その瞬間、6つの瞳が、ある一点に釘付けになった。
思惑通りだ。
俺と彼が、晴れて堂々と(?)付き合うようになって、半年が過ぎた。
旧友たちとは、その間会っていない。
ただまぁ、そもそも高校を卒業してから、そんなにしょっちゅう会っていたわけではないのだが。
むしろ、それぞれがあまりにもバラバラな道を進んだため、急激に疎遠になった。
公務員、料理人、カメラマンに、美術商、そして俺、フリーランスの研究者もどき(?)。
思い返してみれば、全員が一堂に会すことは、一回もなかった。
遼と伸は海外と日本を行ったりきたりしていたし、俺にいたっては、ほぼずっと行きっぱなしだったため、この3人が同時に顔を合わすことは皆無だった。
他の二人も、日本にいるとはいえ征士は実家の道場での指導もあり超がつくほどに多忙だし、秀は早々に結婚し子供も次々生まれたために。5人のうち2人が予定を合わせることすら困難を極めた。
でも、生まれてきてから高校卒業までの18年間を、ほぼずっと一緒に過ごしてきた俺たちにとっては、大人になってからの距離は問題じゃなかった。
たとえ顔を見なくても、誰かと誰かが何かしら繋がっていれば、全員と繋がっているような、そんな気がしていたし、俺たちの友情、結束、信頼に、揺るぎはないと、疑わなかった。
と、ところがある日、そんな俺たちに、奇跡がおきた。
来週の土曜日、約20年ぶりに全員が揃うことになったのだ!
決まったのは3日前。
そこから俺の関心ごとはそれ一つに絞られた。
俺は常々、伸とのことについては隠したくないと、思っていた。
遼は既に知っていることだけれども、あいつが勝手に征士や秀に話しているとは思えない。
もちろん、メールや電話で伝えたっていいのかもしれないが、このことはやはり、あいつ等の顔を見て、ちゃんと話をしたいと考えていた。
ちなみに伸曰く、遼と付き合っていた5年間については、ずっと黙っていたのだそうだ。
「いつかは話そうって言ってたんたけど、やっぱり気恥ずかしくってさ」
だと。
今となっては話さないでいてよかったというところだろう。
ともあれ、俺自身は、とにかく今回の集まりで、俺と伸は、こういう関係になりました!と、公(秀と征士に打ち明けるだけのことなのだが)にするつもりでいた。
そこで、問題となるのが・・・、この話題の切り出し方だ。
いかんせん、そもそも、あの二人は、伸の性癖すら知らないはずなのだ。
この話が、途轍もない驚きと衝撃を彼らに齎すことは間違いない。
俺と伸の意見は、真っ二つに分かれた。
自然の流れに任せるべき(つまりこちらからは一切アクションを起さない)という伸の意見に対し、俺は、わかりやすく演出(あえて自ら切り出す)するべきだと強く訴えた。
「そんなことする意味がわかんないよ。・・・遼だっているのに」
「だからこそ、だ」
「・・・それこそ意味ないだろ?今、遼には、奥さんも子供もい・・・」
「いや、でも、だ」
そう俺が言い放ったときの、伸の怒ったような困ったような笑い顔があまりにも可愛くて、そのままぎぅぎぅ抱きしめた。
俺たちの恋愛事情は、ちょっとばかし複雑だ。
今は確かに丸く収まっている。
けれども、あの二人に、互いの想いはもうきれいさっぱり割り切れた、今はもう友情以外に何もない、と言われたところで、悪いがそう簡単には、はいそうですか、と鵜呑みにすることはできないのだ。
