他人の事
「あははははははっ、なーに言ってんだよ、俺だよ、俺!お前のオ・ヤ・ジっ」
危うく僕は失神しかけた。
だって・・・!
まさかまさかまさかまさかまさか・・・っ
ま、さ、か、
もしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかして・・・っ
ももももももしかして!
これが、“アノ”、ア・ノ!・・・あの、男・・・
なのかあーーーーーっっ?!?!
ボロアパートの狭い部屋、玄関から丸見えのダイニング。
そこにある少しガタつく椅子から立ち上がって、こちらを見ているのは・・・
背の高い、やったら爽やかな青年だった。
鼻筋の通った、理知的な顔立ち。
その中でやや垂れた目元が、ほどよい甘さを醸し出している。
手足が長いのはわかっていたけれど、昨夜のように薄汚れた服ではなく、シンプルに白いシャツとデニムなだけで、十分様になっている。
若干猫背っぽいけれど、そにしても、たぶん、10人中、10人は振り向くだろう容姿で。
この人、モデルです。って、言っても、きっと誰も疑わない。
昨夜の、あの、貧相でダサくて野暮ったくてモッサイ男は、そこにはいなかった。
なんだこれ・・・
キッラキラだ・・・
この家に、もんのすごく、そぐわない。
「お・・・お・・・おま・・・ぅっ」
あまりの眩しさに、不覚にも眩暈を起こしそうになって。
「おっ、どうした、伸っ!大丈夫か?具合悪いんじゃないのか?もしかして、だから遅かったのか?すっごく心配したんだぞっ」
すっごく心配した、って・・・昨夜知り合ったばかりの相手にかよ・・・。
てか、早くも親父面ってこと?
け・・・っ
親父?
親父だって?
僕は改めて顔を上げ、目の前に立つ男を睨んだ。
・・・っ、だめだ。
なんかやっぱり、異世界に紛れ込んじゃった気分だ・・・。
もう一度頭を整理しよう。
視線を逸らし、目をつぶって、昨夜からの変遷を辿る。
が、しかし。
・・・っ、やっぱだめだ〜!
どうにも昨夜のあいつと、今、目の前にいるこいつが結びつかない。
こう言っちゃなんだけれど、昨夜の胡散臭いままのほうが、よっぽどオヤジっぽかった。
それが、何がどうやって・・・、たった髪切って、まともな服に着替えただけで、こんなにも変わるか?普通。
これじゃあ、誰がどう見たって、僕の親父なんかじゃない。
兄弟か、従兄弟だよ・・・。
―――って、いやいや、違う!
そこが問題なんじゃなくて、そもそもは・・・何が争点なのかというと・・・
えーと、えーと、
えーと・・・?
なんてこった!
僕って、こんな頭悪かったか???
うーんうーん・・・っ
「ど、どうした?腹でも痛いんか?」
「・・・は?」
あ・・・
そういえば、靴を脱ぎかけて、壁に手をついたままだった。
「べ・・・別に・・・」
モゴモゴと口を尖らせ、そそくさと、家の中に入った。
何を言ったらいいかわからなくて、ついて出たのはこんな言葉。
「・・・“まだ”いたんだ・・・?」
取り繕うような不機嫌さで、上がってすぐの台所にコンビニの袋を置いた。
「はへ?・・・だって、お前、家開けっ放しにして出てくわけにはいかんだろが」
そんな僕の背に、気の抜けたような声が降りかかる。
「でも、髪の毛切りには出かけたんだろう?」
振り返りながら年季の入ったシンクに寄りかかり腕を組み、どこか喧嘩腰な口調で切り返す。
視線はがっつり合わせたものの、実はどこをどう見たらいいかわからなくて、内心戸惑っていた。
だって、やっぱりどう見ても、この家の中じゃ存在が浮きまくってるし、どうにも昨夜の奴と同一人物には見えなくて、なんとも調子が狂うというか・・・。
「あ?あ・・・、ああ、ああ!そら大丈夫!」
「だ、だい、じょ・・・って・・・!」
「だって、大家さんにお願いしてったから」
「お・・・おねっ・・・って、大家、さん?・・・“あの”大家さんにっ?!」
「ああ」
奴は、コクンと頷き、平然と肯定した。
まるで子供が母親の質問に答えるみたいに。
「『ああ』って、だって、あんた、大家さんのこと、知らないだろっ?」
僕の頭の中はまたとっ散らかってきた。
嗚呼、別にこんな話をしたいわけでもなんでもないのに・・・。
無駄だよな、こんな会話。って、わかっているのに・・・。
「え、でもあの、白髪交じりで、小柄な、キラキラパープルのスカーフ巻いてて、ここんところにでっかいホクロのあるばぁさんだろう?」
「ぅ・・・っ、そ、そうだけど・・・っ」
あの、いつも気難しげなおばあさんの顔が頭に浮かぶ。
物心ついた頃からずっとこのアパートに住んでいるのに、こちらから挨拶したって、めったに返事が返ってくることはない。
その大家さん(ばあさん)に、『留守をお願いした』だって?!
