あの日青い空の下で 27
彼の顔が険しくなった。
「そうなんだな」
真っ直ぐに向けられた彼の瞳。
やはり後ろめたさと罪悪感は拭えない。
それでも・・・
遼に胸倉を掴まれ、何故だと問い詰められても、あいつだけはダメだと言われても、
どんなに頼まれても脅されても泣かれたとしても、それでも僕は、当麻を諦めること
はできない。
「・・・そうだよ」
ところが、遼は怒らなかった。
泣くこともなかった。
彼は、視線を落とし、自嘲気味な笑いを鼻から零した後、苦しげに言葉を繋いだ。
「お前が、俺と別れよう、って言うことがあるなら、それはきっとあいつが現れたとき
だろう、って、・・・ずっと、思ってた」
「・・・遼・・・」
やっぱり、彼は予感していたのだ。
だが、驚いたことに、次に顔をあげた時、浮かんでいた彼の表情は、何かが洗い流され
たかのように、小ざっぱりとしていて。
「お前が俺以上と思うのは、あいつ以外にはいない、ってさ」
「・・・え・・・?」
思わず口を開けて彼を見た。
「驚いたか?」
「え、あ、うん・・・あ、ごめっ・・・」
「ははっ、いいさ。まぁ、そうだろうな。でも、俺の中じゃ、あいつさえいなきゃ、俺が
お前の執着点だって、そんぐらいの自負はあったんだぜ?」
僕への想いを否定し続ける当麻を牽制してたという遼。
独りを覚悟し始めていた僕を、優しく包んでくれた遼。
彼は、彼の方法で、精一杯僕を好きでいてくれた。
「・・・うん、でも・・・そう、確かに。そうだったかも・・・。君が最後だって、僕も、思ってた」
「そっか。なら嬉しい」
にこりと笑んだその顔は、やっぱりちょっと悲しげに見える、そう思うのは、自惚れすぎ?
「・・・しっかし・・・、こんなこと、俺が言うの変だけど、あいつ、またすっげー良いタイミング
で出てきたもんだなぁ」
「ぁはっ、ほんとに!」
「運のいいやつだよ、まったく」
僕らは、ぎこちなく笑いあった。
それから遼は、ソファの背にもたれ、滔滔と語りだした。
こんなに雄弁な彼を、僕は今まで知らなかった。
「俺が、お前を手放したくなかったんだ。誰にも取られたくなかった。・・・特に当麻の奴には。
俺は、たぶん、あいつと張り合うことで、自分の気持ちを確かめてたんだな。お前を好きで
いたかった。お前を好きな俺でいたかったんだ」
彼をそんな風にしてしまったのは、僕の責任だ。
僕にはそんな価値はない。
いっつも自分のことばかりで、どうしようもない奴だ。
良い子ちゃんぶって、優しくてデキル男を演じている。
特に遼の前ではそうだった。
一時は、遼の信頼と敬慕を重荷に感じることもあったけど、でも、遼に好かれている自分は、
僕も好きだったかもしれない。
遼に想われることが支えだったのは間違いないのだ。
「ありがとう、遼」
なんだか肩の力がするりと抜けて、自然とこの言葉が出てきた。
本来なら、そんな場面じゃないだろうに。
血を見る修羅場になっていてもおかしくないのに。
僕らは笑みを交わし、二人同時に大きく息を吐いた。
そして、声を出してもう一度笑った。
「なんだか、さ」
「ん?」
「なんか俺、今、この瞬間が一番、お前といて、ほっとしてるかも」
「ああ、わかる!それ」
「変な話だよなー。子供がいたってわかった奴と、浮気してる奴が面と向かってこんな
和やかだなんてさ」
「ぷっ、ほんと、普通じゃ有り得ないよね」
「だろうな。こんな丸く収まるなんて、夢にも思ってなかった」
「どんなに想像したって、この展開は予想のしようがないよね・・・」