俺は、自分でも驚くほど彼に執着していた、・・・いる。
馬鹿みたいだが、遼に取られてはじめて気づいた。
彼を腕に閉じ込めるといつも感じる。
なんといえない安堵を。
そして不思議に思う。
どうしてこんなに彼の体は納まりがいいのだろう、と。
ぴたりと寄り添うそのラインは、まるで俺のために設えたみたいで。
下げた視線の先には、揺らめく瞳と艶やかな唇があって、全身で俺を誘っているように見える。
あんなに長いこと友人でその間にはちっとも意識しなかったのに、気持ちに気付いた途端、彼の全てが眩しくて愛おしくて、止めようのない彼に対する執着と独占欲に、自分でも驚く。
で、たいがいそのまま、いたすことになるわけだ。
だが実は、そこに、俺の胸の奥底に、拭いきれない不安もまた同時に存在していることを、俺は最近になって漸く認めた。
このモヤモヤは、一生消えないかもしれない。
あの日、気付かないふりを決め込んで伸を突き放し、遼に先んじられた俺に科せられた罰なのだろう。
伸と俺の話し合いは、平行線を辿った。
そうこうしているうち、当日はあっという間にやってきた。
18:00からスタートのその集まりは、今やいっぱしの料理人である秀の口利きで、個室を時間無制限で予約されていた。
こう言っちゃなんだが、とても“あの”秀が手配した店とは思えない、ゴージャスで且つ、落ち着きのある店だった。
「よぉ〜っ!遅かっ・・・」
その瞬間、6つの瞳が、ある一点に釘付けになった。
思惑通りだ。
伸ですら、横でポカンと口を開けている。
(あーやめてくれ、その口を俺ので塞ぎたくなる・・・っ)
遼は一瞬呆気に取られ、その一点と伸と俺へ順ぐりに視線を巡らせてから肩を揺らし苦笑した。
秀は、まったまたーお前ら〜っ、がっひゃっひゃっひゃっひゃ!と、妙な笑い声をあげたので、いいや冗談じゃないから、とニッコリ返したら、え、と笑い顔のまま固まった。
征士にいたっては、顔の筋肉一つも動かすことができないでいるようだ。
この様子は、動じていないのかと思いきや、逆で、奴はこれで今、最大限に驚愕し動揺しているのだ。
俺と伸が一緒に行くことは誰にも言っていなかった。
もちろん伸は嫌がった。
今回は別々に行こう、と言った。
今回は?
じゃあ、次はまた20年後か?
そんなに俺とのことを隠しておきたいのか?
問い詰めたら、伸は渋々ながら、折れた。
そして当日。
朝から彼はやたらと警戒していた。
それに、これみよがしにぐずぐずと支度をする俺に、イライラも募らせてもいた。
言葉は少なく、微妙に俺との距離を開けて歩き、そのまま店の中を通り、個室のドア前までやってきた。
目論みが成功したのは、俺が騙したからだ。
ドアノブに手をかけた瞬間、俺は、あ、そうだ!と呟き振り向いた。
「えっ、なにっ?」
「お前に渡し忘れてた」
「何をだよっ?」
そうしてポケットをごそごそやり・・・
「えーと・・・、ああ!ほらこれっ」
と、グーにした手を伸ばすと・・・
伸は見事な条件反射で、それに応えた。
俺に嵌められたことに気付き、伸が静止の言葉を吐きかけたときにはもう、ドアは俺のもう片方の手によって開けられていて。
「よぉ〜っ!遅かっ・・・」
「待たせたな。俺がもたついたもんだから・・・、すまん」
暗に、俺の行動が伸に影響を与えているのだと匂わせてみた。
繋がった掌に、ぐっと力が篭った。
仕方ないだろ?