「玄関開けて外見たら、前の道掃いてたぞ?」
「・・・で?」
「・・・で?」
「だからぁ!そんで、どうして・・・っ、・・・あ・・・、いやいやいや、も、いいわ・・・」
「?」
小首を傾げてこちらを見つめる相手に、僕はげんなりとしてため息をついた。
なんとなく、話の流れが想像できた。
おそらく、あのモッサイ姿のまま大声で話しかけて、そしたら、なんかいきなり変わったモン同士、気が合っちゃったりなんかして、そんでもって大家さんが留守番を買って出てくれる、なんて、通常じゃあ信じられないような展開になった、と。
たぶん、きっと、そんなけったいなことになったのに違いない。
どうして、とか、なんで、とか、そんなのは関係なくて、ただ、そういう流れになった、ってだけのことだ、たぶん。
そんな話、わざわざこいつの口から聞くのもバカバカしい!
このくだらない会話で、これ以上今夜もまた僕の貴重な時間を費やしたくなかった。
だから話題を変えた。
とっとと気になることを確認して、話を次に進めなきゃ。
つか、早くご飯食べて、レポートの続きに取り掛かって、寝なくっちゃ。
「で・・・夕飯は?食べたの?」
「ほえ?あ・・・あぁ・・・実は、まだ・・・えへっ」
すっきりとカットされた襟足をポリポリと掻く姿は、スマートな見た目に反して、なんとも野暮ったくてミスマッチ。
どこか笑いを誘うその仕草に、つい微苦笑が浮かびそうになって、僕は慌てて仏頂面を復活させた。
「ふん、やっぱりね・・・。でも、僕はさ、まさかあんたがまだいると思わなかったから、お弁当、一人分しか貰ってきてないんだよね」
「え?あ、ああ、そんなん・・・」
「だから、半分でよければあげるけど?」
「はへっ?はんぶん?!」
「何?半分じゃ不満なわけ?」
「いやいやいやっ!そーじゃなくて!・・・お前・・・伸て、優しいんだなーと思って・・・」
「・・・何だよそれ、嫌味?」
「違うって!ほんとにそう思ったんだっ」
そう言うと、デカ男は、僕の肩をガシリ!と掴んだ。
あまりの勢いに、上体が仰け反る。
しかも・・・
うわっ!
なななななな・・・っ
顔、近っっ
それに、何、こんなことで力説してんだよ!
やば・・・!
耳がきゅーっとなってきた。
って、僕、何、照れてんだっっ
「ふ・・・ふんっ、どーだかね・・・で?」
「で?・・・で・・・、あ、・・・ああ!いやいや、そうだな・・・ま、半分ずっこもいいけど、それはやっぱ悪いわ。お前が帰ってきたんなら、俺、自分の分は自分で買いに行ってくる」
「え、買いに・・・って、でも、お金・・・」
あ・・・!
そ・・・そうか・・・、そう、だった、よな・・・。
別に、文無しってわけじゃないんだ。
床屋にも行ってきたんだから、現金の持ち合わせだって、ちゃんとあるんだ。
そうだよっ、ご立派なカードだって持ってたじゃないか。
昨日のボロボロできったない格好ばかりが脳裏に焼きついてるもんだから、うっかり貧乏人だと勘違いした。
ちっ・・・
馬鹿なこと言っちゃった。
恥ずかしいし・・・もぉ・・・っ。
「ふ、ふーん、そ。じゃ、そうしてくれ。あー、そうだ。ついでにあの荷物も持ってさ、今夜からはどっか別のところに泊まってくんない?ここ狭いし」
悔し紛れに口からついて出たこの言葉に、男は過剰なまでの反応を見せた。
一切の動きを止めて、目を丸く見開いた。
そして、
「・・・えっ?・・・えええーーーっっ?!そっそんな・・・っ、なんだよそれーーーっ!酷い酷いっ伸!さっきはあんなに優しかったのに〜っ」
そうして、掴んだ僕の肩を大きく揺らした。
ガクガクされるままの僕は、波打つ脳みそでぼんやり思った。
えーと・・・
こいつ、本当に27?
まがりなりにも(?)、僕の“オヤジ”なんだろ?
しかも、何、マジで目ぇ潤ませてんだよ・・・
「うそだろう?なっ、うそだと言ってくれ!」
・・・ったく、何なんだよ、もぉっ、んっとに、しようがないなぁ〜・・・。
あぁあぁ、頭がクラクラするぅ〜っ
「・・・うぅうぅ・・・っ、う、ウソだよ・・・い、いいよっ、わかった!だからっ、その、デカイ手、放してくぅれぇえぇえぇえっっ」
「おあっ、すっ、すまん!・・・で?え?『ウソ』って・・・!」
『ウソだと言ってくれ』って言ったの、お前じゃないか・・・。
ああ・・・、どうして僕、こんな奴を哀れだと思ってしまうんだろう?
「ふぅ・・・。・・・こうなったら、いちんちも二日もかわんないし、あんたが泥棒じゃないらしいってこともわかったから、別にいいよ、居ても。ってこと」
なんだよ!なに言ってんだ、こいつをこんな甘やかしてやる必要はない!
突っぱねて、追い出しちゃえばいいだろうっ!
