



―――消えた。




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