あの日青い空の下で 25


開けた風景の中、サングラスを掛けた僕は、アクセルを踏んだ。

天気は今日もピーカンだ。

遼を空港まで迎えに行く。

都合がつけば、これまでもなるべくそうしてきた。
こういった行動は確かに、愛情からくるものだったと思う。
穏やかで、安寧な、愛情。
激しさも、苦しみもない。

当麻は、“彼のマンション”にいる。
彼は、僕を引き込んだ1週間後、ホテル住まいをやめ、都内の一等地の
超高級マンションを購入した。
即金で。

そんな彼と、僕は半同棲の生活をずるずると続けていて。
かれこれひと月経つ。

時折ナスティの視線を痛く感じるのは、後ろめたさからか、それとも、
僕のこの気移りを知っているからか。

ナスティは、遼を気に入っている。
僕のしていることは、彼女をも傷つけているのだろう。



遼の帰国は予定より2週間延びていた。


約3か月ぶり・・・か。

今までみたいに、にっこり笑って、お帰り、と言える自信はない。
それに、そんな風に仮面を被るつもりもない。

いや、本当のところは、どうしたらいいのかわからなくて、どんな醜態を
晒してしまうか、自分が信用できなくて、ハラハラしているだけなのだ。


だから、自然と浮かんでしまうのはどうしようもないだろう。

無事な姿を見れば、日焼けした顔に広がる笑顔を向けられたら。
逸らしたいはずの視線は、彼に吸い寄せられる。
愛しい幼馴染の。


「・・・おかえり」

「おー、ただいま!」

けどやっぱり、いままでにないに苦しみを感じる。

「今回も無事でよかった」

これは本心。
いつもこの瞬間は、本当にほっとする。

「ああ、今はな。実は、森で変な虫に指されてさ。いやぁ辛かった、熱は出るは、
 全身蕁麻疹が出るわで。お前がもう俺だって気付かなくなるんじゃないかって
 くらい、顔面パンパンでさー」
「ええっ、ほんとに?!」
「・・・うっそー」
「え?」
「ウソだよ!」
「もぉ〜・・・っ、遼〜・・・」
「心配性の伸に心配されるのが梳きなんだ。昔から」

なんて無邪気な笑顔。
こういう表情は、小さな頃から変わらない。

ただ、どちらかといえば生真面目な彼が、こんな冗談を言うことは滅多にない。
しかもこんな公衆の面前で。

「そうなんだ、知らなかったよ。じゃ、とりあえずは気が済んだ?」
「ああ。いい顔見れて元気出た」

彼はこんな気障なことを言うキャラだったろうか?
どういうことだろう?
僕が混乱してるせいか、なんだか遼が、記憶にある彼と違う気がする・・・。

で、ますます心配になってきた。
今、浮かんでいる僕の笑い顔は、彼にどう映っているだろう。

「さーっ、んじゃ、ウチに帰ろうぜ。次は早くお前の手料理が食いたいっ」
「ははっ・・・」

そうだ、これがいつもの遼だ。

惚気というより、自立した子供が里帰りしてきたような雰囲気。

でももしかしたらそれは、今の僕の希望的観測がそう思わせているだけなのかも
しれない。

到着ロビーから駐車場に向かい、トランクに荷物を積み込み、二人で僕らの家に帰る。

当麻とのことを、これからのことを、いつきり出すのか、いまだ僕は決めかねていた。

「眠くない?」

ずるい願望を混ぜて言う。

「ああ全然!」

が、あえなく玉砕・・・。

「・・・遼って、ホント時差ボケに強いよねー」
「あんまり気にしたことないからじゃないか?伸は、ダメだよな」
「遼と違って繊細にできてるから」
「おっ、言ったなこのヤロっ」
「わあっ、やめろよっ、運転中なんだから!」
「わはははは!悪い悪い」

もぉっ、と態と膨れっ面を見せながら、内心僕は慄いていた。

自分の思いつきに。

咄嗟の、こんなとこで事故でもおこしたら・・・という思いは、次に浮かんだ考えによって、
一瞬にして塗りつぶされた。

別れを告げた後の遼の反応と行動を、これまでにも何度も想像した。

彼は極端なところがある。
こちらが思いもよらないことを、たまにしでかす。
そういうところは、ちょっと当麻と似ている。

けれども、彼が、死を選択するかもしれない、とは思っていなかった。
でも、可能性はないわけじゃない。
その死が、僕に与えられるのであれば、仕方ないとも思う。
当麻でもだ。
もちろん、彼を犯罪者にしたいわけじゃない。
それよりも、何より、耐えられないのは、その意志が彼自身に向けられた場合・・・。

「伸?大丈夫か?そんなにアセったか?」
「え?」
「顔、青いぞ?」
「えっ、え・・・、そ、そお?そうかな?」

バックミラーに映った僕の顔は、引き攣っていた。

いや、遼に限って、そんなことはするまい。
世界の様々な場所で、様々な人に会い、動植物を観て、生きるということがいかに
驚きに満ち、かけがえなく、大切であるかを、何より感じているのは彼じゃないか。
それが自らの命を絶つなんて。