こうでもしなきゃ・・・
とにかく、ここまでは、俺の思惑通り。
遼は笑いを噛み殺し、秀は笑顔を凍りつかせ、征士は機能停止状態。
遼は、楽しげに成り行きを見守ることにしたらしい。
秀と征士は、いま必死に頭の中を整理しているのだろう。
さて、こっからが・・・
と思ったところで・・・
俺の半歩後ろにいる伸がふぅっ、と息を吐いた。
と、急に
俺の真横に来て、高々と繋がったままの二人の手を持ち上げてこう言った。
「遅れてごめんっ。こいつが、色々グズるもんだからさ。で、ちなみに僕たち、こういうことになってるんで。でも・・・、できれば、今後ともよろしく!」
このあまりの切り替えの速さと潔さに、今度は俺が驚き、そして惚れ直した。
「えっ、え・・・、ぇえええええええっ?!?!」
椅子から引っ繰り返らんばかりに奇声を発したのは秀だ。
征士の表情は、相変わらず読めない。
が、嫌悪感は感じられないし、あの男が、口を半開きにして頭上に数え切れないほどの?を乗っけているのを見るのはなかなかにいい眺めだ。
「おい、お前ら、いつまで突っ立ってんだ。仲がいいのはわかったからさ。とにかく座れって。俺たち、何度練習乾杯したと思ってんだ?」
遼に促され、俺たちはもう一度わびて席に着いた。
同時に、追加のビールが運び込まれ、漸く本番の乾杯となった。
音頭は、俺がとることになっていた。
これまでの集まりに、一番出ていなかったのが俺だからだ。
「んじゃ、えー、20ん年ぶりの全員集合に・・・」
「と、お前たちの前途を祝して・・・、だな」
4人の視線を受けて、征士がにやりと笑った。
そっからは盛り上がりに盛り上がった。
話題はそれぞれの近況、仕事からプライベート、昔話と、尽きることはなかった。
子沢山な秀の話には、皆腹を抱えて笑い、以外にもクウォーターの年上美人を女房を迎えた征士の苦労話は、切実ながらもこれまた笑いを誘った。
それと、遼の突然の、結婚&実は子供もいました報告は、更に場に華を添えた。
手帳に挟んだ写真には、眩しい太陽の下、全開の笑顔の3人が写っていて。
伸は、心から安心したようだった。
で、やっぱりなことだが、仕舞いに行き着いたのは、俺と伸のことで。
「いやーっ、いやいやいや、それにしても、マジでまさかまさかまさかだよなーっ」
とは、秀。
こいつの、この明るくあけっぴろげな反応には、いつも助けられる。
「んで?お前らいつからなんだ?」
時計は10時半を少し回ったところ。
夜はまだ長い。
俺と伸は、顔を見合わせた。
「あー・・・、だいたい半年・・・くらいか?」
「そう・・・か、な」
「えっ、えええええっ?!なんだよ、じゃ、まだホヤホヤかっ?」
「ホヤホヤって・・・、そんな感じは、・・・ね?」
「まーそもそも幼馴染だからな」
「えー、でも、じゃあ、なんで今頃なわけよ?」
「んー・・・、そこはなんというか、色々と・・・」
「俺が、伸をずっと待たせてたんだ」
考えるともなしに、口をついて出ていた。
当然、伸は驚いた。
「え?ちょ・・・っ、当麻、何言って・・・っ」
遼は、ぴくりと眉を動かしたが、それ以外は笑顔ともつかない表情をキープしていた。
あいつも大人になったもんだ、と、そんなところに感心した。
「とにかく、俺がぐずぐずやってから、こんなに時間がかかっちまった、てのは確かだ」
「伸は・・・、いつから・・・だったのだ?・・・その・・・つまり・・・」
「いつから、こいつを好きだったか、って?」
俺を見る伸と視線を交わせ、質問の主へと移した。
征士にとって、こういった話は、きっと別世界のものだったに違いない。
それが、こんな身近でおこるとは、ってとこだろう。
それでも彼は彼なりに、一生懸命、この事実を消化しようとしているのだ。
俺の目は再び伸に向いた。
彼は、征士を真っ直ぐに見つめている。
もしかしたら、あの学祭の時のことを思い出しているのかもしれない。
ウケ狙いに俺が征士にキスしたあの瞬間を。
それとも、遼に遠慮しているのか・・・。
「えーと、あー・・・、そうだなぁ〜・・・幼稚園の、とき、から・・・かな?」
どよめきが起きた。
そういえば、俺も、伸に、いつから、なんて訊ねたことはなかった気がする。
俺からは、あの懺悔の夜に告白したが。
ん?
