その先の行方(前編)
リョウの祖先は、古くからこの地の有力者だった。
しかし、王家ではない。
広大な領地を治める王に仕える、いち家臣にすぎなかった。
よくある話ではある。
彼の祖先は、謀反を起こした。
時の王を廃し、一族を駆逐し、領土と民と、強大な権力を握った。
だが、これもまた歴史の常、王家の血筋は途絶えなかった。
野に下り、細々とその血を受け継ぎ、密かに再建の機会を窺い、待っていた。
新たに玉座に就いたリョウの祖先だが、決して悪政をしく者ばかりだったというわけではない。
彼らには、彼らなりの理由があり、殊に初代の強奪王は、平和の上に胡坐をかき、私腹を肥やすことのみに明け暮れる貴族に支配され、堕落しきった王国を立て直すことに懸命だった。
だが長い統治は、腐敗を育むもの。
安定した治世は、たった三代で荒廃を始めた。
もとより、頂点に立つために、そして立った後にも、数え切れないほどの淘汰をしたという後ろ暗さを持った一族だ。
父祖の行いによる消えない罪の意識に苛まれ、常に求心力に不安を抱え。
疑心暗鬼となるのも無理はない。
その恐怖と猜疑心は、代を下るほどに強くなっていた。
途中、賢王も現れ、建て直しを計った事もあったが、しかし少しずつ、僅かずつ彼らは弱り、没落への道のりをゆっくりと着実に進んでいった。
リョウは、十七代目の王となる、後継者だった。
そして彼は、強奪王家最後の王となった。
青年シンは、皇太子であるリョウと血縁関係にある。
シンの父方の祖父は、リョウの母方の祖母の2番目の弟だ。
遠くはあるが、現在の最高権力者の親族でもるし、またシンの血筋も、この地では最も古いうちのひとつでもある。
他に比べれば平時の陰の薄さは否めなかったが、それでも昔から王に重用され、中枢で重役を担ってきた。
件の政権交代の当時、その頃はまだかの一族とは血縁関係になく、また前王家側に付いたにもかかわらず、他の豪族たちのように粛清されずに生き残ることができたのには以下の理由があげられるだろう。
系譜の深さの割には、一貫して権力への執着がなかったこと。
己の立場を弁えており、それを踏み越えること、踏み越えようとしたり、臭わせることすら、代々を通じて、一度としてなかった。
常に控えめで実直な気質によるところも大きかったろう。
そのうえ、戦となれば、その勇気を疑う者はなく、冷静さと豪胆さを持ち合わせ、武勲の数は他に引けをとらない。
妬みや諍いが全くないわけではなかったが、彼らは上手く対処する術を心得ていた。
とにかく、臣下として抱えるには、これ以上の存在はないと思わせるものを持ち合わせていたのだ。
シンとリョウは、兄弟のように育った。
歳も近く、孤独になりがちな皇太子の傍に置くのにシンは、血筋としても性格的にも適任だった。
しかしその二人が、長く続いたこの世界の歴史を再び塗り替える事になろうとは、誰が想像しただろう。
−−−いや、正確には、三人が、だ。
そのもう一人が、今、シンの目の前にいる人物である。
シンの脳裏に、これまでの出来事が断片的に表れては消えた。
リョウの父は、賢王とは程遠い、良王の対極にある人物だった。
とはいえ、狂気の限りを尽くす、というような破綻した人格の持ち主でもなかった。
彼は何もしなかった。
王としての勤めを一切放棄したのだ。
それでも若い頃は、努力した。
しかし、ある時突然、彼はやる気をなくした。
切欠は、妃の死だった。
彼は息子であるリョウよりも妻を愛していた。
その妻の死によって、彼は打ちのめされ、それまで耐えてきたものに立ち向かう事を辞めたのだ。
妻は、情夫に殺された。
近衛兵の処刑は粛々と行われた。
魂の抜けた彼に代わりリョウが実質的な王職に就いたのは、25の時だった。
そうして、3年後、父は鹿狩に出かけたまま戻らなかった。
沼地で見失ったことになっていたが、真相は誰しもがわかっていた。
共の者に対する処罰が例外的に軽かったことも、その実情を物語っていた。
しかし、それを咎め、事実を追求しようとする者は、一人もいなかった。
そう、リョウですら、それをしなかった。
かくして、十七代目の王が戴冠した。
リョウには、皇太子であった頃から、いや、物心ついた頃から心に決めていたことがあった。
その思いは、ずっと彼独りの胸の内に秘められていた。
それは―――
自分が被ることになるであろう王冠を、本来それを継ぐべき者へ返す。
というものだった。
この秘密の考えに共有者を得たのは、彼が11の時。
相手は、ひとつ上の兄(のような存在)であり家臣でもある、少年シンだった。
シンはその時、黙って彼の話を聞いた。
そして一言、わかった、と言った。
それから二人は、誰にも知られずに計画を練った。
細心の注意を払い、砂粒ひとつも洩らさない慎重さをもって。
もちろん、全てを二人だけで進めたわけではないが。
彼等の人選は、的確だった。
老練な海千山千共の中にあって、若い二人は実に上手く、事を運んだ。
リョウの事を成す決意は確固たるものであった。
がしかし一方で、それがために、彼は常に大きな不安を抱えることとなり、稀に精神のバランスを崩し、手に負えない状況となることがあった。
周りはこの発作を、二親のどちらにも愛されなかった境遇によるものと理解していた。
そんな時、彼らはリョウを敬遠した。
一人を除いて他の人間は身を引き、哀れみをもって彼の衝動が治まるのを待ったのだ。
その時以外のリョウは、実に理想的な王でもあったからだ。
誠実で、豪気があり、家臣の意見に耳を貸す度量もあり、決断力があった。
何より、彼には人を惹きつける何かを、生まれながらにして持っていた。
シンはリョウをよくを支えた。
辛抱強く、時に厳しく、時に優しく。
この大義名分のために、どれほどの犠牲を払ったことか。
薄暗い部屋で目を閉じたシンの胸が、しくり、といった。
どこから入り込んだのか、微かな風が灯を揺らした。
自分を信じ、ついてきた者たちの、今はもうこの世に存在しない者たちの顔が、終わりなく脳裏に現れる。
これは裏切りだ。
そう言われたとしても、弁解の余地はない。そのことは重々承知している。
しかも自分は、二重の意味で裏切り者だ。
いや、二重どころではない。
ありとあらゆるものを裏切った。
最も大事だと思っていた者すらも。
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