彼をそこまでにさせる何かを僕が持っているとも思えない。
けれどただ、酷い裏切りを、二人から、幼馴染である二人から受ける、そのことが
齎す衝撃と痛みは計り知れないから・・・。

「・・・大丈夫だよ?」
「そうか?ならいいけど・・・」
「心配性は遼のほうなんじゃないか?」

「そうさ、知らなかったのか?こんなに長く付き合ってるのに」

前を向いたまま、はははは、と笑った。
なんとも乾いた空気が、車中に漂った。


ほんと、『こんなに長く付き合ってるのに』、どうして遼じゃだめなんだろう・・・。



「あーっ、やっと着いたーっ。やっぱウチは落ち着くなぁー」

遼は必ずいつもこの台詞を言う。

そこには心から溢れ出る想いが詰まっている。
その旅に、僕は彼の育ってきた環境を思い返し、切なくなる。

遼が、帰ってくる、場所。

彼がそれをどんなに欲し、大事に思っているか。
それを知っている僕が、その、彼の大事な場所を奪うのだ。

「遼・・・、遼、寝転がらないで、洗濯物あったら出して。・・・ほら、りょ・・・っ」

「伸」

ああ、拙い。
この目と、手の熱。

ぐいと引き寄せられ、体勢を崩した僕は彼の上に倒れこみ、そのままくるりと
体勢を入れ替えられた。

そして顔が、唇が近づく。

遼がこんなに積極的に僕を、否、僕の体を求めてきたことがあっただろうか。
たぶん、それこそ長い付き合いの中で、数えるほどしかない。
それがよりによってこのタイミングとは・・・。

慌てて腕をつっぱね身を離し拒んだ僕に、遼の怪訝な視線が刺さる。

「ご、ご、め・・・っ・・・」

だめだ、泣いちゃだめだ。
そんな卑怯なことはない。
もう餓鬼じゃないんだから。

「え、あ、わ、ぅわっ、すまんっ、やっぱり具合悪かったのか?」
「・・・違う・・・、違うんだ、遼」
「・・・伸?」

空気が変わった。
いよいよ始まる。

予想していたような、考えていたよりも早かったような。
なのに、ここに至ってもなお、僕は何と言えばいいのか、わからなかった。

単刀直入に、別れてほしい?
君のことは、幼馴染として、まるで弟のように愛している?
実は、当麻と浮気したんだ?
浮気どころか、これからは彼と暮すことにした?

それとも、なんでもない、と、とりあえずこの場を取り繕う?

どれもこれも酷いったらない。


「・・・り、遼・・・と、とにかく、し・・・しょ食事にしない?」

ああ・・・っ、もおっ、僕って本当に最悪だ・・・!

黒く光る遼の瞳。
あれほど大事に思っていたのに、今の僕には綺麗すぎて。

遼は、瞬きのようなキスを唇に落とすと、さっと僕の上から退いた。

「ああ!そっか、そうだ、だよなっ!俺が、早く食いたいって、言ったんだ
 もんなっ」

「ぁ・・・ああ、うん・・・」

起きた彼は、ヨイショっと大きな鞄を持ち上げて自室へと向かった。

「できたら、呼ぶから!」


その背中に掛けた僕の声は、内容にあわずちょっと真剣すぎた。

包丁で指を切り、砂糖と塩を間違え、鍋蓋を落とし、具材を焦がし・・・。
散々な夕食作りは、いつもの1.5倍の時間を要し完成した。

「遼〜・・・できたよぉ〜・・・」

鍋蓋を落としたところで、一度顔を除かせ僕の安否確認をした寮が、恐々と
部屋から出てきた。

「ごめん・・・遅くなって・・・」
「い、いや、まだ20時だし。それよりお前、本当に大丈夫か?」

僕は苦笑いを返し、お茶を濁し、端を上げた。

でも、とてもじゃないけど、喉を通らない。
吐いてしまいそうだ。

遼は、僕の様子を伺い、気遣ってくれた。
その内に、彼は何も悪くないのに、視線を落とし、ただ黙々と食事を口に運び
はじめた。

美味しいも不味いもない。
気まずい空気が流れる。

漸く帰ってきてこれじゃあんまりだ。

泥沼になっても、修羅場になっても、このままずるずるとこの重苦しい空気が
続いたのでは、お互いに、心も体ももたない。

よし!こうなったら・・・っ、えええええいっ、ままよっ!


「・・・あの・・・っ、りょ」



「伸、あとでその・・・、時間、あるか?」


「えっ?え、・・・あ、う、うん・・・」


「話が・・・ある、んだ」


「あ、そう、なんだ・・・。う、うん・・・わかっ、・・・た」


え?
え?
あれ?
なに?
なんだ?
どゆこと?
おかしくないか?
だって、その台詞は、僕が言うべきだったんじゃない?

混乱している僕に向けられた彼の笑顔は明らかに何かを含んでいる。

それは哀しみと苦悩に見えた。


いったい遼は何を話したいというのだろう。



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