てことは、俺たち・・・ずっと・・・?
・・・なんてこった・・・
「えっ?ほんとにっ?!」
遼が目を丸くする。
「その頃からずっと、なのか??」
征士も驚きを隠せない。
「んー・・・、そう・・・だなぁ・・・、たぶん、・・・うん」
「うっへーっ!すげーなっ、そうなっともう執念だなー」
感心しきりの秀は、腕を組み何故だかわからんが、頷いている。
「執念・・・て、まぁ、全否定はしないけど、さ、でもなんか・・・そんな風に言われると、ただのストーカーみたいじゃん?言っとくけど、だからって、こいつしか知らないわけじゃないからね」
言ってから、しまったと顔に出たが、そこはあえて誰もツッコまなかった。
「え・・・あ、あ〜っ、だよな、そだよなっ、いっくらなんでも、なーっ、だははははは!」
「ていうか、伸が幼稚園から、っての、当麻も知らなかったのか?」
「えっ、う・・・っ、あ、ああ・・・」
素直な遼の振りに、しどろもどろになる俺。
「随分と幼少時のことだが、何か、切欠があったのか?」
なるほどいい質問だな、征士。
そう、切欠。
切欠・・・か・・・
そういや、伸が俺を特別に思い始めたその理由はなんだったんだろう?
少しの間をおいて、たぶん切欠は・・・、で、始まった伸の親父さんの葬式の話を聞くうち、俺の中にも、あの時の記憶が咲く花を早送りで再生するように蘇ってきた。
俺は―――
遼から伸と暮らしている、と聞いて嫉妬した。
取り返してやる、と思った。
それは、俺が既に伸を特別に思っていたからであって・・・
幼稚園―――
今までは断片的で、曖昧だった部分が、彼の声で繋がってゆく。
ああ・・・
そうだ・・・
あれは、秋だった。
すごくいい天気で、空は雲ひとつなく、どこまでも高く青かった。
当時まだ生きていた俺のじいさん。
じいさんは寺の住職だった。
両親に放っておかれっぱなしの俺は、じいさんのところに預けられることも多くて・・・。
そうだった。
伸は、3日ほど幼稚園を休んでいた。
あんなに元気だったのになんで急に?と思っていた。
その日の夕方、じいさんちに行くと、沢山の見慣れた顔が親に手を引かれ列を作っていた。
広い寺の敷地には、線香の匂いが立ち込めていて。
それが通夜に並ぶ弔問客であることを、当時の俺は既に知っていたが、事情の理解できない、同級生共は、ある者ははしゃぎ、ある者は駄々をこねぐずっている。
ただ、どうしてこんなに知り合いが大勢いるのかはわからなかった。
そういえば、幼稚園の先生が、深刻な顔で何かを話していたような気もする。
だけど、まともに聞いていなかった。
俺は、寺の入口に回ってみた。
看板には、『毛利』の文字があった。
(親父さん?!)
