「・・・・・・当麻・・・おめぇ、大阪に行かねえか?」
「・・・おおざか・・・?」
「そうだ」
これには、さすがの俺も驚いた。
けれど次の瞬間には、ああそうか、と納得した。
「以前お前も会ったのことのある秀の伯父上が、あちらでこの塾の分校を始めたいと、先日便りを寄越してきたのだ」
「分校・・・」
「ああ。だからよ、悪りぃが、おめぇ、行って伯父貴を助けてやってくんねぇか。頼むぜ、な?」
まったく秀の奴ときたら、昔から人が好すぎる。
だがそれが無性に腹立たしく、ただのお節介にしか感じないこともあるのだ。
「・・・ふっ・・・ものは言いよう、だな。つまりは、役に立たぬ穀潰しはいらん、そういうことだろう?」
征士の周りに静かな怒りの気が立ち昇った。
俺に効き目はないが、常人ならばこれだけで戦意を失う。
「環境を変えてみろ、ということだ」
「ははっ、言葉を変えても中身は同じだ。わかったよ、明日にでも出てってやるから安心しろ」
俺は、二人の間を押しのけるようにして、自室から出て行った。
「あっ、おいっ、当麻!」
「秀、よい、放っておけ」
後ろで彼らの声を聞きながら、この場に遼がいたら、殴り飛ばされていただろうな・・・と、苦笑を浮かべた。
こうして、俺は唯一の居場所を失った。
その晩のことだ。
久々に訪れた呑み屋の主人に声を掛けられた。
「どうも、ご無沙汰で羽柴の先生。おや、今日はまた随分と過ぎるんじゃありやせんか」
「いい客だろう?」
「ええそりゃもう!もちろん、そうなんですが、ね・・・」
「なんだ、歯に物の詰まったような。なにか俺に言いたいことでもあるのか?」
「えっ?ええ、まぁ、へへへっ、そんなとこで。いやま、今更っちゃぁ、今更なんですがぁねぇ・・・もし、まだ・・・」
「今更でも、もしでも、まだでも、何でもいい。言ってみろ」
普段なら、飲んでいる間は誰も寄せ付けないのだが、この日ばかりは、襲い来る言いようのない思いを紛らわすため、誰かと話していたい、そんな気分だった。
「へぇ、・・・実はぁ、先生が以前お訊ねになってられた方のことでして・・・」
酒でぼやけた頭に、冷や水をかけられたような衝撃が走った。
「・・・っ・・・!なんだと・・・っ!?」
「ええ、例の・・・」
主人は、ことさら声を落として伸の名前をあげた。
話題に上らなくなっただけで、今だあの政権転覆は、町民たちにも影響が残っていたのだ。
だが俺には、そんなことに頓着している余裕はない。
「伸が・・・?!彼が、何だ?!どうしたというんだっ!」
取って食わんばかりの勢いで主人に掴みかかった。
「せっ、先生・・・っ、お、落ち着いてくださいよっ。順を追って話しますんで・・・っ」
「・・・わ、わかった、すまん・・・」
水を一杯所望し、向かいに座らせた。
主人は、ほっと息をついて、俺のお猪口に残っていた酒をひと舐めすると、徐に話し始めた。今夜は店も暇なのだろう。
「うちに出入りしている行商がですね、先日仕入れのためにちょいと遠出したんだそうで。で、そん時に、先生がお探しの方らしき人を見たってんでさぁ」
「そ・・・っ」
張りついた喉を払う。
「それは・・・っ、いつの、ことだ・・・」
「え〜とぉ・・・まぁ・・・かれこれ二十日くらい前のことでしたでしょうかねぇ」
「二十日も・・・」
ここ暫く、この店ではない、他の“行きつけ”を渡り歩いていた自分を罵った。
「それで、それは・・・本当か?本当に、彼なのか?」
「いや、ま、あっしが直接見たわけじゃないんで何とも言えやせんが、そいつ曰く、ただの村人にしちゃあ、なんてんでしょうね、歩く姿からして他と違うっていうか・・・着てるもんはぼろなのに、まるで羽織袴でも纏っているようだった、なんて言ってましたわ」
「他に、何か言っていなかったか?行商は、その人物に話しかけなかったのかっ?」
「いやぁそれが、その日は急に天気が怪しくなってきて、そいつも慌てたらしくてね。なもんで、近くでは見らんなかったって・・・、あぁ、けど・・・」
「けど?けど、なんだっ」
「なんでしたっけね・・・あ〜・・・そうそう!肌と髪の色ですよ!遠目にわかるほどに他の村人より白くて、髪の毛も先生がおっしゃってたような、滅多に見ない明るい色だったってぇ、ええ、そう、そうですよ、確かそう言ってました」
―――伸だ!
彼に間違いない!
俺は確信した。
そうであることを熱望した。
心の臓が痛いほどに脈打ち、飲んだ酒は、もはやどこかに吹き飛んでいた。
「で、場所は?!それはどこだっ?どの辺りなのか聞いたか?」
「ええ、そら、もちろんでさぁ。ちゃぁんと、聞いとりますですよ、ええ!ええっと・・・、南の大通りから、西の街道に出て、国境のちょいと手前に、流れ者ばかりが集まった小さな村がありましてね、その村の外れで見かけたそうです」
近くに小川が流れているというその村の名前を聞き、俺は店を飛び出すと、住まいである塾へ戻り、最低限の荷造りをして、望みの村へ向かった。
旧友へ一言だけの書置きを残して。
流れ者ばかりで他人にあまり関与せず、近くに小川が流れている村。
これ以上彼に合った場所はない。
何故もっと早くに、もっと足を伸ばして探さなかった!
後悔の念と共に、夜半に町を抜け出た俺は、夜通し歩き、朝方、行商が仕入れに行ったというその場所に足を踏み入れた。