同じ僕の中のもう一人の僕はこう叫んでいるのに、何故か口は勝手に動いてた。
「だから、好きなだけ、いればいい」
「えっ?えっ?えっ?すっ、好きなだけ・・・って、ほへ??え・・・ほ、ほんとに?ほんとに、いいのか?」
あぁああっ、だ〜か〜ら〜!
そんなに近づくなってっ
お前、眩し過ぎるんだよ、このしょぼい家には!
「・・・ぅ・・・あ、ああ、い・・・いいよ・・・」
「本当に・・・?ほんとのほんとのほんっ」
「しっ、しつこいとおん出すぞ。いい、って言ってんだろが・・・っ」
「ぃやったぁーーーーーっ!!!」
「しーーーっっ、五月蝿い!静かにしろよっ、ご近所に迷惑だろ!」
こう叱咤した僕の声はフゴゴゴゴゴとしか聞こえず、布地に吸音された。
あ、なんか良い匂い・・・
ん???
んんん?????
わぁーーーーーーーーーーっっ!!!!!!
「ちょちょちょちょちょっ、はっ、放せったらっ!こ・・・んの、バカっ」
だから外国かぶれは嫌なんだよっ!
僕は必死で絡みつく腕を引き剥がした。
「あ、悪い悪い。けど、ほんと、伸て、良い奴だな。優しいし、面白いし」
僅かに頬を染めつつ、ふわりと笑って、全く無意識に失礼なことをのたまる奴に、
は?
面白いだってぇ??
言っとくけど、これまでの人生で、一度もそんなこと言われたためしはないんだけどね!
そう心の中で、怒りをぶちまけながら、ギン!と睨むと、彼は、大きな身体を縮こませて、遠慮がちに右手を差し出してきた。
その大きく、長い指に囲われた手の平に鍵を落とすと、彼は、飛ぶように家を出て、お弁当を買いに行き、湯が沸きあがる頃には帰ってきた。
先に食べ終えてしまおう思っていたのに、並じゃないスピードだ。
しかも、いつ確かめたんだか、手にぶら下げていたのは、僕と同じ弁当だった。
彼は、嬉々として僕の向かいに座った。
そうしてみて僕は改めて認識した。
ここでこうして、誰かと食事をするのは、実に数年ぶりであったこと。
そして、その椅子に昔座っていた女の存在。
苦々しい気持ちが、居の腑から湧き上がってくる。
あの女の椅子なんて捨てておけばよかった。
僕は、黙ってお弁当の蓋を開けた。
すると目の前のデカ男は、僕が食べ始めるのにあわせて、蓋を開け、箸の代わりに貰ってきたフォークスプーンで、猛然と食事を開始した。
見た目がいい分、その食べっぷりとのギャップの激しさがハンパない。
いったいいつ咀嚼しているんだという速さで、次々と彼の口の中に放り込まれていくおかずとお米。
今しがたの嫌な気分も忘れ、箸を止め、僕は唖然と眺めた。
よほどお腹が空いてたんだな、待たせて可哀想だったかも・・・。
なんて同情心も沸いたのだけれど、この男の食べるスピードが尋常じゃないのは、別にこの時ばかりではないということに、僕は早々に気づかされることになる。
こんな風に、僕と見ず知らずの義父、羽柴当麻との奇妙な共同生活がスタートした。
当麻が、どうやってあの女と出会い、結婚までして、そして今、何故一人きりで日本にやって来て、僕に会うことにしたのか、その謎は解けないままに。
あんな女とのことなんか知りたくもないと思う気持ちの反面、気にはなっていたのだけれど、なんとなくはぐらかされてしまいそうな雰囲気が彼にあったのと、どこか、その話を聞くことに対する恐怖にも似た思いがあって、この話題を切り出せずにいた。
当然、彼のことを“父親”だなんて思うことはできない。無理。
僕にとっての彼は、今のところ、ただの(?)変な同居人、といったところだ。
何て呼んだらいいかと尋ねたら、いきなり『お父さん』とも呼び辛いだろうし自分も照れ臭いし、かといって『羽柴さん』だと堅苦しいから、とりあえずは『下の名前で呼んでくれ』と、言われた。
僕がいない間、当麻が何をしているのかについても、やっぱりさっぱりわからない。
あれほど強引に僕の生活に割り込んできたくせに、あれ以降は、特段問題も起こさないし、干渉もしてこない。
彼なりに気を使っているのだろう。と、思われる。
邪魔にならないよう、大きな身体を縮こませて、この狭苦しいアパートの部屋で、暮らし続けている。
僕が買ってやる義理もないし、そんなスペースもないため、寝具も、あの日以来ずっと寝袋のままだ。
それななのに、出て行く気配は微塵もない。
だから仕方なく、合鍵を作ってやることにした。
もちろん、お代は彼持ちで。
そうそう、それと、ひとつ付け加えておくと、あの大家の偏屈バアさんとは、相変わらず良好な関係らしい。
世界の七不思議に加えたいほどの不思議だ。
そんな、当麻の突然の訪問と滞在から2週間ほど過ぎたある日のことだった。
(前にモドル)
(続く)