俺は慌てて家に帰り、服を着替えて戻って、列に加わった。
征士も秀も遼も、なんで教えてくれなかったんだと、腹を立てながら。
広い畳敷きの部屋に、伸はいた。
大人たちの間で、そこだけ凹み、小柄な彼は、さらに小さく見えた。
次々と部屋に上がり、焼香を済ませる客に、大人に合わせてお辞儀している。
彼はわかっているのだろうか。
たぶん、わかっている。
俺に気付いて、浮かびそうになった笑顔を、即座に引っ込めた。
見よう見まねで焼香を済ませた俺は、何故かその場から立ち去り難く、見るともなしにぶらぶらとその辺を歩き回っていた。
他の三人が見当たらないところをみると、、どうやら俺がワタワタやってる間に、来て、帰ってしまったようだった。
園児である俺だが、ここが俺のじいさんとだと知っているためか、誰も気を留めない。
同じく焼香を終えた弔問脚達が、そこらじゅうで立ち話をしていた。
皆、異口同音に、まだ若いのに、下のお子さんも小さいのに・・・、と言っていたのを覚えている。
俺は、じいさんの家に入った。
冷蔵庫の麦茶を飲み、読みかけの本を捲ったりしていたが、いつものように集中できず、時計ばかり気にしていた。
それから一時間もしないうちに、寺は静かになった。
母屋を出て、もう一度あの畳間を覗いた。
大人の数は減っていたが、眉間に皺を寄せ集まって、何やら話し込んでいる。
伸は独りだった。
縁側から差し込む陽の光に煌く茶色の頭。
でも、その顔には、幼いながらも明らかな疲れが見て取れた。
いつも一緒に遊んでいる伸じゃないみたいで、俺は自分のお腹の上辺りがぎゅっとして冷たくなったように感じた。
『まだ若いのに・・・、下のお子さんも小さいのに・・・』
連れてかれる!
何故だか咄嗟にそう思った。
連れてなんかいかせるもんか!
絶対に、誰にも、渡さない!
俺は彼に近づき、膝の上に、力なく投げ出された白くて小さな手に触れてみて、それから握り締めた。
いつもはほんのりと温かいのに、その冷たさにぎょっとした。
伸は、はっとこちらを見て、薄い笑みを投げかけてきた。
本当はもっとちゃんと笑顔を向けたいのに、今の彼にはそれができないのだ。
俺はいっそう不安になって、泣きたくなって、怒りたくなった。
誰にも渡すもんか!
こいつは俺んだ!
俺んだ!
俺のもんだ!
誰にも渡さない!
ずっとずっと心の中で繰り返していた。
そのうちに、伸は、ことりと眠りに落ちた。
その寝顔に俺はまた、全く別の意味で、胸を打たれた。
そう、美味そうだ、と思ったんだった。
で、気付いたら、俺も寝てた。
「・・・そうだ・・・俺は・・・」
一瞬、辺りが奇妙な静寂に包まれた。
「えっ?」
最初に声を出したのは、さっきまで、俺とは違う視点からあの葬式のことを話していた伸だった。
俺は、横に座る彼の手に自分のそれを重ねた。
彼はびっくりして、引っ込めようとしたが、放さなかった。
「俺・・・、俺は、あの時から、お前は・・・俺のもんだとずっと思ってた」
「はあっ?!」
素っ頓狂な声をあげたのは秀だ。
「どういうことだ?」
「さっぱり話がわからん」
伸は黙ってじっと俺を見つめている。
俺も見返して。
「こいつをこの世に繋ぎとめたのは俺なんだから、俺のもんだ、って」
「・・・当麻、僕、あの時は別に、死にかけてなんかなかったんだけど?」
「いや、ま、そう・・・そうなんだ、けど、さ。そういう風に思い込んでたんだ。だから、お前を助けた俺は、お前には何言ってもいいし、何をしてもいい、って」
全員の冷たい視線が突き刺さる。
伸はあの歳で既に、自分の感情を抑えることのできる子供だった。
それは、それで、確かにすごいことだ。
けれど、俺は・・・
彼には、本当の彼を、彼のあるがままの気持ちを、ぶつけて欲しい、って、ずっと思ってた。
そして、それをさせられるのは、俺だけ。
『俺だけ』
これがキーワード。