「そうそう!はぁ〜っ・・・でもよかった。思い切って話して」
「うん、僕も」
「俺、変なテンションだったろ?」
「お互い様だよ」
「確かに。お前、マジで具合悪そうだったもんなっ」
「もぉっ可笑しくないよ・・・本気で吐きそうだったんだから・・・」
「よかったよ、そうなる前に話し合えて」
「だね。そうだ・・・それで・・・彼女とは?彼女と話す時間はあったの?」
「ぅっ、あー・・・いや、それが・・・実は・・・」
「ええっ?話してないのっ?」
「やっ、でも、大丈夫だ!今度は絶対、話さない。あいつも相当頑固で天邪鬼だけど、
俺はお前に鍛えられてるからな」
「ちょ、なんだよ、それ・・・」
「彼女は、気持ちと口から出てくる内容がちぐはぐなんだ。昔のお前みたいに」
「はは・・・っ、まいったなもぉ・・・」
「・・・お前には、ほんと、感謝してる」
「僕らまた、友人に・・・、元の幼馴染に戻るんだね」
「ああ。まぁ、元恋人っていうのも消せないけどな」
「そう考えると、やっぱり恥ずかしいなぁ」
「はははっ、そういう意味では、俺たち、無理してたんだな」
「・・・ぷーっ」
「あ、なんだよ、その笑い!」
「いや、別に、なんでもない・・・っ」
「・・・・・・・・・」
「あー、いや、だからさ、最初の時、すごく緊張したな、って」
「・・・俺一人がな・・・」
「まーねー」
「あっ、言ったな、このやろぉっ」
「でも、ほんと、幸せだったよ。遼といれて」
「うん」
こんな穏やかな空気、信じられない。
夢なんじゃないかとさえ思ってしまう。
「・・・なあ」
「ん?」
「あいつ・・・」
「あいつ?当麻?」
「ああ、あいつ。あいつ、いつお前への気持ちに気付いたんだって?」
「あー・・・それは、僕が告った高校ん時だって」
「ええっ、ほんとか?!あいつ、マジで、それまで無自覚だったのか?」
「はははっ、そうらしい」
「そのくせに、ガキの頃から俺にあんな嫌がらせしてきてたのか?!」
「遼の反応が面白かったんだって」
「くっそぉーっ、あんのヤロ〜・・・っ。で?それで、今頃現れて?」
「そう」
「ちっくしょ、どんだけ自分勝手なんだよっ。もちろん、一発ぐらいぶん殴って
やったんだろうな?」
「あはは・・・いや・・・それが、・・・なんだか気が殺がれちゃって」
苦笑し否定すると、遼は、ポカーンと口を開け、その後額に手を当て大溜息を
吐きつつ項垂れ、今度は身を乗り出して力説した。
「ったく・・・っ、お前がそんなだから、あいつはつけあがるんだぞっ」
僕は、嬉しくてたまらない。
「・・・それでも遼は、祝福してくれるだろ?」
「―――っ、そりゃ・・・っ、・・・・・・・・・いや、イヤだ!」
「え?」
「クっソぉっ、やっぱ悔しい!お前はもう俺のもんじゃないってわかってても、
やっぱりめちゃめちゃ悔しい!しかも、当麻の奴にと思うと、どうにもムカ
つくーーーっっ」
そう言って、頭を掻き毟りながら、足をジタバタさせた。
まったく、なんてわかりやすい感情表現。
こんな彼に、どれほど救われてきたか。
遼への、深い愛情が湧きあがる。
「あははっ」
「なんだよ!嬉しそうにっ」
「嬉しいよ。だって、遼にもまだこういう風に愛されてて、さ」
「でもそれは、あいつにも想われてるからだろう?」
「ふっふっふっ」
「・・・・・・・・・俺、あいつ殴りに行こうかな」
「ああ、それは止めない」
「・・・これからは、うーーーんと、あいつを振り回してやれよ?」
「そうだね」
こうして僕らは、二人で暮らしたこのマンションを引き払うことにした。