「・・・伸・・・っ、すまないっ、すまなかった・・・!俺は・・・なんと、なんと詫びたら・・・っ」
「せ、ん、せい・・・?」
俺はどうしようもなく不甲斐ない己を恥じた。
先ほどから殊更『昔』を持ち出し、『皆』だの『俺たち』だのと、自分の言葉に逃げ道をつけてばかりで。
いや、『先ほどから』なんてもんじゃない、ずっとだ。ずっとそうだった。
もちろん、奴らが伸を気にかけ、按じているのも真実だ。
だが俺は、彼ら以上にある自分だけの特別な想いを、過ぎた年月と仲間の中に、あえて、無理矢理に、潜ませ誤魔化してきてた。
いや、それどころか、最初から諦めていたのだ。
あれほどに執着していたくせに。
期待すらしていたくせに。
あの時、あの川辺で、伸は、もしかしたら、この俺に連れ去ってほしいと思っていたのかもしれない。
なのに何故俺は、そのことに気付けなかったのか。
何故俺は、彼の前ではこんなにも臆病になってしまうのだろうか。
―――その意味は、とうの昔からわかっていたはずだ。
彼を傷つけたくないからではない。
自分が傷つきたくなかった。
「赦してくれ・・・っ、伸・・・」
そうしてずっと、俺は彼を傷つけていたのか・・・。
「あぁ・・・先生・・・先生、先生が謝る必要はありません。謝らなければならないのは私です。私が、一方的に・・・。こんな、こんなことを・・・っ」
これまでになく早口にそう言うと、伸は俺の胸を押し放した。
「し・・・ん?」
「・・・本当に、すみません・・・少し頭を冷やしてきます」
そうして、まるで通り抜けたのかと思うほどの素早さで、一瞬のうちに戸惑う俺の中からいなくなってしまった。
彼は・・・、俺の謝罪を勘違いしている・・・!
「し、伸・・・っ、待て!待ってくれ・・・っ」
この瞬間を逃したら、俺は二度と彼に触れることは叶わない。
俺はかろうじて彼の片手首を敷布に縫い留めた。
伸は、完全に狼狽していた。
「私は・・・私は、なんということを・・・っ」
震えるもう片方の手で口を押さえた彼の、両の瞳から堪え切れなかった苦しみが溢れた。
「違う、違う!伸・・・っ」
逃げそびれ叱られる子供の如く、がくりと項垂れたその肩が嗚咽に引きつっている。
自らの言葉を恥じ、後悔し、責めているのだ。
いつも涼しげな彼が、これほどに取り乱すとは。
これまでどれほどに己を押し殺してきたのだろう。
そして俺は、どこまで愚かなのだろう。
こんなにも彼を苦しめ、悲しませた自分が赦せない。
寝る場所には困らない?
一人寝に枕を濡らしたことはない?
言い寄る男女は引きも切らず?
違う!
何を馬鹿な・・・っ
俺はただ、闇雲に、ずっと、彼から、彼への想いから、逃げていただけだ!
彼の、口には出せない救いを求める声に耳を塞ぎ、訴えかけてくる視線から目を逸らしていたに過ぎない。
彼に手玉に取られていたのではない、伸は必死に訴えていたのに、俺が見てみぬふりをしていたのだ。
後悔すべきなのは、俺で。
責められるべきは、俺なのだ。
俺は、彼を引き寄せ抱き締めた。
「違うんだ、伸っ。謝らねばならないのは、俺だ、俺のほうなのだ・・・!」
この村に現れた俺を見つけたとき、彼は自分の中の断ち切れない望みを、再び意識したに違いない。
滅さねばならないと苦しんだ、必死の想いを。
その微かな希望を、漸く縋ってきた彼を、俺は、知らなかったとはいえ、自分を守るために踏み躙ったのだ。
あれほど焦がれていたくせに、こんなことになる前に、何故俺は踏み出せなかった。
近寄ったつもりが、遠ざけていた。
同じ想いを懐(いだ)きながら、すれ違っていた。
なんと滑稽なことか。
もう今更かもしれない。
今の伸にはもう、こんな俺の声は届かないかもしれない。
深い哀しみの海に沈んでしまったかもしれない。
だが、彼はまだ目の前にいる。
ならば俺は・・・どうすべきか。
「お前を・・・お前を、探していたのは俺だ。お前に会いたいと思ったのも、俺だ。お前の声を聞きたいと思っていたのは、俺だ!」
俺と伸の間にある彼の腕には、いつでも俺から離れられるようにと、硬く力が篭もっている。
俺の言うことを信ずることが出来ないのだろう。
当然だ。
「俺は・・・怖かった。ずっと脅えていた」
腕の中の薄い背、肩に乗った小さな顎、触れ合う冷たい耳。
彼の心は凍り、絶望と悔恨に満ちている。
今、この手を放したら、彼とこの世を繋いでいるものは、すぐにも途切れてしまうだろう。
その全ては俺のせいだ。
俺は、取り戻さねばならない。
俺とこの世を繋いでいるのは、彼なのだから。
「お前に笑顔を失い、お前に嫌われ、お前に蔑まれ、お前が離れていくことを、俺は懼れていた。だからいつも誤魔化し、逃げていた。いつもいつもいつも・・・っ、ずっと・・・!」
自分の紡ぐ言葉がもどかしい。
天の才など、こんな時には何の役にも立たない。
俺は彼の肩を掴み、正面からその双眸を見つめた。
目が慣れてきたせいもあるだろう。
薄闇の中に、彼ははっきりと俺の目に映った。
心が大きく震える。
こんな時でも彼は、眼を見張るほどに美しい。
そして、誰よりも艶やかだ。
次の瞬間、俺は彼に口付けていた。
彼の眦からまた、温かく透明な水滴が伝い落ちたのがわかった。