伸にとっての『だけ』である存在。
そうか、俺は、ずっとそうありたかったのか。
声には出さず、腹の中で呟いた。
「・・・あっきれた・・・」
「まったく、どういう・・・」
「思い込みもそこまでくると・・・」
「恐れ入るぜ」
これでわかった。
空港で偶然遼に会ったとき、伸と一緒に暮らしていると聞いて、どうしてあんなに腹が立ったのか。
なんで、伸と再会したときに、あんなことをしたのか。
俺はずっと、彼は俺のもんだと思ってたからだ。
それがあまりにも当たり前すぎて、実はすごく特異なことなんだとは、気付きもしなければ、意識の端にすらのぼっていなかったのだ。
彼の唯一でありたいがために、俺はありとあらゆることした。
そして伸は、そんな俺に傷つけられて振り回されて、それでも・・・
「・・・・・・・・・なんか・・・、ほんと、色々と、すまなかった、な・・・」
微苦笑を向けると、みるみるうちに、彼の顔が赤くなっていく。
恥ずかしいからか、嬉しいからか、それとも、こんな席で急に謝罪なんかした俺への怒りからか。
「・・・ちょ・・・と、・・・トイ、レ・・・っ」
伸は俺の手を振りほどくと、個室を出て行った。
俺は、なんだか、ぼーっとしてしまって。
「おいおい、追っかけたほうがいいんじゃね?」
「俺もそう思う」
「へ?なんで?トイレだろ?なんで行きたくもないのに連れションしなきゃ・・・」
「まったく・・・、今の謝罪はなんだったのだ。伸の苦労が忍ばれるな・・・」
「え〜っ?なんなんだよお前ら〜」
「いいからっ!」
「早く追い駆けろよっ」
「何事もタイミングが重要なのだぞ」
まさかそんなことをこの朴念仁に言われるとは。
「っんだよっ、わぁったよ!行きゃあいんだろっ、行きゃあ」
「ごゆっくり〜〜〜」
遼のヤロウ!
ニヤける顔を誤魔化し誤魔化し歩く先、店の奥、用を足す場所とは思えないほどに華美なトイレがそこにあった。
スッキリ顔の男とすれ違いに入る。
他に並んで待つ奴もおらず、誰もいない。
伸の姿も見えなかった。
ただ、個室の戸がひとつ閉まっている。
「おーい、伸〜?」
「いないよ」
すごい鼻声。
俺は笑った。
「なんだ、感動したか?」
「・・・っ、アホぉう!」
肩の震えがとまらない。
「なぁ、ここ開けろよ」
「ヤダっ」
「そんなに鼻垂れてんのか?」
「・・・そうだよ・・・っ」
ぶびーーーっっ
・・・ザ〜〜〜・・・
「その顔、見たい」
「ヘンタイ!」
「お前に対してだけだよ」
「アホっ」
の、声と同時にドアが開き、彼が飛び込んできた。
ゴッツ!
「あでっ」
彼の脳天が、俺の顎にヒットした。
「もぉっ不覚・・・っ」
俺の腰を掴み、額を喉下へぐりぐりと押し付けてくる。
「へ?」
「君には・・・今まで何度も謝られたけど、さっきのが一番・・・」
「いちばん?」
「・・・ぐっときた〜」
「あー・・・ははっ・・・そ、か・・・、まぁ・・・一番、心が篭ってたからかなー」
「なんだそれ」
「とにかく、お前の辛抱強さには、ほんと、頭が下がるってこと」
「今更気付いたか」
「すんません」
「・・・心が篭ってない」
「もー勘弁してくれよ〜。・・・お詫びは、帰ったら・・・いや、日を改めてきっちり、たっぷりさせていただくんで。な?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
いつもより少し高めの彼の体温とこの表情。
本当のところは、伸の後ろの個室に篭って、俺の熱い侘びを入れてしまいたいところだが、さすがにそればまずいと思いとどまった。
「さ、戻ろうぜ。次はいつ揃うかわかんないからな」
「じゃ、また手繋いで戻る?」
「いやいや、次は腕組んで、でしょ」
あははっ!
あいつらも期待して待っているに違いない。
END
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